第47話 海賊王ヴォルフに提案する
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■1.港が見える執務室
王の謁見室というから、もっと格式張った場所を想像していた。
案内された部屋は、城の北棟の端にあった。壁一面に大きな海図が貼られ、窓の外には港が広がっている。三本マストの帆船が数隻、朝の光を受けながら桟橋に並んでいた。執務机は広く、羊皮紙と算盤と、なぜか魚の干物が一緒に積み上げられている。
「入れ」
声は重かった。
入口に立った鍵は、机の向こうの男を見た。六十がらみ、白い顎髭が胸まである。肩幅が広く、椅子に座っていてもわかる体格だ。ブルー国王ヴォルフ——元海賊と聞いていたが、なるほどと思う風貌だった。
隣にルナが立っている。ブルーの商業管理局からついてきた担当者で、ここ数日の調査に同行してくれた。入室前に「陛下は短い謁見を好まれます。ただし、話に興味を持たれると急に長くなります」と教えてくれた。鍵と目が合うと、小さく頷いた。
ヴォルフは鍵を一瞥してから、窓の外に目を戻した。
「どこから来た」
「王都から参りました」
「遠いな。陸路か」
「はい」
「何日かかった」
「十二日です」
ヴォルフはそれきり窓を見ていた。船を数えているのか、考えているのか、わからない。しばらく間があって、ようやくこちらを向いた。
「座れ」
自分も椅子に深く座り直した。海図を背負った姿勢は、まるで地図そのものが壁から男を支えているようだった。机の上の干物を視界の端に入れながら、鍵は椅子に腰を下ろした。
「何しに来た」
「ブルーの貿易記録を調べました。そこから見えたことをお伝えしたくて参りました」
「商業管理局から聞いている。データとやらを集めて回っていた連中だろう」
「はい。各港の記録を整理させていただきました」
ヴォルフはそこで顎髭に手をやった。
「王都の人間が、わざわざ十二日かけてくる。珍しいな」
「必要だったので」
「必要、か」ヴォルフは繰り返した。「まあいい」
「で」とヴォルフは言った。「何が見えた」
■2.初めて見る全体像
鍵はかばんから、まとめた羊皮紙の束を取り出した。
「先月一ヶ月のブルーの取引全体です。港ごとの入出荷量、品目別の推移、主要な取引先の一覧。全部ひとつにまとめました」
机の上に広げる。ヴォルフが身を乗り出した。
大きな手が羊皮紙の端を押さえ、目が行を追う。鍵は黙って待った。ルナも何も言わなかった。外で港の鐘が鳴り、遠く水鳥が鳴いた。
ヴォルフはしばらく読んでいた。ページをめくり、数字を目でなぞり、また戻る。そういう読み方をする人間は、普段から数字を扱い慣れている。大雑把に見えるが、数字には正確だとルナが言っていた。
顔を上げたとき、ヴォルフの表情が少し変わっていた。
「……初めて見た」
「どういう意味ですか」
「こういう形で、全体を一枚で見たのは初めてだということだ」
鍵は少し考えてから聞いた。
「以前は把握されていなかったということでしょうか」
「それを聞くのか」ヴォルフは少し笑った。笑うと顎髭が動いた。「正直に言う。俺が知らなかったのか、誰も知らなかったのか、どっちだと思う」
「どちらもかもしれない、と思っていました」
「正直に言うやつだな」ヴォルフは少し声のトーンを下げた。「まあ、そうだ。どちらもだ」
ヴォルフは羊皮紙に視線を戻した。
「そうだな。管理局は港ごとに数字を持っている。だが全体は誰も足していなかった。俺も足すよう言っていなかった。わかっていながら、手が回っていなかったのかもしれん。……そうか」
最後の「そうか」は独り言のようだった。
鍵はその沈黙を邪魔しなかった。
