保護者の真髄 その6
ガルドスの纏う雰囲気が変わった。
隣にいたケトにはそれがはっきりと視える。
先程までとは明らかに異なる芯の通った視線で、彼はここではないどこかを見ている。自分の言ったことが彼の何かを確実に変えたのだ。
だけどケトには、それを表す言葉がまだ分からない。ただ羨望の眼差しで、隣の大人を見つめるだけだ。大きくなれば、ガルドスや、エルシアと同じ場所に立てるのだろうか。彼らが抱える気持ちの正体が分かるのだろうか。
ガルドスから視線を外し、再び歩きはじめながら悩むことしばし。相変わらず迷路のような思考を漂う。
「……はやく、大人になりたいな」
ランベールに攫われた時、ケトはジェスのように”しっかり”したい思った。”しっかり”なんてあやふやな言葉しか出てこないのが、今のケトの限界だ。
エルシアやガルドスは、きっとその延長線上にいるのだろう。そのことも何となくわかるのに。
ケトはずっと小さな子供のままで。大人への道のりはまだまだ長い。
ふと、少女の感覚が違和感を覚える。この感覚にもまだ慣れない。誰かがこちらを見ている?
違和感の方へ視線を向けると、廊下の向こうから一人の女性が歩いてくるところだった。
手には大きな籠。侍女服を身に着けているところを見ると、城の使用人なのだろうか。若い娘が着ると華やいだ印象を与える白と黒の侍女服だが、この女性には落ち着いた雰囲気を引き立てているように見えた。
もう一度、ガルドスの袖をクイッと引っ張る。
「どうした? ケト」
「あの人……」
大男が侍女に視線をやる。彼の体に少しだけ力が入り、警戒を向けた。前を歩く騎士も、何かを察したのだろう。注意を向けるのが分かった。
「見かけたことあるか?」
「ううん、知らない人」
「……俺から離れるなよ」
「うん」
侍女のあの目。なぜ? なぜあれほどまでに動揺している? 食べかすを口元につけている訳でもないケトを見て、どうしてそんなに瞳を揺らす?
無意識に体を大男の影に隠そうとして、ケトはふと思い直した。エルシアも、ガルドスも、ジェスでさえも、自分の前に立ってくれていた。多少怖くたって、彼らのように堂々と胸を張りたい。紺のワンピースを靡かせて、ケトは心持ち胸を張った。
侍女との距離が近づく。このまま何事もなく過ぎ去って欲しいというケトの願いもむなしく、侍女がこちらの目の前で立ち止まった。
「ヴァリー殿」
初めに動いたのは、随伴してくれていた騎士だった。ケトやガルドスの前に立ちふさがるようにして、制止の声を掛ける。名前を知っているところを見ると、知り合いなのだろうか。
「マルート様」
「どうされたのですか、そのように血相を変えて」
「いえ……、そちらのお客様に少しお伺いしたいことがございまして……」
「申し訳ありませんが、こちらはアルフレッド様のお客人です。御用があればまず私がお伺いしますが」
ヴァリーと呼ばれた侍女は、しばし逡巡するそぶりを見せる。三人の不審そうな視線を浴びながら、彼女は騎士に目を向け、ゆっくりと口を開いた。
「あなたがそのような格好で護衛についているということは、とても大切なお客様なのでしょうね……」
「ご理解いただけますか」
「はい。お見苦しいところをお見せしてしまいました。お詫び申し上げます」
深々と頭を下げるヴァリー。流石にそこまで敬われる覚えはなかったが、少しだけ警戒を緩める。侍女は何かを迷ったように口ごもってから、意を決したように言った。
「お嬢様のお召し物……」
「えっ?」
「……それは、どちらで手に入れたものなのか、お伺いさせていただけないでしょうか」
思わず面食らってしまう。これほどまでに情動を滲ませ、謝罪までした上で、聞くのは服の話? 騎士が戸惑ったように、後ろのケトを振り向いた。
「私にも分かりかねますが……」
騎士の平服を翻し、不思議そうに言葉を濁す騎士。
当然だ。この服を手に入れた経緯なんて彼だって知っているわけがない。答えてもらえるかという無言の問いかけを受けて、ケトはガルドスを見上げた。彼が頷くのを確認して、年嵩の侍女に向き直る。
「町の道具屋さんで、買ってもらったの」
「道具屋さん?」
囁くような声。自分の言葉を聞き逃すまいと、侍女は耳をそばだてているのだと分かる。
