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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第七章 看板娘は、もう戻れない
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王都再び その2

「ケトちゃん、ケトちゃん」

「うう……?」


 ケトが重い瞼を開くと、ミーシャが心配そうにこちらを見つめているのが目に入った。ぼんやりとした頭で見返しながら、少し遅れて、自分がギルドのロビーにいることを思い出す。

 いつの間に眠っていたのだろう。結局、昨日は夜遅くまで寝付けなくて、寝不足の頭がとてもだるい。

 突っ伏していたテーブルから体を起こすと、腰がコキリと音を立てた。


「大丈夫? 昨日もあんまり眠れていなかったみたいだし、一回家に帰ろうか?」


 ミーシャがお茶のカップを手渡しながら優しく声を掛けてくれたが、ケトは答えることもできずに俯いた。

 帰る? 一体どこへ帰ると言うのか。もうシアおねえちゃんのいないあの家に?


 エルシアがいなくなった最初の夜。

 部屋もベッドも出かけた時のまま。何も変わらないはずなのに、ケトにはもう別世界のように思えた。わざわざ家まで送ってくれたミーシャが気をつかって一緒に布団に入ってはくれたものの、自分は一晩中泣きじゃくって、空の白むころにやっと眠りに落ちたのだった。あれを何度も繰り返すのはうんざりだ。


「……シアおねえちゃんは?」


 ぽつりと呟いた言葉が、むなしく掠れて響く。誰もがケトから視線を逸らす中、ミーシャが無理やり微笑みを浮かべてケトの頭を撫でた。


「……きっとすぐに帰って来るよ」


 それが嘘だということくらい、ケトにだってよく分かっていた。


 カウンターを振り返る。無意識に看板娘の姿を探してしまったせいで、マーサの姿が目に入った途端、現実を突きつけられて顔を伏せる。

 大好きな姉が、もうそこにいない。それをどう捉えたらいいのかケトには分からない。ただ、少女はとても寂しい。


「……シアおねえちゃん」


 名前を呟けば呟くほどみじめになる。ぎゅっと目をつぶれば、エルシアの顔が浮かぶ。

 目元に熱が集まるのを感じて、ケトはカップに顔をうずめた。昨日だって嫌と言うほど泣き喚いたのに。我慢しないとすぐこれだ。

 エルシアに抱きしめられながら二度寝したのはついこの間のこと。もう、隣にいないなんて、信じられなかった。


 なぜ、なぜ、なぜ。頭の中を駆け巡るのはその言葉ばかり。

 なぜ、シアおねえちゃんは王女で、なぜ、王都に行って、なぜ、ケトを置いて行ったのだろう。

 何が分からないのかすら分からない。でもまず最初に聞きたいことは決まっている。


「わたし、やっぱりシアおねえちゃんに捨てられたの……?」

「そ、そんなことないって!」

「じゃあ、どうして帰ってこないの」

「それは……」


 答えに窮したミーシャを見ながら、ケトは落ち込んだ。

 意地の悪い質問だった。「ごめんなさい」をした方が良いかもしれない。


 カランコロンとベルの音。どうやらまたお客さんが来たらしい。

 常連さんはギルドに漂う酷く沈んだ雰囲気に戸惑ってから、看板娘が定位置にいないことに気付く。そして彼女の代わりにカウンターにいるマーサに、何かあったのかと問いかけるのだ。

 今朝も何度となく交わされたやり取りだった。その度にエルシアがいないという事実を突きつけられて、胸が痛くなる。

 

 それでもギルドのロビーを陣取るのは、もしかしたら彼女がひょっこりと帰って来るのではないか、と考えたから。

 きっと昨日のことが冗談だったかのように、エルシアはドアに括り付けられたベルを鳴らして「ただいま、ケト」と名前を呼んでくれるのだ。自分が思いっきり抱き着けば、ほら、それですべて元通り。


