表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
无音の烙印を押された没落貴族~前世の作家スキルで才能を開花させたら、冷酷な近衛隊長に溺愛されました~  作者: 月夜 闇花


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/16

第2話「无音(むおん)の烙印」

 王都アルモニアは、灰色の空を切り裂くようにそびえ立つ尖塔と、幾重にも連なる石造りの建築群によって形成されていた。

 乗り合い馬車から降り立ったエリオは、冷たい石畳を踏みしめながら巨大な街の威容を見上げる。

 荷馬車が行き交い、着飾った貴族たちや足早に歩く商人たちのざわめきが、高い石壁に反響して渦を巻いている。

 かつてフォンテーヌ領として栄えていた頃の記憶がかすかに蘇るが、今や自分の着ている使い古されたコートは、この煌びやかな街の風景からすっかり浮いていた。

 すれ違う人々が、エリオの身なりを見てあからさまに顔をしかめ、避けるように道を譲っていく。

 その冷たい視線を肌で感じながらも、エリオの内心は驚くほど平穏だった。


『王都の情景描写としては百点満点。冷たい秩序と、貧富の差を視覚的に叩きつけてくる感じが良いね』


 寒風に髪を揺らされながら、目的の場所へと足を進める。

 聖庁調律院の本拠地である王都大聖堂は、街の中心に位置していた。

 真っ白な大理石で組まれた外壁は、冬の弱い日差しを受けて冷ややかに輝いている。

 巨大な両開きの扉をくぐると、そこには外部のざわめきが一切届かない、冷気に満ちた静寂の空間が広がっていた。

 高い天井には緻密な彫刻が施され、色鮮やかなステンドグラスから差し込む光の帯が、磨き上げられた床に落ちている。

 すでに測定を待つ同年代の若者たちが、長い列を作って身をすくめていた。

 エリオもその列の最後尾に並び、順番を待つ。

 儀式を執り行うのは、調律院の白と金の法衣をまとった査定官たちだ。

 広間の中心に置かれた台座の上には、澄んだ青色を湛える巨大な共鳴晶が鎮座している。

 対象者がその結晶に触れると、個人の持つ魔力の質が音として聴き取られ、空間全体に響き渡る仕組みだった。

 澄んだ高音が響けば上音、やや濁った音が響けば中音や下音として判定される。


「次、前へ」


 事務的な声に呼ばれ、一人の少年が進み出た。

 彼が震える手で共鳴晶に触れた瞬間、鈍く重い和音が空間に響き渡る。


「……位階、下音。労働階級への登録を許可する」


 少年は肩を落とし、逃げるように広間から去っていった。

 続く少女が震える手で結晶に触れると、虫の羽音のようなかすかな音しか鳴らない。

「位階、微音。平民層への登録を許可する」

 無機質な宣告を受け、少女はその場に泣き崩れた。

 才能ではなく、ただ不可視の「音」という基準だけで、これから先の人生のすべてが決定されていく。


『残酷なシステム。これで社会が回ってるんだから、狂ってるよ』


 エリオは冷たい観察者の視点で、次々と切り捨てられていく若者たちの姿を分析していた。

 やがて、自分の順番が巡ってくる。


「次。名を名乗れ」


「エリオ・フォンテーヌ」


 その名を口にした瞬間、広間の空気が一変した。

 査定官たちの間にひそやかなさざ波が広がり、列に並ぶ若者たちが一斉にエリオに視線を向ける。

 没落したとはいえ、大罪人とされたフォンテーヌ家の名前は、王都において最悪の忌み名として知れ渡っていた。

 査定官たちの奥から、一人の男が進み出てきた。

 銀色の糸で刺繍が施された上位の法衣をまとい、冷酷な光を宿した細い目を持つ男。

 調律院の上級査定官、ダリウス・コルバン。

 ヴァレンティア公爵の腹心として、実質的に今日の測定を取り仕切る人物だった。


「フォンテーヌの子息か。よくぞ逃げ隠れせず、この神聖な場に足を運んだものだ」


 ダリウスの言葉には、隠しきれない嘲りを含んだ棘があった。

 大聖堂の高い天井に、彼の声が無機質に反響する。


「王国の臣民として、当然の義務を果たしに来たまでです」


「ほう。そのやせ細った体で、どのような音を鳴らすか見せてもらおうか。さあ、共鳴晶に触れるがいい」


 エリオは静かに台座へと歩み寄った。

 青く透き通る結晶体。

 冷たい石の表面に、ゆっくりと右手の手のひらを押し当てる。

 全神経を集中させ、自分の中にあるはずの何かを探り当てようとした。

 一秒。

 二秒。

 十秒が経過しても、共鳴晶はまったくの沈黙を保っていた。

 かすかな振動も、光のゆらぎも、どんなに耳を澄ましても音一つ鳴らない。

 無音の静寂。

 それは、存在そのものを否定するような恐ろしい沈黙だった。

 広間の中が水を打ったように静まり返り、やがてざわめきが潮の満ち引きのように広がっていく。


「何も、鳴らない……?」

「おい、本当に無音だぞ」

「没落貴族の血脈は、とうとう枯れ果てたか」


 嘲笑と軽蔑の混じった囁き声が、エリオの鼓膜を打ち据える。

