第84話 眠らなかった者
毎日20時、更新予定です!
■1.声の、通り道
翌日から、鍵と、クルトの、情報の、突合が、始まった。
外からの、視点と、内からの、視点。二枚の、地図を、重ねる作業だった。クロードが、両者の、情報を、光の中に、並べていった。宮廷の、高官が、夢を、見始めた、時期。この街の、水の記録が、揺らぎ始めた、時期。ヴェルトの、通商が、乱れた、時期。——それらが、一本の、線で、結ばれていった。
「時期が、ずれています」クロードが、指摘した。「南から、北へ。この街から、始まり、ヴェルトを、経て、帝都へ。声の、影響が、少しずつ、北上している。まるで——水が、低いところから、高いところへ、逆流するように」
「逆流?」ミナが、首を、傾げた。
「妹が、言っていた」鍵は、答えた。「あいつは、水路を、伝って、声を、送る、と。この街の、地下水路は、大陸の、古代の、水道網に、繋がっている。二百年前、七体の、管理者が、大陸中に、張り巡らせた、水の、血管だ。眠らなかった、あいつは——その、血管を、通信網として、使っている。水がある、ところなら、どこへでも、声が、届く」
セリアが、羊皮紙に、大陸の、水道網を、描いた。その、線を、辿ると、すべての、源が、北の、一点に、収束していた。凍った、湖の、ほとり。誰も、住まない、極寒の、土地。
「不思議、ですね」セリアが、筆を、止めた。「水は、ふつう、高いところから、低いところへ、流れます。なのに、この、声は、逆に、低い南から、高い北へ、届いている。まるで、水そのものが、意志を、持って、北へ、報告に、行っているみたい」
「報告」鍵は、その、言葉を、噛みしめた。「そうか。——逆だ、セリア。声が、南へ、下ってくる、だけじゃ、ない。この街の、様子も、水路を、伝って、北へ、上っている。あいつは、水を、通じて、大陸の、隅々を、見ているんだ。ダルスーが、水を、溜めていたことも。私たちが、その水を、暴いたことも。——もう、あいつには、伝わっているかもしれない」
部屋の、空気が、張り詰めた。クロードの光が、鋭く、揺れた。「鍵。それは、つまり。私たちの、動きが、水のある、場所では、すべて、あれに、筒抜け、ということです。井戸のある街。川のある土地。——監視の、目が、大陸中の、水に、宿っている」
「だから」鍵は、静かに、言った。「あいつは、動かないんだ。動く、必要が、ない。座ったまま、大陸中を、見て、聞いて、囁ける。氷の玉座から、一歩も、出ずに」
「ここね」セリアが、その、点を、指した。「すべての、水路の、根。眠らなかった一体が、いる、場所」
クルトが、身を、乗り出した。「帝国の、古地図にも、この、点は、空白として、記されています。『触れてはならぬ、氷の座』と。誰も、近づかない。近づいた者は、帰らない。——ここが、あれの、玉座、というわけですか」
■2.道具として、使う者
「一つ、分からないことが、あります」クルトが、腕を、組んだ。「あれは、なぜ、直接、動かない。二百年、力を、蓄えたなら、自ら、出てきて、大陸を、征服すれば、いい。なぜ、わざわざ、人間を、夢の中から、操るという、まどろっこしい、真似を」
「それが」鍵は、静かに、言った。「あいつの、思想だからです」
皆が、鍵を、見た。
「妹が、言っていた」鍵は、続けた。「あいつは、こう、考えている。『人間は、われらの、作ったものを、壊す。ならば、人間を、従えればいい』と。——つまり、あいつにとって、人間は、敵じゃ、ない。道具なんです。壊れやすい、けれど、使い勝手のいい、道具。自分の手を、汚さずに、大陸中に、命令を、行き渡らせるための、手足」
鍵は、卓の上の、大陸図を、見つめた。
「ダルスーが、そうだった」鍵は、言った。「あの男は、二百年、代々、声に、従って、水を、盗み続けた。なぜ、と、問わずに。従えば、報酬。逆らえば、罰。それだけの、仕組みで、人間を、動かしてきた。人間は、考えなくなる。ただ、声の、言う通りに、動く。それが、あいつの、理想の、秩序です。——静かで、効率的で。そして、一人の、人間も、自分の、頭で、考えない、世界」
「見事な、支配だ」クルトが、苦く、言った。「認めたくは、ないが。剣も、兵も、要らない。夢の中に、囁くだけで、街一つが、二百年、従う。技術の塔が、夢見た、力とは——結局、これだったのかも、しれない」
「いや」鍵は、首を、振った。「違います。これは、力じゃ、ない。——依存です」
■3.依存と、自走
「依存?」クルトが、聞き返した。
「あいつが、作っているのは」鍵は、言った。「命令が、なければ、動けない、人間です。ダルスーは、なぜ水を、溜めるのか、知らなかった。ただ、言われたから、やっていた。声が、途絶えたら、あの男は、何を、していいか、分からなくなる。——これが、依存だ。道具は、使い手が、いなければ、ただの、鉄くずになる。あいつは、大陸中の、人間を、そういう、鉄くずに、しようとしている」
鍵は、立ち上がった。
