第46話
「それじゃお前ら、今回はこの辺で。明日のコーチングもよろしくな!」
[乙]
[じゃあな]
[おつ]
いつもの配信を終え、咳ばらいを一つ。
今日の配信は巨大ブルーベリーに追いかけ回されるゲームで、無駄に絶叫する羽目になった。そのせいで、喉が微妙に嗄れている。
「…こんな声で大丈夫かよ」
そんな不安を抱えつつ、流れるようにアーカイブを再生する。誰の配信か?聞かれるまでもなく柑咲シトラである。遂に明日まもなく、顔合わせ配信が行われるのだ。
彼を知り己を知れば百戦危うからず。昨日の敵は、今日も変わらずアンチである。という訳で、奴の思惑を暴き円滑にコーチングを行う為にも、最近の奴の動向をチェックしているのだ。
「こんシトラ~。は~どうしようかなぁ」
配信が始まるや否や彼女は軽くため息をついた。
[どうしたの?]
[大丈夫?]
[コーチングのこと?]
コメント欄がすかさず心配の声で埋まる。
「そうなの~コーチング!もうすぐよね!緊張しちゃってさ~」
眉を八の字にして、いかにも困ったふうな顔を作ってみせる。
「話したことない人ってさ~皆も緊張したりしない?」
[わかる]
[意外]
[しとーらでも緊張するんだ]
その反応に、彼女は唇を尖らせた。
「『しとーらでも緊張するんだ』って、酷くない?そりゃシトラスの前では緊張はしないよ?でも憂生イツカさんはちょっとしか知らないから~」
[いつも通りで大丈夫!]
[あの人ちょっと口悪いから心配]
[ちゃんと向き合ってる証拠だよ!]
「皆緊張しないようにするにはどうしたらいいの~?」
[深呼吸とか?]
一つの提案に、彼女は素直に頷いてみせる。
「深呼吸?こんな感じ?ヒッ、ヒッ、フー!ヒッ、ヒッ、フー」
[ラマーズ法wwww]
[妊婦さんがやる奴wwwww]
[数を数えるのも良いらしい]
コメント欄の総ツッコミにも動じず、次の提案にまた素直に飛びつく。
「数を数えるの?3.14159265357989」
何故か円周率が飛び出してきた。
[何で円周率wwww]
[素数を数えて落ち着くんだ]
「素数?シトラ分かんなーい」
キョトンとした顔でそう返す彼女に、コメント欄が一斉に反応する。
[ネタが伝わってないww]
[そういうセリフがあるんよ]
[さぁ、素数を数えろ!]
元ネタを知らないまま置いてけぼりにされている様子が、逆にコメント欄を盛り上げていた。
「最悪皆に手つないでてもらおうかな~。なんて、えへへ~」
冗談めかしてそう言うと、彼女は照れ隠しのように笑ってみせる。
[いいねw]
[ガチ恋勢…(ガタッ]
[まーたそういうこと言うwww]
この空気感は、視聴者との距離の近さを何よりも物語っていた。
俺は思う。
面白いんだよなぁ…女友達と話してる感じがして…
いや!そうではなく!
ふと我に返り思った。
彼女は緊張などしているはずがないのだ。
そもそもあいつから指名してきたんだし。てかコラボしてる時、基本的にいつもあいつは傍若無人な本性を隠せてねーんだよ。
自然とマウスカーソルは低評価へと伸びていた。
無駄な研究を終えて通話アプリを開くと何やら招待が届いていた。
『アルカナスター ゆにば~す コーチングマッチ 参加者専用サーバー』
招待をクリックして中に入ると、既に賑やかなやり取りが交わされていた。
[暁野ひなたです!よろしくお願いします!]
[ソラトです。よろしくお願いします]
[ゆら姉やで~皆よろしゅうな~]
[GENです。皆さん楽しみましょい]
挨拶ラッシュの中に、見慣れたアイコンも混ざっている。
[つくもたんです。頑張ります!]
