おいしそうなのは君のほう
「来た!ほんとエロパイ!すっげー!!」
興奮した様子で厨房に入ってきた新人バイトがオーダーを通すのも忘れて騒ぎ出すのでジロリと睨みつける。
バイト歴二年の大学生が慌てて新人の脇腹を小突いて「先に注文通せって」と注意した。
「すんません!生二つです」
「急げ。客を待たせるな」
「はい!」
揚げ物をしながら炒め物をし、サラダを盛りつけ次の料理の皿を準備する。
大学の先輩が脱サラして居酒屋をオープンし正社員としてこの店に雇われて五年。
元々料理は好きだったが、それを職業にするなど考えたこともなかったので最初は誘いを断ろうとした。
『お前の愛想のなさで営業なんてそう長く務まらんぞ?今の職場に骨でも埋めるつもりもないんだろ。ならちょっと寄り道してオレの店を手伝えって』
お前の料理がオレは好きなんだよ――という言葉になんとなくその気になって仕事を辞めて転職したのだが。
おかげで女のおの字もない生活が五年だぞ。
ホールなら出会いもあるだろうが厨房を任されて永遠とオーダーを作り続ける毎日では彼女など作れるはずもない。
選択を間違ったかと後悔していた俺の前に天使が舞い降りたのは去年の年末。
忘年会シーズンは殺人的な忙しさになる。
バイトをたくさん入れていても手が回らずに料理を手ずから運ぶこともあるのだ。
彼女は職場の人たちと十人ほどで来店していた。
胸が小さいことをネタにされてしこたま笑われながらも怒ることなく場を盛り上げるように良いリアクションをして。
上座に座った風体の悪い中年の男に酌を求められ、ビール瓶を持って下座から立ち上がり移動していく後姿にズギューン!!と撃ち抜かれた。
左右に揺れるポニーテールの向こうにスラリと伸びたうなじ。
黒いスウェットのパーカーの裾から見えるぎゅんっと上がった尻――そうだ!この尻が俺を虜にしたのだ。
小さいのではない。
形が良いうえに張りのあるこんな美尻にはなかなかお目にかかれない。
これはまさに国宝級の尻だ。
拝んで、愛でて、撫でまわして、尊び神に感謝せねば。
さらにたまらないことに弾力のありそうな腿から足首までのラインが理想的過ぎた。
普通の女は正面だけ磨き上げ、自分が見えない後ろ姿は疎かにしがちだ。
そこを見られていることに気づいていないのか無防備な女が多い。
それなのに。
彼女はどこを見ても完ぺきである。
料理を運んだあとでバイトに聞くと彼女はよく来ているらしい。
忙しかったからこその出会いをこの日ばかりは感謝した。
それから注意深く気を付けているとなるほど彼女は月に二度は来店してくれていた。
痩せの大食いとはよくいったもので、その細い体のどこに入るのかと驚くほどに彼女はよく食べた。
そして帰りしなに必ず料理の感想を伝えて「ごちそうさまでした」といってくれた。
もちろんそれは俺にではなく店の店主たる先輩になのだが。
暖簾の陰からじっと眺めることしかできなかった俺を焦らせたのは半年前にあのアツシとかいう男が彼女の隣に座って仲良さそうに飲んでいたのを見てから。
まあ「いい加減にストーカーみたいなことしてないで話しかけたらどうですか」とバイトに発破かけられたからでもある。
注文された料理の最後の一品をカウンターに出て差し出した俺が「今夜の料理はお口に合いましたか」と妙に力の入った低い声で問うた時。
彼女はたっぷり十秒ほど固まって。
それから自分が食べた料理の皿をゆっくりと眺めて。
「ここのお料理はいつも美味しいです」
今日は特にこれが好きだと指し示したのは小鉢で、薄くスライスした砂ずりを湯がいてきゅうりと人参といっしょに中華風に和えたものだった。
「砂ずり柔らかくて臭みもなかったし、さっぱりしててすっごく美味しかったですよ」
グルメリポーターの華美でわざとらしいコメントより彼女の素直な感想のほうが何倍も俺の心に届いた。
「お料理お兄さんが作ってるんですか?」
「はい」
「全部?」
うなずくとすごーい!と大きな目を丸くして褒めたたえてくれる。
それが嬉しくて求められるままに出した料理の作り方のコツや味付けなどを話していた。
後から「お前が笑う顔なんて久しぶりに見たわ」と先輩に気持ち悪がられたのだが、誰だって好きな人の前でならそうなるだろう。
放っておいてくれ。
それから来るたびに料理の話をして感想を聞き、名前を呼んでもらえるまでになった。
喋り方も砕けたものになりつつある。
本当はもっと踏み込みたい。
踏み込みたいが相手は客である。
俺が告白して彼女が店に来づらくなるのは本意ではない。
ないが――彼女は老若男女問わずモテる。
もごもごしているうちに彼氏ができたと聞かされ、さらに店に連れてくるようになってみろ。
きっと立ち直れない。
「浅井さん、駅からちょっと入ったところに新しいお店ができたんですけど知ってます?」
「駅?なんかブータン料理の店がオープンしたとか聞いたような気が」
「そう!それです。私ブータン料理食べたことなんですけどすっごい辛くて、でも美味しいらしいんです」
興味津々でスマホで検索をする彼女。
これはあれか。
GOサインなのか。
恋愛から遠ざかりすぎてなにが正解なのか全く分からん!
どうする。
どうする?
おいおい!
「ほら。これ!」
店のインスタを開いて店内の様子と料理をこっちへ見せられてもテンパっている俺の目にはなにひとつ情報が入ってこない。
「おいしそうですよね」
いやいやいや。
おいしそうなのは君のほうなのだが。
無邪気な顔で誘っているのか、ただの世間話なのか。
俺には高度すぎて。
頼むから。
もう少し分かりやすく。
バクバク心臓が破裂しそうな勢いで動いている。
頭もぐるぐる回って。
「お、俺も」
「ん?」
「俺も!ブータン料理食ったことない!」
わけもわからないまま叫んでいた。
彼女はぱちくり目を開いて。
それからにこりと笑った。
「浅井さん辛いの大丈夫ですか?」
へ?
辛いの?
「割と平気なほう、だと」
「じゃあ行きますか?」
いっしょに――なんて夢か!?
夢だろ!?
とうとう起きたまま夢をみるまで落ちぶれたぞ!
「浅井さんとなら食べたあと感想いいあえるから楽しそう」
「まじか」
「え?イヤならいいんですけど――あ、もしかして彼女さんとか」
「いない!いない!ずっといない!」
「ずっと?」
しまった。
「いや。七年くらい」
「ぶふっ!」
吹き出してひとしきり笑ったあとで彼女は涙を拭きながら「じゃあどうします?」と聞いてきた。
「行く!」
「よかった」
一気に進んだ関係に頭が爆発しそうだ。
頼むからどうか。
ゆっくりでもいいから俺のことを。
いやいや。
とりあえず嫌われないよう気をつけよう。
それしかないな。
うん。
こちらは以前Twitterで胸の悩みを募集して快くエピソードを語ってくださった方々のご厚意と優しさでできております。
その際は本当にありがとうございました。
おかげさまで明るくハッピーな作品を書くことができましたことをこの場にてお礼申し上げます。