知らなかった事実を突きつけられた人間には、少し時間が要る。それは王であっても同じだ。現場の責任者が「そんな数字があったとは知らなかった」と言うときの顔に、この男の顔は似ていた。責める顔ではなく、噛み砕こうとしている顔だ。
「続けろ」とヴォルフが言った。
■3.摘発より、得する制度を
「もうひとつ、お伝えしたいことがあります」
鍵は羊皮紙をめくった。
「数字を精査すると、申告と実際の量に差がある取引が散見されました。特にこの三つの港で、定期的に不整合が出ています。品目は香辛料と金属加工品。どちらも単価が高く、量が少ない。税額に換算すると、月間でかなりの額になります」
「密輸か」
「密輸か、あるいは記録の誤りか。証明はできていません。ただ、パターンとして継続しています。偶然の誤りではない」
ヴォルフが腕を組んだ。
「摘発するか」
「いいえ」
間を置かずに答えた。ヴォルフの眉が動いた。
「脱税の証拠があって、摘発しないのか」
「証拠にはなりません。疑いです。それに——」
鍵は一度区切った。
「仮に今の業者を摘発しても、次の人間が同じことをします。罰を怖がってやめる人もいますが、ぎりぎりまでやり続ける人間の方が多い。取り締まりはいたちごっこになる。罰が抑止力になる期間は長くない」
「では何をするんだ」
「記録を正直につけた方が、得になる制度を作ります」
ヴォルフは何も言わなかった。
鍵は続けた。
「具体的にはこういうことです。取引記録が整っている業者には、優先通関の特典を与える。港での検査を簡略化して、早く積み荷を動かせるようにする。記録が曖昧な業者は通常の手続きを踏む。脱税した場合は没収と罰金があるが、それより先に——正直に申告した方が仕事が早い、という状況をつくります」
「正直者が先に動けるということか」
「そうです。不正をするより、申告した方が儲かる構造にする。罰より、正直者への報酬です」
「記録が整っている、という判断は誰がする」
「管理局が書式を統一して、基準を設けます。書式通りに申告されているか、数字に矛盾がないか。人が見て判断するのではなく、基準に対して照合する形にします。担当者によってばらつきが出ないように」
ヴォルフはしばらく机を見ていた。
何かを検討しているのか、あるいは引っかかっているのか、鍵には判断できなかった。ルナが隣で静かに息をしているのがわかった。
「つまり」とヴォルフが言った。「ルールを守ることで損をしなくなる、ということだな」
「損をしないどころか、得をします」
「得、か」
ヴォルフは立ち上がり、窓の前に歩いた。港を見下ろす。背中が大きかった。
「港で積み荷を待つ時間というのは、商人にとって金だ。一日遅れれば、それだけ次の仕入れが遅くなる。足が速い商人が先に市場に着く。それは海の上でも陸でも変わらない」
「そのとおりです」
「正直に申告すれば足が速くなる。脱税すれば遅くなる」
「仕組みとしてはそういうことになります」
ヴォルフは腕を組んだままゆっくりと窓を向いた。港の船が風にゆれて、桟橋が小さく揺れた。
「面白い考え方だな」
■4.元海賊の論理
ヴォルフがこちらを向いた。
窓の光を背負うと、顔の陰影が深くなった。皺と髭の奥に、何十年もの判断を積み上げてきた目があった。
「俺たち海賊は、長いことルールを破って生きてきた」
鍵は黙って聞いた。
「法律は邪魔なものだと思っていた。税は取られるだけのものだと思っていた。でも、なぜ俺がこの椅子に座っているかわかるか」
「わかりません」
「ルールをつくる側に回った方が、長く稼げると気づいたからだ」ヴォルフは机に戻り、椅子に座り直した。「破るより、作る側の方が得だ。そういう損得の話だ。感情じゃない。計算だ」
「はい」
「お前の話もそれと同じ論法だな。罰が嫌だからじゃなく、従った方が得だから従う。商人にそういう構造を見せる」
「そうです」
「海賊もそれで動く。俺もそれで動いた」ヴォルフは顎髭を撫でた。「嫌いじゃない話だ」
