6-16.トリックエンジェル大活躍 (急性骨髄性白血病・ハプロ移植編)
この物語にでてくる薬名、治療法、一部の病名、一部の物理法則はフィクションです。
松井 :「本当にこのまま退院させていいのだろうか」
今更ながら、自問自答する。
本当に他に選択肢はないのか。医師というのは孤独だ。いくら草薙先生に話をしてもやはり専門外。私が責任を持って判断しないといけない。
ふと、ある人を思い出した。駆け出しの医師だったころ、厳しく指導してくれた先輩だった。その先輩も血液腫瘍が専門だった。残念ながら事故で亡くなりその先輩はもういない。
松井 :「番井先生だったら、どうするだろうか? 私と同じ判断をしただろうか?」
おもわずつぶやく。
番井 :「この状況なら、私も同じ判断するわ。でも、この状況に持っていくこと自体が手遅れ。反省すべきだわ。」
その声に飛び上り後ろを振り向く。
松井 :「うわ~~~~。出た~~~~。」
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番井 :「みんな集まったようなので説明するわね。」
松井 :「番井先生お願いします。もう私は何がなんだかわからなくて気が狂いそうです。」
舞 :「わたしもです。再発したら絶対治らないAMLのM8をどうやって治すんですか?」
番井 :「生物学的フィードバックを使うのよ。安定的な混合キメラに持ってくの。」
舞 :「???」
番井 :「順を追って説明するわ。ちょっと長くなるが我慢してね。」
みな、うなずく。
番井 :「さて、これ以上化学的な治療法では完治が難しくなったこの状況において、適切な治療手段ってなんだと思う?舞ちゃん。」
舞 :「まず、骨髄移植が考えられます。特に自家移植。ポッチと遺伝子の方が一緒だからポッチから骨髄移植すれば治る。」
番井 :「そう、自家移植ね。ポッチがいるから骨髄の型は完全一致だわね。そのため、GVHDの危険性がない。これは大きなメリットよね。でも、致命的な問題があるのよ。ポッチ自身がAMLのM8だからね。今も完治していない。これだと、骨髄移植しても再発するわ。」
松井 :「ポッチも白血病? あんなに元気じゃないですか。」
番井 :「ああ、それは後で説明するわ。自家移植がダメだとして次の手段は何がある?」
舞 :「同種骨髄移植。骨髄バンクから骨髄液をもらって移植する。」
番井 :「そう、骨髄破壊移植。でも、リスクも大変大きい。前処置も骨髄抑制期も半端じゃない。晩期障害の可能性もかなりの確率で発生する。だとしたら他の手段は?」
舞 :「ハブロ移植。先生に教えてもらった。」
番井 :「うん、非骨髄破壊。その方法なら致死量を越える薬物や放射線を投与しないから、そのせいで死んだり、子供ができなかったりしない。この治療法は、GVHDと同時に発生するGVLつまり、移植した骨髄の免疫効果で白血病細胞を破壊する方法ね。」
舞 :「でも、今度はGVHDとの戦いになる。GVHDをなくしたら、GVLがなくなり白血病が再発する。M8のように再発リスクが高いものは一生免疫抑制剤のお世話になる。そして、骨髄バンクの場合、実はうまくいかなくて、混合キメラ状態になったら、再移植が必要だけど、必ずしもドナーが再び提供してくれるとは限らない。」
番井 :「そのとおり。そこで、完全一致でないが、ある程度一致する美鈴ちゃんのお母さんの骨髄で移植しようとしている。これをHLAが不一致という意味でハプロ移植というの。」
松井 :「でも、ハプロ移植は危険を伴います。」
番井 :「そう。リスクが大きい。正直成功率は30%をきるでしょう。」
松井 :「はい。」
重苦しい雰囲気が流れる。
番井 :「でもね、私はもっと別な安全で確実な治療方法を提案するわ。擬似的にGVLを起こして悪性細胞を破壊する方法があるわ。」
舞 :「そんなことできるの?!」
番井 :「うん、そのことを3年前から研究し、ほぼ治療法を確立したわ。それで、三条博士と詩音ちゃんに対世界に移動する方法を考え出してもらって、今ここにきている。」
舞 :「え? じゃあ 詩音がこっちに来た理由って?」
番井 :「ええ、美鈴ちゃんを治すというのが一つの大きな理由よ。それで、詩音ちゃんが3年前くらいから考えて計画して実行しているのがこの作戦だもの。」
くるみ:「作戦名『TA』なの。トリックエンジェルの略なの。」
