第1話 全裸の覇王
――全裸とは、虚飾を脱ぎ捨てた光の証明である。
「服をすべて脱いで捨てろ。貴様にはボロ布すらもったいない。路傍の石だという自覚を持て」
看守長がそう命じると、周囲から嘲笑が上がった。
やかましく手を叩いて喜ぶ、人の尊厳を踏みにじる腐った空気。
土埃が舞う強制労働場の入口で、裸になれと命じられた黒髪の青年は、眉一つ動かさなかった。
青年の首には、くすんだ黄金色の枷がはめられている。彼は、奴隷だ。
「……脱げと言ったはずだ、石ころ風情が。聞こえなかったか?」
看守長が繰り返す。
しかし――。
「ちょうどいい」
黒髪の青年は超然と笑った。
「少し気が立っていたし、この布、ざらついていて不快だったんだ」
彼は言いながら、身にまとっている唯一のボロ布に手をかける。
その瞬間。
ぶわりと肌を刺すような重圧が空気を震わせ、手の先から青白き燐光がほとばしる。光はたちまち、炎の如くボロ布の上を走り覆いつくした。
周囲から聞こえていた汚い笑いが、引きつったように詰まる。
青年は、まるで龍の片翼を広げるように――それを脱ぎ捨てた。
バサリと響く衣ずれの音。
青々と燃えゆく布が宙を舞い、煤となって空に溶けた。
残ったのは、人の形をした異質な存在。
襟足の結び目だけを編み、無造作に腰まで垂らした漆黒の髪が、龍の尾のようにひるがえって背負う夕日に浮かぶ。
斜陽の赤で縁どられた、神の彫刻のような黒影。
そこに爛々と輝く明け空のような紫の瞳。
黄昏を背に黒く浮かび上がるのは、龍が如きしなやかさの、気品ある戦士の肉体だった。
「どうした? お前たちの目の前にあるのは、ただの石ころだ」
その声は、決して大きく張り上げたわけではない。
しかし、心に直接叩き込まれたかのように、聞かずにはいられない死の予感。
神性すら感じる青年の覇気が、よどみ腐った悪意を薙ぎ払い、一瞬にしてその場の空気を塗り替えてしまった。
天から圧し潰す、物理的な質量を伴うような重圧が、看守たちの肺を圧迫する。
今まさに嘲笑しようと手を振り上げていた看守たちは、汚い言葉を喉に詰まらせたまま凍りつき、身動きがとれなくなっている。
「いま思いついた――俺は、ここを機能不全にさせようと思う」
黄金の首枷をはめた全裸の男が笑い、宣戦布告する。
奴隷ではない。
この瞬間、誰もが彼の姿に――覇王の幻影を見た。
つい先日まで、この異常な男は、水の国の士官学院生だったというのに。
◆
数日前、士官学院の庭にて――。
一人の青年が、貴族のドラ息子の喉もとに黒刀を突きつけていた。
襟足の結び目だけを編み、残りを無造作に垂らした黒髪の貴公子。
腰まで流れるその濡れ羽色は、左肩から留めた学院の青い片掛けマントによく映える。
明け空のような紫の瞳は悠然としていて、見る者を惹きつける気高さがあった。
彼の名は、ノヴァス・フルクトゥアト。
孤龍の悪名で恐れられる、首席の問題児。
「く、くそぅ……! 化け物め……!! こ、この僕を斬るつもりか!?」
ドラ息子は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……斬りはしないさ」
チャキッという鍔の音とともに、喉笛を狙う黒刀の切っ先が、太陽の光を受けて閃く。
「――だが、その顔をぶちのめせれば話は簡単だった。良かったな? フルクトゥアトという枷がはめられている化け物で」
落ち着いた低い声。
ささやかれた言葉が物騒でなければ、人を安心させただろうが、ドラ息子にとっては猛獣の唸りにしか聞こえなかった。
ノヴァスの後方の地面には、踏み込みで穿たれた大穴ができている。
芝生をえぐり、局地的な爆発でも起きたかのような、人間の力とは思えない蹴り跡。
化け物が居合いの構えをとった刹那、轟音が鳴り、ドラ息子が気づいた時にはすでに勝敗は決していたのだ。
