24話 加筆
コンサート当日。
リハの時も桜は普段の彼女とは違って、少しでも触れば噛み付かれそうだ。
イライラが募っている。
コンサートを開くなら、会場はもちろんオケの人数も揃えなければならないのに、未だ集まっていないと言う。
「さく…早乙…」
桜の名を呼ぼうとして、彼女の気に当てられた新倉は手をあげたまま固まっている。
「今のティンクに何を言っても無駄だ。坊やがちゃんとティンクを支える仲間を揃えられなかったのが痛いね」
でも大丈夫だよ。僕たちでそれは揃えたからね。そんなルッソーの言葉など聞いちゃいない新倉はオロオロと桜の方ばかり見ている。
無心に指のストレッチに余念がない。
BBBB…
時は無情にも開演ブザーが鳴り響く。
「早乙女。もういい、もう良いんだ。俺達は城島礼に負けたんだ」
「*******」
桜は普段着のままで舞台へと出て行った。そんな桜を見て苦笑してるルッソー。
あいつ、何て言ってたんだ?
英語だったらそれなりに理解出来たんだけど、なんでフランス語?さっぱり判らん。
「あの…ルッソー?桜は何て言ったんですか?」
とにかく、隣でまだニヤニヤしているエロ爺に聞いてみることにした。
「ああ〜あれね、フランス語で『そこをお退き』だよ。ティンクは一旦集中すると、女王様だからね。憶えておいた方がいいよ」
(だったら、ティンクじゃなくてクィーンと付けた方が良いんじゃないか。その方がぴったりだよ)
「でも、そこは音楽の時だけだよ。ティンクの本当の良さは彼女が奏でる色彩豊かな音楽。色の魔術師とも言われてるよ。彼女は人の心に夢を魅せるんだよ。だからティンクなのさ。まあ体験してみれば判るさ」
俺の心を読んだのか、ルッソーは苦笑しながら教えてくれた。だが、見えもしない音楽に色をつける? そんなのあるわけないだろ。
俺はこの時まで彼女の本当のティンクの力を知らなかった。
演目はクラッシックだったが、桜は会場を角から角までゆっくりと見渡す。
殆どがお年寄りと子供が占めている。桜と同じ年の人達もいるにはいるが、それらはすべて音楽関係者だから、カウントはされない。
ステージにはたった一人の演奏者。ドレスでもない。普通のワンピースを着てるだけ。そんな彼女が弓をとる。たった一音の音がざわめく会場の騒音を無にした。
「え?」
驚いている俺の横でルッソーが楽しそうに解説して来る。
「これが彼女の力。差し詰め、今の音は白だな」
曲が始まった途端、会場が異様な音に包まれた。
「な、なんだ?この音は?」
スタッフ達も戦いている。
「観客はこの曲を知らないからね。どんな曲で誰が、今何を演奏しているのか知りたくなったんだよ」
ルッソーの言葉であの音がパンフレットを開く音だとわかった。
誰も彼も、今奏でられている曲を知らないし、聞いたこともない。何だこれは…音の渦に巻き込まれてく…。それもそのはず、この曲は桜が作った物。これが彼女の力…か…。
ゆったりとした曲を弾き始める桜に観客達は酔いしれた。
まだ舞台の上には桜が一人。たった一人の演奏でオーケストラなんて出来る分けない。
やはり間に合わなかったか…舞台の袖でそう頭を抱え呟く新倉の肩を叩いて来る。
「諦めるのはまだ早いのよ」
振り向いた新倉が目を丸くする。そこには彼が知っている人達が並んでいた。
「糸井…、真田…お前らなんで?」
「ティンクの再出発に私達が手を差し伸べないで、誰がやるのよ」
にぃっと笑う真田の指には婚約指輪が光る。彼らも桜同様、普段着のままでそのままステージへ。
一人、二人、と少しずつメンバーが増えて行く。
初めは一つのヴァイオリンから、始まった音楽が曲の最後には一大オーケストラのメンバーが奏でる迫力のある音楽へと変わって行く。
大体クラッシックコンサートと言えば、男性は燕尾服かタキシード。女性は白いブラウスに黒のロングドレスと言うのが定番。
だが、舞台の上に立つ彼らの服装は普段着なのだろう。まちまちだ。
しかも指揮者のルッソーも私服で指揮棒を振っているのを見た時は、あんたもかい!と怒鳴りそうになった。
スタッフから慌ててパンフレットを受け取った俺は、早乙女が作った曲のタイトルを初めて知った。
この曲は五楽章まであるが、トータルで見ても他の交響曲とさして変わりない分単位。
『life』
第一楽章は誕生。
最初は小さな小さな胎動から始まる。それがやがて、誕生。
伝え歩きを覚え、やがて失敗ながらも一人で歩き始める。
第二楽章は成長。
激しく荒々しい曲は、反抗し購い、怒り、哀しみと言う戦いの曲。
第参楽章は出会い。
前とは違って、ピッコロが最初の主旋律を先導する明るくキラキラと音の粒が溢れ出す。この曲調は、恋人との出会い、友人との出会いを表している。
第四楽章は結婚。
第参楽章と同じ曲目。ただ違うのは、カノン調に纏められている。
第五楽章は死と再生。
胸が押しつぶされそうなくらいの重々しく重低音がゆったりと奏でられる。それがやがて少しずつ鎖を外される様に、音が軽くなってく。
「ジョシュアさん、最後の曲って、これって一番始めに弾いていた曲と同じ物ですよね? 音とテンポが違うだけで、こんなにもガラリと曲の雰囲気さえも変えてしまうなんて…。これって一体誰の、いやどの作曲家の曲なんですか?」
「これかい?これは桜が作った曲だよ。この曲はあの子が実際に体験したものを表してる。題名はlife。桜はこの曲を亡くなった子供達に捧げるために作った曲なんだよ」
曲が終わったと同時に観客席からは大嵐のような拍手が沸いた。
手にハンカチを握って泣いている人もいる。
隣の人と抱き合っている人も。
そんな人達を桜は呆然とした表情で見つめてた。
「ティンク。やったんだよ。君があの観客達に一夜の夢を魅せたんだ」
「夢を…私が?」
「そう、哀しくても苦しくてもまた再生出来ると言うメッセージを込めて」
ルッソの言葉に思わず抱きついた桜。
そんな桜の頭を撫でながらも、顔中にキスを落として来る巨匠とのツーショットは瞬く間に世界中へと発信された。
ー祝コンサートの無事終了、かんぱ〜い!
