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鬼の街の花  作者: Z子
7/9

  :或る話

 



 今まで、自分を作り上げてきました。(それがわたしというものの証明で、)

 これからも、積み上げるはずでした。(それがわたしの存在だったのに)


 ――――じゃあ、ねぇ。


 何もなくなってしまったわたしは、一体だぁれ?


(過去も、未来もありません)

(過去も、未来もみえません)

(証明も、存在も)

(そう、なにもありません)











 夢を見たのかもしれないと、少女は荒い息を押し殺し身を縮めながら思う。夢、何を夢と言うつもり? 頭の中の誰かが意地悪く囁く。全て、としらけた誰かが返す。過去だと思った全て、現在の全て、自分の全て。全てが夢だといいたいのでしょう? 思いたいのでしょう? この期に及んで馬鹿げた思考ね。


(うるさい、うるさい)


 静まっていく呼吸と苦しさと鼓動を意識しながらしとしと、聞こえる静かな音に神経を尖らせながら洞穴の中から綺麗な青空の覗いた風景を眺めた。汗が急に冷えていく感覚がした。音だけは雨の音にも似た空から降り注ぐ銀色の液体は、地面にひびを入れるように薄いながらも氷を張っていく。(液体が触れてしまった服の裾は触った拍子にほろほろと崩れた)


 抱きかかえている鮮やかな藍色のスーツケースに頬を寄せる。買って貰ったばかりだったはずのそれは、すでに薄汚れ傷がついている。一際目立つ、キャスターの辺りのナイフで刻んだような幾十もの傷は藪の中を通り過ぎたときに着いた(その時に履いていたこのブーツはもう役に立たないだろう)。


 半日ぶりにも感じる、久しぶりの空白の時間に、少女はぼんやりととりとめもない思考を巡らせる。思い出すのは遠いような近いような、記憶。例えば、空港で両親を待っていたときの兄と姉と弟の喧嘩じみた会話や、よく分からない光と闇が弾けたハーレーションのような景色や、一瞬だけ見たような気がする外国人に見下ろされいたような気がするような幻覚じみた記憶。例えば、暗闇の中で見た幾百もの真っ青な瞳をぎらつかせた奇妙な生物の唸り声、藪を払ったときの悲鳴を上げてしまったような手のひらを裂かれた痛み、晴れた空から滴る銀色の雨。


 記憶を思い返して、意識が現在にまで至って五月蝿かったようなその音がやけに静かなものだと気付いた。記憶の中の声や音が、あまりにも激しくて賑やかだったから、現在の静寂が落ち着かない。自分の呼吸の音すら聞こえる静寂をぼんやりと認識した。


(なんだろう)


 酷く、シンプルな考えしか浮かばない自分がおかしかった。


()()()()()()()()


 ふと右の手のひらを目の上に掲げた。固まりきらない血が、スーツケースについていた。のそのそと体を動かして、忘れかけていた背中のリュックの存在に思い至った。リュックを下ろして、起用には動かない左手で中を探る。指先に触れたポーチを、恐る恐る引っ張りあげた。ビニールでコーティングされた鮮やかな人工色のパステルピンク。りんごのチャームがついたチャックを引いて中から絆創膏と消毒薬を取り出した。消毒薬を手のひらにかける。しみた鈍い痛みとずきずきするような傷口が波打っているような不規則な痛みに涙が出た。消毒液を手を振って飛ばす。


 自分の利き手を自分で治療することはこんなにも難しいのかと、妙に感心した。濡れた手でさわった絆創膏はふにゃふにゃと柔らかく手の上に張り付き、いかにも何の役にも立ちそうにない。


「おかーさん」


 意図しないうちにぽろりと言葉が途切れた。洞穴の中に大きく響いた自分の声に大仰に肩が震えた。真っ先に先ほど、自分を追いかけていたあの奇妙な群れが頭に浮かんで周囲に視線を走らせる。


 返ってくる音はなかった。


 中途半端に腰を浮かせたまま、少女は目を瞬いた。何故だか、急に頭が冷めていく。今まで自分が夢だと思っていた全てが重さを伴って体にまとわりついてくる。


「おかーさん?」


 夢か現実か分からない中で、自分の妙にか細い声を聞く。何処へともなく踏み出しかけ、足が止まった。何処に行くのか分からない。だってここがどこかもわからない。


 しとしとと、聞こえる銀色の雨の音だけ。


 足元に転がるスーツケースとリュックを慌てて抱え込んで立ち上がる。


「おかーさん、おねえちゃん、」


 声を、少しだけ張り上げる。


『なぁに、花』

『なに、どうしたの花』


 うろうろと周囲を見渡した。声が聞こえない。頭の中ではトーンすら分かる耳慣れた返事は、銀色の雨のほうからも暗く沈んだ闇の方からも、返ってこない。


「おとうさん」

『どうした、花』


 声を出す。聞こえないのかもしれない、そう思いたかった。左右を見る。

 わんわんと響く自分の声に、聞きなれた声を探す。


「おにいちゃんっ、ゆーすけ!」

『うるせぇな』

『なんだよ姉ちゃん』


 気付けば、うわんわんと耳一杯に響く騒音。ひくり、喉が震える。足が落ち着かず、周囲を踏みつける。均されていない岩だらけの地面にスーツケースが体を震わせ抗議する。


「な、んで」


 足から力が抜ける。地面に座り、痛いほど荷物に縋る。


「どうしてっ!」


 ぶるぶる震えた声で喚く。――――おかあさんおかあさんどうしてなんでいやだこわいこわいなんできてくれないのこわいよいたいいたいどうしておかあさんおとうさんおにいちゃんおねえちゃんゆうすけどうしてこわいなんでなんで!


「たすけて!」


 絶叫じみた、声。


「――――――――――――」


 返事はない。しとしとと、地面の氷は厚みを増して音を増して白く白く。


 少女は泣きながら息を殺す。何のために泣いていて、何のために息を殺しているのかも分からない。掠れた声に荒い呼吸。洞穴に聞こえるのは一人きりの呼吸。


(どうして、)


 頭の中を回る言葉は山のようにあるようで、意味することはそう多くなかった。ひしゃげたリュックの持ち手にじわりと血がしみこんでいく。スーツケースがかたりと音を立てて岩壁に傾いた。座り込んだ岩の地面は外の冷機の影響を受けたのか、身が震えるほど冷たかったがそれが立ち上がるほどの理由にはならなかった。しとしとしとしと、気の違いたくなるような延々と繰り返される静かなその音の中で。


(どうして、)

(どうしてだれもたすけてくれないの)

(どうしてへんじしてくれないの)

(どうして、どうして、どうして)


 銀色の雨は止む気配を見せず。しとしとしとしと。脱力した少女を取り囲んで小さく嘲る。


(どうして、わたしはここにいるの)


 雨は未だに、切れることなく降り続いていた。













 きのちがえそうなくうはくのなかで、

 たしかに、そう、たしかにそのとき、

 わたしはきいたのです。


 ぱきりと、


 わたしのせかいがこわれたおとを。




 

 

 覚書


 唐沢花

 中学一年生。六人家族。四人兄弟の三番目。

 家族旅行に行くはずだった。


 

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