第113話 役目
「……ふざけないでよ」
最初に声を上げたのは、ダグだった。
普段なら一歩引いて状況を見る彼が、珍しく一歩踏み出している。
「そんなこと……できるわけないだろ!」
拳を握りしめたまま、ルースを睨みつけるように見上げる。
その声は震えていたけど、逃げてはいなかった。
その言葉に応えるように、あの声――大地の女神キリンが、静かに響く。
「……ええ。あなたの感情は、もっともです」
どこか、優しく。
否定はしない。
むしろ、受け止めるような声音だった。
だけど。
「それでも」
一瞬の間を置いて、再び突きつけられる。
「葬り去ることが、あなたたちの役目なのです」
「……役目?」
その言葉に、私は引っかかった。
思わず口に出して問い返す。
「どういう意味よ、それ」
役目って何。
誰が決めたのよ、そんなもの。
白い空間の中で、キリンの気配がわずかに揺らぐ。
そして、告げる。
「あなたたちに宿る――欠乏の文様」
その言葉に、無意識に舌へと意識が向いた。
「その正体こそが、答えです」
「……は?」
「魔王ルースの力を、削ること」
淡々と。
まるで最初から決まっていたことのように。
「それが、欠乏の文様の本質です」
「……削る?」
理解が追いつかない。
だけどキリンは続ける。
「魔王の力はあまりにも強大でした。その力は世界を歪め、災いをもたらした。ゆえに――打ち倒すためには、弱体化させる必要があったのです」
静かな声。
けれど、その中にある重さは、軽くない。
「そのために構築されたのが、欠乏の文様」
「……構築?」
「尊い犠牲を払って、ね」
その一言で、空気が変わる。
嫌な予感が、胸の奥に沈む。
「ルースから切り離された力は、欠片となり、あなたたちに受け継がれたに過ぎません」
――つまり。
私たちの力はルースの欠片。
「南の大陸から始まった4体のソヴリンを打ち倒す旅も、すべては、魔王の力を削り出すためのもの」
「……そんな……」
思わず、声が漏れる。
じゃあ、一緒に生き抜いてきた戦いも、笑いあった時間も。
全部――
「今のルースに、かつての凶悪な力は残っていません」
キリンの声が、現実を突きつける。
「だからこそ。世界に災いをもたらしたその力で」
一拍。
「彼の息の根を止めるのです」
言葉が、冷たく感じる。
「それが――あなたたちの役目」
沈黙が落ちた。
誰も、すぐには言葉を返せない。
その中で、キリンはさらに続ける。
「魔王ルースが打ち倒されることこそ、犠牲を払った勇者たちの願いだったのです」
『それはつまり……』
ライラの声が響く。
いつも通り、少し落ち着いた、でも確かに揺れている声。
『欠乏の文様を構築するために、勇者たちは命を捧げた……ということですか?』
その問いに、キリンはわずかに間を置いた。
「……ええ」
そして。
「その答えは――本人に聞くのがよいでしょう」
「本人……?」
次の瞬間。
下の方から石が擦れるような音が響いてくる。
すぐに塔の縁に向かった私は、眼下の台座がゆっくりと開いたのを目にする。
「……っ」
あふれ出る光。
そして――
一人の青年が、ゆっくりと浮かび上がってきた。
風もないのに、綺麗な金髪がふわりと靡く。
穏やかな表情。
でも、その奥にあるものは――重い。
「初めまして」
静かに、丁寧に。
「僕の名前はオラクス」
4つの塔の中心に浮かびながら、彼は言った。
「君たちの言うところの――勇者だった者だよ」
「……!」
そのまま彼は、手を差し出す。
まるで大事なものを扱うみたいに。
ルースの身体を、そっとその手の上に乗せた。
そして。
私たち4人を、ゆっくりと見渡す。
「いきなり本題で申し訳ないんだけど」
柔らかい声でつづけた。
「僕たちの願いを、聞いてはもらえないだろうか」
「……願い?」
アレックスが、すぐに問い返す。
「それは、なんなのだ?」
オラクスは、ほんの少しだけ目を細めて。
短く答えた。
「平穏な日々だよ」
「……」
「今、世界から失われてしまっている日々を、取り戻してほしい」
その言葉は、静かで。