[我は魔王ニブルヘイム。眷属たちよ、共に高みを目指そうぞ]
心配はしていなかったが九十九のやつ、きちんと溶け込めているようだ。魔王もしっかりとおるやんけしている。
俺も一言だけ挨拶を打ち込む。
[憂生イツカです。よろしくお願いします]
短すぎる自覚はあったが、今更取り繕う気にもなれない。
[憂生イツカ、久々ね。貴方がここに居るなんて一体どういう風の吹きまわしかしら?](”アンバサダー”)
訝しげな言葉を俺に投げかけて来たのは、審ミナモである
[こっちも色々あんだよ]
[公式アンバサダーの私としては、貴方がまた問題を起こさないか心配なのだけど](”アンバサダー”)
[ミナモ杯のことを考えりゃ俺はお前の方が心配だよ]
[あら、その心配は無用ね。今宵の私は”アンバサダー”なのだから](”アンバサダー”)
喧しくアンバサダーを強調してくる彼女。ご丁寧にチャットの末尾にも”アンバサダー”の表示がぶら下がっていた。
というか何で全体チャットで謎に俺に絡んで来るんだよ。
[ミナモちゃんがアンバサダーだったなんてビックリだよ!]
[みなーも凄ーい!]
無邪気な賛辞を贈るのは、暁野ひなたと九十九だ。
[ありがとう。実はこの”アンバサダー”、モデレーターのようにあげることができるの。もう一度チャットしてみてくれないかしら。](”アンバサダー”)
得意げに語っているが彼女は何やらアンバサダーを配ろうとしているらしい。促されるまま二人はチャットを打ち込む。
[こんな感じ?](”アンバサダー”)
[凄いじゃん!](”アンバサダー”)
その横には主張の強い表示があった。
[憂生イツカ、貴方にも権限を与えてみたわ。]
そんなチャットが送られてくる。俺にもどうやらアンバサダーの称号が与えられたようだ。
一言チャットをしてみる。
[どれどれ?どんな感じになってるんだ?](”あぁんh”)
って、何だよ”あぁんh”って!!
どんなタイプミスしたらこうなるんだ!プログラムじゃねーのかよ!
思わず抗議のメッセージを重ねて送る。
[おい、なんだこれは!](”あぁんh”)
[ごめんなさい。操作を誤ってしまったみたいね(笑)](”アンバサダー”)
一言謝罪のメッセージが贈られる。だけど何だろう。(笑)がウザすぎる件について
[ちなみにこれがついたことでどんな権限があるんだ?](”あぁんh”)
[特に何もないわ](”アンバサダー”)
何もねーのかよ!心の底から要らねえ。肩書なら名乗ってりゃそれでいいんだから価値なんてあるわけがない。そしてまたチャットが流れる。
[僕たちもミナモちゃんに負けないよう大会を盛り上げていかないとね]
匂坂ソラトからのチャットである。穏やかで、それでいて自然と場を締めるような一言だった。派手さはないが、これを言われると何となく背筋が伸びる。
[せやな!皆で盛り上げていこか!]
[それとや!つくもたん先生ビックリしたで~ええネタ仕込んでくれましたねぇ]
[本当ですか!ありがとう!結構緊張してたんです───](”アンバサダー”)
すかさずGEN氏が乗っかり、またサーバーが一賑わいしようとしていた所で俺は画面を閉じる。
その時
ポコン、と軽い通知音が鳴る。
個別のチャンネルだった。
柑咲シトラ
差出人の名前を見て、思わず身構える。
『明日からよろしくお願いします、憂生イツカさん。至らないところも多いと思いますが、精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いします』
丁寧な文面だった。
…律儀だな。と思うのと同時に、すぐさまそれを否定する。別に律儀であることと今までの彼女には何の矛盾も無いにも関わらず、俺は一つの偶像を守っていたのだ。
『こちらこそ、よろしく頼む』
それだけ送って、俺は画面を閉じた。
そして翌日。
顔合わせ配信の時間はあっという間にやってきた。
通話が繋がる。
「今日はよろしくお願いします、憂生さん!」
「お、おう。よろしく頼む」
画面越しに現れた彼女は、いつもの砕けた様子とは違い、丁寧に整えられたものだった。予想外の出だしに少し遅れを取ってしまう。
「シトラもすごく緊張しちゃってて~、憂生さんは大丈夫ですか?」
