世界を変える百人
新宿駅はダンジョンである。入り組んだ内部構造、多すぎる出口。複雑な案内標識が観光客やお上りさんを迷わせ、今日も魔窟と化している。
「だからね!ダンジョンなんだって!」
誰もいなくなった教室。夕暮れの日差しが差し込む西向きの窓を背にして少女が立っている。
ドン・キホーテで買った丈の合わない白衣のポケットに左手を突っ込み、近視と乱視を矯正する度の強い眼鏡をクイッと右手で押し上げると、八重歯を見せつつ歪んだ笑顔を向ける少女が俺の幼馴染、近藤伊佐美だ。
「……アホか?」
IQが離れていると会話にならないというがそれは本当だと思う。俺には目の前の女……。いや、女というには、メリハリがなさすぎる少女じみた体型の十八歳が言い出したことが、さっぱりわからない。
「分かんないかな〜。新宿駅の中に、ダンジョンがあるんだって!」
自分の席に座る俺の周りを歩き回りながら、伊佐美はザンギリ頭のようなショートヘアーを両手で掻いた。なぜか理解されないことを喜ぶようにニヤけているのをみるに、俺の反応なんて折り込み済みだったのだろう。
なんせ相手は頭が良すぎて五歳の時に渡米。飛び級を重ねて、十四歳の時にスタンフォード大学を出たとニュースになり、フォーブスとかいう雑誌が決める『世界を変える百人』に選ばれてなお、
「圭ちゃんと青春する!」
と仰って電撃帰国すると幼馴染の俺、山南圭介と一緒に墨田区の工業高校に入学した異端の天才だ。
「いや、確かによくロンダルキアとか言われてるけどさ……」
俺は、俺の知る限りの知識で武装して伊佐美に立ち向かう。比喩表現、ネットスラングとして新宿駅をダンジョンと称するのはよく知っている。が、どう考えても目の前の天才の目は、ニヤリと歪めるその口元に光る八重歯は、常人の理解の外から俺を嘲笑っているようにしか見えない。
「それはた・と・え・話でしょ」
スタッカートのように言葉を区切るリズムに合わせて、伊佐美は右手の人さし指を振る。
「ほら、新宿駅でやたら、電波が悪いところあるじゃん?」
調子づいてきたのか伊佐美は、俺の机の上に腰掛けると、色気もへったくれもない丈のスカートからわずかばかり見える足を組みかえる。へったくれもないと言いながら肌色を追いかける男の性に、自分自身軽い苛立ちを覚える。
そして、伊佐美の少年のような中性的な顔立ちが俺の視界をジャックする。分厚い眼鏡を支える鼻あての辺りにはそばかすが目立ち、伊佐美の食生活と生活習慣の乱れを思わせる。
「ど……どこだよ?」
足を見るべきか、顔を見るべきか……。動揺し、いっそメリハリのない身体に視線を泳がせる俺の思惑など意にも介さず、伊佐美は俺が話に食いついてきたと満足げな顔で俺の顔を覗き込む。
「A10からA17辺りの地下道なんだけどね!」
伊佐美は白衣のポケットからスマホを取り出すと、何かの曲線グラフの一点を俺に指し示す。
「なんだそれ?地下道って電波届かないだけだろ?」
一般的なIQの俺がそう言うと、世界を変える百人の一人は、左手の人さし指で俺を指さす。
「違う、違う!時空の歪み。重力値が一箇所だけおかしい場所があるんだよ!ブレーンワールド理論的考え方で言えば、あそこから重力が漏れていると思えないかい?」
思えないかい?と言われても、さっぱり思えない。そもそもブレーンワールド理論とは?重力が漏れている?俺が困惑して眉間にシワを寄せていると、伊佐美は俺のその反応に何故か口角を上げる。
「昔から難しい話、苦手だもんね〜、圭ちゃん。そんな君には、論より証拠だ!」
難しい話のレベルを超越しておいて、何を言ってるんだ、こいつは……。極度の近視と乱視の影響か。再び俺を指差した伊佐美の指は、距離を見誤り俺の眉間に接触する。まさか触れるとは思っていなかったのか、伊佐美は少し動揺したように距離を取ると、咳払いをして俺に右手を差し出した。
「だからさ。これから新宿駅に行こうよ!圭ちゃん!」




