最終話 「それぞれのトモシビ」
「あんっ......陽菜乃ちゃん。お願いだから、じっとしててくれるかな」
心々菜ちゃんは、それは険しい表情を見せている。
思わずごめんなさいと頭を下げるも、だから動いちゃダメ!と再び怒られてしまった。
だって顔がすんごく近くにあるのですよ。
現在、『Diapason』のスタッフ控室は戦場の形相を繰り広げていた。ここで今日の撮影を行うために私、紫月先輩、都ちゃん、白露の四名は着替えや髪型を調整、そして各々メイクをしてもらっている。
少し離れた一角では紫月先輩が、今日も艶やかなチャイナ服をいなせに着こなしているサユさんとその親友でMattarikaオーナーが経営する執事喫茶『Existentielle』の紫月LOVEを公言してやまない常連さん、二人の手によってとんでもない変身を遂げていた。
「こ、こ、これがボクだって......信じられない。メイクの力って......こんなにもデモニッシュなんだね」
珍しく呆然と呟く紫月先輩に、その常連さんは
「ノン、ノン、ノオン! デモンなんて言わないで! 神よ、神が降臨したのよ! シズクンに美の女神が顕在したのよおおお! これぞイッツア・ビューティフル! イイッツアア・ビューティホ! みんなも唱和よろしく! さん、ハイ!」
シィーーン
空気が一瞬にして重く圧し掛かり、室内にいる誰一人としてコトリとも物音ひとつ立てずに動きを止める。
凄いぞ、この人......なにか重力を操るスキルでも使っていそうだ。
「まあ、その、なんだ。ヘアーサロンだけに髪が集う? なんちゃって、テヘ☆」
サユさんの呟きが室内の空気を更に重たく冷え冷えとしたものに変えていく。
凄いぞ、このコンビ......。
しかしそこはサユさんだけに、大したダメージを受けなかったのか何事もなかったかのように先輩の最終チェックを抜かりなく終わらせた。
「さて、紫月ちゃん......真価が問われる時がきたわよ。この場所から新たな伝説が生まれる。きっと貴女という存在は『Diapason』だけには留まることのないカルマとなり昇華してゆく。だけど覚えておいて......ここが最初の一歩だった事を。そして、それは今から始まる物語であることを貴女の肌で感じて」
眼差しに想いを込めてサユさんは言い切る。
「忘れるはずなんてない......ボクがボクであり続ける限り。成りたい自分に成る......叶うはずのない夢を手に入れた。アイツに何も臆することなく、面と向かって会いにいける......笑って、たまには喧嘩もするだろうけど、なんでも話し合える妹......失くしてしまったと思い込んでいた片翼を......この手に取り戻した」
祈りを捧げるように目を閉じ、胸に手を当て佇む紫月先輩は比喩ではなく神々しいまでに美しかった。
今なら伝説の王子であるところの白河先輩とも優劣がつけがたい神秘性を醸し出しているのではないだろうか。
彼女はゆっくりと美しき目蓋を開き、室内を見渡す。
「ミヤ......ハク......そしてヒナ。ボクは......私は先にいくよ。一歩、一歩を明日へと刻む。今日という日を忘れることなく、明日という未来に向かって......ありがとう」
サユさんと親友さん、そして紫月先輩は室内から出て行った。
すぐにサロンから嵐が巻き起こったかのような歓声が響き聞こえる。
「かあっ、堪んねえっすな! サユのヤツも腕を上げやがったもんっす。とはいえ素材では都ちゃん、それに白露ちゃんも決して負けちゃいない。これって俺の技量が試されているってことだよな。任さんかい!」
双子担当のジョーさんが、自らの頬を叩き気合いを入れ直す。
「コンセプトはあくまでも双子ならではの長所を損なわず、それでいて一人ひとりの個性を引き出しオリジナルに極めるか......言うは易し、行うは俺っと......まあやってやんっすよ」
頭を掻きむしりジョーさんは何度かアレンジするも、すぐに首を捻り堂々めぐりを繰り返す。
その様子を先ほどから心配そうに見ていた白露が、普段にはない意を決した大きな声を上げた。
「すみません。ジョーさんのようなプロの方に生意気な申し出なのですが......僕には大胆にトリムを加えた方がいいように感じます。そうすれば都との雰囲気を損なわず、それでいて違いを際立てられないかと思うのですが......どうでしょうか」
ひと息に言い切り、思い上がりなことを口走ってしまったと白露は後悔したのか、顔をこれ以上ないぐらいに真っ赤にしてしまい、ギュッと手を握り締め下を向いてしまった。
その一案にジョーさんは何も言わずに目を閉じ、額に手を当て考えに沈み込む。
先ほどとは質の違う重たさが室内を満たし、私たちが言葉なく、はらはらし出したまさにその時、ジョーさんが閉じていた目をカッと見開いた。
「白露ちゃん! その案にはガツンときたわ。そうだな......そんな手があったんや。おおっ やっぱりどう考えてもそれがベストだよな......ほんまにええアドバイスをおおきに!」
