『 レ研 』活動日誌『 code 00 』
身体測定が行われた、その日の放課後『レゾンデードル研究室』のクラブ活動に参加するため、俺といおりん、都ちゃんの三人は紫月先輩に呼び出されている化学室に向かっていた。
「化学室にいって何するんだろね」
俺のその問いに、いおりんも疑問に思っていたのだろう。
「それは行ってみるまで判らないっすけど、くっち先輩がいつも白衣着てるのと無関係ってことはないと思うっす」
言われてみれば最初に見掛けた部活動紹介の時も白衣を着用していたような。
なんか人知れず世界の真理や自然律でも研究しているのだろうか、あの先輩なら有り得そうな気がする。
化学室に着き、ドアをノックしてみたが応答がなかったため、少し待ってから中に入った。
教室と比べてひんやりとした空気がこもっている室内には、まだ誰も居なく、リアル過ぎる人体模型がやたら存在をアピールしていたり、多種多様な薬品類がキャビネットに整然と収まっている。
前に一度、校門で待ち合わせした際、壁に擬態して驚かされた経緯があったことを思いだし、人が隠れていないか辺りを調べてみたが、今回はそんなアクションは特にないみたいだ。
しかし、この人体模型のでき本当にリアルだよね。
俺がその薄気味悪い模倣作品を恐々と眺めていると、突如その模型の目がクワッと勢いよく見開かれるや、垂れ下がっていた手がびよよーんと息つく間もなく伸び上がってきた。
「キャアアアア」
自分でもびっくりするぐらいのこれぞ女の子といった、か弱く高い声を上げてしまった......いな男の時もよく孝から、陽一の悲鳴は可愛らしいと、からかわれていたっけ、だってホラー系大の苦手だったし仕方ないよね。
俺は腰が抜け、床にぺたりと座り込んでしまいながら、現実逃避気味にそんなことを考えてしまっていた。
「アハハー! ご機嫌よう我が愛しの室員達......その模型は気に入ってもらえたなら嬉しいかな」
紫月先輩はキャビネットの影に隠れて判り難いところにあった準備室の扉を一気に開けて、部屋に意気揚々と現れた。
俺は涙声になりながら、その手に持っているリモコンらしきものは、いったい何なんですかと訴えかける。
「アハッ ほらこっちのボタンを押すと口とか、ここだと胸が開いたりする、愉快なギミックが仕込まれているのさ」
ボタンを押す度に口がカパッと開いたり、胸からヴィイインと心臓がせり出てきたり、手を忙しなく上下に動かしている。
「紫月......いい加減にしないと本気で嫌われても仕方ないわよ」
鋭く咎めるような声が先輩の背後から聞こえ、続いて白衣をいなせに着こなした女性が出てきた。
彼女は床に座り込んでしまっている俺の手をとると、優しく立たせスカートの後ろ側を軽やかにはたいてくれる。
「ごめんなさいね。紫月も悪気はないのかも知れないけど、今日は随分とご機嫌みたいなの」
品よく塗られた薄色のルージュと知的なシルバーフレームのメガネが艶やかな色気を醸し出し、申し訳なさそうな顔で見詰められると、逆にこちらが恐縮してしまう。
「ほら紫月、貴方もちゃんと謝りなさいよ」
先輩は薄紫色の上品なハンカチを取り出すと涙で濡れた俺の顔を優しく拭いてくれる。
微かに藤のノーブルな香りが漂う。
「正直済まなかったね......泣いちゃうほど驚くとは思ってなかったんだ」
先輩はきちんとした作法にのっとり深々と頭を下げる。
「紫月もこんなに愛らしい後輩を震え上がらせるなんて、嫌気がさして『レ研』入ってくれなくなっちゃうわよ」
その人は先輩の後ろに立つとポカッと頭をひとつ叩いた。
「イタタタッ 楓歌はそうやってすぐ暴力を振るう......兄さんもこれじゃ大変だね」
「あら、義姉を気安く呼び捨てにする輩にはお仕置きが必要じゃないかしら」
二人は以心伝心しているかのような間合いで会話を進める。
いおりんと都ちゃんも口を挟むことが出来ずに、二人のやり取りを黙って聞いていた。
そんな置いてきぼりをされている俺たちに楽しそうに語り合っていた先輩が、ふっと気が付き
「おっとごめんね......君たちには紹介がまだだったね。こちらがボクのかけがえの無い包括者にして......理を究めし桐原 楓歌教諭さ」
その人は柔らかな笑みを湛え
「皆さん、初めまして理科課目を教えている桐原です。 三年生をメインに教えているから面識ないと思うけど宜しくね」
入学式の日に先生の紹介があり才女おぼしきこの人を見た記憶があるのだが、あの時は意識がとんでいて名前まで覚える余裕が無かったよな。
