6-5.TAG療法 (急性骨髄性白血病・ハプロ移植編)
この物語にでてくる薬名、治療法、一部の病名、一部の物理法則はフィクションです。
番井 :「山田先生、どうですか? 丸山美鈴ちゃんの容体は?」
番井先生は昨日病院に運び込まれた丸山美鈴の容体を心配そうに尋ねる。
山田 :「小康状態を保っています。ですが。」
番井 :「何かあったのですか?」
山田 :「彼女を見てください。」
個室の病室の丸山美鈴のところに山田は番井先生を案内する。
母親の丸山妙子が気付き、あいさつをする。
山田 :「お母さん、診察をしますので席をはずしていただけますか?」
妙子はだまって席を立つ。
山田 :「番井先生。見てください。首の周りの発疹を。」
丸山美鈴の首の周りには昨日までなかった赤い発疹が一面に広がる。」
番井 :「ちょ、ちょっとこれって。」
山田 :「申し訳ありません。気づきませんでした。」
番井 :「いえ、山田先生のせいとは言えないわ。あの緊急時ですから。でも、なんてこの子は不運なんでしょう。」
山田 :「全くです。」
番井 :「命をつなぐための緊急輸血があだになるなんて。神様はどこまで試練を与えるの?」
山田 :「輸血による急性GVHDです。ただでさえ白血病の治療と手の怪我の治療という矛盾した治療に、さらにGVHDの治療までしないと行けないとは。」
番井 :「確率的にはすごく低いわね。徹底的に神に見放されてるわね。」
山田 :「手の施しようがないところに、さらにもう一つ輪をかけて難しくなりました。」
番井 :「仕方ないわね。怪我の治療よりGVHDと白血病細胞を押さえましょう。免疫抑制が先ね。ステロカイドを投入して。そして、手の怪我の炎症を抑えるため抗生物質の投与よ。」
山田 :「わかりました。」
番井 :「今日は私はここにいます。この子を看取りましょう。」
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詩音と二人でエルベの丸山美鈴ちゃんを探した次の週末。私は詩音と再び丸山美鈴ちゃんを探しに行くことになっていた。喫茶ファンダルシアで待ち合わせになっている。
舞 :「こんにちは~」
マスター:「いらっしゃい。」
舞 :「詩音、来てる?」
マスター:「ちょっと、遅れるってさっき電話あったわよ。この前勝手にサクラ持ち出したんで罰としてサクラの飼育当番させられてるみたい。」
私はちょっと罪悪感を感じながらカウンターに座った。
ふと横を見ると隣にはバンパイア先生が座っていた。週に一度、花の丘病院に応援に来ている血液専門の先生だ。
吸血先生:「こんにちは。舞ちゃん。」
舞 :「こんにちは。バンパイア先生。」
吸血先生:「今日は一人?」
舞 :「うん。ちょっと人を探しに来たの。」
吸血先生:「人? だれ?」
舞 :「友達が病気になっちゃって。それで、同じ遺伝子を持っている子を探してるんだ。」
吸血先生:「双子か何か?」
舞 :「うん。そんなところ。」
吸血先生:「ふ~ん。その子はどんな病気なの。」
舞 :「白血病。」
いつものようにサンドイッチを食べながら話をしていた先生が舞に顔を向ける。
吸血先生:「それは、穏やかでないわね。ALL? AML?」
いきなり専門用語で話を始める。
舞 :「AML。再発しちゃったの」
急性骨髄性白血病のことをAMLという。ちなみにALLは急性リンパ性白血病だ
吸血先生:「そっか。AMLなのね。それだと再発しやすいわね。」
舞 :「うん、それで、骨髄移植で治そうとしてるんだけど、そのドナーを探してるの。」
吸血先生:「確かにAMLの再発だと骨髄移植を視野に入れるのは正しいわね。でも、ドナーって、骨髄バンクじゃ駄目だったの?」
舞 :「ううん。骨髄バンクにも登録している。だけど、同じ遺伝子を持つ人なら後遺症とかないからそっちの方がいいと思って。」
吸血先生:「なるほどね。でも、舞ちゃん、一つ勘違いをしている。」
舞 :「え?」
