第1話 召喚されたけどスキルが仕事自動化でした
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■1.【コード魔法】——戦闘スキル、なし
光の板が、鍵の体を上から下へと走った。
蝋燭の煤が匂う、石造りの大広間。豪奢な椅子に座った老人、左右に整然と並ぶ甲冑の兵士たち。そのすべての視線が、宙に浮かんだ一枚の光の板に集まっていた。ローブ姿の魔法使いが、これはスキル鑑定の魔法だと告げた。
板の上に、文字が浮かぶ。
コード魔法:日本語による指示文を魔力に変換し、自動実行する
大広間が静まり返った。老人が眉をひそめる。兵士たちが顔を見合わせる。魔法使いが鑑定板を三度確認して、やっと口を開いた。
「……戦闘スキル、なし」
『そうか、戦闘系ではないんだな。』
鍵は、その一行を落ち着いて読み返した。日本語で指示を書けば、それが魔力に変換されて、勝手に実行される。剣も炎も出せない。派手さもない。——だが「書いた通りに、世界が動く」。その響きに、鍵は覚えがあった。会社で十数年、自分がやってきたことと、ほとんど同じだったからだ。
「あの、ちょっと待ってください」
声は出た。鍵は自分の格好を見下ろす。スーツのジャケット、首から下げた社員証、左手には一冊のノート、右手にはボールペン。打ち合わせにでも行くような姿のまま、どこかの城の大広間に立っていた。
現場で「予想外の事態」に直面したとき、パニックになる人間と、まず動ける人間がいる。自分は後者だと思っている。鍵は深呼吸をして、状況を整理することにした。——なぜ、35歳のIT社員である自分が、ここに立っているのか。記憶は、ほんの数十分前に遡る。
■2.俺がここに立つまで
つい先ほどまで、鍵は東京にいた。
午後10時すぎ、オフィスビル7階。無人のフロアに、打鍵音だけが響いていた。
「このデータ処理、もう少しシンプルに書けませんか」
返信は2秒で来た。コードが3行に圧縮され、実行すると製造ラインの稼働データが自動で動き出した。
「よし、できた」
業務自動化を専門とする鍵は、完成したばかりのダッシュボードを見つめた。製造ラインの稼働データが5分おきに自動集計されてグラフに変換される——地味だが確実に、誰かの毎朝1時間をゼロにするツールだ。それが鍵のやり方だった。
鍵の本業は、大手計測機器メーカーのチーフだ。エンジニアではない。図面は読めないし、コードも独学で覚えた程度。だがここ数年、会社で「業務効率化」と名のつくことは全部引き受けてきた。ExcelのマクロにはじまりPythonの自動化スクリプト、最近はAIのアシスタントも業務に組み込んだ。製造現場の感覚でいえば、どんな機械も「段取り八分」——段取りさえ正しければ、あとは勝手に回る。仕事も同じだと思っている。
コードの量よりも、「何を自動化するか」の設計に時間をかける。誰かの朝の1時間が返ってくる——それだけで充分だった。
「まあ、今日もいい仕事だったな」
そう言った瞬間だった。
視界が白く飛んだ。
体が浮く感覚。オフィスの床が消える。コーヒーカップが、ノートが、ディスプレイが——ぜんぶ遠くなった。頭の中で何かが切れたような音がして、それきり東京は消えた。
気がつくと、石造りの大広間に立っていた。天井は高く、窓から差し込む光は不自然なほど青い。正面には豪奢な椅子に座った老人がいて、脇に立つローブ姿の人物が、羊皮紙を手に厳かに告げた。
「勇者よ、よくぞ来られた。我らの世界を魔王の脅威から救ってほしい」
『……は?』
「あの、ちょっと待ってください」
鍵は深呼吸して、まず状況を整理することにした。パニックは情報を失う。落ち着いて、見えているものを確認する。
『召喚系の異世界転移。実在するとは思っていなかった。でも情報が少なすぎる。まずスキル確認から始めよう。』
そうして魔法使いが展開したのが、あの光の板だった。——そして鑑定は終わり、告げられたのだ。「戦闘スキル、なし」と。
■3.初めての魔法
「このスキル、試させてもらっていいですか」
鍵がそう申し出ると、魔法使いが案内したのは、王城の中庭だった。
端に薪が積まれ、石造りの暖炉がある。どうやらここで「コード魔法」とやらを試させるつもりらしい。魔法使いが「まあ何も起きないでしょうが」と小声で言うのが聞こえた。老王と宰相も遠巻きに様子を見ている。鍵はその視線を気にする前に、すでにノートを開いていた。