「理を究めしなんて大層な者でもないし、ただ単に紫月たちの義理の姉っていう立場だから、保護者ではあることは確かね」
俺たち三人を見渡し
「やんちゃでかなりの変わり者だけど仲良くしてあげてね。紫月、あの事はもう彼女たちにはちゃんと説明しているの?」
問うような視線を先輩に向ける。
先輩はその言葉を聞いて、いつになく決断しきれない態度を見せながらも、思いを振り切ったのか
「最初に君たちには知っておいてもらいたい......ボクの有りのままの姿を、噂話しで聞いてしまう前にね」
楓歌先生は何かを決意した先輩の肩にそっと手を置き
「ここじゃなんだから、場所を準備室に移動しましょうか」
俺たちを扉の奥にある部屋に案内した。
部屋の中は思っていた以上に広々としており、来客用のセットまで置かれていた。
ソファは先輩を正面に俺たち三人が並んで座れるだけの大きさがあり、先生がアールグレイの紅茶をポットからカップに均一の濃さになるよう注いでくれるのを静寂に包まれたまま、言葉なく見ていた。
先生は最後の一滴まで淹れきると先輩の横に静かに座る。
カタリと横で小さな音がして、いおりんが伊達メガネをテーブルに置く、三つ編みもいつの間にかほどき真剣な眼差しで先輩を見守る。
楓歌先生は、渚の早業に小さく息を呑む。
「今から話す内容によって、君たちがボクとの付き合いを絶ちきる事になるかも知れない......しかし真実を是非とも知っておいて欲しい」
紫月先輩は俺たち一人ひとりを順番に見詰め、意を決する。
「ボクが戸籍上は男であること......俗にいうところのトランスジェンダーまたは性同一性障害者であることを......」
部屋の中はシーンとし、紅茶から立ち上る湯気がひっそりと漂う。
「何となくですけど、そうじゃないかなと思ってたんですよね」
渚となったいおりんが態度を改めぽつりと言いもらす。
「先輩を初めて見た時から普通じゃない気配......言葉にすると難しいのですけど、しっくりしない感じ、だけどそこに惹き付けられたのかなと思う」
渚は粛々と俺に目を向け
「陽菜乃もそうなんですよね......外見はこれぞ理想の女の子! してるのに中身はなんか男の子みたいで、そのギャップに......それは萌えるんですよ!」
突然、にんまり笑って隣の俺に抱きついてきた。
「えッ? なになに急に何ごと!?」
「なぜかさ nanakoの気持ちが判るというか、陽菜乃みてると無性にかまいたくなるんですよ! これがね」
ガバッと覆い被さるものだから真ん中に座っていた俺は、そのまま都ちゃんの方に倒れ込んでしまった。
「陽菜乃......ちゃん!!」
都ちゃんは、とっさに抱きついて止めてくれる。
前からは渚の......背中にも心地よい柔らかな感触にサンドされ
「ビバッ! DあんどFカップ! ブラボー!」
午前中に見て感じたことを、まざまざと思い出し声高々に叫ぶ!
二人の桐原は、じゃれついてる俺たちをキョトンとした表情で見ていたが、思わず吹き出し
「アハハッ この局面で......ボクの一生に一度あるかないかのカミングアウトが......気にならないの?」
渚は、しつこく俺にぐいぐい押し付けながら、目に真摯さを込め先輩を見つめる。
「モウマンタイ そんな秘密めいた理由のある先輩だからこそ、私達は引き寄せられるのですよ。この出逢いは必然にして宿命、『レゾンデードル研究室』のヒストリーは今日より新たに転じる時なのです」
「それに、この学校の正式な生徒であるなら女性と認められているわけですよね。戸籍を変えれないのは桐原家の事情ですか」
それが事実であるかのように問う渚に楓歌先生が目を見張る。
「貴女......大した活眼をお持ちなこと、それにあれほどの華やかな技を使いこなす......ただ者ではないわね」
渚はそれはちょっと判り兼ねますとジェスチャーしながら、俺と都ちゃんに目を移し
「み、都? どうしたの」
狼狽え俺から身を離すと急いでソファに座り直す。
俺も体勢を戻すと都ちゃんに目を向け、そこでしめやかにポロポロ涙する姿を目にしてしまった。
「ご、ごめん! 痛かったの?」
ふるふる首を横にし声を詰まらせて泣きながら違うのと呟く。
「先輩......白露と同じだから」
はくろ......確か都ちゃんのお兄さんでゲーム内では俺もお世話になっているChrono君のことだよな。
今度の日曜日に陽一と一緒に家に行く約束していたよね。
その絞り出すような言葉に少なからずの衝撃を受けたのか紫月先輩は、都ちゃんを静かに見つめたまま動きを止めていた。