水を得た魚のような指捌きを発揮し、喜々として二人を仕上げていく。その後も悩む場面では白露が斬新なアドバイスをすることで、次々と殻を打ち破っていく。
見る間に美しく華やかに、そしてフィニッシュまであと僅かな仕上げを残すだけとなった。
リズミカルなハミングを奏で、総仕上げを行うジョーさんに白露がおずおずと尋ねる。
「ジョーさんは......それは楽しそうだね。本心からこの仕事が好きなんだって見てれば分かる」
「ああっ そりゃ楽しいっすよ。この職業は俺にとっては、まさに天職っす。そしてこの店で働けたことに感謝してもし切れないっすね」
「僕もジョーさんのような職人に成れるかな......誰かのために何かを成す。その対価は心からの笑顔を浮かべてもらえる......そんな人生を送れるなら、僕はこれからも僕で在り続けられる......そう思うんだ」
ひたむきに見詰める白露に、ジョーさんは少し照れながら自分の胸をドンと叩く。
「ここ......白露ちゃんにはクリエイティブなセンスはかなりあるやん。そうやな、あとは自分のやる気と根気。全てはハート次第なんや」
「やる気と根気......それは十分あります! だけど考えてみたら僕は高校にも行っていない......こんなんじゃ、きっと何処も雇ってくれないよね」
自分の現状に気付いたのか落ち込む白露に、ジョーさんは白い歯を見せる。
「ああっ そんなことを気にしていたんか。それだったら俺もサユも高校は出てないわ。もともと勉強するのがイヤで中学卒業と同時に田舎を飛び出し、単身ここに辿り着いたんやで。要は腕や、人を惹き付ける腕さえあれば何処でもやっていけるんや」
バシッと自分の利き腕を叩き、力こぶしを作る。
それじゃ僕も......とまだ言いよどむ白露に
「そうや。全ては自分の心の持ちようなんや......ただな俺も働き出してから思ったことだけど、仕事をきちんと熟すには日々、猛勉強しなあかんということや。それは学校で教えてくれるような記号や数式やあらへんで、自分を磨き鍛え向上させる生きるための糧なんや......偉そうなことを言ったけど、白露ちゃんにその気があるのなら、ここのオーナーに話しぐらいはつけたる」
白露はハイ!と短いながらも気合いが入った大きな返事で意思表示を行う。
「よっしゃ! その気持ちを忘れずに一緒に精進しようやないかい。なんや楽しくなってきたわ! そして......お待たせ! フィニュッシュやで!」
浮き立つ思いを隠せずにいたのか、すっかり地元言葉に戻っていたジョーさんは顔を紅潮させ、二人をつつがなく眺めるとそれは満足そうに頷く。
「さて、今からの主役は二人やで。さっきの紫月ちゃん相手でも不足なしや。胸を張って行こうや!」
見事に息の合った、ここぞという心意気な返しを都ちゃんと白露はする。
そのままジョーさんに連れられ室内から出て行こうとした。
ドアの前で都ちゃんが私に向かって振り仰ぐ。
「陽菜乃ちゃん......本当にありがとう」
その短い言葉の中には、ありったけの想いが込められている。
そうだね。身ごなし一つだけで、こんなにも相手の気持ちが解り合えるのだから、私たちの間では長く交わす言葉は必要としないよね。
「私も......私の明日へ......向かうよ」
三人が出て行き、ドアが閉められる。たちまち空気を揺るがすどよめきがドアの向こう側から鳴り響く。
静寂に包まれた室内に残された私と心々菜ちゃんは、しばし動きを止め見詰めあった。
「――さて、残すは陽菜乃ちゃんだけとなったね。ジャストフィットに極めるから、そこのところは覚悟を決めてヨロシクだよ! 私よフロンティアスピリットの精神を持って事に臨め!」
心々菜ちゃんは、やる気に満ちあふれメイクを再開する。
ヘアーのセットアップと合せの衣装は夏江さんの手によって極限まで仕上げられていたが、いざメイクを行う段階になって三人の候補者が名乗りを上げた。
たっての申し出に、先ほど『第一回 陽菜乃にメイクを極めちゃうよ選手権』がしめやかに行われ、腕に覚えのある三名によるジャンケン勝負が行われ、心々菜ちゃんが見事に勝利をおさめた。
あの紫月先輩にさえ柳生拳で打ち勝ったいおりんと、ずば抜けたスペックで未来を予想するかのように行動する菜々子にジャンケンで勝つなんて、心々菜ちゃん......いったい貴女はどれ程のポテンシャルを秘めているのですか。
「ふふっ 私も伊達に二つ名『片翼の演じ手』を名乗っていないからね。ここ一番の勝負には負けないよ。なあんてね......さて、ルージュを引いたらお仕舞いだから、陽菜乃ちゃん我慢して最後までじっとしててね」
はいいいいと返事をして目を固く閉じる。少しして唇にプニッとした感触が当り、丁寧な動きで何回か往復を繰り返す。
――この質感はブラシじゃないよね。それにさっきから春のそよ風を思わせる、それは香しいものが顔に優しく吹きかかっているのですが、これってナンデスカ。
どうしても気になってしまい、薄く目を開けてみる。
近い! 近い! 極ちかし!