「道具屋さんは、表通りのごふく屋さんからゆずってもらったんだって。わたしのお洋服があんまりにボロボロだったから、わたしを拾ってもらった日に、買ってもらったの」
果たして侍女が望む返答になっているのだろうか。何も答えない侍女に首を傾げながら、ケトはしかし騎士の言葉を聞いた瞬間に全身を総毛立てた。
「確かに、王都の流行りからするとかなり古臭い意匠ではありますが……」
「!?」
古臭い? 古臭いってなんだ。シアおねえちゃんが大枚はたいた上に、丁寧に繕ってくれたこの服をけなすのは許さん。
「古くさくないもん!」
「待て待て、ケト落ち着け」
慌ててガルドスが少女を押さえる。彼がいなかったら飛びかかっていたかもしれない。
「……確かにこの手の落ち着いた意匠は、十年、いいえ十五年ほど前の流行りではありますね……」
侍女までそう呟く。一瞬彼女までバカにしているのかと目を剥いたケトだが、「ですが」と続けられた次の言葉でそれは吹き飛んだ。
「とても愛のこもった服ですね、お嬢様。私もその服はとても美しいと思います。どうぞ大切になさってください。それはきっと、いくら金貨を積まれたとしても代えがたい宝物になりますから」
目の前の女性から感じる、慈愛に満ちた視線。龍の感覚が爪を収め、ささくれだった気持ちがしぼんでいく。何だこのおばさんは。そんな風に服を愛でる人とは初めて会った。ヴァリーが微笑んで続けた。
「もしよろしければ、それを買ってくれた方のお名前を教えていただけませんか?」
それくらいならお安い御用だ。
騎士が肩をすくめ、ガルドスが少女の肩から手を離し、ケトはその名を口にした。
「シアおねえちゃんって言うんだよ! わたしのお姉ちゃんなの!」
「……そう、ですか」
目を見開いて、震える声で、ヴァリーはそう言った。隣の二人は訝しんでいるようだったが、ケトにはちゃんと視えた。
ヴァリーと呼ばれたその侍女の心の内が、これ以上ない安堵と感謝で溢れていることに。
―――
結局、魔法の検査でも、ケトは大人たちを圧倒して見せた。
指向性の制御がまだまだ甘い少女は、的を盛大に撃ち漏らした後、恥ずかしそうに光の奔流を照射し続け、三つの的を薙ぎ払うという芸当をやってのけた。
この国において当代最高峰を自負する魔法の使い手たちは、真っ青な顔で九歳の少女を見つめていた。技量の未熟さを感じさせるにも拘わらず、それこそ攻城用の兵器を超える程の出力を見せていたのだから無理もない。
アルフレッドの話によれば、一通りの検査を終えた後、結果をまとめ上げるまで、少し時間がかかるのだそうだ。内容にはやはり偽装が必要で、彼は常識とかけ離れた力をどう報告するのか頭を抱えていた。なんでも、検査の担当者は寝る間も惜しんで資料を作っているとか。
それまでとは打って変わって時間を持て余したケトの興味は、当然王都の街へと向かった。アイゼンベルグのお屋敷で寝泊まりするケトは、あれほど大きな街であれば珍しいものも沢山売っているはずだと、精一杯エルシアに主張した。王都に来たばかりの時に、アルフレッドも案内してくれると言っていたではないか、と。
困り顔で話を聞いていたエルシアだったが、あまりの熱意に押されたのか、アイゼンベルグ家の執事に話をつけてくれた。
護衛をつけることを条件に、遊びに行く許可を取り付けたのが昨日のこと。
「さすがに、あのワンピースは着れないわね……」
そういってエルシアが荷物から引っ張り出したのは、ケトの普段着だった。
エルシアによると、今日はかなり歩き回るらしい。多少田舎っぽくても、動き回れる服の方が良いらしい。ケトとしては例の紺のワンピースを着ておめかししたかったのだが、そう言われては仕方ない。ケトは急いで地味な色の普段着を身にまとった。
「ふああああ、すっごいねえ!」
少女が雑踏に目を丸くする。下町まで案内してくれた護衛が目につかない所まで下がってくれたお陰で、傍目にはエルシアとケトとガルドスの三人で出歩いているように見える。どうやら、アルフレッドがわざわざ気を効かせてくれたらしい。
護衛の話によると、今いる場所は王都でも有名な待ち合わせ場所なのだそうだ。何本もの大通りが集中する広場で、中央に大きな噴水があることから”噴水広場”と呼ばれているのだとか。比較的王城にも近いようで、振り向けば城の北正門まで、一直線に見渡せる。
