陽菜乃と孝 ~二人の気持ち~
「陽菜乃ちゃん! おはよう! 今日はなんだか一段と綺麗だね」
『Diapason』の店の前まで来ると彩帆ちゃんが外に出て待っていてくれていた。そして嬉しそうにパタパタと私のところへ真っ先に駆け寄ってくる。
陽一も近くにいるのに誰よりも自分の元に来るのを優先してくれた。孝と更科さんの仲をあれこれ考え、気持ちがブルーになり掛かっていたのが、彩帆ちゃんの思い遣りに少しだけど胸のつかえがおりる。
「その髪のアクセサリーも陽菜乃ちゃんにすごく似合っているよ! それって銀で作られているんだよね? もしかしたらあの人からのプレゼントなのかな」
羨ましそうに私と孝に目を向けた後、チラっと陽一を盗み見る。
「――あの人が孝さんだよね。実物を初めて見たけど、やっぱり画像で見るより何倍も男前だね。とはいえ陽一さんもイケメン度では負けてはいないけど!」
さすが、陽一に恋する乙女......恋は盲目になると言うけれど、ずいぶん男らしくなったとはいえ陽一と孝ではギャルゲーで例えれば主人公とイケメンライバルぐらいの隔たりがあるぞ。
って、この比喩だとグッドエンドに陽一が達した場合は、総合ではライバルを上回る能力を身に付ける結果になるやも知れん。
お洒落ポイントに全振りしてカンストした姿の陽一を想像してしまい、思わずププッと笑ってしまった。
「でも、まさか更科さんと......さんが交際していたなんて、びっくり仰天しちゃったよ。いったいどんな出会いで......」
彩帆ちゃんはそれは楽しそうに喋り続けているけど、途中から何を言っているのか頭の中に全く入ってこなくなった。
今、更科さんと孝が付き合っているって言った......そう言ったんだよね?
「......本当に私も、そんなロマンスしてみたいよ。陽菜乃ちゃんも更科さんとは知り合いなんだっけ。しっかり者の彼女には、ちょっと頼りなさそうな彼ぐらいがバランス取れてお似合いかも......って、陽菜乃ちゃん? なんだか顔色が悪いよ。えっ? キャアアア!?」
酔っ払った時のように平衡感覚が無くなり足元がぐらつく。彩帆ちゃんの驚く声が遠く微かに聞こえたような気がした時には、でたらめな勢いでつんのめっていた。
このままだと地面に顔からぶつかると頭のどこかで危険信号が鳴り響いていたけど、それでもいいかと捨て鉢気味になっている自分がいた。
すぐに地面に体を打ちつける激しい音と衝撃に堪らず目をつぶっていた。
「っと! お前は本当にどんくさいヤツだな。今は女の子なんだから顔から勢いよく倒れ込むとかないだろう。もうちょっと、こうお淑やかに崩れるとかさ......そんなんだから少しも目を離すことが出来やしない」
アスファルトのわりには暖かいし妙な弾力がある。それでいてほっこりして気持ちが良い......自分でも何を言っているかよく判らないけど、どうやら顔を打ち付けたのは誰かの胸の中だった......トクントクンと心臓を打つ音とぶっきら棒な物言いの中にも気遣いを含んだ呟く声が押さえつけられた耳に届いてくる。
髪を棒状の物で撫でられる。固くぎこちない感触は擦り付けているといえなくも無いけど、私にはとても優しく撫でさすられているように感じられた。
それと同時に自分のおかれている状況が意識の隅にじわじわと浮かび、唐突に我へと返る。
「えひゃあああ な、な、なあんですとおおお!」
下敷きにしてしまった助けてくれた人の胸の上に乗せていた手をどけ、叫びながら勢いよく顔を上げた。頭の後ろに添えられていたものに思いっ切りぶつかり、イテッ! イタッ! 二つの声が重なる。
頭の後ろを擦りながら正面を向く。そこには道路に尻餅をついた格好で孝が支えてくれていて、口元を痛そうにゆがめつつも私を目を細め見詰めていた。
「おいおい......俺はこれでも怪我人なんだから、もうちょっと丁寧に扱ってくれよな。ギプス越しとはいえ頭突きは堪えるわ......まあ、お前も頭を打って痛かっただろうけどよ」
ギプスで固まった右手を虚勢をはって振るも、明らかに痛さをこらえるようにしかめられた顔になっている。
「――ごめんなさい」
小さく呟くことしか出来ない。
気がつけば、目の前の顔がぼやけて広がってゆく。
孝の胸の上に滴がポツポツと零れ落ちる。
「バカだな。泣くことないだろう......お前が涙を流すほど痛かったんなら仕方がない、謝ってやるからさ」
怪我していない左手の指で優しく私の後ろ髪を辿り、そのまま自分の胸にかき寄せる。
もう一度、先ほどのトクン、トクンと規則正しく流れる音が孝の胸に顔をつけた私には聞こえ、それは先ほどよりも速くなっているように感じられた。
「バカはお互いさまだよ......怪我しているのに身を挺して庇うなんて......お前こそ真のバカだ」
平静でいられなく、つい減らず口を叩いてしまう。
「はははっ そうかもな。でも惚れたヤツがピンチな目にあっているのに指をくわえて見ているほど俺も寝坊助じゃないんだよな」
――うん? 今さらりと、とんでもない事を言ってなかった?