 ダリウスは満足そうに口元を歪め、冷然とした声で宣告を下した。


「位階、无音。フォンテーヌ家の血脈も、ここまで鳴らなくなったか。魔力の欠片すら持たぬ者に、聖庁が与える慈悲はない。早々に立ち去れ、无音の者よ」


 それは実質的な死の宣告だった。

 无音の烙印を押された者は、まともな職に就くことも、社会的な信用を得ることもできない。

 しかし、大聖堂の冷たい床を見つめながら手を下ろしたエリオの内心は、奇妙なほど凪いでいた。


『侮辱されてるのに、不思議と冷静だ。……三十八年も生きた大人の精神が入ってるんだから当たり前か。それにこの无音判定、物語の序盤の展開としてはむしろ美味しい。何も持たない最弱が、這い上がるための完璧なセットアップ』


 ゆっくりと振り返り、自分を嘲笑う人々を一瞥もせずに大聖堂の扉へ向かって歩き出す。


『問題は、この世界に私を助けてくれるチート能力があるかどうか、だけど』


 背中に突き刺さる無数の視線を無視して、エリオは冬の空の下へと踏み出した。


◆ ◆ ◆


 夜の帳が下りたフォンテーヌ領は、深い暗闇に沈んでいた。

 王都での出来事を終え、屋敷に戻ってきたエリオは、冷え切った体を休める間もなく父の寝室へと向かった。

 小さな燭台の炎が、部屋の壁に揺れる影を落としている。

 ベッドの上で、エルヴァンは浅い息を繰り返していた。

 エリオが戻ってきた気配に気づき、わずかに目を開ける。


「……戻ったか、エリオ。結果はどうだった」


「父上。僕は……」


 エリオは言葉を切り、ベッドのそばに座り込んだ。

 嘘をつくことはできない。

 この世界の揺るぎない価値基準である位階。


「无音、でした」


 その言葉を聞いた瞬間、エルヴァンの目に深い絶望の色が広がった。

 しわの刻まれた顔が苦痛にゆがみ、かすれた息が漏れる。


「そうか……お前まで、奪われるのか。私に力がないばかりに、お前の未来まで……」


「父上のせいではありません。これは僕の……」


 エリオは父をなだめようと、無意識のうちにその冷え切った痩せた手を両手で強く握りしめた。

 その瞬間だった。

 脳内を、強烈な電流が駆け抜けた。


『――――っ!?』


 エリオの眼の奥で、何かが弾ける感覚があった。

 触れている父の手のひらから、淡い金色の光の粒が音符のように立ち昇るのが見えた。

 それと同時に、無音の静寂の世界に、低く、穏やかで、しかし確かな力強さを持った旋律が響き始めた。

 チェロの重厚な響きに似た、複雑に絡み合う和音。

 それは大聖堂の共鳴晶が鳴らしたような単調な音ではない。

 人の心を包み込み、閉ざされた扉を静かに開け放つような、胸を打つような強い説得力を持った音色だった。

 視覚と聴覚が溶け合い、エリオの頭の中に直接その音楽が流れ込んでくる。


「父上、これは……」


「エリオ? どうしたのだ、急に震えて」


 エルヴァンには何も見えておらず、何も聞こえていないらしかった。

 エリオは自分の手に視線を落とす。

 光の粒は父の体から立ち昇り、エリオの手を介して空中で美しい螺旋を描いている。

 その旋律から、一つの明確な意味がエリオの心に伝わってきた。


『交渉術と、人心掌握の才……人の心を開かせる、説得の調べ』


 かつてフォンテーヌ領が活気に満ち、領民たちが父を慕っていた本当の理由。

 それは、調律院の画一的な共鳴晶では測定できなかった、父の真の才能の音だった。

 そしてエリオは、自分の中に眠っていた一つの確信にたどり着く。


『真調べ……これが、僕の能力』


 他者に触れることで、その人物の魂の奥底に眠る真の音色を旋律として聴き取る力。

 そして、その旋律を正しい調へと導くことで、彼らの才能を爆発的に開花させることができる。

 自分自身には魔力も戦闘能力もない。

 大聖堂での判定の通り、エリオ自身の音は完全に无音だ。

 しかし、他者を鳴らすことができる。

 三十八年間、BL作家として何百人ものキャラクターの隠された本質を設計し、言葉という音を与え続けてきた桐生燈子の魂と、フォンテーヌの血脈が交わったことで発現した特異なスキル。


『なるほど。自分は何も持っていないけど、人の才能を見つけて育てることはできる。作家としての観察眼がある私には、これ以上ない武器だ』


 光の粒が静かに消え、旋律の余韻だけがエリオの胸の内に残った。

 父の手をゆっくりと布団の中へ戻し、立ち上がる。

 窓の外には、雲の切れ間から冷たい冬の月が顔を出していた。

 前世では、一人で机にかじりつき、自分の限界に気づかずに命を落とした。

 今世では、一人で戦うつもりはない。


『最高の合奏団を揃えてやる』


 無能と烙印を押された者たちの本当の価値を見出し、この理不尽な制度の真ん中で高らかに鳴らしてやる。

 自分自身の生存を賭けた反逆の物語が、冷たい月の光の下で静かに幕を開けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