第22話 魔王軍の侵攻を予測します
■1.異変の検知
その朝、クロードが異変を報告したのは、鍵が王城の執務室でコーヒーの代わりに薬草茶を飲んでいたときだった。
「鍵さん」
クロードの声はいつもと変わらない。落ち着いていて、少しだけ眠そうで、感情が読み取りにくい。だがこの声のトーンのまま、彼は重要な情報を告げる。それはもう鍵にはわかっていた。
「北門周辺の物資移動に、異常なパターンがあります」
鍵はカップを置いた。
「どんなパターンだ」
「三日前から、北門に通じる街道を通過する荷馬車の数が急増しています。ただし、王国側への流入ではなく、流出です。北西の村から北東の村へ、農産物の移送が集中している」
王国ダッシュボードに、クロードが集計したデータが展開された。折れ線グラフが、ここ三日間で急勾配の上昇を示している。鍵は数字を眺めながら、記憶の中から何かを引き出そうとした。
「これ、第15話——いや、三ヶ月前に分析した例と同じじゃないか」
「照合済みです」
クロードが続けた。
「三ヶ月前に東の要塞が攻略される前、同じパターンが五日前から始まっていました。周辺住民の物資移動が急増し、要塞近くの補給路が事前に占拠された。そして二ヶ月前の南門への陽動攻撃の前にも、南側の農道で同様のデータが出ていました」
鍵はダッシュボードを切り替え、過去のデータと今日のデータを並べた。
「三回目か」
「はい。同じパターンが三回確認されています。おとりで兵力を引きつけ、その間に補給路を断絶する——第15話の分析で出た、魔王軍の基本戦術と一致します」
「で、北門に補給路の弱点はあるか」
「あります。北門から二十リーグの地点に、幅の狭い橋があります。そこを落とされると、北方の補給が完全に止まります」
鍵はノートを開き、箇条書きを走らせた。
パターン一致:補給路断絶の前兆。物資移動の異常。タイムラグ:東の要塞のとき五日前。南門のとき四日前。今回、三日前から始まっている。
「つまり」鍵は言った。「攻撃は明日か、明後日か、三日後か」
「最も確率が高いのは、三日後です。過去二回の平均です。誤差は半日以内でした」
鍵はペンを止めた。
「グレン将軍に話しに行く」
「……反発が予想されます」クロードが静かに言った。「前回、南門の報告を持っていったとき、将軍は三十分話を聞かなかった」
「わかってる」
鍵は立ち上がり、上着を手に取った。
「でも今回は証拠が三つある」
■2.将軍への報告
王城の西棟、軍務執行室。
グレン将軍は五十代の大柄な男で、顔に古い傷跡がある。鍵がこの王国に来て以来、一番扱いにくいと感じている人物だ。別に悪い人間ではない。ただ、目に見えないものを信じない人間だ。
「何の用だ」
書類を見たまま、将軍は言った。
「三日後、魔王軍が北門を攻めます」
将軍がようやく顔を上げた。
「……何?」
「ダッシュボードのデータです。北門周辺の補給路に異常な物資移動が確認されています。三ヶ月前の東の要塞陥落前と、二ヶ月前の南門への陽動攻撃前に、同じパターンが出ていた。今回で三回目です」
将軍は鍵を見た。その目には、軽蔑ではなく困惑があった。
「魔法使いでもない者が、それを……どうやって知る」
「データです。荷馬車の通行量、物資の流れ、道の使用パターン。クロードが自動集計しています」
「荷馬車の数で、軍の動きがわかるとでも言いたいのか」
「わかりました。過去二回は」
沈黙が落ちた。
将軍は椅子から立ち上がり、窓の外を見た。中庭で兵士たちが訓練している。剣を振る音と、号令の声が聞こえてくる。
「鍵よ」将軍はゆっくりと言った。「お前のダッシュボードが役に立つのは認める。収穫量の管理や、兵の配置の最適化——それは助かった。だが、敵の侵攻を予測するとなると話が違う。外れたらどうする。備えを整えれば、それだけの兵力と時間が無駄になる。お前が言う三日後に何も来なかったら、誰がその責任を取る」
「私が取ります」
将軍が振り向いた。
