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氷雪の涙  作者: 夜野とばり
9/18

八片

食事が終わり空腹が満たされる頃には涙は自然と止まっていた。早くに食べ終わった遊び盛りの子供達は、我先にと元気に部屋を飛び出していて食堂には子供は半分も残って居なかった。その元気は何処からくるのだろうかと眺めているとアウラの隣に座っていた斜め向かいの小さな男の子とふと目が合った。

窓側に座っているため差し込んだ光が彼の金髪をさらに明るい金色へと変えている。腕にはウサギの人形を抱えている。色はくすんで、継ぎ接ぎだらけだが大事にしているのが伝わって来る。そのウサギの右腕を小さな手で取るとこちらに向かって振って挨拶をしてきた。そんな風に人形で挨拶をされて、どう応えたら良いのかと戸惑ってしまった。咄嗟に返そうと右手を挙げたが、何故か手はそのままに頷いて挨拶に応えてしまった。けれど自分の可笑しな挨拶にも男の子は嬉しそうに紫色の瞳を輝かせて破顔してくれた。その屈託ない笑顔を向けられるとは全く予想していなかったので、まるで強烈な攻撃を受けたかのように動けなくなってしまった。挨拶を返されて満足したのか、男の子は椅子から飛び降りてぱたぱたと走り去ってしまった。挙げた手を下すのを忘れて男の子の後ろ姿を視線で追っていると、その一部始終を見ていたのか隣から笑い声が聞こえた。


「あの子はシレオよ。笑顔がとても可愛くて素敵よね。ちなみに館で一番下の子よ。」

「それから一番の年長は僕だよ。」


そう言ってクレアの後ろから一人の背の高い少年が歩み寄ってきた。少年と言っても青年に差し掛かる年頃だろうか。青みがかった深い緑色の髪が彼の落ち着いた雰囲気をより一層醸し出しているように見える。少し長い髪をきちんと整えて身嗜みも綺麗にしているが神経質そうな雰囲気は感じない。


「はじめましてニックス。僕はフェリクスだ。」

「よろしく。」

「君が良ければこの後に館の中を案内するけれど、どうかな?」


柔らかい人好きのする笑顔と共に差し出された手は人付き合いの苦手な自分でも自然と握り返す事が出来た。愛想の無い反応でもフェリクスは嬉しそうに笑みを深めた。笑顔で接せられる事や自分の行動を受け入れてくれる事に慣れていないからか、どうしても悲観的に考えてしまう。自分に見返りも無く優しくしてくれる人など居ない。悪意が無くても憐れみに感じる。けれど同情の念も感じられず、むしろ純粋に喜びを表すような笑顔を向けてくる。その笑顔を見ていると彼を疑う方が悪い事のように感じてしまう。此処ではもう罵詈雑言や暴力に怯える必要など無いのだと思う。けれど此処でも自分は好かれないかもしれない。いつでも此処を離れられる心積もりでいよう。そんな事を考えている内にクレアも一緒に案内をしてくれるという話がついていた。アウラにも訪ねたが食堂の片付けで残るらしい。食事の礼をアウラに残してフェリクスの後を付いて行った。


廊下に出て直ぐ左手にあるのが客間兼医務室だ。清潔感のあるベッドが2床と簡易的な机と椅子もある。薬品類はアロの書斎で管理しているらしい。医療の道に明るいらしく、滅多な事がなければ医者にかからないらしい。医務室の隣には小さな浴室があり、普段はアロが使っているらしいが風邪を引いた子供も此処を使う事もあるらしい。その奥にはアロの書斎兼寝室と続いている。廊下の右側は館の北側にあたるが、大きな窓から沢山の光が入ってきて廊下は明るい。

長い廊下をそのまま進むと広い玄関に至る。玄関の広間には瀟洒な両階段があり、踊り場の大きな窓や2階まで続く吹き抜けにより解放感に溢れている。ステンドグラスや細かな装飾品が施されている。眺めれば眺める程細かい所に様々な趣向が凝らされている。それらに視線を奪われながら玄関を通り過ぎて建物の西側へ進む。

東側の構造も西側と同じになっており北側に廊下、陽当たりの良い南側に部屋が並んでいる。手前から応接室、客室が2部屋並んでいる。昨日は応接室を使わせてもらっていたので説明を簡単に受け先へと進む。