ーかんぱ〜い!!!
ここは、糸井がマスターを勤めるホテルラウンジ。今夜はここを貸し切ってのコンサート祝賀会だ。
「ほえ〜終わったんだ〜」
久々のコンサートを終え、いつものホテルラウンジでカクテルを飲んでる桜の前にグラスが出される。
白く濁った中にピンクの花びらが浮かんでいる。
「ん?糸井先輩、私こんなの頼んでませんよ」
「ばーか。俺からのお疲れ様って言う感謝の気持ちだ」
受け取れ。
へへへ…。
こくりと一口飲めば、しつこくない甘みが口の中いっぱいに広がってく。
「ん〜これ美味しい!」
「それはなー結構アルコールド数高いから、あんまり飲むなよ」
「ふん。だったら出さなきゃ良いじゃん。そ れ と も 先輩と真琴の婚約記念カクテルですかね〜」
大体人をダシにして、自分たちだけでくっつくなんざ、酷いって言うもんですよ。
拗ねている桜の頭をぐしゃぐしゃとかき抱いた。
「だったら、お前だってあいつのことちゃんと見てやれば良いんじゃないか?」
「誰です?あいつって?」
真面目に返して来た桜に、糸井は目を点にした。
(は? こいつあれだけ坊ちゃんから口説かれてるくせに、もしかして自覚なし?マジかよ〜。うわっ〜!!アイツほんと浮かばれね〜。)
顔を引き攣らせながら、ちらり窓際で一人黄昏れてる新倉の方向を見ている。
「はぁ〜お前、それ本気で言ってる?」
「は?糸井先輩、何言っちゃってくれちゃってんですか」
乙女みたいな言い方してとブツブツ文句を垂れてる桜に、糸井は同情を憶えた。
アイツも大概にも可哀想だ。
(あ…早乙女ってば鈍感だったわ。坊っちゃん頑張れや)
カウンターに伏せってる桜の耳には、まだあの鳴り止まない観客達の拍手が聞こえてる。
「先輩…私、今日のお客さん達に夢を魅せれたのかな?」
「魅せれたんじゃないのか?拍手してただろ?」
「……日本人は曲が終われば普通に拍手するじゃないですか」
子供の様に唇を尖らせる桜に、糸井は目を丸くした。
(こ、こいつ…本当に自信なかったのか? あれだけ観客達の心を鷲掴みにしておいて。全く自覚なしかよ。)
「お、お前…幾ら日本人がお人好しで、マナーを大事にしててもさぁ、金まで払って下手な音楽を聴きたいと思うか?」
「……思わない…」
でも怖いんだもん。
「お前…もう飲むな」
そう言うと糸井は桜の手からグラスを取り上げ、窓辺で一人黄昏れている新倉を呼びつけると、イジケ妖精を連れて帰れと二人を店から追い立てた。
まだ店の中では今日の主役のティンクの話で持ち切りだ。今回参加したオケのメンバー達の殆どが音大生と言うから驚きだ。
彼らからも神とまで崇められている巨匠ルッソーが、今回のコンサートの為に引き抜いて来た。
「ルッソー、今回の曲ってアルバム出るんですか?」
「そうだね〜それは、ティンク次第かな?」
「俺、あんな曲初めてでした!今回オケに参加出来て、マジ感動っす!」
「私も!!」
私も俺もとオケのメンバー全員が手を挙げた。 学生達は自分達が今回のオケに選ばれた事事態、奇跡だとまで言い出した。その上、ティンクと巨匠のコラボの再現のオケメンバーになれたことに感動している。
そんな光景を目にした糸井とルッソーは目を細めている。
(ティンク…これは君が起こした衝撃だよ。観客を感動させたいなら、まず身内から。ティンク、もう先に進んでも良いと思うんだがな》
チラリと今夜の主役のティンクを探すも、彼女は既にいない。糸井に目をやれば、グラスを拭きながら、出口の方を指している。
(ティンクの春ももうすぐか)
《緊急速報です。 本日現地時間午後八時に作曲家の城島礼氏とその妻のテレジア=フォクシー39歳が殺人容疑で現地警察に身柄を拘束されました。 》




