第35話 気候と魔力の関係を分析する
■1.半年ぶりの農道
麦畑の匂いは、鍵が思っていたよりずっとよかった。
王都から馬車で半日。ヴェルト農業大国の穀倉地帯に入ると、地平線まで畑が続く。風が吹くたびに穂が波打ち、光の加減で金色になったり、緑がかって見えたりする。
「思ったより遠いな」
「王都から72キロです」クロードが言った。「馬車で5時間半。前回と同じルートです」
「前回って……第3話のときか」
「記録上、そうなります」
鍵はそれ以上何も言わなかった。半年ぶりに来た土地を、窓から眺めた。
リンの農地が見えてきたのは、夕暮れが近くなったころだった。丘のふもとに広がる畑は、ひとめ見て整頓されているとわかった。畝の幅が揃っている。水路がまっすぐ引いてある。畑の端に小さな小屋があって、扉に道具が掛けられている。
「前はあんな小屋なかったぞ」
「農具の収納小屋です。自分で建てたようですね」
馬車が止まった。鍵が荷物を持って降りると、畑のほうから走ってくる人影が見えた。
「鍵さん!」
リンだった。
泥のついたエプロンを着けたまま走ってくる。半年前と同じ顔だが、何かが違う。背が少し伸びたか、それとも表情が変わったか——うまく言葉にできないけれど、「農家の娘」より「農家」に近い顔になっていた。
「来てくれたんですね」
「依頼があったから来た」
「そうですね」リンは少し笑って、頭を下げた。「でも、来てくれて嬉しいです」
クロードが馬車の陰から姿を見せた。リンがはっとした顔になる。
「クロードさんも」
「お久しぶりです、リンさん」
「わ、変わらないですね」
「変わりません」
三人で農地の脇を歩きながら、鍵は畑を観察した。畝の状態、水路の流れ、土の色。前に来たとき、リンの農地は管理できているが記録がなかった。今は違う。畑の端に打ち込まれた木の杭に、紙が貼りつけてある。数字が並んでいた。
「あの紙は何だ」
「あ、気づきましたか」リンが少し照れたような顔をした。「あの帳簿のシステム、今でも使ってます。毎日記録するようにしたら、何をいつやったかわかるようになって。それで、紙で畑にも貼るようにしたんです」
鍵はその紙を引き抜いて読んだ。日付。水やり量。気温。発芽数。
「自分でこれを考えたのか」
「クロードさんが作ってくれたフォーマットをアレンジしました」
「よくできてる」
リンがまた照れた顔をして、でもすぐに表情を引き締めた。
「それで、今回の依頼の話をしてもいいですか。来年の収穫のことで、ずっと気になっていることがあって」
■2.魔力が多い年は、豊作になる
小屋の中で話を聞いた。
リンが用意した麦茶が、素焼きのカップに並んでいた。机の上に帳簿が積んである。半年分の記録だ。
「ヴェルト農業大国から依頼が来たのは知ってます。飢饉のリスクがあるって話ですよね」
「収穫量の予測ができないって言ってた。豊作と不作が不規則で、理由がわからないと」
「それ、多分こういうことだと思うんです」
リンが帳簿を一冊開いた。父親の字で書かれた、古い記録だ。
「父から聞いた話なんですけど、『魔力が多い年は豊作になる』って。先代からずっと言い伝えでそう言われてて。実際、この地域の農家はみんなそう信じてます」
鍵は麦茶を一口飲んだ。
「それって、測れるのか」
「感覚です」リンが少し困った顔をした。「魔法使いが来て『今年は魔力が豊富だ』と言うときと、言わない年があって。言う年は確かに収穫がいい気がするんですけど、気のせいかもしれないし、他の理由かもしれないし」
「気のせいかどうかは、データを見ればわかる」
「でも魔力って、数字で測れるものなんですか」
「魔法使いに測定してもらえばできる、と思う」鍵はクロードを見た。「クロード、魔力量の定量測定って可能か」
「可能です。魔力密度を計測する魔道具が存在します。精度にばらつきはありますが、相対的な比較には使えます」
リンが「そんなものがあるんですか」と言った。
「商会のほうで調達できると思います」
「なら試す価値はある」鍵は帳簿を手に取った。「リン、この記録——気温と水量は毎日書いてあるか」
「気温はだいたい書いてます。水量は……量は測ってなくて、『多い』『少ない』って書いてます」
「今日から数字で書いてくれると助かる」
「はい。やります」
「魔力量と発芽数も追加する。一週間分取れれば、最初の傾向が見えるかもしれない」
リンが頷いた。帳簿に新しいページを開く手が、少し早かった。
■3.一週間の記録
翌朝から測定を始めた。
まず測定項目を決めた。気温(朝・昼・夕の3回)。水路から引く水の量(桶で計量)。土壌の魔力密度(クロードが王都から手配した魔道具を使って、畑の東西南北4点を計測)。そして発芽数——新しく蒔いた種の、翌日の発芽状況。
「全部毎日やるのは大変じゃないか」
「大丈夫です」リンが言った。「朝早く起きるのは慣れてますから」
「魔道具の使い方は覚えたか」
「昨日クロードさんに教えてもらいました」
「読み取り値は小数点まで記録してくれ。感覚で書かない」
「わかりました」
三日目の朝、鍵が農地に着くと、リンはすでに計測を終えて小屋で帳簿を書いていた。数字が几帳面に並んでいる。
「昨日より魔力値が少し上がってます」リンが言った。「0.3くらい」
