短編職員室
この物語にでてくる薬名、治療法、一部の病名、一部の物理法則はフィクションです。
私の教師人生など確かにそんなに長いほうではない。ベテランの20何年の教師なんかと比べれば10年目なんて若造である。それでも10年の経験があり、いろんな児童を見てきた。だが、今まで見た事のない、そしてこれからも見ることはないだろう児童は彼女だけである。空前絶後、史上最凶、一言で言えば「ありえない、以上」って感じである。
そう、楠木詩音である。
彼女は学校でも有名な問題児である。問題児って言うと暴力をふるうとか授業を抜け出すとかそういう問題児ではない。ただ、想像を絶するようないたずらを仕掛けてくる。入学早々、報知器を押したとかはかわいい方である。侵入警報装置を無効にして、幼稚園のペットを持ち出す、入学式のとき校長先生のおでこに鏡を使って光を集めるとかとても小学2年生とは思えないいたずらを実行する。
おっと、今日はそんな話をするのではない。純粋に唖然としたことを話したい。
彼女が小学校2年生の3学期だったと思う。
川上先生が新任のときだった。俺も今年からこの学校に赴任したこともあり、川上先生とは新参者同士でけっこう仲がいい。川上先生は数学おたくというか、小学校の先生よりも高校で数学の先生をやったほうが良かったのではないかと思うような感じである。
その川上先生が時々先生たちに数学の問題を出す。でも、小学校の先生が大学数学レベルの問題など解けるわけがない。そこで、そこそこ興味のある私にもっぱらターゲットが絞られる。
川上 :「前山先生、今日はこの問題です。」
黒板に問題が書かれた。円周率が3.05より大きいことを証明せよ。
なんだコリャ。とっかりすらつかめないぞ。
川上 :「この問題は東大入試にでた有名な問題なんですよ。」
そんなの地方私立大の私に解けるか!
そのとき後ろで声が聞こえた。
響子 :「詩音、あんたね元気なのはいいけど、また音楽の先生困らせたんですってね。いい加減にしなさいよ。」
詩音 :「は~い」
ぜんぜん、反省してない声で返事をする。
響子 :「まったく良くこんな仕掛け次から次へと考えつくわね。」
ああ、今日は音楽室のいたるところに共鳴する仕掛けを置いたらしい。どんないい和音も不協和音にして、しかも大音量で流す仕組みらしい。きれいなピアノがバイオリンを大音量でギーギー言わせるような感じらしい。
原理は簡単でピアノの固有振動数にあわせて反響、共鳴する仕掛けを音楽室のあちこちにしかけたのだ。
詩音 :「え~、だって、ただの和音だと男の人飛ばせないみたいなんだもん。それで、実験のため不協和音を作る仕組み作ったんだけど、たまたまスイッチ切るの忘れただけだもん。」
響子 :「んも~! わざと忘れたんでしょ」
詩音 :「そんなことないよ~」
でも顔にはわざとやりましたと書いてある。
響子 :「ポッチもポッチです。仲のよい友達はいいことです。でも、友達だからこそ止めるべきでしょう。それを一緒になって協力してはいけません!」
ポッチ:「は~い」
こちらも反省の色はない。
この学校名物の悪友コンビである。数々のいたずら武勇伝はこの二人のなせる技である。本当に女の子か? 本当に小学2年生か? たちが悪いのは二人ともこの学年で1,2といわれるほど成績がいい。
川上 :「どうです。降参ですか?」
前山 :「むむむ、まてまて」
自慢げな川上先生。ここは先輩の威厳を見せねば、わからなくても考えている振りをしないと。
響子 :「いいですね、今度やったら二人のお母さん呼びますからね。」
詩音 :「はーい」
ポッチ:「は~い」
響子 :「全くもう。今日は帰ってよろしい。」
詩音 :「は~い」
ポッチ:「ありがとう、先生大好き」
ああ、このコンビは末恐ろしい。
川上 :「ま・え・や・ま・先生」
前山 :「おお~、これはだな、円を長方形と見立てて考えるんだ。」
楠木と神崎が横を通り帰っていく。
前山 :「そのとき、長方形の短編が半径、長辺を円周の半分とする。」
川上がニヤニヤしてる。このとき方は違うのか。楠木がチラッとこっちを見る。向きを変えこちらにやってくる。
詩音 :「それじゃ解けないよ」
前山 :「は?」
詩音が黒板に書き出す。円とその中に内接する正八角形を書いて中心点にO、八角形の頂点ふたつにA,Bと書いた。
詩音 :「この8等分されたピザみたいな部分に着目するの。」
詩音 :「この中心部分の角度は45° 360÷8だからね。そして、中心からAまでの長さを1と仮定するの。中心をOとするとOAの長さは1ね。そして、円だからOBの長さも1。」
詩音 :「そして、この縁の丸い部分の弧ABの長さは8等分に切った円周の長さでしょ。円周の長さは2πrつまり2π×1なので、この部分の弧ABの長さはその8分の一だから、2π×1÷8でπ/4でしょ。」