でも、重たい。
「そのために、僕も。仲間たちも。命を懸けたんだ」
嘘はない。
そう分かる声だった。
「……でも」
クゥが、ぽつりとこぼす。
「ルースが魔王だったなんて……まだ信じられない」
その言葉に、オラクスは頷いた。
「うん。分かるよ」
優しく。
でも、揺るがない。
「彼がすべて悪いとは言わない」
「ただ――」
一度だけ、ルースを見つめる。
「それが、彼の役目なんだ」
「……役目……」
また、その言葉。
「世界を破壊し。封印され。力を削られて。そして――打ち倒される」
ひとつひとつ、確かめるように。
「それが、魔王ルースの役目だ」
胸の奥が、ざわつく。
「彼は、よく耐えた」
オラクスの声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「だからこそ――」
一瞬だけ、目を伏せて。
「ここで、終わらせるべきだ」
そして。
「……楽にしてあげてほしい」
彼のそれは、懇願だった。
はっきりとした。
強い、願いだった。
沈黙が落ちる。
重たい。
あまりにも重たい。
勇者たちが、命を賭けてまで辿り着いた答え。
それが――ルースを殺すこと。
簡単に否定できるものじゃない。
……でも。
それを受け入れるのも違う気がする。
どうすればいいのかなんて、分からない。
そんな空気の中で。
「……1つ、いいか」
アレックスが口を開いた。
静かに。
でも、確かに踏み込むように。
「お前たちは、本当に全員がルースを打ち倒すことだけを望んでいたのか?」
「……」
「少なくとも」
少しだけ、視線を落とす。
「盗賊のネアは……悩んでいたように見えたぞ」
何かを思い出したのか、一度口を閉じ、もう一度問い直す。
「本当に……本当にそうするしか、ないのか?」
対する勇者の静かな沈黙から察するに、簡単な話じゃないみたい。
彼らの理屈も理解はできる……できてしまう。
ルースの力が、世界に災いをもたらしたことも。
その中で、欠乏の文様という手段しかなかったことも。
全部、分かる。
簡単に決断できることじゃなかったはず。
かなりの覚悟を持って、未来に命を賭けたんだ。
でも。
「……だからって」
今も同じなの?
今のルースも、殺さなきゃいけないの?
その答えに、私は――まだ納得できてない。
深く息を吸って。
私は顔を上げた。
「……ありがと」
キリンと、オラクスに向かって言う。
「考える時間をくれたことには、感謝するわ」
そして。
「でも」
はっきりと。
「今すぐ、あなたたちの願いに従う気にはなれない」
空気が、張り詰める。
「だって」
私は、ルースを見る。
「私たちの願いから、彼を切り離すことなんてできないんだからね」
ルースも当事者だ。
私たちだけで決めていい話じゃないでしょ。
「少なくとも、彼の考えを聞くまでは決められないわ」
言い切る。
迷いは、あっても。
選択は、ここで止めない。
東の塔でダグが小さく頷いていた。
クゥも、ライラも。もちろんアレックスも。
同じだった。
それを見て、オラクスは――ほんの少しだけ、微笑んだ。
「……そうか」
「良いのですか?」
キリンの声が、静かに問う。
オラクスは、ゆっくりと頷いた。
「“これから”を決めるのは、僕じゃない。彼女たちだからね」
優しく。
「僕らの役目は、もう果たせたよ」
その言葉が、終わった瞬間。
――ぐらり、と。
「っ……!?」
意識が揺れる。
何かが混ざる。
私と、誰かの境界が曖昧になっていく。
ダグの戸惑い。
クゥの迷い。
ライラの思考。
アレックスの驚き。
全部が、流れ込んでくる。
視界が歪み、崩れていく。
その中で。
どこか嬉しそうな、あの声が響いた。
「これが、あなたが育んできたものですよ」
キリンの声。優しく。
どこか、満足げに響いてくる。
「さぁ」
そして。
「そろそろ、目を覚ましなさい」
――浮かび上がった意識が、小さな体の中に沈んだ。
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