保護者の真髄 その5
数日後、ケトの検査は滞りなく進んでいた。
アルフレッドが貸し切ってくれたという練兵場で、存分に力を振るう。
周囲を沢山の大人たちに囲まれて、さながら見世物のようだ。曰く、騎士と学者と医師が見に来ているらしい。なんでも、全員宰相家の息のかかった人間なのだとか。集めるのが大変だったと、貴公子が嫌味を言っていた。
見知らぬ人たちに、自分の一挙手一投足に注目されている。そのことに最初は戸惑っていたケト。しかし、エルシアがすぐ隣で見守ってくれていたし、その笑顔が幾分か柔らかいものになっていたので、徐々に普段の調子を取り戻しつつあった。
設置式の弩を引っぱりまわす。ケトの体よりもずっと大きなそれは、バリスタと呼ばれる攻城兵器。通った時は全く気付かなかったが、王都の壁の上にも設置されているそうだ。
少しでも装填しやすいように、ウィンチとかいう機構が採用されているらしい。下に車輪が付いている大きな弓を数人がかりで引っ張ってきた騎士が、見慣れぬ装置に目を丸くする少女に、誇らしそうに説明していた。
ケトが矢を設置する台座を持って、ぐにゃぐにゃ引いたり押したりしていたら、騎士たちに肝をつぶしたような表情をされた。ついでに弦をそのまま引いたら壊れるとエルシアに叱られた。
よくよく聞いてみると、本来数人がかりで装填するものらしい。泣きそうな顔で力説する兵士の話を聞きながら、ケトは金属の支柱の端っこを掴んでバリスタ自体を持ち上げてみる。車輪が浮き上がり、弓が上を向く。持ち上げるには随分とバランスが悪い形をしているが、こうしてみるとなんだかツルハシみたいだ。
「アルフレッド様、もう他に持ちこめそうなものが……」
「……」
最初は騎士用の長剣を持ち上げるところからはじめて、投石器用の石、酒樽、荷車を振り回した少女。
検査の担当者も、流石にここまでの力を持っているとは思っていなかったようだ。何人もの騎士たちが慌てて倉庫を探し回りはじめ、重そうなものを片端から運んで来てもこの在り様。練兵場には途方に暮れた空気が流れ始め、ガルドスは時折エルシアに向けるのと同じ表情を、ケトに対して向けていた。
ケト自身にはまだまだ余裕がある。
今持ち上げているバリスタくらいの重さなら、両手に持って振り回すことだってできそうだ。実際に持つにはケトの腕が短すぎるけれど。
エルシアからは、怪力と魔法であれば、どんなものであっても振るってよいと言われている。ケトには難しいことは分からないが、エルシアが言うのだからきっと心配ないのだろう。調子に乗ってぶんぶん振り回したら、やっぱりエルシアに叱られたが。
―――
「まさか、これほどとは……」
検査を行う人間に交じって、バリスタを振り回す少女を見ていたアルフレッドは、静かに嘆息した。
なるほど、これはブランカの田舎娘の言うことにも頷ける。
尾ひれがつくのが噂の定石というものだが、これは明らかに想定以上だ。スタンピードでの活躍も、もはや疑う余地はない。
青年は表情を崩さないまま、しかし背筋が寒くなるのを感じた。
少女の姉の懸念は正しい。これほどの力があると公になれば、どうあがいてもこの少女は無事では済まないはずだ。
きっと権力者はこぞって手中に収めようとすることだろう。
王城の中でさえ様々な思惑が渦巻く。その中のどこに囲われたとしても、国内の権力争いに大きな影響を及ぼすことは間違いない。それどころか、もしカーライル王国に害をなそうとする集団に拾われでもしたら、国が揺れる程度では済まない。
辺りを見渡してため息を吐く。幸いにも、ここにいる者は全てアルフレッドの息のかかった人間。元々はエルシアの要求を聞き入れた結果だったが、それが功を奏したと言えるだろう。
彼女が言う通りの人間を揃えるのは、正直かなりの労力が必要だった。しかし今ならその要求の理由も分かる。下手な人間に利用される恐れは徹底的に排除しなければなるまい。
隣のエプロンドレスに視線をやる。少女の姉は毎日同じギルドの制服を着ている。屋敷の侍女に聞いたら、どうやら同じ服を何着も持って来ているらしい。彼女は頑なに他の服を着ようとしないのだそうだ。まるでギルドの職員という役割に固執しているかのように。