「ケト」


 考えにふけっていたケトは、名前を呼ばれてピクリと肩を揺らした。

 エルシアとは似ても似つかない低くて野太い声。振り向けば、ガルドスが眉を下げながらこちらを見つめていた。


「うん?」


 答えてから気付く。ガルドスとミーシャの後ろにロンメルも立っていた。一体何事だろう、と(いぶか)しむ少女に、ガルドスは静かに言った。


「爺さんに頼んだ。これから、エルシアのことを聞きに行く。一緒に来るか?」


 しばらくぽかんとしていたケトだったが、やがて首を縦に振った。少しでもエルシアのことを知りたい、その一心だった。


―――


 エルシアのことなら大抵のことは知っているのだと、ガルドスはそう思い込んでいた。


 優しくて、少し頑固で、頭が良く回る、ギルドの看板娘。

 運動と虫が苦手で、意外とマメな性格をしていて、根っこは臆病な幼馴染。


 孤児院にやってきて、少しずつ心を開いて、共に大きくなる姿を、ガルドスは間近に見てきた。くだらないことで何度もケンカをしたし、院長先生に怒られる時もたいてい一緒だった。運動音痴の彼女が冒険者をやると聞いた時は、バカにしつつも、彼女が怪我をすることがないように常に隣で守っていたつもりだった。

 信頼されている自覚はあった。たとえ彼女が悩み事を抱えていても、取り返しがつかなくなる前に相談してくれるはずと高を括っていた。これからも同じ日々が続くのだと疑わなかった。


 それが、たった半日で崩壊した。


 十三年。十三年だ。

 彼女は、十三年間何一つ言わなかった。自分が王女だということも、母が龍神聖教会(ドラゴニア)に殺されたということも、彼女はその全てを隠していた。共に育ったガルドスやミーシャにも。いつも一緒にいたケトにすら。


 引き出しに隠してあった彼女の手紙は、今ガルドスの懐の中にある。

 彼女の独白は、確かにエルシアがケトに求めているものが何か知らしめるには十分ではあった。

 だが、彼女は履き違えている。ガルドスに、ミーシャに、そしてケトに。彼らにとってそれだけでは不十分なのだ。彼女は自分自身の存在を雑に扱いすぎている。


 だからこそ、聞かなくてはならないのだ。事情を知っているであろう人間に。


 角を曲がった先にある、くすんだ白壁の建物。いつもと変わらず子供たちの声が響く孤児院に、大男はケトの手を引いて入った。一室の前で立て付けの悪い扉をノックすると、内側から老女が顔を出す。


 ガルドスがここに入るのは本当に久しぶりだ。幼い頃はよくエルシアとミーシャと三人で呼び出しをくらっていたっけ。

 あの時のエルシアは、怒ったり、笑ったり、色んな表情を見せていた。その裏で彼女がどれほど苦しんできたのか、今のガルドスには分からない。

 今まで見てきた幼馴染の笑顔を、素直に信じられない自分がいることに、彼はショックを受けていた。


「すまないの、ダリア。突然押しかけては迷惑じゃったろうに」

「……いいえ。いつかはこんな日が来るのではと、思っていましたから」


 ロンメルの言葉に、エルシアの育ての親である孤児院の院長は悲痛な表情を浮かべていた。苛立った様子のガルドスを見、困惑した様子のミーシャを見、最後に泣き腫らした目をしたケトを見て、皺の刻まれた顔を歪める。