「ありがとうございます」
「礼を言うのは早い。まだ聞いてるだけだ」
しばらく沈黙があった。
ヴォルフは机の上の海図に目を落とした。どこかの海域を指でなぞるような動作をしてから、鍵を見た。何かを確かめるような間だった。鍵は何も言わなかった。話を押し込もうとすると、逆に引かれる。そういう場面がある。
「記録を整える仕組みは、どうやって作る」
「管理局と連携して、申告書式を統一します。記録の評価基準を決めて、一定水準を超えた業者に優先通関の資格を与える。最初は試験的に、主要な港ひとつで始めるのがいいと思っています。全体に展開するのは、結果が見えてから」
「試験期間は」
「三ヶ月あれば効果が見えます。業者の申告率と通関速度の変化を数字で追います」
「数字で」
「はい。最初にデータがあるので、比較できます。始める前と後で何が変わったか、はっきり出ます」
ヴォルフは腕を組んだ。鍵はその表情から何も読み取れなかった。賛成なのか、まだ迷っているのか。窓の外で船がゆっくり桟橋を離れていった。帆が開いて、風を受ける。
長い沈黙があった。
港の鐘が遠くで鳴った。
「気に入った」
ヴォルフが言った。
「やってみろ」
鍵は一度だけ息を整えた。
「ありがとうございます」
「ただし」とヴォルフは続けた。「条件がある」
「どのような」
「三十日だ。三十日で数字に変化が出なければ、お前はブルーから出ていく。管理局の人間を何人か使うことは許可する。費用も出す。だが三十日で何も変わらなければ、それまでだ。俺は結果でしか判断しない。それがここのやり方だ」
「わかりました」
「本当にわかったか」ヴォルフの目が少し細くなった。「王都からわざわざ来た人間が、三十日でゼロになるんだぞ」
「三十日で十分です」
今度こそはっきりと言った。
ヴォルフは一瞬だけ鍵を見た。何かを測るような目だった。それから短く笑い、羊皮紙の束を手でまとめた。
「管理局の担当を付ける。明日から始めろ」
■5.データがある
廊下に出ると、ルナが小声で言った。
「本当に大丈夫ですか」
鍵は前を向いたまま歩いた。石の廊下に、ふたりの足音が響く。
「三十日、相当タイトですよ。業者への説明だけでも一週間はかかります。書式の統一、評価基準の策定、港の担当者への周知——」
「わかってる」
「わかっていて、あの答え方をしたんですか」
「ああ」
ルナはしばらく黙った。
廊下の突き当たりに窓があり、そこからも港が見えた。鍵は少し足を止めた。
船が動いていた。帆を張って、港を出ていく。荷を積んだまま、どこかへ向かっている。今日のうちに次の港まで着きたい船は、夜明けとともに出る。一日でも早く動くために。
「データがある」と鍵は言った。
「え?」
「三十日間、何を指標に動けばいいか、もうわかってる。申告書式を整えた業者がどれくらい増えるか。通関にかかる時間がどう変わるか。最初の一週間のデータで、中間の軌道修正ができる。どこで詰まっているかも数字で見える」
「それで……本当に大丈夫、ということですか」
「データがある。大丈夫だ」
珍しい言い方だと、言いながら自分でもわかっていた。根拠のない自信は嫌いだ。「きっとうまくいく」は言わない。でも、根拠があるときはそう言っていい。根拠のある断言は、自信とは違う。
ルナは少しの間、鍵の横顔を見ていた。
何かを確かめているような間だった。
「……わかりました。やりましょう」
「ありがとう」
鍵はかばんを持ち直した。
窓の外で、帆船がゆっくりと港を離れていく。三本マストが風を捕まえ、白い帆が膨らんだ。あの船は今日中に次の港に着く。そのために、夜明けに出た。
三十日。
やれる、と思った。
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