西側の一番奥、両開きの扉を開けると其処は図書室だった。壁一面に並ぶ本は1階部分だけでは足りず2階にまで続いている。南側に本を読む為の机と椅子が幾つか並んでいるがそれ以外の空間は本棚が林立し、北側にある階段の壁まで本で埋め尽くされている。様々な色合いの背表紙は年月により多少くすんでいるが、大事にされているのが見て取れる。その数々の背表紙は深みを増し色づいた木の葉を連想させ、窓から差し込む暖かな光も相俟ってまるで秋深まる森の中にいるような気分にさせた。本の森とはこういう事を言うのだろう。本に触れる機会は初めてだが、胸いっぱいに紙やインクの匂いを吸い込むと不思議と心地良さを感じる。


「すごい数だろう。此処は夜も空いているから好きな時に来て読んだら良いよ。ニックスは文字は読めるか?」

「…いいや、読めない。」

「そうか。それなら僕で良ければ文字を教えるから何時でも声を掛けてくれ。」

「分かった。」

「フェリクスは教えるのがとても上手なのよ。もちろん私でも良ければいつでも教えるわ。だから気兼ねなくいつでも声を掛けてちょうだい。もう私達は家族なんだから遠慮はいらないわ。」

「そうだな、まずは手始めに…。うーん、この本辺りが良いと思うけどどうかな?」


そう言ってフェリクスは早速数冊の本を薦めてくれた。いままで多くの子供が使ってきたのだろう、背表紙は角が擦れて少し剥がれかかっていた。初めて手に取る本を壊さないように恐る恐るページを捲る。一番上の本にはページ毎に色取り取りの絵が並んでおり、単語の意味や文字が分かり易いように工夫されている。他の本も絵が沢山並んでいて自分一人でも勉強が出来そうなものを選んでくれたようだ。教養を受ける事など望めないと思っていた。だから字を覚えたら好きに本を読む事が出来るようになるのは純粋に嬉しく思った。けれどまた弟の顔が浮かんで一瞬にしてその嬉しい気持ちは離散していく。弟が得られなかった可能性を自分が得る度に罪悪感が募る。未来がある事は喜ぶべき事だと分かっているし、罪悪感を感じても弟への贖罪にもなりはしない。けれど後悔が多すぎる所為か、もしもがあったならと考えられずにはいられない。その度に弟の顔が浮かび離れない。青白い顔を頭を振って振り払う。弟の姿が消えて開いた視界にはフェリクスとクレアの顔が映る。俯いて反応の無い自分を少し心配そうに伺っている。何でもないと言い、話を逸らすように二階はどうなっているのかを聞いた。二人は一瞬思案したが笑顔で応えて図書室内にある北側の階段へと案内してくれた。二人の後を付いて行きながら、いつか弟へ贖罪を果たす事が出来るだろうか。全く予想出来ない未来をいまは置き去りにして二階へと進んだ。

図書室の2階部分は南側に1階からの吹き抜けがあり、スペースは少し狭くなっている。けれど机は吹き抜けに沿って横一列だけになっていて本の量は一階とさして変わらないように見える。よく見ると吹き抜けを使い明るさや解放感だけでなく、窓から本棚への距離を開ける事により本が日焼けしないように設計されていようだ。こんな風に誰かの為に考えられた建物を見るのは初めてできょろきょろと視線を巡らせてしまう。どうしてこんな辺鄙な場所に貴族の屋敷のような建物があるのだろうか。そしてこの館を所持しているアロは一体何者なのだろう?あの裏のなさそうな笑顔と柔らかい雰囲気のアロを思い出すと違和感を感じられずにはいられないが、唯の孤児院だとしても裕福すぎる。それに此処の子供達はあまりにも能力者が多い。何か目的があったりするのだろうか?もしかしたらこの館に隠し部屋や通路があったりするのだろうか。そう考えるとまるで御伽噺の世界のようで余計に何かないかときょろきょろ探してしまう。だからその様子を後ろで二人が微笑ましく眺めているのには全く気付かなかった。

図書室には一階と二階の両方に出入口があり、そのまま二階の廊下へと出る。廊下の北側に窓、南側に部屋が並んでいるのは同じだが1階に比べ部屋の数が多い。2階は子供達の部屋になっていて図書館側の東棟には女の子、食堂側の西棟には男の子と分けられている。西棟の一番奥、食堂の上に位置する浴場も男女に分かれている。廊下を進んで玄関から続く両階段の前を通り抜け、西棟の右端の部屋に案内される。部屋は壁の両端にシングルベッドとサイドボードがそれぞれ置かれていて、どうやら二人で使う部屋のようだ。掃除は行き届いているがベッドはマットレスのみで、窓にもカーテンは無く外の景色も相俟って寒々しい。けれど雨漏りも隙間風も入って来ない部屋に住めるなんて天国のようだ。本当にここまで色々してもらって流石に感謝の気持ちを伝えなければと思い、言い慣れない言葉を引っ張り出した。