舞 :「(私がまだ入院している頃から計画されてたってこと?)」
舞は鳥肌がたってきた。
番井 :「さて、どうやってGVLを起こすかがポイント。さて、どうやって起こすと思う?」
松井 :「そんな簡単に都合よくGVLなどおきないでしょう。」
番井 :「そうよね、でもGVHDが擬似的に起きちゃうって聞いたことない? 舞ちゃん。」
舞 :「??」
番井 :「その病気になると熱が続き、呼吸器系がやられて咳が出る病気よ。」
どこかで聞いたことがある。擬似的にGVHDが起きてしまう。
舞がハッと顔をあげる。
舞 :「私がかかった、ラインベルク症候群!」
番井 :「ピンポーン。」
舞 :「ラインベルク症候群は擬似的にGVHDが起きる病気。同時に対となるGVLも発生するのね!」
番井 :「そそ。自己免疫疾患のラインベルク症候群で疑似的にGVHDとGVLを発生させるの。問題は、どうやってラインベルク症候群を起こさせるなんだけど。舞ちゃんはなんで自分がラインベルク症候群になったかわかる?」
舞 :「えっと、ママの遺伝?」
番井 :「惜しいわね。ちょっと違うの。和恵さんの『血』よ。」
舞 :「血?」
番井 :「私もいろいろ調べたわ。そのとき思い当たったのが和恵さんの『血』。和恵さんの血にも変なのが混ざっている。特殊なサイトカインがあるというか。小さい頃良くそれで身体を壊したらしいしね。そこで、和恵さんに数年前から来てもらって、その血を提供してもらい調べていたのよ。」
番井 :「そしたらビンゴ。和恵さんの血が自己免疫疾患を起こす原因なのね。実は和恵さんの血は、そのまま輸血したりすると自己免疫疾患を起こすラインベルク症候群を引き起こすの。そのため、舞ちゃんや詩音ちゃんはおなかの中にいるときに和恵さんの血が混じり、ラインベルクになってしまった。」
和恵 :「舞ちゃん、ごめんなさいです。」
舞 :「別に和恵ママのせいじゃない。」
番井 :「ところが、実際は悪いことばかりでなく、血液中の悪性細胞を壊すという性質があるの。つまり、和恵さんの血を輸血するとAMLは治療できるの。」
松井 :「うそだろ。」
番井 :「うそじゃないわよ。失礼ね。現にポッチは幼稚園のとき、和恵さんから輸血を受けてる。そのとき実はAMLを発症してたわ。血液の99%が白血病血球だった。手遅れだった。でも、何もしないで治ったわ。さらには、ポッチは時々再発するんだけど、和恵さんの血で活性化した白血球が萌芽を食べちゃうから自然治癒されるの。まるで免疫みたいにね。」
舞 :「どういうこと? ちょっと輸血したところでそんな簡単に治らないんじゃない?」
番井 :「ちゃんというと和恵さん自身の血だけだと治らない。だけど、さっき言ったように彼女の血には特殊なサイトカインが混ざっている。これが脳に働きかけて、脳は別のサイトカインを出すわ。これを受け取った本来の白血球が白血病細胞に自殺指示を出すの。そうすると一晩で白血病は大半が消えてしまうわ。」
草薙 :「かあ~、アポトーシス(細胞の自殺)を引き起こすサイトカインを出させるのか! でも、大半ってことは少し残ってて再発するのでは。」
番井 :「ええ、再発するわ。でも、大丈夫。白血病のもととなる悪い細胞が消えると、再び美鈴ちゃん自身の白血球が元気になる。その時、和恵さんの血は異物と認識され徐々に消えていくわ。」
番井 :「だけどここで和恵さんの血は『母親の免疫寛容』みたいなことを使って骨髄の中に造血細胞として生き残るの。10万分の1くらいね。」
松井 :「!」
番井 :「再び、白血病の悪い細胞が増えてきたとき、美鈴ちゃん本来の白血球が抑えられる。そうすると、美鈴ちゃんの白血球に抑えられていた和恵さんの血が再び復活する。そうして、和恵さんの血は一斉に白血病の悪い細胞を退治してしまう。これを繰り返す。」
草薙 :「フィードバックされるんだ!」
番井 :「うん、だからこの美鈴ちゃんの血と和恵さんの血の混合キメラ状態に持っていけば何もしないで自然と治るわ。」
舞 :「だから、ポッチは再発しても平気なんだ。」
番井 :「そそ。さらにポッチの血は和恵さんの血の抗体を持ってるから、和恵さんの血によるGVHDの暴走を抑えられる。ま、ラインベルクを発症しないのね。だから、ポッチの血も輸血するの。」
みな、呆然としている。
番井 :「何か質問あります?」