鍵はボールペンを走らせた。
「薪を10本まとめて、暖炉に運ぶ。」
それだけ書いた。
一瞬、何も起きなかった。
それから——光が生まれた。
青白い光が鍵のノートから滲み出て、形をつくりはじめた。ゆっくりと輪郭が固まり、中性的な人型が実体を持つ。身長は1メートル半ほど。髪は光そのもので、表情はおだやかで、少し眠そうにも見える。衣のような淡い光の膜が体を包んでいた。中庭の石畳に、うっすらと影が落ちた。本物の重さがあった。
「……指示を確認しました」
声は静かで、聞きとりやすかった。
「薪を10本、暖炉へ。実行してよろしいですか」
「あ、はい」
「了解です」
それは動いた。薪の山まで歩き、1本1本を丁寧に数えながら暖炉に運ぶ。その動作は無駄がなく、迷いもなかった。10本目を暖炉に置いたあと、クロードの手がわずかに——まだ積まれている薪の山へ伸びかけた。ほんの一瞬、指先が束の端にかかった。それから何事もなかったように手を引いた。
鍵はその動きを目で追った。気のせいかもしれない。でも確かに見た。
10本ぴったり。過不足なし。終わると鍵のそばに戻り、軽く頭を下げた。
「完了しました」
大広間よりも、この静けさのほうが怖かった。
魔法使いが硬直していた。兵士のひとりが手に持っていた槍を落とし、石畳に甲高い音が響いた。老王がゆっくりと立ち上がり、食い入るように人型の精霊を見た。
「……精霊召喚か。それも、日本語の文字で」
「私はクロードと申します」精霊が言った。「このコード魔法の実行を担う存在です。なお——」クロードは鍵に視線を向けた。「先ほどの指示、暖炉への『配置』についての定義が曖昧でしたが、文脈から判断しました。次回はもう少し具体的に書いていただけると助かります」
鍵は少し笑った。先ほどの動きが、頭の隅に残っていた。
「そういうやつか。了解」
鍵はノートに「クロード——実行は正確。ただし指示の解釈に自律的な判断が入る可能性あり」と書き添えた。
■4.魔王より先に課題整理
「つまり」王城の応接間で、鍵は状況を噛み砕いた。「私に魔王を倒してほしいと」
「そのとおりです、勇者殿」
老王のとなりで宰相が姿勢を正した。
「魔王軍はすでに東の要塞を落とし、この王都まで100リーグと迫っています。前の三人の勇者は……残念ながら、いずれも魔王との直接対決で」
「戦闘スキルがないとなると、私が戦っても意味がないですよね」
沈黙。
「勇者としての資格が担保されているのか怪しいですが」宰相が慎重に言う。「しかしそのスキルの潜在力は未知数——」
「一つ聞いていいですか」
鍵はノートを取り出し、ボールペンを構えた。
「今この王国が抱えている課題って、魔王以外に何がありますか」
応接間が静まり返った。
「あの、魔王が最大の——」
「わかってます。でも魔王を倒すにしても、その後の統治や物資調達、情報管理が整っていないと意味がない。そもそもなぜ東の要塞が落ちたのか、原因分析してますか? 前の勇者が失敗した理由は? ログを見ましたか」
宰相が硬直した。老王が口元を手で覆った。
「ログ……ですと?」
「記録です。何が起きたか、いつ、どこで。それがないと再発防止できない。問題は必ず繰り返しますよ」
ノートに箇条書きが連なっていく。課題リスト。原因仮説。優先度。「食糧備蓄の実数が不明」「各地の兵力配置に記録なし」「前勇者の失敗理由が口伝のみ」「物資輸送の所要日数が把握されていない」——見えてくるほど、やるべきことが増える。鍵にとってこれは普段の業務と変わらない。現状把握から始める——それだけのことだ。宰相が口を挟もうとするたびに、鍵は「もう少し待ってください」と続けた。
ページが3枚埋まるころには、応接間の全員が口を閉じていた。老王は途中から眼鏡をかけなおして、鍵の手元を覗き込んでいた。宰相は何かを言いたそうだったが、鍵の書く速さについていけずに黙っていた。
「とりあえず」鍵はペンを止めた。「一週間、王国の現状調査をさせてください。魔王討伐の前に、ここの業務フローを見直したい」
「業務……フロー」
宰相がその言葉を繰り返した。意味が分からないというより、なぜそこから始まるのか分からない顔だった。
鍵はその反応に見覚えがあった。現場に新しいやり方を提案したとき、いつもこんな顔をされる。
