-8 『男の子と女の子』
長ネギは友人達と一緒に周囲の露店を見て回っているようだった。
こちらに近づいてきている。
普段私たちを見下している彼のことだ。せっかく客寄せをしている私たちを見つけ、変ないちゃもんをつけて評判悪くさせようとしてきても不思議ではない。
どうにかやりすごさなければ。
そう思った私だったが、気づいた時には長ネギたちがもうフェロの目の前を通り過ぎようとしていた頃だった。
更にはよりよって「焼きそばやってます。どうぞお願いします」と、フェロが長ネギだと気付かず、満面の笑顔を作って声をかけてしまった。
「ん、なんだ?」
長ネギの視線がしっかりとフェロを捉えてしまう。
――ああ、まずい。
気付かれる。
物陰に隠れようとしていた私が咄嗟に飛び出そうとした時だった。
しかし少し様子がおかしいことに気付き、ふと足を止める。
フェロも目の前の彼が長ネギだと気付いたのか、前髪を押さえて顔を隠すように俯いていた。顔が赤くなっているのが遠めでもわかる。もじもじと気恥ずかしそうに身をくねらせていた。
だがそんなフェロを見て、長ネギの口から最初に零れた言葉は、
「……可愛い」だった。
――は? いや、まったくの同意だけど。
長ネギは目を奪われたようにじっとフェロのことを見つめていた。
「お前、市民学校の方の生徒か? 俺は貴族学校のネギンスだ。ネギンス・グランフィーア。あのグランフィーア家の長男だ」
まくし立てるように長ネギはそうフェロへと言葉を投げかけていく。突然のことにフェロはまだ混乱しているらしく、そんな長ネギに対してわたわたと気圧されていた。
これはまずい。
いろんな意味でまずい。
この感じ、完全に長ネギはフェロを別人だと錯覚しているようだ。しかも最悪なことに、あの完璧な女装をしたフェロに見惚れてしまっているような顔をしている。
「びっくりだ。市民学校にこんな可憐な華が咲いていただなんて。お前はまさに、雑草の中に凛々しく咲く一輪の華のようだ」
「え、あの……そういうの、困ります」
「顔を隠さないでくれ。俺はお前のその可愛らしい顔が見たい」
ぐっと迫ってこようとする長ネギを、僅かに声を高く変えながらフェロが誤魔化そうと後ずさる。多少言ったところで退く気はないようだ。
もしこのまま彼に付き纏われ正体がフェロだと知られた時には、いったいどんな反応をされることだろう。騙しやがったな、と激昂するだろうか。女装野郎、とフェロへの悪態をひどくするだろうか。いやまさか、俺はお前が男だったとしても愛せるぜ、なんて展開になったりして……。
――まずいまずいまずいまずい。
どうにかできないか、としばし考えた末、私は物陰からパチリと指を鳴らした。
「お呼びでございますか、お嬢様」
声をおとなしめに、いつの間にか背後から声がかけられる。もはや驚く気にはなれない。
「アル、助けて頂戴」
「かしこまりました。では、私がかねてより一度やってみたかったアレのご用意を」
「アレ?」
立ち去ったアルを一抹の不安を抱きながら数秒待っていると、すぐにどこかから戻ってきた早い。しかも彼の手には大きな鞄が一つ。中を明けてみると、そこにあったのは服だった。ウィッグまでついている。更には更衣用の簡易のカーテンまでアルは取り出した。
「なによこれ」
「男子用の制服でございます」
「そういうことを聞いてるんじゃ……」
そうこう言っているうちにも、フェロは長ネギに言い寄られ、今にもぼろが出そうだ。
「ああ、もう。わかったわよ」
私は諦めた顔で鞄を地面に叩きつけ、中の衣服を取り出した。
アルによってカーテンが上げられ、その中ですぐさま着替える。野外で生着替えだなんて、丸見えな上から吹き込んでくる風に素肌が撫でられて恥ずかしくなるけれど、今は我慢だ。
人生は初の男装だった。これまでフェロを女装させようと何度も思っていたが、まさか私がこんなことになるなんて。ズボンに足を通し、髪を纏めてウィッグに押し込む。ちょっとはみ出るところは結ってやや中性的な髪型にした。
鏡がないからどうなったかわからない。でも、もういい。
見慣れた男子用の制服のぱっと着替え終わった私は、競馬のスタート位置から飛び出す馬のようにフェロの方へと走り寄った。
「ちょっとごめんよ」
声を低くして作り、フェロと長ネギの間に割って入る。
「なんだ、お前」
「貴族様。悪いけど、こいつ、俺のものなんだよね」
「は?」
長ネギを引き離してフェロを背後に隠す。苛立ったように驚く長ネギもそうだが、フェロもまったく理解していない様子で、目をぱちくりと見開いて私を見ていた。
どうやら私だとは気付かれず、本当に男だと思われているようだ。
声も思ったより男子っぽくできている。まだちょっと変声期前っぽさはあるが。そしてなにより、この完璧なまでの男子用の制服に適応した絶壁の胸元。本来なら主張しなくてはならないはずの女性らしさが、その一点においてまったく機能していなかったのは、私としても血涙を流したくなる非情な思いでいっぱいだ。
だがさすがに市民学校の生徒を装った私なんかの言葉に長ネギが臆するものだろうか。
そう不安に思っていたが、私がにらみ返すようにしながらフェロを庇っていると、
「――へっ。なんだようぜえな。俺が市民なんか気にかけるわけねえだろ。ちょっと遊んでやろうとしただけさ」
声をやや上擦らせながら、長ネギはそう言って足早に立ち去っていってしまった。
どうやらうまく撃退できたらしい。
「大丈夫だった?」
いつもの声の調子でフェロに振り返ると、彼はやっと気付いたように目を丸くした。
「ユフィ?!」
「他に誰がいるのよ」
私は胸を撫で下ろしながら一息つく。
しかし安堵する私とは正反対に、フェロの表情はどこか浮かないものだった。
「そっか。ユフィに、助けられちゃった」
「どうしたのよ」
「……ううん。なんでもないよ。それよりも呼び込みの続きをしないと」
大きく首を横に振ったフェロは、そう言ってまた、道行く人たちへと声をかけ始めた。
なんだかその姿はどこか無理をしているみたいに気が張っているように見えて、私はどこか心配になってしまったのだった。