舞 :「万が一、和恵ママの血でも抑えられなかったときわ?」
番井 :「そのときはもう一回やればいいわ。なんどでもできるもの。もっとも白血病より和恵さんの血の方がはるかに強いから抑えられないことはないわ。」
松井 :「リスクはないんですか?」
番井 :「どんなリスクがあるって言うのよ。」
舞 :「骨髄抑制期に緑膿菌とかによる感染によるリスクは?」
番井 :「抗がん剤投与しないから大丈夫よ。ついでに免疫抑制剤も使わないわ。せいぜいステロカイド使うくらい。それも、普通はいらないわ。前処置療法もないし、骨髄抑制期もない。安全だわ。」
松井 :「急性GVHDの可能性は?」
番井 :「ないわ。移植する末梢血幹細胞は自家移植だから起きないし、和恵さんの血では美鈴ちゃんは急性GVHDおこさないわ。あくまで擬似的な免疫不全症候群を起こすだけ。」
舞 :「万一、ポッチの抗体が定着しないで、逆に和恵ママの血が暴走して免疫不全症候群を起こしたら?」
番井 :「そんなことになっても、そんなの一晩で治るわよ。」
舞 :「え?」
番井 :「それって、ラインベルク症候群が急速に進むってことでしょ。キロニーネ一錠で治ることは舞ちゃんがよく知ってるじゃない。」
舞 :「!」
番井 :「他には?」
松井 :「エビデンスはあるんですか?」
番井 :「実証例? ポッチがいるじゃない。遺伝子とか体質とかは同じよ。」
番井 :「他には?」
松井 :「ポッチのドナー側のリスクと親御さんの承認は?」
番井 :「承認ならとっくにもらってるわよ。それに、今回は骨髄移植でなく末梢血幹細胞移植よ。ただ腕から採血するだけ。ポッチの負担は少ないわ。遺伝子的には二人は同じだから末梢血幹細胞移植のほうが定着率は高いわ。他には?」
草薙 :「理事長の承認は取ったのか? ハプロ移植でも反対だったのにこんな方法は認めないだろう。」
番井 :「父の承認ならもらった。」
そういって番井先生は同意書を見せる。
番井 :「なに、先日、夕ご飯作ってあげたら、涙流して同意書を書いてくれた。」
草薙 :「なんだかんだ言って、結局、娘には甘いのか。」
番井 :「他に質問は?」
この準備万端の手際のよさ。まるで詩音のいたずら...そっか詩音の企画なんだ。舞はそう思った。
番井 :「ないようね。さて、舞ちゃん。これで、治ると思う?」
舞 :「うん。治らない理由がない。」
番井 :「リスクは思いついた?」
舞 :「思いつかない。」
番井 :「じゃあ、治ったも同然ね。すごいでしょ。」
舞 :「うん、でもなんで、黙ってたの?」
くるみ:「それはあまりに影響度が大きいからなの。これはプロジェクトの責任者の私の判断なの。舞ちゃんに黙っててごめんなさい。」
番井 :「第一、私以外の人が説明して信じてくれる?」
みなプルプルと首を振る。
番井 :「でしょう。だったら知ってる人はほんの一握りのほうがいいわ。とくにこっちの人は直前まで知るべきではないわ。」
番井 :「さて、治療を始めますか。今から、ふたりの輸血を実施します。」
松井 :「いくらなんでも急だろ。前処置治療も何もしてない」
番井 :「松井先生、やっぱりあなたお馬鹿? 前処置治療いらないってさっき言ったじゃない。」
松井 :「う。」
三条 :「それに、私たち、最大で連続48時間しかこちらにいられません。これだけ大勢の人間が来てるので対世界のバランスが崩れてしまうかもしれません。48時間過ぎると1時間ごとに0.5%の確率で体に不調が出るはずです。」
草薙 :「なるほど、それで急いでるんだな。」
番井 :「うむ。」
番井先生が舞の方を向いた。
番井 :「舞ちゃん、頑張ったわね。安心して、もう大丈夫。あなたが3年間一生懸命頑張ったのみんな知ってる。だから、こうやってみんなが美鈴ちゃんのために助けに来たの。だから、もうあなたは治った美鈴ちゃんとどう遊ぶか考えればいいわ。後は安心して私たちに任せなさい。」
舞 :「先生。あり、ありがとう。先生が神様に見えてきた。」
舞が張り詰めていた心がゆるみ再び泣き出した。和恵ママが近寄って抱きしめる。
番井 :「お礼なら詩音ちゃんとポッチに言ってあげて。彼女たちが考えて準備してくれたんだから。」
舞 :「うん。」
番井 :「さて、すでにこっちの美鈴ちゃんのお母さんの了解はもらってる。ちゃっちゃと終わらせて、今夜は積もる話でもしようじゃない。春彦。」
