保護者の真髄 その7
王城には中庭がいくつも存在する。
季節によってはそこで茶会も開くことができるよう整えられたその場所は、既に秋だというのに色とりどりの花が咲き誇っていた。
それはいずれもカーライル王国が誇る庭師たちの腕によるものだ。もはや一種の芸術品と言っても過言ではないその場所は、淑女たちの憩いの場であり、社交と言う戦場でもある。
コスモスやリンドウに囲まれた東屋。その日、ブランカの田舎娘達が街へと繰り出す一方で、そこには一人の淑女が腰かけていた。
艶やかに透き通るような髪を、彼女はゆるやかに巻き上げている。淑女を彩るドレスはもちろん、一級の職人の手によるオートクチュール。傍には侍女服を着た年嵩の女性が控えていることからも、その身分の高さが窺える。
その淑女、エレオノーラ・マイロ・エスト・カーライル王女はティーカップを優雅に持ち上げた。澄んだ琥珀色の紅茶を口に含んで、ほうと一つ吐息をつく。
この国の王女であるエレオノーラには、それこそ分刻みでの予定が立てられている。その予定を変えるのはかなり特別な事情があることの証であったが、今日の彼女自身はそれを喜んですらいた。
実際、帝政学は酷く息が詰まる。十四年前に待望の王太子が生まれてから自分が王位を継承する可能性はほぼなくなったが、それで王族の教育が終わるなんてこともない。国を統べる一族としては確かに大切なことではあるものの、もうすぐ二十歳になろうかという今でも、それはエレオノーラの悩みの種だった。
その予定が突然入れ替わったのは今朝のことだ。
表向きこそ婚約者からのお茶会のお誘いだったが、それにかこつけて何か話をするつもりだということは何となく想像がつく。「突然会いたくなった」だなんて、何と彼らしくない台詞だろうか。どう見ても対外向けの猫かぶりでしかない。
確かに、最近婚約者との逢瀬という形では顔を合わせていないから茶会の一つでもどうか、と誘ったのはエレオノーラの方だ。とは言え、もう少し言い様はなかったのだろうか。
いずれにせよ、とエレオノーラは微笑む。
最近になって何度か面倒な貴族からのくだらない物言いが入っていたが、これで少しは追及も減るはずだ。彼らは無知を晒していることに気付いているのだろうか。いわゆるお茶会のような普通の逢瀬をしていないだけであって、彼とは昨日も一昨日も会っていると言うのに。
だが実際、エレオノーラにとっては、会う理由なんて何でも良かった。思い通りにならない人生の中で、想い人が婚約者になるなんて奇跡を、互いが引き当てたのだ。その彼からのお誘いなら、それがただの散策でも乗馬でも、それこそ内戦回避の会議であっても、淑女に断る理由など何もない。
庭園に続く扉がかちゃりと音を立てて開かれて、想い人が姿を現した。ついて来ようとした執事を下がらせ、見目麗しい青年が歩み寄ってくる。
「こんにちは、アル」
「やあ、エレナ」
青年は咲き乱れる花の間をゆっくりと進み、エレオノーラの目の前でひざまずいた。ドレスと同色の真っ赤な手袋の上から口づけを落とせば、エレオノーラがクスクスと笑う。
「夜会でもないのに。あなたにそんな気障な仕草は似合わなくてよ」
「……私も背筋がむずがゆい。似合わない真似はやめて、いつも通りいきましょうか」
「ええ。ここには私とあなた、それからそこのヴァリーしかいないわ。いつも通りいきましょう」
外向きの仮面を取り去った青年は、ゆっくりと東屋の椅子に腰を下ろす。すかさずヴァリーと呼ばれた侍女が薄手のティーカップに紅茶を注いだ。
「どうぞ、アルフレッド様」
「いつもすまないね、ヴァリー」
エレオノーラは礼を言う婚約者をじっと見つめて、くすりと微笑む。
「どうやら、私の婚約者様は田舎娘にうつつを抜かしたせいでお疲れのようですね」
「ええ、久しぶりに弱音を吐きたい気分です。ですが、きっとエレナもすぐ似たような顔をすることになりますよ」
いたずらっぽい微笑みを浮かべた青年に、エレオノーラはツンとした表情を見せてやる。ちょっとした嫉妬心だ。これくらいの意地悪はしてやらなければ気が済まない。
「あら、せっかく恋人同士の逢瀬ですのに、そんな野暮な話は聞きたくありませんわ。連れ込んだ田舎娘たちが何か粗相でも?」