「久しぶりね。ガルドス、ミーシャ。それに、ケトも」

「ただいま、先生」

「うす」

「……」


 ミーシャが頭を下げるのを横目に見ながら、ガルドスはどう話を切り出せば良いのか悩む。自分の頭では、自分でも理解できていないこの状況を人に説明するのは難しい。

 結局、自分は起こった出来事をありのまま話すことしかできないのだ。エルシアのように本題から整理して、なんてできやしない。それもまた、大男は悔しい。


 大人たちの間に漂う気まずい沈黙。それを破ったのはケトだった。誰も話し出さないと見て取るや、彼女はソファから身を乗り出して、絞り出すように声を上げた。


「せんせい。……あのね、シアおねえちゃんがね、わたしを置いて行っちゃったの」


 悲痛な声だった。自らを拾ってくれた、親代わりであり、姉である看板娘から突き放された少女。たった一晩とは思えないほどに憔悴しきった表情で、必死に言葉を紡ぐ。


「ねえ、せんせい。シアおねえちゃんどうして行っちゃったのかな? わたしがもっと大人だったら、頭が良かったら帰ってくるかな?」

「ケト……」

「分かんないよ……。王女様だから行っちゃったの? なんでなの? それとも、やっぱり……わたしのせい? わたしが変な力を持っているから……?」


 ついこの間十歳になったばかりの少女が上げて良い声ではなかった。ケトの叫びは、それほどまでに痛々しい訴えだった。

 

 その言葉を聞いて、ようやくガルドスは現実と向き合う覚悟を決めた。

 少女の手を自分の手のひらで包み込む。

 ケトを一人にしないこと。エルシアからのお願いだ。


「……先生。もう聞いたとは思いますが、エルシアが町から出ていきました。ケトを連れ去ろうとした連中に、自分は王女であると言い放って。ケトは自分の妹で、お前たちは王族の妹に手を出すのかと、そう言って」


 隣の少女の目から、涙が一粒零れ落ちる。何とかして止めてやりたいのに、自分にはその力がないのが酷くもどかしい。


「俺にもケトにも、もう、何が何だかわかりません。あいつの言ったことはどこまで本当なのか。俺たちにずっと言わなかったのはなぜなのか。どうしてケトを置いて行ったのか。本当に王女様だというのなら、どうしてこんな田舎町でギルドの受付なんかやっていたのか」


 育ての親にも等しい女性に、ひたすら訴える。思ってたよりもずっと情けない声が出て、ガルドスは自分自身でも驚いてしまった。

 もう知るか。半ば開き直って、想いの丈をぶちまける。


「……ガルドス」

「あいつの手紙にありました。先生にケトの生活をお願いしてあると。先生は知っているんじゃないんですか? 俺にはもう、あいつが分からない。あいつは一体なんなんですか。あいつに置いて行かれて、ケトはこれからどうすればいいんですか」

「ちょっとガルドス! ケトがいるのよ、もう少し聞き方ってものが……」


 ミーシャの正論に止められても、退くつもりはなかった。


「お前だって思っているんだろう、ミーシャ。十三年……あいつは十三年黙ってたんだぞ? ミーシャだって、あいつがよく裏でこそこそ動き回っていたのは知っていただろう!? 俺はバカなんだよ! あいつが何を考えていたのか、もう俺にはさっぱり分からないんだよ……!」


 言い切って、息を吐いた。体を動かしたわけでもないのに、酷く息が苦しい。目の前の老女が沈痛な面持ちでガルドスを見つめていた。


「……あの子は、本当に」


 ポツリと呟いた院長は、しばし目を伏せて黙り込んだ。再度目を上げた老女は、じりじりとする若者たちに告げた。


「……そうね。シアには怒られてしまうかもしれないけれど。私が知っていることを話しましょうか。まずはあの子がケトを連れて王都から戻ってきた時のことから」


 そのまま「ただし」と言葉を繋げる。


「これだけは約束しなさい。このことは他言無用。誰かに伝えることは禁じます。あんたたちがそれを知っていることも伏せると誓いなさい。もしもそれを破れば、あんたたちにまで危害が加わるかもしれない。そんなことになってしまったら、それこそあの子に申し訳が立たない」


 ガルドスはごくりと唾を飲み込んだ。元より言いふらすつもりなど全くなかったが、後でケトにも言い聞かせなければならないかもしれないと、彼はそんなことを考えた。

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