前山 :「ふむふむ」
詩音 :「ここで弧ABと直線ABに注目するの。弧ABと直線ABだとどっちが長い?」
前山 :「そりゃ、弧ABだ。丸い分だけ余計に長くなっている。」
詩音 :「そうだよね。ということは弧AB>直線ABを証明すればいいの。」
前山 :「なるほど。」
詩音 :「次に余弦定理を使ってABの長さを求めるの。」
詩音 :「余弦定理だとAB^2=OA^2+OB^2-2OA×OB×cos∠AOB。だから。」
詩音 :「cos45°は√2/2。よってABの二乗=2-√2。」
詩音 :「√2<1.415だから AB^2>2-1.415=0.585でしょ。」
詩音 :「ここでABより縁の弧ABの方が丸い分長いでしょ。だから弧AB^2>AB^2も成り立つわけ。つまり、弧AB^2>0.585。弧ABはπ/4だから弧AB^2はπ^2/16。」
詩音 :「つまりπ^2/16>0.585。移項してπ^2>0.585×16=9.36。」
詩音 :「最後に3.05^2=9.3025だから、π^2>9.36>9.3025になるの。πは0より大きいからπ>3.05が成り立つわ。あるいはπ>√9.36>3.059でもいいけどこっちだと電卓使わないとだめでしょ。」
詩音 :「以上、証明終了~。」
あぜんとする俺と川上先生。
詩音 :「中学生の問題よね。簡単、簡単。」
ポッチ:「詩音、こんなところで道草してないで帰ろう!」
詩音 :「ごめん、ごめん。じゃあね、先生。」
二人が職員室を出て行くのを見送る川上先生と俺。
前山 :「ああ、確かにルートや三角関数は中学生だ。」
川上 :「余弦定理は高校生です。」
前山 :「でもこの問題は東大入試だよな。」
川上 :「そんなの中学だとか高校だとか東大だとかどうでもいいです。彼女がまだ小学2年生なのが問題でしょう。こんな小学2年生いるんですか?」
呆然としているところに担任が寄ってきた。
響子 :「ほんとですよね。でも彼女にしてみればこの問題、微分積分も虚数も自然対数も使ってない初歩的な問題なんですよね。」
川上 :「はあ? 楠木は微積や対数も判ってるんですか?」
響子 :「この前、算数の時間、みんなが九九やってるときに、つまんなそうに一人でノートに何か書いてたんですよ。何だと思います?偏微分方程式といてたんですよ。もう、それ見たら自由にさせるしかないかなって。」
前山 :「ふう。」
思わずため息をついた。天使のように可愛いくせに、性格は悪魔。そして頭はノーベル賞級。とんでもない子を教えてるとあらためて思った。
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尚、この話は後日談がある。
川上先生がよせばいいのに「円周率が3.14より大きいことを証明せよ。」
と問題を出した。これに対して、詩音の友達3人が臨んで、一生懸命円に内接する多角形の辺の数を増やしていっていった。それぞれ6角形、8角形、12角形で臨んだ。だが、皆解けなかった。
詩音は、つまんなそうに黒板に書いた。
フーリエ級数において
π=4Σ{(-1)^m / 2m+1}
よって m>10000 において計算するとπ>3.1414に収束するので3.14より大きい。
【証明終了】
詩音 :「やっぱりフーリエって天才よね。」
そういい残してみんなを残して教室を後にした。
ポッチ:「おめでとう。川上先生」
川上 :「何がおめでとうなんだ。あっさりとかれたぞ。」
ポッチ:「だって、詩音がフーリエ使ったもん。初めての本気モードだよ。」
川上 :「もしかして、今までは土俵にすら乗ってなかったのか....」
ポッチ:「うん、頑張ってね。」
そういってポッチも職員室を出る。
おしまい
ポッチ:「浅野先生、やめるかもしれないって。」
詩音 :「どうして?」
ポッチ:「児童を指導していく自信がなくなったんですって。」
詩音 :「芸術肌の先生だからね。教えるのより自分で極めたいんだよ。」
ポッチ:「ま、しょうがないよね。」
詩音 :「それで、新しい音楽の先生誰が来るんだろう。」
ポッチ:「西野先生ってうわさ。」
詩音 :「西野先生って、くるみちゃんのご両親のお弟子さんで、つかささんの同級生の?」
ポッチ:「そそ」
詩音 :「プロジェクトがらみ?」
ポッチ:「たぶんね。今の浅野先生がプロジェクトに非協力的だからね。それで、睨まれて、いやになったんじゃないかな。」
詩音 :「なるほどね~。大人の世界はやっぱり怖いね。」
ポッチ:「うんうん。さて、気を取り直して次回のトリックエンジェルは?」
詩音 :「数学の天才です」
ポッチ:「私出てこないんだよね~。」
詩音 :「まあまあ、その分次次回は主役だから。」
ポッチ:「ということでお茶のしみに~」