第二百三十四話 「正気じゃやってられない」【三人称視点】
「あなたは何もわかっていない」
果ての孤島にて、セリエスの声が低く響く。
彼がここに立ちはだかり、レイに退けと言っている最大の理由は他でもない、兄のことだと書き換えられる。
魔王の復活を阻止? 世界を混沌へと陥れないための正義感?
否――今はそれより、単純に……
「あなたにそんなことさせたら、兄の墓に会わす顔がない。兄さんは絶対に、あなたがこんなことをすることなんて思ってないし望んでない!」
セリエスにとって姉のように、兄であるアステルにとって恋人のように、長年共に過ごした彼女のことを慕っている。
それは誰が何と言おうと、絶対に間違いないと確信していたから。
だからセリエスは弟として、彼女の友として、ここを守らなければいけないのだろう。
「何があったか知りませんが、たとえあなたが魔族に堕ちても、兄にとっては大切な人なんだ。いったいどんな世界に、恋人が人殺しで喜ぶ人がいるんですか!!」
「――――」
それに、レイは数舜絶句していたが。
「ありがとう。あなたにそこまで持ち上げられて、正直光栄……だけど無理よ」
俯いて、笑みを浮かべて、そして彼女は――
「あなたみたいに優しい考え方が出来ない私は、つまりそういう女だから。それに、墓に会わす顔なんて考えなくていいわ。だってあの人、もう墓には眠っていないから」
「何――!?」
墓を暴いたのか、などと問いただす前に、カツンと彼女の革靴が前に出る。
セリエスの存在をまるで無視し、その先にある移籍へと彼女は歩を進めだす。
――しかし、その歩みは構えも何もないただの無防備。
舐めているのか、セリエスからは攻撃されないと高をくくっているのか――否。
「『血呪・死ノ仮面』」
瞬間、レイの掌中に闇が凝縮して渦を巻く。
密度をもって形を成し、彼女の武装が具現化する。
黒く、黒く血に濡れた、それは数千枚を超える人皮が重なり出来た仮面。
その全ては赤子のもの。
これは骸布と同様に、死者をこの世に留めるための呪われたデスマスク。
「相手をしてあげなさい、アステル。そういえば、兄弟の力量の差も、ずっと気になっていたのよ」
「――RI……GHAAAAAAA!!」
「――――ッ」
――ズガァァァァ!!
レイを飛び越えるように落ちてきた一撃を、セリエスは真横に飛んで回避した。
それは斬撃でありながら特大の質量を持ち、地を走る衝撃波が進行方向にあった大樹を一瞬にして破壊する。
――その剣技に、セリエスは見覚えがあった。
「なッ――、バカなっ!?」
唐突な事態の変化に混乱し、即応できない。
「読みが甘い。楽観にすぎる。やはり可愛い弟ね。そんなあなたは素敵な男の子だったけど、相手が私じゃなかったら、もう死んでるわよ? 別に私は、正面からでなくても彼を召喚できるのだから」
例えば――この夜の闇の中から奇襲させれば、セリエスは先の一撃を避けきれていなかっただろうとレイは言う。
「それじゃあ、誰も守れない」
風が一瞬止み、フードの影がゆっくりとこちらに向く。
銀の仮面は無表情のまま、しかし仮面の周辺──覗く肌は、人肌ではない灰。
乾いた岩のような質感が火の色を吸い、僅かに鈍い艶を返す。
セリエスは喉の奥で音をひとつ呑んだ。
分かってしまう。
直感で、理屈の外側で、骨と筋の記憶で。
……間違いなく自分の兄であると。
背丈は生前より一回り大きく、肩も胸郭も分厚い。
だが、足の入り方、腰の置き方、重心移動の癖──全部、毎朝の素振りで見てきた“あの男”のそれだ。
右足が半歩、砂を噛んだ。
休む間もなく、レイが指揮者のように指先だけで合図を刻む。
「兄さん!? やめてくれッ!!」
「GHAAAAAAAAッ!!」
弟の声は、死兵には届かない。
──ズドンッ!
半身を跳ね上げるような踏み込み。
砂が爆ぜ、灰の巨体が風を裂いた。
振りおろされるたびに空気が縮み、地表が呻く。
「ッ……!」
セリエスは直感で受けられないと断じる。
明らかに密度が違う。
もし、武器の打ち合いなんてことをしたならば、受けた瞬間こちらの刃も骨も砕けるに違いない。
セリエスは肩を半分だけ落とし、刃の腹が髪を持っていく感触をやり過ごす。
「オオオオオオオッ!!!」
二撃目。
横薙ぎにされた巨剣が月輪の軌跡を描く。
セリエスは砂を掬い上げるように前へ滑り込み、ギリギリで躱した。
三撃目。
逆袈裟。刃にのしかかる“重さ”が前の兄よりさらに濃い。
筋力の話ではない。
死の向こうから戻された存在の、世界にとっての異物としての重さ。
そのすべてを、セリエスは避ける、いなす、流す。
だが、そこに――
「『石弾』」
「ギッ……!?」
ぱちん、と指で弾くような乾いた音と共にセリエスの足元がレイの石弾に撃ち抜かれる。
威力自体は大したものでもない。
しかし、バランスを崩したセリエスの踵が砂に沈んだ。
「──ッ!」
そこに、天から落ちてくる影。
大上段。
灰色の巨影が月を飲みこみ、巨剣の刃が夜の縁を引き裂いた。
振り下ろしは一直線であり、必殺の角度。
「ぐ……おぉぉぉぉッ!!」
セリエスは反射で掌を前に突き出す。
「『紅蓮岩弾』!!」
無理な態勢から、無理に撃ち出された混合魔術。
しかしその威力に、セリエスは反動で後ろに吹き飛んだ。
──ガァンッ!!