「連れ込むとはずいぶんな言い様で。せめて領民の保護をしたと、そう言っていただかなくては」
紅茶を口に含み、エレオノーラが微笑する。アルフレッドも苦笑を返してから、表情を引き締めた。
「田舎の少女などよりずっと深刻な問題が発生しました。未だ私の胸の内に留めておいている情報ではありますが、エレナにも関わる問題ですので、急ぎ報告を、と」
遊びのないその声色は、たいていロクな話にならない事をエレオノーラは知っている。淑女は露骨に嫌そうな顔をしながら、渋々と呟いた。
「あら、あなたがそんな顔をするなんて、本当に聞きたくなくなってきたわ。……この部屋、盗み聞きの可能性は?」
「”影法師”で固めております。ご心配なく」
やれやれと首を振った姫君の様子に、アルフレッドは思わず笑ってしまった。それを見たエレオノーラも微笑んで、しばらくクスクス笑いを響かせてから、互いに表情を引き締めた。
「報告なさい、アル」
命じられた言葉は、一国の王女としての貫禄を伴って、花々の間に反響した。
―――
話の途中から、エレオノーラは紅茶に手をつけなくなっていた。
彼女は深々と、何度目になるか分からないため息を吐く。
「聞いたこと、後悔しているわ……」
「言ったはずです。私と同じ顔をする羽目になる、と」
「これ、聞かなかったことにはできないかしら……」
どこからか、チチチチという鳥の声がむなしく響いた後、エレオノーラが静かに問いかける。
「陛下は既にこのことをご存知なの?」
「いいえ、幸いにも私以外誰も気づいておりません。私とあなただけです」
暫しの沈黙。たっぷりためらった後で、エレオノーラは囁くように声を発した。
「……であれば、これまで通りに戻すことも可能ということ」
アルフレッドもまた、神妙な顔で深々と頷く。
「はい。検査結果を偽装し”白猫”をブランカに戻せば、それに付随する形で全て元通りです。もちろん今後は何重かの監視をつける必要がありますが」
「そして、彼女もまたそれを望んでいる、と。……ねえアル、分かっていて? あれの真意を見極めなくては、手に負えない猛獣を野に解き放つことになりかねないわ」
「もちろんです。特に、”白猫”があれの手の内にある以上は細心の注意を払う必要があります。敵対せずに引き込むには最善の手かと」
利発そうな目に硬い表情を浮かべ、エレオノーラは続ける。
「なるほど。ではその”白猫さん”の結果を出すのはいつ頃になりそう?」
「偽装案も含めて、結果は既に作成済みです。ですが公にする前にできる限りの動きは取っておきたく。伝えるのは四日後を予定しています」
姫君はようやく乱暴に紅茶を飲み干した。空になったカップを見つめて「そう」と呟く。
「……アル。それまでに、彼女をどうにかして私の元にまで連れて来てくれないかしら。もちろん周囲には一切感づかれないように」
「エレナが直接、お話しになられると?」
「ええ、それが一番手っ取り早いでしょう? それから、その場にはヴァリーも同席させるわ」
話の間ひたすらに俯いていた侍女が、はっとしたように主人を見つめる。エレオノーラはその視線にちらりと応えてから、再びため息を吐いた。
「あなたが、ヴァリーも一緒に、なんて言うから何事かと思ったけれど。こんな話を聞いてしまったら、他に選択肢なんてないじゃない……」
「申し訳ありません」と謝る青年に、エレオノーラは苦笑した。
「またそんな口先だけの言葉を。どうせ私がどう出るかだって分かっていたのでしょう?」
「それを言われては辛い所です。ですが、必要なことはためらわないところ、好きですよ、エレナ」
思わず赤面したエレオノーラをそのままに、アルフレッドは立ち上がる。
「いずれにせよ、慎重にことにかからねばなりません」
取り返しがつかなくなる前に、この事実を知ることができたのは僥倖と言えるだろう。
もし準備もせずにこの事実が広まりでもしたらと思うと、背筋が凍る。逆に言えば、今の段階であれば、まだ然るべき方向へ誘導することも可能であるはずだ。
だが、もしも。もしも選択を誤った日には。
「下手をすれば、あれはそれこそ、国すらも傾けかねませんから」
視界の端で愛する人が頷いているのを、アルフレッドは見て取ることができた。




