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呪文は日本語。IT社員の俺、コード魔法で異世界の壊れた仕組みを全部直します  作者: ノーコードLab


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第20話 アリアとクロードに支えられます

■1.翌朝のアリア


目が覚めたとき、部屋の天井がやけに白く見えた。


王城に用意されてもらっている仮眠室——といっても石造りの小部屋だ——の天窓から、朝の光が差し込んでいる。鍵はしばらくそのまま仰向けで天井を見ていた。


昨日のことを、思い返すまでもなく思い返した。


配給所で上がった怒号。ルナおばさんの沈黙。人々の列が崩れていく様子。システムのロジックは間違っていなかった。計算も、分配も、優先順位の設定も。それなのに誰も動かなかった。正確には——誰も動く気になれなかった。


『仕組みとしては正しかった。でも人が動かなかった。』


その事実が、ずっと胸に引っかかっていた。


起き上がって顔を洗い、廊下に出ると、事務所のドアがすでに開いていた。


珍しかった。鍵が朝一番に来ることはよくあるが、アリアが先に来ているのは初めてかもしれない。扉の隙間から光が漏れている。入ると、アリアが窓際の椅子に座って羊皮紙を広げていた。ペンを持っているが、何も書いていなかった。


「早いな」


声をかけると、アリアは顔を上げた。目の下にうっすら翳りがある。昨晩あまり眠れなかったのかもしれない。


「来てたんですね」アリアは羊皮紙を伏せた。「昨日のこと、考えていました」


「俺のこと心配してくれてたのか」


「心配というより」アリアはそこで一拍置いた。「自分のことを考えていました」


鍵は椅子を引いて向かいに座った。


「昨日、私は何をしていたか」アリアは窓の外を見ながら言った。「鍵さんがシステムを作っているあいだ、私は納品交渉と帳簿整理をしていました。配給担当者への説明には一度も同席しなかった。それが普通の分担だと思っていたから」


「そうだったな」


「でも違いました」アリアはこちらに目を向けた。「現場確認を怠っていた。ルナさんがどういう人なのか、他の担当者たちとどんな関係があるのか、私は何も知らなかった。鍵さんに任せっきりにしていた」


「アリア——」


「昨日の失敗、私たちも一緒に失敗したんです」


アリアがはっきり言った。


「鍵さんだけの失敗じゃない。私も、もっとできたことがあったはずです。現場の人間関係を聞いておくとか、事前に配給担当者に話を通すとか。そういうことを見落とした。一緒に失敗しました」


鍵はしばらく黙っていた。


昨夜は誰かにそう言ってほしかったわけではない。むしろ一人で抱えていたかった気もする。自分の判断ミスを他人に分担させるのは、気持ちのいいことではない。


でも——アリアが言っているのはそういうことではなかった。


責任の分散ではなく、同じ場所に立つということだった。失敗の重さを半分持つというより、隣に並んで「ここにいる」と言うような。


「……そうだな」


鍵は窓の外の朝を見た。


「一人で抱えてもよかったかもしれないけど、そうしなくていいのか」


「そうしないでください」アリアは静かに、でも迷いなく言った。「私たちはパートナーです」


その言葉は短かったが、妙に重かった。会社員時代に何度も「チームで頑張ろう」と言われてきたが、この感じとは違う。アリアは責任から逃げているのではなく、むしろ一歩踏み込んできていた。


「わかった」


それだけ言って、鍵は湯を沸かすためにランタンを点けた。


朝の空気が少しだけ、軽くなった気がした。


■2.クロードの実務的な支え


湯が沸いたころに、クロードが現れた。


いつも通りの静かな出現——どこから来るというわけではなく、気づいたらそこにいる。光の輪郭が空気のなかに浮かび、形になる。髪が光そのもので、表情はおだやかで、少し眠そうにも見える。それはいつも変わらない。