これまで人知を超えた少女を守り続けてきた娘。その表情からは心配と不安が読み取れた。それこそ、九歳の子を見守る保護者のそれに違いない。そんな横顔をただ見下ろしていたら、アルフレッドも気付かぬうちに疑問が口を突いて出た。
「あなたは、この力を利用しようとは思わなかったのか?」
これほどの力、上手く使えばどんなことだってできるだろう。使いきれない程の財を為すことも、なんなら、国だって作れたっておかしくない。
少し説明が足りないかとも思ったが、やはりと言うか何というか、エルシアは迷わずに静かに答えた。
「アルフレッド様のおっしゃるような利用の仕方であるなら、考えたこともありません。ですが、私は十分、ケトの力を利用しています」
その栗色の視線は、妹から離れることはない。
「あの子が力を使いこなせるようになるまで。そして何よりあの子自身が自らの身の振り方を決められるようになるまで。私は何としても時間を稼がなくてはいけない。このままではケトは普通に生きることすらできない。それは、アルフレッド様にもご理解いただけるはずです。私は、そのためならどんな手でも使います」
「それは、随分と消極的な使い方だな……」
アルフレッドの口から言葉が漏れ出る。間違いなく彼の本心だった。
「私はケトを守りたい。それ以外、望むことはありませんから」
そう言ったエルシアは、アルフレッドに向き直って、深々と頭を下げた。
「アルフレッド様。私の願いを聞いてくださったことに、心より感謝を」
隣で一緒に少女を見つめていたガルドスが、何か言いたげにエルシアを見つめていたが、彼女は視線を返さずアルフレッドを見つめ続ける。
貴公子は、何も答えることができなかった。
「力持ちの検査はもう終わりなんだって!」
とててて、と走って来たケトが、エルシアに飛びつく。あれだけ重い物を持ち上げ続けていたのに、その額には汗一つ見られない。
「おかえり、ケト。手は痛くなったりしていない?」
「全然大丈夫! わたし、もっと重たいものでも持ち上げられるよ!」
「残念だけど、バリスタより重い物は中々ないわよ」
苦笑するエルシアが柔らかく少女の銀髪を撫でれば、くすぐったそうにケトは体をこすりつける。その様子はアルフレッドの目から見ても、年相応に甘える妹と、甘やかす姉にしか見えなかった。
―――
王宮の廊下を歩きながら、ガルドスは苛立っていた。時刻はお昼時。検査を取り仕切っていた騎士の一人に連れられて、王城の使用人食堂に向かう途中だ。
相変わらず、周囲の視線が痛い。侍女服とも作業服とも違う二人の服は目立つのかもしれない。ほら、また年嵩の侍女が穴が開くほどケトを見ている。
イライラの原因である幼馴染は、今は近くに居ない。
今後の検査の進め方について、練兵場でアルフレッドと話し合いをするらしい。同席しようとしたガルドスだったが、あまりケトに聞かせたい話ではない、代わりにケトをお願いと、彼女に上目遣いで言われてしまえば、無下に断ることもできない。
彼女が相談するのは、金髪の青年ばかりだ。自分はずっと、騒動の外にいる気がしてならない。
確かに自分は頭が良くない。アルフレッドのような教養もなければ、エルシアのように頭の回転が早い訳でもない。
それでも、自分と彼女は十年以上の腐れ縁だ。エルシアが何を考えているのか、何となく察することもできる。エルシアがケトを”何か”から守ろうとしていることだって、もうガルドスには何となく分かっている。
ただ、彼女が決して口に出そうとしなかったから、言いたくなさそうな雰囲気を感じ取ったから、ガルドスも無理に聞き出そうとしなかっただけだ。彼女の意思を汲んで二人を見守っていければいいと、そう思っていた。
だというのに。
エルシアが、アルフレッドに対して自らの想いを伝えていた。
今まで、誰にも語ろうとしなかったその願い。自分にも明確に話してくれなかったそれを、いとも簡単にあの青年に伝えたことが酷くショックで、ガルドスはたじろいだ。