あれ、あれれ? き、聞き間違いじゃないよね。
「......更科さんと付き合ってるんじゃ......なかったの」
彩帆ちゃんは孝と更科さんが交際しているって言ったはずだ。
「あ? 俺と舞さんが付き合ってるって!?......ぷはははっ 相変わらずお前らしい勘違いだな。それで自棄になって、ぶっ倒れてやろうとしたわけか、いやあれは倒れるってレベルじゃなくダイブする勢いだったな」
ツボに入ったのかこらえ笑いしているのが、顔と顔の距離が近いため涙で濡れてしまっても見えてしまう。
「舞さんと付き合っているのは『Diapason』でスタイリストの見習いしている高橋さんだよ。まあ何となくニュアンスが似てるから聞き間違ったんだろうけど、そそっかしいお前らしくていいわ......あはははっ」
ひと頻り、それは愉快そうに笑う。
「笑いごとじゃないよ......俺が......じゃなくて、私がどれだけショックだったか孝には解ってないんだ」
あっ! そうだ。
「さっきさ......惚れたヤツのピンチにとか言ったよね? それって私のことを指して言ったんだ......よね」
ここで笑い飛ばされたり、はぐらかされたら絶対へこむ。臆しながらもありったけの勇気を振り絞って返事を待つ。
泣き顔のまま真剣な表情をしている私を間近に接し、茶化す場面ではないと気持ちを改めたのか、孝も真面目な顔をみせる。
髪を優しく触られながら、再び孝の胸の中へと抱き締められる。
「好きでもないヤツに対して、こんなことするわけないだろう。それに......」
それに......言葉を詰まらせ黙っている孝から続きが語られるのを待つも、なかなか次の一言が出てこない。
「――ここで言っても俺的にはいいんだけどさ......こうギャラリーがいるとお前も恥ずかしいだろ? それに、さっきから一部始終を録画してるヤツらもいるしさ」
へっ......? ギャラリー? 録画? Diapason!?
自分たちが、どこでどのような状況でいるのか、今になってやっと気づく。
孝の胸の中から顔を上げて周りをそっと見渡す。
うへっ!? 地面に倒れている私たちを中心に、興味津々の様子で輪を作り息をひそめて注目している。しかもリョウと栞音ちゃんはスマホでこちらの一挙一動を録画しているのか自分が思うベストポジションを探して場所を引っ切りなしに移動しているし、彩帆ちゃんは口に手を当てたまま顔を真っ赤にして固まっている。
うううっ 皆が見てる前で繰り広げていた事を思い出し、顔から火が出そうになった。
「おっと、陽菜乃もついに気付いたか......残念だ。賭けは菜々子の勝ちのようだな」
冴衣先輩は残念だとか言ってるけど、いったい何に対してのことだ......それに菜々子の勝ちって、何かを賭けていたのですか。
「ふふっ やっぱり冴衣は二人とそんなに接していないから、陽菜乃と孝のじれじれ甘々の関係を理解しちゃいないんだよね。こいつらプラトニックズがそんなに簡単にキスなんてするわけないじゃない」
――おっす!じゃなくってキス!するわけないじゃない!?
「そうか。いい雰囲気だったから私は接吻すると信じて疑わなかったけどな......私もまだまだ男女の間柄に関しては読みが浅いということだな」
先輩、接吻って......いや、何でもないです。
「冴衣ちゃん! 経験を積みたいなら、いつでも、いやいや今すぐにでも俺が手取り足取り教え......ぐえらぼらあああ!」
手刀を叩きつけられ顔面から煙をあげ悶絶するリョウを見て、紫月先輩は桐原流岩山リョウ斬波、真に恐るべし!と陽気に叫んでいた。
「冗談はここまでにして......ヒナ、なにはともあれ良かったね......さていくらキミが軽いとはいえ、いい加減に怪我人には堪えているだろう」
言われて孝が怪我人であった事を恥ずかしながら今さら思い出す。
紫月先輩はやんわりと手を差し出し、私の手を握ると起き上がるのを手伝ってくれた。陽一やヒロキが孝を助け起こす。
「陽菜乃 これはお姉ちゃんが持っているから、貴女が孝をしっかり支えてあげるんだよ」
菜々子の確かな助言に、松葉杖の役目には少々おぼつか無いとしても役に立てることがとても嬉しく思う。
肩に置かれた孝の手の平から伝わってくる温もり。
いつまでも二人がお互いを支えあって要られますように......それが今の心からの願いだった。




