31-相棒のお願い
「ただいま、母さん」
「ライク! ……おかえりなさい」
洞穴へと着いたのは五日目の夜であった。途中、何も食べていなかったということで木の実などの食糧を探していたためか少し遅くなってしまった。途中何度か獣と遭遇したが、敵対することなく無事に帰ってこれた。
まあ、親父との約束の七日目までには十分間に合っているが。
足を鎖で繋がれているエイリーネは、俺の姿を見ると勢い良く立ち上がり、まじまじと確認した後安心する声で迎え入れてくれた。
鎖が伸び切るギリギリまで歩き、腕を広げるエイリーネ。
俺は迷わずそれに飛び込むように抱きついた。
「良かった……今、回復魔法をかけてあげるからね」
温かい。
帰る場所がある、心配して待ってくれている人がいる。
心も、身体も温かく、俺は親父の難題を成し遂げたという実感が今更になって湧いてきた。
エイリーネがブツブツと詠唱を始め、穏やかな光が俺の身を包む。
別の温かさが身体を巡った。
マザコンと言われても構わない。
俺はしばらくエイリーネと抱き合ったままでいると、ボロマントに純白の下着、いつもの姿のエンリに後ろから声をかけられる。
「……主、主」
革鎧からはみ出ている服の袖を引かれ、振り向くと何やら面白くなさそうな、不満げな表情を浮かべたエンリがそこにいた。
うぅむ、やはり主と慕う者がこう甘えた姿を見るのは辛いのだろう。
「どうした、エンリ?」
俺はやっとエイリーネから離れ、エンリの方へと振り返り声をかける。
途端にエンリは頬をかきながら顔をそらした。
はて?
エンリが何をしたいのか皆目見当もつかない。
だがエンリの様子がおかしいのは一昨日からのことなので、何かしら原因があるのだろう。
むやみに踏み込んだりするのもいけないと思い、俺はエンリの言葉を待った。
するとエンリは呼吸も必要ないのに深呼吸のような素振りを見せてから、こちらをジッと見つめる。
その頬は微かに紅い。
「その……主が、何でも言うこと聞いてくれるって話なんだけど……」
「あぁ、そうだったな。決まったのか?」
すっかり忘れていた、というわけではないが、まさかそれが原因で様子がおかしかったとは思わなかった。
女の子が何でも言うことを聞いてくれるっていうのなら男ならそれはそれは悩むだろうが、男が何でもって言っても頼めることなんて限られてるからな。
それに俺の立場もあるし。
エンリはこくりと小さく頷くと、もじもじと指をいじくり身体を揺らす。
決まったのなら話は早い。
何か準備が必要なものなら早めにご褒美をあげたいしな。
「おう、何をして欲しいんだ?」
といった意味を含めて俺はエンリに聞く。
ぁ、ぅ、など小さな声を漏らしながら落ち着きのないエンリであったが、やがて覚悟を決めたのか俺の方をジッと見つめる。
「……す……ほしい……」
が、出た言葉はとても小さく、洞穴の中という他に何の音もない空間でも聞き取れなかった。
俺が難聴を患っているわけではない。
純粋に聞き取れなかったので、再度聞く。
「すまん、聞こえなかった。もう一度言ってくれ」
「うっ……」
ますます顔を紅くするエンリ。元が雪のように白いのでとてもわかりやすくて面白いがドッペルゲンガーとしてどうなんだと俺は問いたい。
そんなどうでも良さげなことを考えながら待っていると。
「……キス、してほしい…………」
う〜ん?
最近耳が遠くなった気がする。
やっぱり難聴を患ったのかもしれない。
聞き間違えかもしれないのでもう一度聞いてみよう。
「すまん、もう一度言ってくれ」
「キス! してほしいの!」
俺の態度に業を煮やしたのか、エンリは洞穴に響き渡るほどの声量で叫ぶように言った。
「キスしてほしい? すまん聞こえなかった、もう一回言ってくれ」
「聞こえてるじゃん! 主のバカ!」
おっと、少々からかいすぎたようだ。
いつものエンリとは違い照れも隠せずにいる様が珍しく可愛くて、ついついからかってしまった。
まあ俺もいつもエンリにからかわれたりするのでおあいこだろう。
……だいたい予想はついていた。
いや、まさかお願いがキスだとは思わなかったが、エンリからは好意的な何かを向けられているのは気付いていた。
村での俺の発言も拍車をかけたのだろう。
うーむ、まさかキスしてほしい、とは。
エンリの姿はまごうことなき美少女である。
この二年間、妹のような接し方をしてきているが、何も湧かないわけでもない。
それにエンリには何度も助けられ、エンリの言葉にはいつも救われている。
……よし、覚悟を決めよう。
俺も男である。
キスの一つや二つくらい、やってやろうじゃないか!
……いやあの、前世でも今世でも初めてなんですけどね。
と、そんな態度は見せないよう男の余裕を装う。
「わかった。……本当にいいんだな?」
「……うん。人間の初めてって、特別なんでしょ? ……アタシは、早く主から、初めてを奪ってほしい……」
……なんと破壊力のある言葉であろうか。
不覚にも頬が緩みきり思いっきりエンリを抱きしめてしまうところであった。
自分の鋼の精神に称賛を浴びせたい。
演技ではない素、なんだろうが、いつものエンリからは考えられないほど弱々しい態度に男心がくすぐられる。
俺はエンリから目を離さない。
お互い初めてだ。
気にしない人は気にしないんだろうが、俺やエンリは気にする。
一生に一度の、大切な時だろう。
「……わかった。じゃあエンリ、目を瞑ってくれ」
「……」
俺が言うと、スッと目を閉じ、顔を向けるエンリ。
身長差のせいでエンリは背伸びをして、ぷるぷると震えながら俺を待っている。
その姿がまた何とも可愛らしい。
「…………そいっ」
ぷに。
俺が人差し指でエンリの頬を押すと、ふにっと凹んだ。
柔らかな感触が素晴らしい。
「〜! 主ぃ!」
「悪い、悪い!」
おふざけが過ぎたようだ。
どうにも今のエンリは、苛めたくなるような、からかいたくなるような雰囲気をしている。
これは仕方なかったと言い訳をしたい。
だが、次は本気だ。
俺は黙ってエンリの肩に両手をのせて屈み、視線を合わせる。
エンリは再び静かに目を閉じた。
……キスって、そのままだと鼻がぶつかるから斜めにするのがいいんだっけか。
俺も目を閉じ、そっと顔を近づける。
――柔らかい、みずみずしい感触が唇に訪れる。
ほんの数秒の、触れ合うだけの短いキス。
……なのに、お互い顔を離せばエンリの顔は真っ赤である。多分俺もそうだろう、とても顔が熱い。
精霊とは思えない、人間らしい初めてのキスであった。
しばらく余韻に浸っていたが、俺は頬を叩いて正気を取り戻す。
「……これで、いいか?」
「……うん! えへへ……主に初めて、主の初めて、貰っちゃった……」
視線を泳がしながら聞くと、エンリは笑顔で答え、余韻に浸る。
そんなに俺からのキスが嬉しかったのか。
エンリを見ていると、俺まで嬉しくなってくる。
こうして、五日目は温かな気持ちのまま終わるのであった。
「……なんで見せつけられなきゃいけないのかしら、私」
……母さん、ごめんなさい。




