流れゆく雲に春風を感じて
意識を失ったいおりんをリビングのソファに座らせ、ずり落ちないようクッションへ深めに持たせ掛ける。
ここまで四人で運んだのだけど意外と重たく感じたことは触れない方がいいよね。
「ナギサ......おもっ」
いや、先輩そこは本当のこととはいえ、コメントを差し控えておくのがチームメートに対する優しさじゃないですか。
「うーん......あれっ? なんで自分の家にのっちがいるんすか」
しばらくして夢見心地な表情を浮かべつつ目を覚ます。どうやら先輩の独白は聞こえてなかったようで安堵する。それにしてもまだ意識が朦朧としているのか俺を見上げながら何処に居るのか、自分がどういった状況なのか判らぬまま問いを投げてきた。
「なんだか夢の中で......先輩が本物の女の子になっちゃって、それを察した自分......歯止めが利かなくなって暴走モードに突入した気がするっす......成りたい自分に成れる自由を手に入れ夢が叶う......現実に起こり得たならば、それは素敵な物語りになるっすよね」
感じ入ったのか、はふうと大きく息を吐く。
俺は隣に座っているいおりんの手をギュッと握ると、ふるふると二、三度首を振り
「いおりん......それは夢じゃないんだ。現実を変革して本当に起こった有りのままの姿なんだ」
微睡みから醒めつつある彼女にも、先だってのことが実際に起きた真実だったと、やにわに認識したのか、ガバッと身を起こしキョロキョロと見渡し、紫月先輩と白露に目を止める。
凛々とした大きな目を、なおいっそう広げ続いて何かを確認するよう目を細めると、ふーむと唸り
「確かに......自分を驚かせるための趣向ではなさそうっすね......手に残る感触は疑う余地もなく本物だったっす」
熟考するよう一点を見つめ押し黙る。
俺たちが固唾を呑んで見守るなか、いおりんは今一度確めるように自分の掌を見つめ、握りこぶしにすると手を開く。
――そこには一輪の薔薇の造花が忽然と現れ乗せられていた。
どよめく俺たちが見守るなか、あらわれた花をもう一度手の内に収める。つづいて親指と人指し指を擦る動作をしつつ、先輩、白露、都ちゃん、俺の順に一輪づつ薔薇を取り出すとテーブル上、華麗なマジックにあっけに取られている各々の前に置いていった。
「手捌きに違和感を覚えなかったっす。となると自分の知覚にはやはり問題はない......この驚嘆に値し起こり得た事象を理が非でも、説明してもらわないとっすね」
いおりんは真剣な眼差しを全員に向け、最後はひったと俺に瞳を留める。
少しの間が流れ、皆の視線が俺に集まってくる。
そうだな。今この瞬間が頃合いかも知れない。
「ここにいる仲間......叶うのであれば、これからの終生を共に付き合っていきたい、かけがえのない存在たちに......俺の真実の姿を知って欲しい」
俺の実態を唯一知る紫月先輩に目を向け、力強く頷いてくれたのを確認する。大きく息を吸い込み一つ気合いを入れ、幼き日からの僅かな記憶を含め余すことなく語り尽くす。
途中で誰も言葉を挟むことなく、とつとつではあったが今日ここに到るまでの顛末を伝えることが出来たようだ。
リビングには静寂とした時が流れ、ラッシュすら吠えることも身じろぎもせず伏せている。
俺は巾着袋から水晶球を取りだすと薔薇に変えないでねと、重々しくなってしまった雰囲気をいくらかでも軽く出来たらとありったけの明るい口調で、じぃと俺を見入るいおりんの掌にそおっと乗せた。
「力を使い果たしてしまったから......今は普通の水晶に見えるかもだけど」
俺のその言葉に、知らぬ間にほどいた髪の上にダテ眼鏡を乗せ、渚となったいおりんは穏やかに首を横に振った。
「それは正確ではないですね。私には今も息づく和やかな力が微かにですけど感じとれる......保っていた力が尽き果てても、なおこれ程の霊力を織り成す依代を創りあげた陽菜乃の父君......素晴らしき術者なのですね」
庵 渚と名乗る少女......「いおりん」と俺たちが呼んでいる時は、三つ網みのクロブチ眼鏡を装着した見たまんま委員長で、何事にもポジティブに行動し「すっす、すっす」喋る。対して三つ網みを解き、ダテ眼鏡を外し『渚』になった途端、艶のあるミステリアスな見た目と、しとやかな口上のお嬢さまに変身してのける。
渚となった少女は俺の父さんが既に亡くなっていることを先程の話で理解しているのに、敬虔な気持ちと慈しみを宿した笑みを湛え、指をはわせた水晶球に語りかけた。
「――ゆるみなく承りました。安心して下さいな、貴方の娘は私が責任を持って進むべき道を案内します......共に歩んでいきますから」
せつな一陣の春風がリビングを駆け抜けてゆく。
一吹きの清涼な風を浴び、とても晴れやかな面持ちとなった渚は、皆の前に置いた薔薇の造花を集めると手の内に包み込む。しばらく目を閉じて何ごとかを唱え、そして両手を素早く合わせると次には静かに開いていく。