刃は、セリエスに触れることはなかった。
だが、当たらなかったことよりも、先ほどの魔術がほとんどアステルに効いていないという事実がかれの精神を深く抉る。
「はぁ、っ──!」
肺がひっくり返る。
視界が白く泡立つ。
砂が足の裏で崩れ、体勢が沈む。
「ずっとそうやって避け続ける? それもいいけど、あなたに私を倒す手はない」
レイとアステルのコンビネーションは抜群の相性で、当然セリエスに出来ることはまさに躱すことだけ。
それに、ゾンビ兵であるアステルを攻撃したところでダメージが入っている見込みはない以上、レイに刃を届かせることは不可能に近い。
「魔王を……復活なんてさせて、どうするんですか……。何を理由に、あなたはそんなことを……」
「当然、アステルを蘇らせてもらうためよ。エルジーナではない、別の魔王様にだけれど。知ってる? 魔王ロータス猊下が扱う反魂術。私が魔族の手伝いをすれば、彼を蘇らせてくれるのよ。その為なら、私は……」
その言葉に、セリエスの胸の奥が冷えた。
「……あり得ない」
かすれる声で、それでも断ち切るように吐く。
「そんな約束、魔族が守るわけがないッ! 死者は戻らない。戻してはいけない。――そんな“理”すら、もう見えなくなったんですか、あなたは!」
灰の巨影が、かすかに首を傾けた。
レイの指がまた軽く動く。
刃の反射がセリエスの頬を撫でて過ぎる。
「きらびやかな言葉を並べて、壊した命の重さを見えなくされているだけだ! アステル兄さんが死んで、どこか精神が弱ってるところを突かれておかしくなっているだけだ!」
「おかしい……ね」
レイは微笑した。
仮面よりも冷たい微笑みだった。
「――私は見たのよ、セリエス。魂だけになって彷徨っていたヴェンザルが、声を取り戻す瞬間を。灰になっていたグラヴォーンが、笑い方を取り戻すところを。ロータス猊下の黄金錬成は、形だけの人形なんかじゃない。死者を、この世へ連れ戻す術よ」
「違う! そんなことをしても兄さんは戻らない――“似た別の何か”だ!」
「――うるさいッ!!」
真横に薙ぎ払われた死兵の一撃は、半歩反応が遅れたセリエスに届いた。
寸でで仰け反り躱したものの、胸元が薄く切り裂かれる。
「セリエス、あなたは私のため、兄のため、そして人のためになんて綺麗ごとを並べて、使命を全うしているみたいだけど。仮に今、ここであなたが最も大切な人が死んだとする。そしたらあなたは、どうするの?」
歯噛みするセリエスに向けて、冷淡なレイの声が飛ぶ。
「亡くして、死んじゃったからもうおしまい? 死んだら死んだで、今生きている他の人をしか考えない? 死んだ兄に向ける顔がないとか言って、生き返るかもしれない死者の相手は拒絶? あぁ、本当にカッコイイよね、セリエスくん。
幸せで、おめでたくて、想像力の無い腹の立つ人。そして、本当にそれを実行できるなら、強いけど冷たい人ね。大切だ大切だ言いながら、本気で誰も愛したことなんてないんでしょう!」
俯いて、肩を震わせ、レイは笑っている。
「ふふ、はははは……あなたもそうやって、死人との再会だなんて、そんなことを望む奴は頭がおかしいと思っているんでしょう? 誰かさんも言っていたわ。そんな奴は頭がおかしいって」
過去に聞いた旅人のセリフをあげつらい、心底馬鹿にするように。
許さないと糾しながら罵るように――
「ご名答よ、私はおかしい! こんなのとても正気じゃやってられないッ!!」
彼女の世界では、"彼"が総てだったのだから。
「ただのシスターだった私が、ここまで強くなるのに何人殺したと思う!? 全部、全部が全部彼のためなの! ねぇッ、セリエスもお兄さんが生き返ったら嬉しいでしょ!? だから一緒に頑張りましょうよ、二人で競争しながら人族を殺してさ、仲良く並んでロータス猊下にお願いしようよ! 私たちの大事な人を返してくださいって!」
「…………」
「安い取引よ、セリエス。名前も知らない何処かの誰かを千か二千か殺すだけで、亡くしてしまった掛け替えのない人を取り戻せる!」
「…………」
「それが、私の望む奇跡。この世界の黄金が成す不死の創造――彼のためなら、否応もないッ!!」
セリエスに指先を突き付けて、レイは吼える。
だから殺すのだと。戦うのだと。