吸血先生:「実は骨髄バンクでドナーを見つけた方が治るの。」
舞 :「どうして?」
吸血先生:「同じ遺伝子だと、遺伝とか体質でやっぱり移植しても再発する可能性があるの。」
舞 :「え? じゃあ、私が探してるのは意味ないの?」
吸血先生:「実はあまりね。特に再発したのなら同じ遺伝子を持つ自家移植では厳しいわ。つまり、白血病細胞をやっつけられない遺伝子を同じように持ってるってことだから。移植するなら、同じHALつまり、同じ骨髄の型を持つ同種移植つまり骨髄バンクでの移植を目指すべきよ。白血病をやっつけられる健康な遺伝子を持った人からの移植の方が治るわ。」
舞 :「そうだったんですか。知らなかった。」
吸血先生:「ところで、AMLにもいろいろ種類があるけどそのこは何か知ってる?」
舞 :「M8とききました。」
吸血先生:「M8! そう。そうだったのね。」
舞 :「M8だとだめなんですか?」
吸血先生:「ちょっと治りにくいかな。」
舞 :「やっぱり、そうなんですか。」
吸血先生:「その子の名前は?」
舞 :「丸山美鈴といいます。」
吸血先生が目を細める。
吸血先生:「そう、いいお名前ね。」
舞 :「先生は知ってる?」
バンパイア先生は首を振る。
吸血先生:「あのね。その子の治療なんだけど提案があるの。」
舞 :「はい。」
吸血先生:「TAG療法。」
舞 :「TAG療法?」
吸血先生:「うん。骨髄移植のような大変な前処置とか移植が終わった後のGVHDとの闘いがいらなくなるわ。体に優しい治療法。 その治療法を使えば、明日にでも退院できるわ。」
舞は詳しく話を聞くと、詩音に電話して今日の丸山美鈴探しを中止にしてもらい、急いでファンダルシアに戻った。
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松井 :「TAG療法? なんだいそりゃ」
西棟の6階で今聞いてきたことを松井先生と草薙先生に話す。
舞 :「V-TSFとラルクアビシンの両方を投与するの。これを1コース14日間。必要に応じて休薬期間をおいてさらに1コース。」
松井 :「ちょっと待って、V-TSFは抗がん剤ではないです。白血球を増やす薬なんだ。そんなの両方投与したら、せっかく抗がん剤を投与したのが無駄になります。矛盾のある治療法です。」
舞 :「そうでもないの。ラルクアビシンは白血病細胞が多くないと効果がないの。ゆっくりと増えるがん細胞には効果が薄い。それなら、V-TSFで無理やり増やしちゃえってね。」
松井 :「!」
草薙 :「でた~。舞ちゃんらしい常識破り療法。アーキテクト以来の発想の逆転療法だ。」
松井 :「それで、効果のほどは?」
舞 :「多分。寛解に持ち込めるって。」
松井 :「おお~。」
舞 :「抗がん剤の大量投入するわけでないから、髪の毛が抜けたりすることもないだろうって。治療中は基本的に通院も可能。めんどくさければ入院して治してもいい。」
松井 :「画期的だな。早速調べてみましょう。よければすぐにでもそれで治療を開始したいですね。」
草薙 :「だめだ。」
舞 :「え? どうして?」
草薙 :「その治療法には致命的な欠陥がある。」
松井 :「どんな問題があるんですか?」
草薙 :「再発するんだその治療法は。」
松井 :「え?」
草薙 :「必ず再発するんだ。1~2年で。完全寛解までは持っていけない。病気との共存を前提とした治療法だ。」
松井 :「え? それじゃダメじゃん。」
舞 :「じゃ、どうして、バンパイア先生はそんな治療法勧めたの?」
松井 :「M8は骨髄移植しても再発する可能性が高い。だったら、再発をすることを前提に治療を組むということですか。」
舞 :「でも、いいんじゃない? もう一回、再発してから骨髄移植しても遅くないんじゃない?」
松井 :「それはできません。大きな見落としがあります。」
舞 :「え? だめなの?」