『でもだいたい、あとで正しかったとわかる。』
■5.アリアとの出会い
その夜、鍵は王城の中庭で一人作業をしていた。
ランタンの光のもと、ノートに王国の課題を書き出す。「食糧備蓄の可視化」「兵の配置情報の一元管理」「魔法使いのスキルデータベース化」「物流ルートの記録整備」——書けば書くほど、やることが増える。問題が見えれば見えるほど、手を打つべき場所が増えていく。鍵はそれを苦だと思ったことがない。むしろ見えていなかったものが見えてくる感覚が好きだった。
「ねえ、ちょっといいですか」
声がした。
顔を上げると、城の通用口のそばに若い女性が立っていた。商人風の装いで、手に羊皮紙の束を抱えている。年は20代前半か。目が利発そうで、警戒と好奇心が半々に混ざった顔をしていた。
「昼間の件、見てました」
「……精霊のやつですか」
「コード魔法で薪を自動で運んだやつ」彼女は一歩踏み出した。「あれ、薪以外でもできますよね。指示を書けば何でも」
「できると思います。まだ試してないですけど」
彼女はしばらく鍵を観察するように見た。品定めをしているというより、算段を立てているように見えた。それから、まっすぐな目で言った。
「それ、お金になりませんか」
鍵はペンを止めた。
この発想は予想していなかった。いや——正確には、頭の片隅にあった。ただ、まだ整理できていなかっただけで。
「あなたは?」
「アリアです。父が王城に食材を納めている商家の娘で、今日は納品の帳簿を持ってきたところ。帰り際に昼間の騒ぎを聞きまして」
「商売人か」
「はい。で、どうですか」
鍵は少し考えた。
「やれると思います。まだ実績はないですけど、考え方は間違っていないはず」
「なら組みましょう。私は顧客を見つけます。あなたはその仕事を自動化する。どうですか」
それは整然としたビジネス提案だった。前置きもなく、条件もシンプルで、返答を急かしていない。要点だけを並べて、答えを待てる人間だった。
『こういう即断できる人間は貴重だ。』
「わかりました。ただ、まず私の調査に付き合ってほしい。この王国に何が必要か、整理してから動きたい」
「どのくらいかかりますか」
「一週間」
アリアは少し考えて、頷いた。
「いいでしょう。一週間待ちます。その間、こっちで顧客候補をリストアップしておきます」
「助かります」
鍵はアリアが去るのを見送り、ノートを開いた。パートナー候補の名前の横に短く記した。——行動が早い。数字で考えられる。信頼できる可能性が高い。帳簿を持ち歩いているということは、実務も知っている。見た目の若さで判断するのは早計だ。だいたい、すぐに動ける人間は年齢に関係ない。
■6.AIカンパニー、始動
夜が深まった。中庭には鍵とクロードだけが残った。
ランタンの炎が揺れる。遠くで夜警の声がする。石畳の冷たさが足裏から伝わってくる。さっきまで人がいた城の回廊も、今は静かだった。鍵はノートの最後のページを開き、一番上にこう書いた。
AIカンパニー設立計画
「この計画、実行しますか」
クロードの声がした。いつのまにかそばに立って、ノートを覗き込んでいた。
「まだ走り書きだぞ」
「わかっています。ただ、定義が曖昧なまま放置されると実行できませんので」
鍵は少し笑った。
「そうだな」
ペンを持ち直し、ページの下に付け加えた。
『目標:異世界の課題を技術と自動化で解決する企業をつくる。』
『メンバー:鍵(代表)、クロード(実行担当)、アリア(営業・広報)。』
『フェーズ1:一週間で王国の課題マップを完成させる。』
「これでどうだ」
クロードが一瞬だけ沈黙した。
「……充分です。定義、明確です」
「じゃあ」
鍵は背筋を伸ばし、夜空を見上げた。星が多すぎて、地球とは思えない夜だった。東京では見えなかった種類の星が、頭上を埋め尽くしている。それでも鍵は不思議なほど落ち着いていた。やることが決まれば、あとは動くだけだ。召喚された理由も、スキルの限界も、魔王のことも——全部、調査してから考えればいい。段取り八分。それは異世界でも変わらない。
「やってみるか」
クロードは静かに頷いた。
異世界AIカンパニー——創業0日目の夜は、こうして静かに始まった。隣では、青白い光の精霊が静止したまま、次の指示を待っていた。
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