待つ間もなく手の隙間から八重咲く真っ赤な活花が顔を出し溢れ出てきた。
「このゼラニウムを陽菜乃......貴女に心の限り捧げる」
両手一杯のこぼれ落ちそうになる花を俺に差し出し、ふわっとした仕草でテーブル上に添えた。
ーー目の前で行われた種も仕掛けも無さそうだったマジックを超えた魔術ともいえる離れ業に、部屋にいる全員が声もなく佇む。
「もちろん、マジックを行うには事前に入念な準備と『なんで!?』と思わせるための演出が必須......その使い手を自負する私にトリックなしで、これ程のサプライズをしてのけた陽菜乃......貴女の存在こそが真の奇蹟」
鮮烈な技を披露してなお俺たちに起きた理を超えた物事を考え感慨に耽る渚に、先輩もその頬を紅潮させて
「ゼラニウムの花言葉は『真の友情』......その中でも赤色の花は『君ありて幸福』ナギサ......キミは本気でヒナのことを想っているのだね」
こちらも感無量の面持ちで思いを紡ぐ。
マジックには緻密な準備が必要......今日、俺が今まで隠していた本当の正体を大っぴらにすることを察したのか、事前にこんな手間を掛けてまで用意をしてくれていたんだ。
ゼラニウムの花言葉。
たとえそれが渚が思ってもみなかった想定外のことであったとしても、きっと俺のことを肯定してくれていたのだと、その顔に浮かぶ誠実な眼差しを見て思う。
「そう正体が仮に悪魔であったり、異世界から訪れた人でないものであったとしても......私にとって陽菜乃は、唯一無二のオンリーワン......出逢えた偶然の確率に感謝こそすれ、その存在を知り得なかった私がいたとしたら、私は今でも私として存在し得たのかしら......それはここに居る誰もが心の奥から感じてることだと思う......だから陽菜乃、正体を黙っていたり、よしんばこの場で涙を流す必要なんてないのだから」
いつの間にか泣いてしまったのか視界が霞む。
「陽菜乃ちゃん......涙ぬぐう」
都ちゃんがハンカチを俺にふうわりと差し出す。
「ふふっ......陽菜乃ちゃん......男の子はそんなに泣かないよ」
「都ちゃん......俺......俺......」
「だから陽菜乃ちゃんは、今は正真正銘の女の子なんだよ......たとえ俺と......称したとしても......私にとっても陽菜乃ちゃんは......誰よりも素敵な女友達......あの初日の昼休みに声を掛けてくれて......本当に嬉しかった」
都ちゃんはどこまでも優しく俺を受けとめる。
「ボクがボクとして存在しうる理由と......ハクがハクであり得る事由も同じことかも知れない......ボク達がヒナに出逢えたことにどれ程の重みがあったか......それを今、心ゆくまでキミにリスペクトしてやまない」
白露も大粒の涙を流しながら先輩の言葉を噛みしめる。
「ボクたちは出逢うべきしてここに会した......この素晴らしきチームの結び付きはゼラニウムの花により、永遠に誓われる......無論ハク、キミもね」
「僕......も? でも僕は都と違って、貴女たちの学校に通ってない部外者......なんだ」
白露は殊さら寂しそうに呟き打ち萎れてしまう。
「そんなことはない」
紫月先輩はきっぱり言い切る。
「存在理由......ボク達がこの世界に存在していることに格別な理由はない......言い替えるとただ、存在しているだけ......人は誰かと繋がっていてこそ自分というものを理由付け満たされる。そこに同じ学校だからとか、一緒のクラブだからといった垣根は存在しない」
力強く白露の手を取り
「ボクたちは巡り合い、互いの存在に揺り動かされた。ハクは今では大切なチームの一員なんだ......共にここに居る全員でこれからの未来を歩んでゆく......何ものにも代えがたき無数のシナリオがそこから生まれる」
テーブルの上で咲き誇るゼラニウムの真上で輪になり、誰とはなしに手を重ねてゆく。
――抱える悩みや困難な事態が起きたとしても俺たちは一人ではない。今これからを自分らしく、自分という存在を開花させていこう......ここに居る皆と大切な人たちと共に。
俺たちのリラックスした雰囲気が伝わったのか、ラッシュがそれは嬉しそうな吠え声をあげ、続いて夕方も過ぎ餌の時間も近づいたのか、甘えのまじった小さな鳴き声を出す。
「もうこんな時間......それじゃ......そろそろ......食事にする?」
都ちゃんが頃合いと呼び掛ける。
「よし!......それでは『レゾンデードル研究会』新たなる室員を歓迎......そして我が愛するチームメート達の今後を祈念して、盛大にパーティーを始めるとしよう!」
紫月先輩の明るく爽やかな掛け声と俺たちの弾むエールに、ラッシュもここ一番の大きな喜びの吠え声で応えた。