別にエルシアが誰に何を話そうと、自分には関係ない。幼馴染にも話せないことを、知り合って間もない男に伝えたとしても、それは彼女の勝手だ。
そう言えば、彼女はよく「お上品な男性が好み」だと言っていたっけ。常連のちょっかいを躱す言い訳だと思ってロクに気にしていなかったが、アルフレッドはまさにそのタイプではないだろうか。
これはただの嫉妬だ。女々しい自分を自覚して、ガルドスは自己嫌悪する。
トボトボと歩みを進めていたら、大男のシャツの袖がくいくいっと引っ張られた。はっとして視線を向ければ、ケトの銀の瞳がガルドスを見上げている。
「ねえガルドス」
「どうした、ケト?」
「あのね、うーんと……」
話し始めたのはケトなのに、彼女は困ったように眉根を寄せる。
伝えたいことがあるのに上手く言葉にできないのだ。それが分かるようになったのも、最近のこと。
先導する騎士に声を掛けてから、ガルドスはしゃがみこんで少女と視線を合わせた。エルシアがよくやっていることを真似しただけではあったが、少女の表情から焦りの色が消え、真剣に悩み始めた。
「ええっとね……、シアおねえちゃんがね、変なの」
しばらくして少女の口から発せられたのはそんな言葉だった。
「変? エルシアが?」
変なのはガルドス自身の思考ではなかったか? 訝し気に少女を見つめると、ケトも困ったように見つめ返してきた。困り顔同士の視線が交わされる。
「なんかね、このごろシアおねえちゃんが怖がっているの」
「怖がっている? 何に?」
「……分かんない。でもすっごくピリピリしているし、キョロキョロしてる」
確かに、王都や王城への警戒心は相当なものだったし、グレイに対する態度に敵意が隠れているのは分かっている。
ケトのこともあるし、事実を誤魔化すことへの緊張によるところもあるのだと思っていたのだが、怖がっているとはどういうことなのだろう。
そういえば、ケトは感覚が非常に鋭かったのだったか。恐らく龍の力によるものなのだろうか、彼女は人の様子を敏感に感じ取ることができる。
「いつ頃からか、分かるか?」
「ドアを開けたときからだったよ」
「ドア?」
「ギルドのドア。アルフレッド様がギルドに来た時に、シアおねえちゃんすごくびっくりしてたでしょ。そのすぐ後から、すごく怖がっているのが分かった」
思わず息を飲む。もしかすると、エルシアはアルフレッドを怖がっているのだろうか。だが、もしそうなら彼女の気持ちを伝えるのはおかしいではないか。
「他に、エルシアから何か読み取れたりしないか?」
「……ええっと。どう言えばいいのか分かんなくて……。でもね、アルフレッド様とか、グレイこうしゃく様とかと、ちょっと似た感じがするの。今まではそんなことなかったのに……」
「あいつ……」
首を横に振るケトは、眉を少し下げてガルドスを見ていた。
「ねえ、シアおねえちゃんはどうして怖がっているのかな……? わたしにはお話がよく分からないから、シアおねえちゃんが困っているのにお手伝いができないの……。わたし、どうしたらいいんだろう?」
ガルドスは、立ち上がると少女の頭に手を置く。
嫉妬だ何だと言っていた自分が恥ずかしい。ケトの言う通り、エルシアはもしかしたら困っているのかもしれない。怖がって怯えているのかもしれない。
「悪い、ケト。俺にもすぐには分からないんだ」
なんとも情けないガルドスの答えに、ケトは眉を下げてしまう。そんな少女に、大男は「だけど」と続けた。
「助かった、話してくれてありがとう。……俺も偉そうなこと言えないけれど、少しあいつと話をしないとな」
エルシアが追い詰められた時、誰にも頼らず抱え込んでしまうことを、ガルドスはよく知っている。一人きりで苦しむ性分は、昔から彼女の欠点だった。成長して少しは人に頼ることを覚えたとは言え、ここぞという時に抱え込むところは変わっていない。
ガルドスは自分に喝を入れた。最近格上の相手に挑むことが多く、プライドを崩され続けたからだろうか。最近の自分は少し消極的になりすぎたのかもしれない。
だとすれば、今の大男がすべきことはたった一つだ。
大丈夫。元々自分は、エルシアとミーシャを引っぱるガキ大将だったのだから。