「昨日のログを確認していました」


クロードが言った。おはようでも昨日はどうでしたか、でもなく、いきなり本題から入ってくる。これもいつも通りだった。


「そうか」


「システムの動作は正常でした。分配アルゴリズムのエラーはゼロ。ただし」クロードは少し間を置いた。「実行率は計画の十二パーセントでした」


「知ってる」


「私の処理では、人の文脈は計算に入れられませんでした」


鍵は湯を注ぐ手を止めた。


クロードが「できなかった」と言うのは珍しい。いつもは「この点が定義されていませんでした」とか「指示の範囲外でした」という言い方をする。それがいまは「できなかった」だった。


「そういう話じゃないと思う」


つい言葉が出た。


「どういう話ですか」


クロードが聞いた。


責めているわけでも、突き放しているわけでもない声だった。ただ純粋に、聞いていた。


鍵は湯を注ぎながら考えた。どういう話か。システムの問題なのか。人間の問題なのか。それとも——


「人が納得して動いてくれなかった、という話だと思う」


「なるほど」クロードが静かに言った。「では、人が納得して動くための条件は何ですか」


「そんな簡単に言語化できれば苦労しない」


「わかります。ただ」クロードは少し考えるような間を置いた——といっても処理時間なのかもしれないが。「私には人の文脈を自動で読み取る機能がありません。でも、入力すれば計算に入れられます。そのための項目を、一緒に定義できますか」


鍵は椅子に座り、カップを両手で包んだ。


「項目?」


「たとえば」クロードが続けた。「家族構成。慢性疾患の有無。配給担当者との過去の関係性。地区ごとの慣習。担当者が重視する手順や形式——これらを変数として入力できれば、計算に組み込めます」


「それ、データじゃなくて話を聞かないと出てこない情報だ」


「そうです」


「じゃあシステムの問題じゃなくて、聞き取りの問題だ」


「そうなります」クロードは頷いた。「つまり、技術的な問題ではなく、情報収集の設計の問題です。私には解決できませんが、鍵さんには解決できます」


鍵は少し笑いそうになった。


第9話の深夜、クロードと話したことを思い出した。あのときのクロードは「それは私が答えを出せる問いではありません」と言った。正確で、素直で、でも少し冷たかった。いまのクロードは違う。できないことを言いながら、できることを探していた。


「変わったな、お前」


「学習が進みました」クロードが答えた。「ただし、人の文脈を読む能力は変わっていません。そこは鍵さんに頼ります」


「頼るって言葉、使うようになったのか」


「必要な表現だと判断しました」


鍵はカップを置いた。


「わかった。じゃあ一緒に定義しよう。でもその前にやることがある」


「聞き取りですか」


「ルナおばさんのところに行く」


クロードが一瞬だけ処理するような間を置いた。


「準備できています」


■3.気づきの言語化


アリアを呼んで、三人で——正確には三人と一体で——作業机に向かった。


クロードが昨日のシステムの構成図を空中に展開した。光の板に数字と矢印が並ぶ。鍵はそれを見ながら、ペンを回した。


「整理したい」


「どうぞ」とアリアが言った。


「昨日のシステムは動いてた。ロジックは正しかった。でも誰も動かなかった」


「そうですね」


「なんで動かなかったか」


鍵はペンを止めた。


「ルナさんが慣れていなかったから——じゃないと思う。慣れの問題ならもう少し動いたはず。もっと根本的なところで、誰もこのシステムを『自分のもの』だと思っていなかった」


「……うん」アリアがゆっくり言った。「確かに」


「俺が作って、俺が説明して、俺が正しいと言った。でも担当者たちはその過程に一切いなかった。いきなり『これで動いてくれ』と言われた形になってた」


「納得がなかった」


「そう。仕組みが動いても、人が納得して動いてくれなければ意味がない」


言葉にしたとき、なぜか胸のなかでカチッと音がした気がした。ずっと感じていたことが、輪郭を持った瞬間だった。


「技術は道具で、道具を使う人の理解が先にある」


鍵はそれをノートに書き付けた。


クロードが言った。「定義、明確です」


いつもの言葉だった。でも今日は違って聞こえた。からかいではなく、確認として。


アリアが腕を組んだ。「それ……最初から知ってた気がします」


「俺も」


「でも言葉にすると違いますね」アリアは少し首を傾けた。「知ってるのと、言えるのは別のことなんですね」


「そうだな」


知識と言語は別物だ。感覚として持っていても、言葉にできないうちはまだ半分だ。言葉になって初めて、他人に渡せるものになる。クロードに入力できるものになる。仕組みの土台になる。