「単位は?」
「魔道具の目盛りが1から10の範囲で……5.2から5.5になりました」
鍵はその数字を手帳に写した。並べてみると、二日目から三日目で魔力値が上昇している。その日の発芽数は——
「昨日の午後に蒔いた種、今朝数えたら18粒発芽してました。一昨日同じ量を蒔いたときは11粒だったんです」
「一日でそれだけ差が出るのか」
「土地によって違うかもしれないですけど」
クロードが記録を見ていた。
「魔力値5.2の日:発芽11粒。5.5の日:発芽18粒。差分0.3で発芽数が64%増加しています」
「サンプル数が少なすぎる」鍵は言った。「でも方向性はある」
五日目、雨が降った。
気温が下がり、水量は増えた。魔力値は5.8まで上昇した。発芽数は23粒。
「雨の日に魔力が上がるのか」リンが首をかしげながら言った。「それって関係あるんですかね」
「わからない。でも記録しておけ」
七日目に、鍵は一週間分のデータを並べた。
気温との相関はほとんどなかった。水量との相関も、あるようでないようで、判断できない。しかし魔力値と発芽率を並べると——数字が同じ方向に動いていた。魔力値が上がった日の翌日は、発芽数が増えている。
「見えてきた」鍵は言った。
「本当に関係あるんですか」リンが身を乗り出した。
「まだ一週間分だ。断言はできない。でも相関はある。魔力量が高い日は、翌日の発芽率が上がっている」
「じゃあやっぱり、魔力が多い年は豊作になるってことですか」
「少なくとも、発芽率については。収穫量まで繋がるかどうかはもっとデータが必要だ」
リンが帳簿を胸に抱えた。
「続けます。もっと記録します」
「それが一番速い」
■4.次の問いが待っていた
問題は、一週間経ってはっきりした。
魔力値と発芽率の相関は出た。一週間分のデータとしては悪くない精度だ。しかし次の問いが、すぐに壁として現れた。
「そもそも、なんで魔力量が変動するんだ」
鍵がそれを言うと、リンが少し考えた顔をした。
「気候と関係あるんですかね。雨の日に上がりましたよね」
「雨の日だけじゃなかった。晴れの日でも高いときがあった」クロードが補足した。「気温との相関も弱い。降水量との相関も、あると言い切れない水準です」
「農業データだけじゃ原因を説明できない」
「もっと広い範囲のデータが必要ですか」
「必要だと思う。この農地だけじゃなくて、地域全体の魔力分布を時系列で取れれば——」
「鍵さん」
リンが口を開いた。少し迷ったような間があってから、続けた。
「父が昔、言ってたんです。魔力の強い年は、近くの魔石鉱山の採掘量が減るって」
鍵が顔を上げた。
「魔石鉱山」
「南に二日ほど歩いたところにあります。小さい鉱山ですけど、父が若いころから掘られてて。採掘量が多い年は、なんか土地の魔力が弱くなる気がするって、昔よく言ってたんですよ。気のせいかもしれないですけど」
「気のせいかどうかはデータを見ればわかる」
さっきリンに言ったのと同じ言葉を、鍵は口にした。
クロードが静かに言った。
「魔石が土地の魔力を蓄えている、あるいは吸収している可能性があります。採掘によって魔石が減れば、土壌への魔力供給が変わる。仮説として成立します」
「でも検証するには鉱山のデータが必要だ」
「鉱山の採掘記録は、領主の管理下にあると思います」
「そうなるとまた話が大きくなるな」
鍵は手帳を閉じた。今ある農業データだけでは、ここまでだ。次のステップには、鉱山の記録と、この地域全体をカバーする魔力の測定網がいる。一農地の話ではなく、地域レベルの話になる。
「リン」
「はい」
「引き続き記録を続けてくれ。一か月分になれば、もっとはっきりした傾向が出る」
「もちろんです」リンは帳簿を机に置いた。「でも——」
少し間があった。
「私、もっと記録を取りたいんです。この農地だけじゃなくて、近所の農家さんにも声をかけて、みんなで測定したら、もっと広いデータが取れると思って」
鍵はその言葉を聞いて、何も言わなかった。
半年前、リンは「帳簿が苦手で」と言っていた。記録をつけることは、義務だった。
今は「もっと取りたい」と言っている。
『変わった。』
それは褒め言葉を言うほどのことでもないし、言わなくていい。ただ鍵はそれを、確かに受け取った。
「近所の農家を説得できるか」
「たぶん。みんな収穫予測できなくて困ってますから」
「じゃあ次に来るまでに、できるだけ声をかけておいてくれ」
「はい」
外に出ると、夕日が畑を赤く染めていた。麦の穂が光を受けて、金色というよりオレンジ色になっている。
「魔石鉱山の話、どうする」クロードが言った。
「領主への連絡が必要になる。アリアに相談する」
「ヴェルト農業大国への報告は」
「まず広域データを集めてからだ。今の段階で報告しても、仮説しか言えない」
「了解です」
馬車に乗り込みながら、鍵は農地を振り返った。夕暮れの中でリンが手を振っている。
問いは一つ解けたが、二つ増えた。
こういう仕事だ、と鍵は思った。答えが出るたびに、次の問いが見えてくる。でも前より少しだけ、深いところに立っている。
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