松井 :「うん、化学療法だからいつか効かなくなる可能性があります。つまり、次回は化学療法で寛解に持っていけない可能性があるんです。」
舞 :「万が一、化学療法が効かなくなっても、骨髄移植すれば治るんじゃ? 」
松井 :「いえ、骨髄移植は白血病細胞を一度全滅させる必要があるんです。血液を作る骨髄を全滅させるんです。悪い骨髄もいい骨髄も。そのうえで他の人の健康な骨髄を移植するんです。」
舞 :「じゃあ、化学療法で完全寛解に持っていかないと骨髄移植できないってこと?」
松井 :「ええ、そうです。もし、たった耳かき一杯分の悪い白血球をつくる骨髄が残っていたりしたら、せっかく骨髄移植してもまた再発します。」
舞 :「それじゃあ、TAG療法で抑えられないともう寛解に持っていけず骨髄移植できないから治療法がないってこと?」
松井 :「そういうことになります。」
舞 :「じゃあ、どうして、バンパイア先生はTAG療法を提案したの。それじゃ、いつか治らなくなるじゃない。」
松井 :「M8だからでしょうね。」
舞 :「M8だとどうしてだめなの?」
松井 :「ほかのM7までと比べて骨髄移植しても再発の可能性があるからですね。だから、白血病と共存する道を勧めたんだ。でも、共存の場合、普通の生活には戻れない可能性があります。学校とか厳しいかもしれない。」
舞 :「そんなあ。治っても一緒に学校行けないなんて嫌。」
松井 :「なので、ここは、今までどおり同種骨髄移植を治療方針としたいです。美鈴ちゃんを根治させて学校に行けるようになる可能性を追求したいんです。それでも、どうしてもだめな時にTAG療法を考えましょう。」
舞と草薙先生はうなずいた。
松井 :「それにひとついい話があります。美鈴ちゃんのドナーが見つかりました。7人もいます。これで前に進むことができます。」
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急にキャンセルした舞が心配で追いかけてきた詩音と、美鈴と一緒にいたポッチを前に舞が今日のやり取りを説明をする。
舞 :「全く、バンパイア先生もひどいわね。根治できない治療方法を進めるなんて。」
ポッチ:「そんなにひどくない。バンパイア先生正しい。」
舞 :「どうして?」
ポッチ:「だって、M8が再発した時の5年・・・」
詩音 :「ポッチ!」
ポッチ:「うん。M8は再発したら治りにくいの。骨髄移植でも治らないかもしれない。」
詩音 :「ポッチ、舞ちゃんにそんなこと言わなくても…」
ポッチ:「調べれば分かること。舞ちゃんならいずれ気がつく。」
舞 :「知ってるわ。治りにくいことくらい。」
ポッチ:「だから、辛い骨髄移植なんかやめて、TAG療法の方が美鈴ちゃんのためになる。1~2年間の間に新しい治療法が出るのを待った方がいい。」
舞 :「でも、M8の症例そのものが少ないんだから、骨髄移植で治せるかもしれない。」
ポッチ:「治った例はきかないわ。」
舞 :「で、でも!」
詩音 :「はい、待った。これ以上話しても結論は出ないわ。それは先生たちが決めることで私たちが決めることじゃない。私たちにできるのは美鈴ちゃんを励ますこと。だから、舞ちゃんは向こうで美鈴ちゃんを探すのを続けないと。」
舞 :「もう、いいの。だって、彼女を探しても同じ遺伝子だと治療に効果がないって。」
詩音 :「ううん。探しに行くのはもともと治療のためじゃなくて、美鈴ちゃんを元気づけるためでしょ。美鈴ちゃんが会いたいって言ったから探すんでしょ。それに、もしかして、本当にもしかしてだけど、画期的な治療法で治ってるかもしれないじゃない。あきらめちゃだめ。」
そうだった。美鈴を探すのはほかにも理由があったんだっけ。舞は思った。
舞 :「そうよね。うん。ここであきらめちゃだめだよね。美鈴を探して、治療法も探さないと。ポッチ、引き続き美鈴のそばにいて。」
ポッチ:「わかった。」
詩音 :「さあ、早速来週から再開よ。」
舞はうなづいた。
つづく