今までに見たこともない真剣な表情を見せる心々菜ちゃんが指にルージュを塗り、私の唇を指でなぞる。そして出来映えを確認するために顔と顔が接触するほどの近さに寄ってくる。
その度に爽やかな吐息とフワフワした髪が顔にかすって撫でられるものだから、ついに我慢できずにひゃひゃひゃあと笑ってしまった。
最後の仕上げをしていた心々菜ちゃんの指が計らずも動きに合わせて、口の中に押し入ってくると歯に当たってしまう。
「あっ! ゴメンなさい......歯にルージュが付いちゃった」
心々菜ちゃんはしきりに謝るけど、不覚にも動いてしまったのは私の方なんだからと詫びを入れる。
「ううん。私の髪がこんな癖毛だから、顔に当たってくすぐっちゃたんだね......ゴメンね。あーあ 陽菜乃ちゃんみたいなストレートの髪だったらよかったのに......本当にゴメンなさい。最初からやり直すから、いーってしてくれる?」
言われるまま口を広げるとルージュが着いた箇所を丁寧にウェットティッシュで拭き取ってくれた......そんなことまでしてくれなくっていいのに。
――それに心々菜ちゃんの髪の毛は柔らかくってふわふわで、すごく似合っているからね。
唇に再び心々菜ちゃんの指が触れる。
「ねぇ......陽菜乃ちゃん。動かずに最後まで聞いてくれる? 陽菜乃ちゃんは私に大切な何かを内緒にしているよね。ううん......それが私に言えないようなことなら無理に話して欲しいわけじゃないんだ」
伝わる思いに返事をしようにも今度こそ動いちゃダメよと念を押され、彼女の指だけが唇をなぞってゆく。
「でも、これだけは知っておいて欲しい。何があろうとも私は陽菜乃ちゃんの信頼を裏切ることは絶対にない。だって私たちは二人が揃ってこそ、空に向かって羽ばたける存在なのだから......お待たせ、出来たよ!」
朗らかに笑う心々菜ちゃんは、私に塗ったルージュが付いた指で自分の唇をなぞり、そのまま艶やかさを増した口先に立て添える。
「ううん、今は何も言わないで。今度二人だけの時にでもゆっくり聞かせてね......ほらっ、陽菜乃ちゃんにも届いてきてるでしょ」
聞き澄ます心々菜ちゃんに合わせて私も耳をそばだてる。
陽菜乃......ひなのちゃん......ひな......皆が私を呼ぶ声が扉の向こう側からもれ聞こえてきた。
ノックに少しの間が空き、フローリングの床にカツッンと硬質なものが当たる響きと大きな歓声をバックに、誰かが室内に入ってくる。
「いったい姫様はいつまで群れ集う我々を待たせたのなら、お出ましになるのやら......遅いぞ。用意は出来ているか、そろそろ主役が登場する時間だぞ」
背後から孝が私を呼ぶ声が聞こえる。心々菜ちゃんは弾けるようなウィンクと同時に大きく頷く。
ゆっくりと立ち上がり振り返る。
間抜けづらの孝と目が合う。ポカンとした顔があまりにも端正な顔立ちの孝とミスマッチで、ついクスクス笑ってしまった。
「――ちっ、笑うところじゃないだろう。とはいえ......惚れ惚れするほどの可憐さなのは認めざるを得ないな。これは」
頭を掻きながら、どうしようもないほど照れ笑う孝を見上げる。
この陽菜乃という存在に戻れ、自分が自分としての存在でいられる。それは今は亡き清流父さんと全身全霊の愛情を私に注いでくれるしぃちゃんの賜物......そして。
鏡に映るアレンジされた髪にひと際の輝きを放つアクセサリーを見詰め思いを馳せる。
そして......幸運に恵まれ陽菜乃でいられた事により、出会えた全ての友達、仲間、先輩たちに......ありがとうの言葉を伝えたい。
孝から松葉杖を預かり代わりとなって支える。
開かれた扉の向こう側からは、いつしか陽菜乃コールがうねりとなって満ちあふれ胸の奥まで染み渡る。
どんなに辛く厳しくとも消えることのないトモシビを心に宿し、手を取り合って明日へ続く道を何処までも歩いてゆこう。
肩に乗せられた孝の手から確かなぬくもりを感じ、自分の掌を重ね最初の一歩を踏み出した。
Thank you for reading therough this story.