「審判者、裁定を」
ノヴァスは事務的に言って、黒刀を下げる。
ドラ息子は切っ先から逃れたことで緊張が解け、ひざから崩れ落ちてしまった。
真剣を使った決闘後だというのに互いに無傷。
ノヴァスの紫の瞳は、吹き通るそよ風のように何の熱も帯びていない。
「……この勝負、ノヴァス・フルクトゥアトの勝利とする。勝者は報酬として相手の所有物を指定せよ」
ノヴァスは、ドラ息子の背後――白い髪の少女へ視線を向けた。
年の頃は、十より下だろうか。
うさぎの長いたれ耳が頭の上から生えていて、獣人であることが分かる。
少女は不安げにボロ服のすそをつかみ、握りしめている。
何より目を引くのは、首につけられた鉄の枷。
奴隷の証。
無意識に、黒刀を握る力が強まった。
「そいつをもらう」
自分を指定され、少女がビクリとした。
「ま、待て……! このウサ耳は父上が僕に贈った最高級の芸術品だぞ! この毛並みは唯一無二だ! 貴様なんぞに渡すものか!」
「お前は〈光の裁定〉に負けた。今からそいつの所有者は俺だ」
「だ、ダメだダメだぁ! 貴様はそいつを奪ったところですぐ消費するんだろう!? もったいない! 究極のコレクションなのに!! 支配し、鑑賞してこそ価値ある品を、貴様はゴミにする気――うぐッ」
食い下がるドラ息子の首を、ノヴァスは左手で雑につかんだ。
彼の化け物じみた膂力ならば、その首を砕くことはたやすいだろう。
紫の瞳には先ほどまでなかった確かな殺気がにじんでいる。
ドラ息子の苦しそうな呼吸がひゅーひゅーと鳴ったが、彼の戦意が完全にそがれたので、ノヴァスは枷のカギを奪ってからあっさりと解放した。
「拒否権はない。さもなければ、教会の審判者が黙ってはいまい?」
その問いを肯定するように、祭服に身を包んだ審判者が静かに告げる。
「光の裁定は神が定めた法。これに逆らうということは、神々に逆らうも同義。貴人とて例外ではありません」
光の裁定。
教会が認可した正式な習わし。
この世の貴族は、同意の決闘で勝利した相手の所有物を一つ奪える。
ノヴァスはその神聖な法を最大限に利用し、奴隷を手当たり次第に奪っていた。
今月はこの御曹司の奴隷で四人目となる。
「……クソッ! クソクソッ!! 明日の儀式で神の加護を授かった後なら、負けはしなかった……! フルクトゥアト家の汚点めが……! 欲に飢えた化け物がァ!!」
表情をゆがませて唾を飛ばし、地面を叩くドラ息子。
ノヴァスは納刀し、彼を無視して少女のもとへ歩いていく。
その背に向かって、周囲の者たちは心ない言葉を浴びせた。
「また人の物を奪うのか、孤龍。見境のない痴れ者め」
「あいつに盗られた奴隷は姿を消すらしい。どこかに閉じ込めて化け物らしく食っちまってるかもな! ハハハッ!」
「あんなのでも先代勇者アイゼン様の弟子だ。貴族の恥を育てたなど、何を考えておられるのやら……」
「でも見た目は最高。あの顔でフルクトゥアト家なら、飼い殺されてもいい」
「……正気ですか? 元下民の血なんて私はお断りです」
嘲笑、蔑み、好奇の視線。
そんな野次馬たちの存在など歯牙にもかけず、ノヴァスは静かに少女を見下ろした。
彼女の赤い瞳は恐怖で泳いでいたが、迷いのない大きな手で、その小さな手を握る。優しく包み込むような握り方に、少女はさらに困惑していた。
「こっちだ、ついて来い」
無表情のまま言うと、青い片掛けマントを龍の翼のように広げ、少女を隠す。
ノヴァスはそのまま、少女に寄り添うように中庭を後にした。
その背中に見える優しさは、学院に轟く彼の悪名とはかけ離れているのだった――。
謎多き主人公の物語が開幕です。
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