「ありがとう。充分だ。」

「…ん?充分?…あの、ちょっと待ってくれ。勘違いしてないと良いんだが一応説明するけど、この部屋はまだ準備出来てなくて掃除しかしてないんだ。君の為の寝具もカーテンもちゃんとあるんだからな。」

「…そうなのか?」

「そうなのかって…、当たり前だろう?君はこれから一緒に住む家族なんだから何も無い部屋に住まわせたりしないさ。」

「…か、ぞく?」

「ああ、家族だ。なあ、クレア?」

「ええ、もちろん。後でお日様に干したばかりのふっかふかの寝具を持って来てあげるから。」


本当にこの館に住む人達は不思議だ。出会ったばかりの人間にどうしてここまで優しく出来るのだろう。もしかしたら自分も此処に住んでいたら彼等のように親切な人間になるのだろうか?だがそんな自分の姿は全くと言っていい程に想像が出来ない。


「通常は二人で一部屋なんだけど、今はちょうど空いているから一人で好きに使ってくれて構わない。ただ今後、誰か新しい子が来たら一緒に使ってもらう事になるからその時は宜しく頼むよ。」

「分かった。」

「ちなみに女の子達も今はみんな一人一部屋使っているから一人で使う事に気を遣わなくて良いからね?」


自分のずれた発言で必要以上に二人を心配させてしまったらしく、逆に申し訳ない気持ちになってしまう。いつまでも続く丁寧な説明にどうしようかと悩んでいるとアウラが寝具を抱えてやって来た。察しの良い彼女は自分の疲れ切った顔を見て直ぐに状況を理解したらしく、説教の後に寝具の代わりに二人を連れて帰った。

渡された寝具を取り合えず右側のベッドに置いてやっと一息つく。窓の外には雪化粧をした木々がまだ高い位置にある陽の光に照らされて輝いている。窓からの景色は一面の森だけ。どこまでも続く森は雪を纏い全てを覆い隠しているようだ。急激に変わっていく状況に流されて、今は此処に居る。昨日の今頃は鉄柵の向こう側からこちら側を眺めるしか出来なかった。館が本当に存在するのかさえも知りはしなかったというのに。運命の分かれ道は気付かぬうちに突然やってきては突き落とされ、勢いが止まるまで転がり続け自分の意志ではどうする事も出来ない。そして後に残されるのは後悔のみ。運命を変える力など持ち得るのは御伽噺の中の主人公のみだけだ。目まぐるしく変わる状況に付いて行くのに精一杯で考える事にも疲れ、貰った寝具もそのままにベッドに倒れ込む。思えば人と約束を交わすなんて事も初めてだったなと、今朝の出来事が甦る。






弟の墓を前に座り込んでいる内に、太陽はすっかり顔を出して空を黄金色から青と紫の交わる色へと世界を変えていた。弟の亡骸に土を掛ける事に全ての力を使い果たしたように動かす事が出来ない。クレアも手伝うと言ってくれたが一人きりで全てを行った。最後に目印として一輪の白い花植えた。クレアが話していたあの白い花だ。いつかこの一輪の花が弟の墓いっぱいに咲き誇る日が来るだろう。まるで死を好んで咲くかのように。


「…どうして死神は俺を選ばずに弟を選んだんだ?弟よりも死を望んでいたし、もっと死が訪れるべき悪い奴らなんていっぱい居るだろう?」

「…昔、私もファーザーに同じ質問をした事があるわ。どうして良い子達やもっと長く生きるべき人が死んでしまうのかって。そしたらファーザーは、『死は人に与えられた唯一の平等だからだ』って。死は平等だからこそ悪い者へも、良い者へも訪れる。」

「この世には不平等ばかりが溢れてるっていうのにか?」

「…そうね。私も同じように納得は出来なかった。それは今も同じで、どうして?と思わずには居られない。でも必ず訪れる死があるからこそ人は今ある生を大事に出来るんだって。」

「そんなの死ぬ為に生きてるようなもんだろ。だったら尚更…、俺を死なせてくれよ…。」

「生きるのは辛いわよね…。大切な人を亡す度、誰かに傷付けられる度にそう思う。でも死の為に生きているのではなくて、生きるために死は存在する。だからこそ今を大事にして生きて行く事が出来るんだって…。」

「…そんなの綺麗事だ。」

「…それなら、私と約束をしない?もし―」


コンコン。扉を叩かれた音で目を覚ます。どうやらベッドの上であのまま眠ってしまったらしい。窓の外を確認すると日が傾き夕暮れ色に染まっている。再度扉を叩く音に視線を窓から引き離されてベッドから立ち上がった。彼女が約束を果たしてくれる時を待ち望みながら扉をへと向かった。


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