「外れたら、どんな処分も受けます。私を軍の顧問から外してもいい。ただ——」
鍵は将軍の目を見た。
「備えだけはしてほしい。北門の守備を厚くして、例の橋に見張りを置くだけでいい。それだけでいい」
「……橋まで知っているのか」
「攻められたとき、最初に落とされる場所を分析しました。地形と補給路の関係で、あの橋が一番脆弱です」
将軍はしばらく鍵を見た。
政治的な判断をする人間の顔だと鍵は思った。「この情報が正しい確率」と「備えに使うコスト」と「間違えたときのリスク」を、瞬時に計算している。そのプロセスは、会社でプロジェクトの承認を求めていたときと何も違わない。
「……わかった」
将軍は静かに言った。
「備えは整える。ただし、お前の言う三日後に何も来なかった場合の話は、そのときに改めてする」
「充分です」
鍵は頭を下げた。
「それだけあれば、充分です」
■3.三日後
三日後の夜明け前。
北門の城壁の上から、鍵は暗い平原を見ていた。横にはアリアが立っている。彼女は「行く」と言って聞かなかった。クロードは鍵の後ろで、ダッシュボードのデータをリアルタイムで監視している。
「来ないんじゃないか」
アリアが言った。声に緊張がある。
「来る」
鍵は言った。自分でも、どこまで確信があるのかわからなかった。データは「来る」と言っている。でもデータは完璧ではない。第15話でも分析の粗さを痛感した。変数が多すぎる。人間の行動を完全に予測できるシステムなど存在しない。
それでも。
同じパターンが三回出ていた。
「動きがあります」
クロードが言った。
「北東から、大規模な魔力反応。距離およそ二十リーグ。移動速度から計算すると、到着は日の出から一時間後」
城壁の上で号令が響いた。グレン将軍が三日前から倍増させていた兵が、それぞれの持ち場につく。弓兵が矢をつがえ、魔法使いが詠唱の準備に入る。
「予測時刻と合ってますか」
アリアが鍵に聞いた。
「合ってる。ほぼぴったり」
夜明けの光が地平線を染め始めたころ、平原の闇の中に黒い波が見えてきた。歩兵と魔獣と、魔法使いの部隊。数は三百を超えている。
「北東の橋は?」
鍵がクロードに聞いた。
「先ほど見張りから報告が入りました。橋への別動隊は、到着直前に撃退されました。増員した見張りが対処しました」
鍵は深呼吸した。
戦闘そのものは、将軍と兵士たちが主導した。鍵にできることは何もない。ただ城壁の上から、ダッシュボードのデータと実際の戦場を見比べることだけだった。
予測した方向から敵が来た。
予測した場所に備えがあった。
それだけのことだ。でもそのことに、鍵は静かに手が震えた。
戦闘は一時間で終わった。魔王軍は補給路の遮断に失敗したと判断したのか、撤退を始めた。王国軍の損害は軽微。魔王軍の損害は甚大だった。
城壁の上に、沈黙が来た。
それから、歓声が上がった。
グレン将軍が鍵のそばに来たのは、そのすぐあとだった。
「……予測が当たった」
将軍はそう言った。戦闘の直後で、鎧に砂埃がついている。額に汗が光っている。表情は、鍵がこれまで見たことのない種類のものだった。
「どうやった」
「データです」鍵は言った。「同じパターンが三回出ていた。おとりで別の場所に兵力を引きつけて、その間に補給路を断絶する——それが魔王軍の基本戦術で、三ヶ月前の東の要塞のとき、二ヶ月前の南門への陽動のとき、今回と、同じ手順が繰り返されていました」
「それを……数字で見抜いたのか」
「荷馬車の通行量と、物資の流れと、橋の脆弱性です。クロードが自動で集計して、過去のデータと照合しました」
将軍はしばらく鍵を見た。
「お前は」
将軍は言葉を選んでいた。戦場で鍛えられた人間の、慎重な言葉の選び方をしていた。
「……何者だ」
その問いに、鍵は一拍だけ間を置いた。
「AIカンパニーの代表です」
将軍は眉を動かした。
「この王国の業務改革と、情報管理を担うために来ました。戦闘はできません。でも、次の攻撃がどこに来るかは、データが教えてくれます」
将軍はまた沈黙した。