「あの噴水、魔法で動いているんですって」
「へえ。どんな仕組みなんだ?」
「さあ、見当もつかないわ。さっき護衛の人が言ってた、王都の地下水路? から汲み上げているんじゃない?」
大男が目をしばたたかせた。
「地下水路? なんじゃそりゃ」
「貴方さっきの話聞いてなかったの? 王都の地下には水路が張り巡らされてて、この噴水とか、お風呂のお湯とか、魔法でそこから汲み上げているんだって護衛の人言っていたじゃない」
「ふうん」
高々と大量の水を打ち上げている噴水を眺め、エルシアとガルドスが話す横で、ケトはあちこちをキョロキョロするのに忙しい。
どこを見てもブランカとは比べ物にならない。店には見たこともない小物がずらりと並び、そこら中の露店から、おいしそうな匂いが漂ってきて鼻腔をくすぐった。
ケトは初めて間近で見る王都の人込みに圧倒されながらも、その華やかさにあてられて目を輝かせていた。
「シアおねえちゃん! ねえはやく、はやく!」
「走っちゃダメよケト。これだけ人が多いとすぐに迷子になるわ」
「ま、迷子はやだ」
慌ててエルシアの左手に縋りつく。迷子の恐ろしさはブランカの蚤の市で痛感したから、しっかりと手を握りしめた。
今のケトであれば、アイゼンベルグ公爵邸まで一人で帰ることだって簡単ではある。だが、それとエルシア達を心配させることは別問題だ。
それに、ケトにはブランカに帰った後で、孤児院の皆に王都のすばらしさを事細かに自慢するという使命があるのだ。その報告に汚点を残すのは好ましくない。もしも迷子になりでもしたら、きっとジェスにからかわれること必至だろう。それだけは避けなくてはならないのだ。
「これでよし。じゃあ、離れないようにね」
「うん!」
ケトは、エルシアの手を引っぱるように、石畳の道を進み始めた。
―――
「どう? ケト」
上からかけられたエルシアの声に、ケトは隣の姉を振り仰いだ。口の中でもぐもぐ噛みしめていたクラップフェンをごくりと飲み込む。
甘くてふわふわのそれは、においに誘われてふらふらとケトが近づいていった露店で売っていたものだ。”クラップフェン”と聞いた時は、一体何の呪文かと思ったが、何のことはない、揚げパンに砂糖をまぶしたもののことだとエルシアに教えてもらった。
こんなお菓子はブランカでもついぞお目にかかったことがなく、一も二もなく買ってくれとせがんだケト。
「おいしい!」
「ええ。私もこれ好物なのよね……」
すぐ後ろのガルドスは「初めて食ったぞ……」と呟きながら口を動かしていた。彼にはどうやら少しばかり甘すぎたらしい。半分ちぎって渡してくれたので、ケトは遠慮なくいただくことにする。
「さあて、せっかく王都まで来たんだから色々と買わなくちゃね!」
砂糖で口元をべたべたにしたケトを、エルシアが拭いながら笑う。その通り、ケトには沢山買わなければいけないものがあるのだ。サニー達からお土産も頼まれていることだし。ガルドスが腰に手を当て果実水を飲みながら、ケトに問いかける。
「なあ、ケト? 皆から何を頼まれたんだ?」
「ええっとね、真っ赤なインクと、刺繍糸と、きしだんのもんしょう? のついたきしょう? と、それから……」
指折り数えながら頼まれたお土産を教えていると、エルシアが呆れたようにケトの顔を覗き込んだ。
「ず、随分と頼まれたわね……。と言うか、ジェスは徽章なんて難しい言葉、一体どこで覚えてくるのよ」
「シアおねえちゃんすごい。どうしてジェスだって分かったの?」
「そりゃあ分かるわよ。そんなもの頼むのはあの子くらいでしょ」
苦笑して、道の両脇に視線を走らせるエルシア。ケトはピョンピョンと飛び跳ね、ガルドスはそんな二人を腕を組んで眺める。
「全部揃えるのは難しいかもしれないけれど、とりあえずお店探しましょうか」
「武具を売ってる店あったら入ってもいいか?」
「貴方はそう言うと思ったわ、ガルドス。時間は限られているし、私も行きたいところあるから、早速行きましょうか」
「しゅっぱーつ!」
鈴の鳴るような少女の声が、下町のざわめきの中に交じった。