「あ、ああ。大丈夫だ。というか俺達は別に初対面って訳でもないよな?ヒドゥンの大会では散々やられたような気がするんだが」
俺が気遅れていた理由はこれだ。先ほどからまるで初対面のように振る舞っているが一応面識自体はある。まさか忘れた訳ではあるまい。
「え!?覚えててくれたんですか!嬉しい~!あの時も何とか爪痕を残そうと思ってたんです!だから今日はすごく楽しみで~」
「ああ、そういうことだったのか」
短く返しながら、俺は頭を整理する。
どうやらこいつはあれがプロレスだったと言いたいらしい。まあこれ以上言っても仕方がない。
今日から10日間、公式案件として付き合うことになるコーチングの、記念すべき第一回なのだから。
「それじゃあ早速だが、まずは今の実力を見せてもらおうか。試遊版、少しは触ってきたか?」
「はい!CPU戦、ちょっとやってみました!」
「よし、じゃあ一戦見せてくれ」
彼女が選んだのは天使のようなキャラクター。頭上の輪っかや翼なんかはまさしく天使そのものであり、幼げな顔立ちを象徴するように手にはぬいぐるみを抱えていた。
「憂生さんから見てどうですか?このキャラは」
「基本的な要素は揃えてあって一芸もある、良いと思うぞ。」
「そうではなくて。ほら、髪型とか、雰囲気とか!シトラに似てませんか?」
彼女は無邪気にそう言ってみせる。
「まあ……言われてみりゃ、そうかもな」
「でしょう!可愛いですよね、このコ」
「見た目は確かに良いキャラだな」
「そうですよね~シトラみたいにかわいいですか?」
「それは知らん」
「ええ~なんでですか~」
そんな軽いやり取りをしながらCPU戦を見てみる。
彼女のプレイははっきり言ってめちゃくちゃだった。だが今回のコーチングにおいて俺は一つ決めていることがある。
それは決して否定をしないということだ。
こいつは否定にかなり敏感な部分があるのだ。だったらそれを刺激しないことが円滑にコーチングを進める近道になるだろう。
という訳で否定せず、重要な部分を詰めていく事にした。
「よし、まずはこのキャラの基本である突進技から練習していこう」
「突進技ですか?」
「攻防一体となる重要な技だ。それについては後で理解すればいい。まずは出せるようになろう。後ろに入れて溜めを作って、逆方向に素早く倒すのと同時にボタンだ」
「えっと……こう、ですかね?」
彼女のキャラはカクカクと屈伸を繰り返した後、静止する。失敗だ。
「今のは溜めが足りなかったな。もう一回」
「はい、やってみます!」
二回目も失敗。三回目でようやく発動する。
「あ、出ました!」
「おっ、いいじゃねえか」
「あ、今、感覚掴んだ気がします!」
嬉しそうな声。だが、その後もう一度試すと、また失敗した。
「あれ~?」
「まあ、感覚は掴みかけてる。何回かやってみよう」
その後も、成功と失敗を繰り返す。体感、成功率は三回に一回程度だろうか。
「大体できるようになった気がします!」
大体の基準がバグっているがそれを口にはしない。
「まあ、いい調子だ。この感覚忘れんなよ」
「はい!」
「よし、今日はこの辺にしとくか」
「ありがとうございました!なんか今日、結構できるようになった気がします!」
そう言う彼女に、俺は曖昧に頷く。
二日目。
「よし、じゃあ今日は少し座学寄りでいくぞ」
俺はあらかじめ作っておいたスライドを画面に投影する。
「資料まで作ってきてくれたんですか!?」
「まあ、真面目にやってるつもりだからな」
「真面目?あ!そうなんですね!」
少し噛み合わないといった具合に彼女は少しの戸惑いを見せる。そして話題を変えた。
「シトラの配信だと、憂生さんの前評判は良くなかったんですけど~。昨日今日とでかなり印象変わってるみたいで~」
彼女は俺の評価について言及した。向こうのコメント欄を見ると確かに肯定的な反応が多いように見える。こっちの方は慣れないことをしている俺を馬鹿にして茶化している奴ばかりなんだがそれは今に始まった事ではない。
「めたみっとの皆さんとか、つくもたん先生と知り合いな時点でそんなの当たり前ですよね~。というか憂生さんはどうやって雲の上みたいな人たちと知り合えたんですか?」