それから、ゆっくりと頷いた。
「……わかった」
それだけだった。でも鍵には、その言葉の重さがわかった。
■4.信頼の確立
翌日の昼過ぎ、王城の謁見室から書状が届いた。
エドワード王配の署名入り。国王の公式書状として封蝋が押されている。鍵が慣れない手つきで封を切ると、エドワードが後ろから覗き込んだ。
「内容は知ってますよ。昨夜のうちに国王陛下に報告しておきました」
「……何が書いてある」
「読んでみてください」
鍵は羊皮紙を広げた。
流麗な文字で、こう書かれていた。
『AIカンパニー代表・鍵の助言は、以後、軍務および国政において優先的に取り扱うものとする。また、同人の求める情報への開示権限を、王城内各部署に対して付与する』
鍵はしばらくその文字を見た。
「これで公式な立場ができた、ということか」
「そうです」エドワードは言った。「今まではグレー地帯でした。陛下への直接の発言権も、他部署への情報請求権も、厳密には根拠がなかった。でも今日からは違う」
「将軍が国王に進言したのか」
「昨夜のうちに」
鍵はまた書状を見た。
三ヶ月前、鍵はこの王国に来たとき、何も持っていなかった。コード魔法のスキルと、ノートと、ボールペンと、クロードだけだった。今は、王城のダッシュボードがあって、アリアが経営する商会との連携があって、そしてこの書状がある。
「……そうか」
「感想はそれだけですか」エドワードが苦笑した。
「もう少し喜ぶかと思ってました」
「喜んでる。ただ」
鍵は書状をたたんだ。
「次が心配だ」
その言葉に、部屋の隅で静かに待っていたアリアが口を開いた。
「同じです」
アリアは言った。表情は冷静で、商人の顔をしていた。
「向こうも、今回の結果から学ぶ。おとりと補給路断絶のパターンが通じなかったとわかれば、次は手を変えてくる」
「そうだな」
「新しいパターンが来る前に、私たちがそれを先に想定しておく必要があります。データで検知できないパターンが来たとき、今日みたいにはいかない」
「わかってる」
鍵はクロードを見た。
「クロード、今日のデータ全部保存してあるか」
「完了しています。攻撃の時系列、兵力の移動、補給路の状況、気象データまで含めて記録済みです」
「次の分析に使う」
「はい。ただし」クロードは少し間を置いた。「今回のパターンに過適合しないよう注意が必要です。三回のデータから抽出したパターンは、四回目に変形されると検知できない可能性があります」
「それを言いに来ると思ってた」
鍵はノートを開いた。
過適合の防止策。変形パターンへの対応。データの種類を増やす——
書きながら、鍵は思った。
魔王軍は今日、負けた。でも学習した。自分たちも今日、一つ勝った。でも止まれない。
それはどこか、前の世界での仕事に似ていた。
ひとつの業務を自動化しても、すぐに次の問題が出てくる。完成形は永遠に来なくて、そのたびに更新し続けることが仕事だった。
この世界でも、たぶん同じだ。
「エドワード」
鍵は顔を上げた。
「次のミーティング、いつ取れる」
「明日の朝でよければ」
「頼む。将軍とアリアも呼んでほしい。今日のデータの整理と、次のシナリオ検討をしたい」
エドワードは書状を手に取り、立ち上がりながら言った。
「書状の件、もう少し喜んでください。これ、けっこう大変だったんです、調整が」
「ありがとう。本当に」
鍵は言った。
それは本心だった。エドワードが動いてくれなければ、こうはならなかった。でも今は、次のことを考えないと間に合わない。
クロードが静かに言った。
「次の攻撃候補地点の仮分析、今夜中に出せます」
「頼む」
「了解です。定義、明確です」
窓の外で、王都の鐘が昼を告げた。
鍵はノートを閉じ、立ち上がった。
やることが、また増えた。でもそれは——今日、確実に一歩前に進んだからだ。
『(第23話へつづく)』
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