草薙 :「美雪、かっこよすぎだ。」
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詩音 :「私たちがここにきた理由は美鈴ちゃんを助けるためです。この計画は3年前から綿密に立てられてました。これが TA作戦です。」
ポッチ:「トリックエンジェルの略称ね。」
詩音 :「少し、説明させてね。私たちは美鈴ちゃんがこっちに存在することを幼稚園の頃から予想していました。しかも、白血病であることも予想していました。そこで、私とポッチが中心になって美鈴ちゃんを助ける作戦を考えていました。」
ポッチ:「私も実は白血病だったんです。だけど、偶然、すぐ治ったんです。その理由を突き詰めていくと、本当に偶然でしかなく、その偶然は和恵ママのいないこちら側ではありえない話だったんです。」
詩音 :「それに気づいた私たちは悩みました。特にポッチは悩んでたんです。私だけ治っていいのだろうか? 向こうの美鈴ちゃんは苦しんでないだろうか。」
ポッチ:「それで、お医者さんと相談して美鈴ちゃんを治す方法をみんなで考えていたんです。」
詩音 :「そして、やっと、安全に治療する方法が見つかって、今まで治療の準備をしてたんです。」
美鈴 :「本当に治るの?」
ポッチ:「うん、治るよ。」
詩音 :「ここにポッチという証拠があるし、そのために3年も準備したんだもん。」
美鈴 :「舞ちゃんみたい。」
詩音 :「私たちは舞ちゃん見たいに自分で治す方法は見つけられないわ。」
ポッチ:「でも、治せる人を探すことができるの。」
詩音 :「ここからは松井先生に話をしてもらいましょ。松井せんせ~い。」
松井先生が入ってくる。
美鈴 :「先生、本当に治るの? うそじゃないよね。」
松井 :「100%とは言わない。しかし、今回の治療は確かに可能性が非常に高い。まるで美鈴ちゃんのために考えられた方法だ。」
松井 :「この計画を知らされたとき、その壮大さに私も正直驚いた。巻き込んでいる人数、かけた時間、想像を絶するものだった。小学生がここまで考えるのかと。美鈴ちゃん、いい友達を持ったね。」
美鈴 :「えへへ。天使みたいな友達。でも、ポッチが私だなんて気づかなかった。」
詩音 :「めがねかけて、髪の毛伸ばしてるからね。気が付かないよ。それに苗字が違う。ポッチのママは再婚したからね。」
美鈴 :「でも、言われてみればそのとおりよね。舞ちゃんにポッチにあたる人がいない。詩音ちゃんに私にあたる人がいない。なぜならば私とポッチが同じだから。そう考えるのが自然よね。」
詩音 :「でも、あまりに違うから人は先入観で気づかない。ポッチはこっちの世界では結構演技してるから、同じ人とは気づかない。声や歩き方まで気をつけてるから。」
ポッチ:「この前、美鈴ちゃんのお母さんに『みすず~』って声かけられたときは、びっくりした。あれでばれちゃったのよね。さすがおかあさんよね。」
美鈴 :「だから、お母さんは喜んでたんだ。知ってたんだね。でも、なんで、そこまでして隠しているの? 別に私の親戚とかでも通じると思う。実際、詩音ちゃんと舞ちゃんはそっくりな格好で歩いてるし。」
ポッチ:「トリックエンジェルには実は結末があるの。こっちのたかしちゃんはみんなには話していないようなんだけどね。トリックエンジェルの二人は自分たちの世界にもどれたの。それは、神様とのお約束で、女の子を助けたことを絶対秘密にすること。女の子も助けられたことを絶対秘密にすること。この約束を守ることで、二人は再び魔法を使えるようになって自分たちの世界に帰れるようになったの。だから秘密にしてたの。美鈴ちゃんも約束守れる?」
美鈴 :「もちろん守る!」
詩音 :「さて、松井先生。お約束をしてましたよね。奇跡が起きたら私たちのいうことを聞くって。」
松井 :「ああ、確かに約束した。」
詩音 :「じゃあ、その約束を守ってね。」
ポッチ:「実は・・・・」
ポッチが松井先生に耳打ちする。話を聞いて松井先生は青くなった。
松井 :「いくらなんでも、それはまずいだろ! それは協力できない。」
ポッチ:「あら、大人のくせに約束破るんですか? なら、契約不履行で番井先生連れて帰りますけど。」
詩音が松井先生を勝ち誇ったように見る。
松井 :「くう~。わかった。わかったよ。くっそ~。お前たち天使なんかじゃない!悪魔だ!」
つづく