答えづらい質問が飛んできた。今の俺があるのは本当に偶然であり、特に俺が何かしたわけでは無いからである。というか知り合いってだけで人の価値がわかるはずなんて無いんだが。
「どうやってと言われてもな。たまたまだな。」
「ええ~隠すんですか~?」
「長くなるからこの話は今度だ」
はぐらかしてスライドを進める。
「今作の目玉システムの一つ、アルカナについて説明するぞ。」
基本的な理論を書き連ねたスライドをめくっていく。
「なるほどですねー」
真剣な顔で頷きながら聞いているように思える。
「このキャラのアルカナは〈光〉のアルカナだ。ジャンプが強化されて立ち回りやすくなる。昨日教えた突進技を織り交ぜたりしながら攻めにも守りも使えるな。」
「はい、分かりました!」
「本当か?」
「大丈夫です!」
「じゃあ、実際にトレーニングモードで試してみるか」
「はい!」
だが、いざ実践してみると――
「あれ、これどうやって発動させるんでしたっけ?」
「さっき説明したろ。専用ゲージが溜まったタイミングでこのボタンだ」
「あ、そうでした!」
説明した通りに動かしてはみるものの、使いどころが全く分かっていない様子だった。
「まあ、使うタイミングは慣れが必要だからな。例えば技の硬直で動けないって時にキャンセルで使えたりするといいんだが、まずは硬直を感じるところからがいいかもな」
「練習あるのみです!」
明るくそう返す彼女に、俺は曖昧に頷いた。
「まあ、今日はここまでにしとくか」
「今日も色々教えてくださってありがとうございました!なんだかどんどん分かってきた気がします!」
明るくそう言う彼女に、俺は「良い感じだ」とだけ返す。
三日目、四日目と、日々は同じ律動で過ぎていった。
指示を出せば、彼女は素直に頷く。技が決まれば、無邪気に喜ぶ。失敗すれば、悄然としながらも、すぐにまた挑む。そうした一連の所作は、まるで舞台の上で繰り返し演じられる、よくできた一幕のようだった。
もっと厄介な言い訳が飛んでくると思っていた。「操作性が悪い」だとか、「昨日の説明が分かりにくかった」だとか、そういう類の。都合の悪い現実から目を逸らすための、あの狡猾な理屈を、俺はずっと待ち構えていた。
だが、それすら出てこない。
「あれ~?」「難しいですね」――出てくるのは、その程度の、当たり障りのない反応ばかりだった。
言い訳すらしない。
抵抗すらしない。
まるで、勝つ気も負ける気もなく、ただ盤面に駒を置き続けているような、そんな空虚さだけが、そこにあった。
正直、つまらなかった。
面白くない、というのとも少し違う。もっと、据わりの悪い感覚だった。
俺が知っているはずの柑咲シトラは、もっと生々しく、もっと厄介な人間だったはずだ。ミスを認めず、責任を転嫁し、平然と嘘さえつく。そういう、血の通った狡猾さを持った女のはずだった。
だが、目の前にいるのは、ただ表面だけをなぞる、輪郭のはっきりしない何かだった。
――何なんだ、これは。
配信を終える度、俺は何もない画面をただ見つめていた。
自分の中にある柑咲シトラ像と、目の前で繰り返されている光景との間に、埋めがたい隔たりがある。
その隔たりが、日を追うごとに、俺の神経を静かに逆撫でしていった。
五日目の配信を終えた後だった。
「なあ」
配信終了の挨拶が済んだ直後、通話を切らずに、俺はそう切り出していた。
自分でも、半ば無意識の行動だった。
「この後、まだ時間あるか?俺がMetaMittoの連中と知り合った理由、話すって言ってただろ」
言ってしまってから、自分の性急さに少し戸惑った。
だがもう止まらなかった。
この掴みどころのない靄のような違和感を、どうにかして晴らしたかった。
俺の言葉に一瞬間を開けてから彼女は言う。
「――ありますよ」
拍子抜けするほどに、迷いのない声だった。
その掴めなさも、俺の中の据わりの悪さを一層強めていた。
通話は、そのまま繋がったまま、幕が下りた舞台袖に静けさが横たわる。
「それじゃあ、少し話そうか」
そう切り出すと、彼女は小さく笑った気がした。
「はい」
その声の底に、いつもとは違う何かが潜んでいるような気がして、俺は無意識に膝を揺らしていたのだった。