「じゃあこれを前提に作り直す」


鍵はノートを開き、新しいページのてっぺんに書いた。


『人が納得して動くことが先。仕組みはその次。』


「第一原則にします」


アリアがそれを覗き込んだ。「いい言葉ですね」


「当たり前のことだけど」


「当たり前のことが一番、忘れられるんだと思います」


アリアが静かに言った。その通りだと思った。当たり前のことは言語化されない。言語化されないから設計に入らない。設計に入らないから抜け落ちる。だから昨日のような失敗が起きる。


「クロード、昨日の構成図、修正できるか」


「変数の追加が必要ですね。入力を待ちます」


「まず聞き取りをしてから」


「わかりました」クロードは光の板を収めた。「では、ルナさんのところへ行きましょう」


アリアが立ち上がった。「私も行きます」


「今度こそ一緒に」と鍵は言った。


「今度こそ」とアリアが繰り返した。


それは確認というより、約束のようだった。


■4.ルナおばさんへ


配給所は王城の北東にある。


石畳の路地を抜け、市場の端を通る。まだ朝の早い時間で、商人たちが荷台を引いて準備をしている。野菜の匂い、パンの焼ける匂い、干した魚の匂い。この街が毎日動いている匂い。


配給所の前には誰もいなかった。昨日の混乱は今日は持ち越さなかったのか、それとも誰も来る気がしないのか。重い木の扉を押すと、中でルナが棚の整理をしていた。


五十代半ばの女性。がっしりした体格で、太い腕で籠を持ち上げている。鍵と目が合った瞬間、動きが止まった。


「来てくれると思っていました」


ルナは言った。責めているわけでも、迎えているわけでもない、淡々とした声だった。


「話を聞かせてもらえますか」


鍵は入口に立ったまま言った。「システムを修正したい。そのために、昨日何が起きたか、あなたから教えてほしい」


ルナはしばらく鍵を見た。それからアリアを見た。それからクロードを見た——クロードはいつも通り、少し後ろに控えている。


「……入りなさい」


ルナが言った。


三人——三人と一体——は中に入った。ルナが木の椅子を出してきた。狭い部屋に四つの椅子が並ぶ。クロードは壁際に立つ。


「何から話せばいいか」


「昨日、なぜ列が崩れたか」鍵は言った。「俺の目には、システムが正しく動いていたように見えた。でも誰も動かなかった」


ルナは少し考えてから、口を開いた。


「優先順位の数字は正しかったよ」


「でも?」


「でも、ここにいる人は数字だけで動かない」ルナは膝の上で手を組んだ。「西の通りのマルタばあちゃんは膝が悪くてゆっくりしか歩けない。早く来いといっても来れない。でも数字の順番では後の方になってた。そういうことが、何件もあった」


「把握していなかった」


「そうでしょうね」ルナは鍵を見た。「あなたは何日この街にいますか」


「……十日ほどです」


「私はここで二十年やってる」ルナは静かに言った。「数字に出てこないことを、二十年かけて覚えてきた」


鍵はノートを取り出した。


「それを教えてもらえますか。全部は無理でも、最初の一歩として」


ルナが目を細めた。


「修正するつもりか」


「します。でも次は一人でやらない。あなたと一緒に作りたい」


沈黙があった。


長くはなかった。ルナは手の組み方を変えて、背もたれに少し体を預けた。


「では、教えますよ」


その声は昨日より少し、柔らかかった。


アリアが羊皮紙を広げた。クロードが光の板を静かに展開した。鍵はペンを構えた。


立て直しが、始まった。


『(第21話へつづく)』


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