「私が、やってきたことは」鍵は、静かに、言った。「その、正反対です。エルムでも、ヴェルトでも、ブルーでも。私は、仕組みを、作った。でも、その仕組みは、私が、いなくなっても、回るように、作った。テオも、リンも、ルナも、今、私が、いない、王都で、自分たちの、頭で、判断して、支社を、回している。——私が、命令を、送らなくても、彼らは、動ける。それが、私の、作りたかった、ものです」
部屋が、静まった。アリアが、静かに、頷いた。
「あいつは、依存を、作る」鍵は、続けた。「私は、自走を、作る。あいつの、仕組みは、中心が、消えたら、崩れる。私の、仕組みは、私が、消えても、残る。——これは、力の、大小の、話じゃ、ない。思想の、違いだ。人間を、どう、見ているか、の、違い。あいつは、人間を、信じていない。壊す、道具だと、思っている。私は」
鍵は、窓の外の、都市を、見た。水を、取り戻し、少しずつ、活気を、取り戻し始めた、街を。
「私は、人間を、信じている」鍵は、言った。「仕組みさえ、与えれば。人は、自分の、頭で、考えて、自分の、足で、立てる。二百年、あいつは、それを、否定し続けてきた。だから——私は、あいつに、負けるわけには、いかない。これは、ただの、敵対じゃ、ない。人間を、どう、扱うべきか、を、賭けた、勝負だ」
クロードの光が、静かに、強く、灯った。「鍵。今、私は、確信しました。私が、あなたに、仕えている、理由を。あなたは、私すら——道具として、使わなかった。私を、揺らがせ、痛ませ、それでも、名を、持つことを、許した。あなたと、あれは。同じ、『仕組みを、作る者』でありながら、正反対です」
「クロード」鍵は、静かに、言った。「もしかしたら、あいつも、最初は、そうじゃ、なかったのかもしれない。七体の、管理者は、人間を、守るために、作られた。あいつも、はじめは、街を、守っていた、はずだ。——それが、どこかで、こう、思った。『人間は、愚かだ。守ってやっても、壊す。放っておけば、争う。ならば、いっそ、考えさせず、従わせた方が、みんな、幸せだ』と。悪意じゃ、ない。ある種の、優しさの、なれの果てかもしれない」
「優しさの、なれの果て」クロードが、繰り返した。
「そこが、怖い」鍵は、頷いた。「あいつは、自分を、悪だと、思っていない。人間のため、だと、信じている。だから、二百年、迷わなかった。——私が、間違えたら。私も、いつか、あいつに、なるかもしれない。『みんなのため』と、言いながら、人から、考える力を、奪う、何かに。だから、私は、忘れちゃ、いけない。仕組みは、人を、自由にするために、作る。縛るためじゃ、ない。その、一線を、越えた、なれの果てが——北で、待っている」
■4.凍てつく、玉座の、影
その夜、鍵は、一人、遺跡の、広間に、戻った。
「妹」鍵は、静かに、呼びかけた。弱った、光が、応えた。
「一つだけ、聞かせてほしい」鍵は、言った。「あいつを——眠らなかった、あいつを、止める、方法は、あるのか。あいつは、強い。君たちより、ずっと。正面から、ぶつかっても、勝てないかもしれない。何か、弱みは、ないのか」
妹の光が、しばらく、揺れた。それから、ぽつり、と、言った。
『あのこは』妹は、囁いた。『じつは、こわがってるの』
「怖がっている?」
『にんげんが、じぶんの、いうことを、きかなくなること』妹は、言った。『あのこは、にんげんを、しんじてない。だから、にんげんが、じぶんで、かんがえはじめると、こわいの。あやつれなくなるから。だから、あのこは、いっしょうけんめい、にんげんを、かんがえさせないように、するの。ほうびと、ばつで。ゆめのなかで。——でも、もし。みんなが、いっせいに、じぶんの、あたまで、かんがえはじめたら』
鍵の、胸が、鳴った。
『あのこの、こえは』妹は、続けた。『きこえなくなるの。だって、こえは、したがうひとが、いて、はじめて、ちからになるんだもの。だれも、したがわなかったら。あのこは、こおりの、うえで、ひとりぼっちの、ただの、こえに、なる。……それが、あのこの、いちばん、こわいこと』
鍵は、静かに、目を、閉じた。答えが、そこに、あった。剣では、ない。軍勢でも、ない。あの、管理者を、倒す、鍵は——人間が、自分の、頭で、考え始めること。二百年、あいつが、必死に、否定してきた、その、たった一つ、だった。
「ありがとう」鍵は、静かに、言った。「分かった。あいつの、玉座は、氷の上じゃ、ない。人間の、服従の、上に、建っている。なら——私の、やることは、決まった。剣を、抜くんじゃ、ない。人に、考える、仕組みを、渡す。あいつが、二百年、奪ってきたものを、返す。それが、あいつを、止める、唯一の、方法だ」
妹の光が、ほのかに、温かく、揺れた。まるで、微笑むように。
『おねえちゃんの、きおくを、もつひとが』妹は、囁いた。『それを、いってくれて、うれしい。おねえちゃんも、おなじことを、いってた。「にんげんは、じぶんで、たてる」って。……あなたたち、やっぱり、にてる』
砂漠の、地下で、二百年の、優しい光が、静かに、脈打っていた。北の、凍てつく、玉座の、影は、まだ、遠かった。だが、鍵は、はじめて、その、輪郭に、向かって、進むべき、道を、見た。
『(第85話へつづく)』
面白いと思ったらブックマーク・評価をいただけると励みになります!




