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看板娘は少女を拾う  作者: 有坂加紙
第五章 看板娘は王都に向かう
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ケト招集 その6

 エルシアの願いは単純だ。


 ケト・ハウゼンをブランカの町で、これまで通り生活させてやりたい。

 ただ、九歳の少女として、遊び、学び、笑い、泣いて育ってほしい。


 しかしそれが難しいであろうことは、ケトの力を見た時から気づいていた。少女が持つ、人知をはるかに超える力。その存在を知れば権力者は必ず手元に置きたがる。


 ケト・ハウゼンを手中に収めた時の恩恵は、それほどまでに大きい。

 攻城兵器を軽く凌駕(りょうが)する力。いかなる魔術師とて足元にも及ばない魔法。それが九歳の娘一人の中に詰まっているのだ。


 何より思考は年相応なのが大きい。

 彼女はまだ幼い。それこそ、教育の方向性さえ変えてしまえば、力はそのまま、十分に常識を書き換えられてしまう程に。

 例えば従軍させでもしたら、近隣諸国にとっては文字通り悪夢になりうる。逆に周辺諸国に渡れば、このカーライル王国自体が攻められる可能性だってある。


 そんなケトがとれる最善の策は、自らの能力を隠し続けることであったのは言うまでもない。知られなければ狙われることもない、の論理は単純で強力だ。


 だが、彼女は大勢の前で力を見せつけてしまった。

 忘れもしない、あのスタンピードの日に。ブランカを、エルシアたちを守るために。


 一度知られてしまえば、後はあっという間だ。人ならざる少女の伝説は、人から人へ語り継がれる。それに権力者が気付くのは時間の問題だった。


 事実、今こうしてケトは王都に向かっている。庶民であるエルシアに、それを拒絶するだけの力はない。この時点で、エルシアが取れる手はそう多くなかった。


 だが今この時、数少ない手の一つが目の前にある。


 それは、ケトの力の脅威性を正しく理解する者の元に身を寄せること。

 可能な限り、権力の集中する王都からは離しておきたい。いかんせん、王城と言うものは権力争いの巣窟(そうくつ)だ。その醜い争いに加わらせないためにも、ケトは権力自体から隔離しておきたいのだ。


 もう一点、別の目的を持つ人間がケトを狙うのではないかという心配も付きまとっていた。

 先程の賊こそ良い例だ。どれほど金を持っていそうだからと言って、完全装備の護衛に囲まれている貴人を狙う馬鹿はいない。

 襲撃は何か別の目的があると言えるだろう。それは何かと考えた時に、ケト・ハウゼンの存在は十分な理由になりうる。


 だからこそエルシアは、ケトの力を町の復興に使った。

 彼女は町の味方なのだと、敵対する意思を持つどころか、自分たちの手助けがなければ一人で生きていくこともできない小さな女の子なのだと、町の人に知ってもらうために。

 結果として、今やケトは町のギルドのマスコットだ。最近はむしろ、エルシアよりも”看板娘”をしているかもしれない。彼女を害するものが現れたら、ブランカの冒険者ギルドが黙っていない。


 エルシアの目的は単純だ。


 ケトがケトらしく生きる世界を守りたい。

 だが自分一人の力では、もはや限界があることも分かっている。だからそれを為すために、アイゼンベルグ公爵家の力を借りたい。


 それが、エルシアの願いだった。


―――


 言い切ったエルシアは、心臓がバクバク言っているのを感じていた。下手をすれば、国への反逆と見なされ処刑されるであろう内容だ。それをあろうことか貴族の前でぶちまけてしまった。


 賭けとはいえ、早まっただろうか。だが、チャンスは今を置いて他になかったのも事実。王都に近付けば近づくほど、更に話し辛くなるのだから。


 顔を伏せ、エルシアの発言を咀嚼(そしゃく)するアルフレッドからは、その思考が読みとれない。果たしてどう思われただろうか。


 平民ごときが身の程も知らずに、とでも思っているのだろうか。それで済んだらまだ良い方かもしれない。緊張しながら反応を待っていると、目の前の男から唸るような声が発せられ、エルシアは耳をそばだてた。


「ひとつ、聞かせろ」

「はい」

「私が、もしくは当家が、お前の言う、”力を正しく把握する者”でなかったらどうする。今の話をした時点で、腹いせに、もしくは口封じに殺されないとも言い切れまい」


 酷く怜悧(れいり)な、背筋をヒヤリとさせる口調だった。恐ろしさがじわじわと忍び寄って来たが、それ自体はエルシアにとって悪い反応ではない。彼の興味を引けたと分かり、エルシアは再び気を引き締めた。


 大丈夫、エルシアとて無策でこの話をしたわけではない。この問いは十分に想定できる範囲内だ。彼女は、澱みなく答えることができる。


「それは、ありえないかと」

「ほう?」


 断言したのが意外だったのだろう。ピクリと眉を動かす青年に持論を述べる。


「アルフレッド様のお父上であらせられるアイゼンベルグ公爵閣下は、宰相を務められるお方。言うなれば既にこれ以上ないほどの権限をお持ちです。そのような方が、人目につく武力を好んで使われるとは思いません。ケトの力など使わずとも、もっと穏便な方法で目的を達せられるはず。そのような意味では、ことアイゼンベルグ公爵家にとって、ケトの有用性はそこまで大きくないはずです」


 夕日は完全に落ちきり、いつの間にか夜闇が二人を包んでいた。エルシアは精一杯真摯な表情で、貴人を見つめる。


「アイゼンベルグ公爵閣下は、むしろ、この力が他家に渡った時の危険性を重んじられるはずだと考えます。自らの元に引き寄せても恩恵はあまりない。しかしながら、他家に渡れば王城の勢力図に変化が生じる。それは現状に対して、不利益を被る方向であることは明らかです。そのような方にとって、私の希望はある程度一致するものがあるかと愚考(ぐこう)いたします。ブランカは、アイゼンベルグ公爵領が一都市。言うなれば、ある意味で自分の手元に置いておくのと同義ではありませんか?」


 正直に言えば、アイゼンベルグ家にとってのケトの価値はほとんどはったりだ。少なくとも自分だったらこう判断する、程度の考えでしかない。

 仮にアルフレッドが、父親の座を狙うような野心家であれば、この考えは全くもって意味をなさない。できればもう少し根拠を持った上で話したかったのだが、状況がそれを許してくれそうにないからこその虚勢だった。


 青年はしばらく押し黙っていたが、やがて肩を震わせ始めた。

 固唾を飲んで見守る受付嬢は、澄ました表情とは裏腹に、内心不安で仕方がなかった。だから、彼がおかしくて仕方ないとでも言うように笑っているのだと気付くまで、しばしの時間がかかった。


「ククククク……。」

「あ、あの……」


 もはや、現時点でエルシアが使える手札は全て切っていた。やきもきしながら、目の前の男を見つめる。まな板の上の鯉の気分だ。彼は自分の話を一体どう捉えただろう。


「エルシア」

「は、はい……」


 いつの間にか呼び名から”嬢”すら取れていた。今に限って、彼はエルシアの前で取り繕うとしていない。


「ケト・ハウゼンの異常性と手にした時の優位性。王都の情勢、当家の立ち位置。二、三思うことはあるが、ほぼお前が言った通りだ」

「……」


 アルフレッドはにやりと笑って続ける。


「確かにケト・ハウゼンは、当家にとってそれ程有用性があるわけではない。だから、他家に渡らないのであれば、お前たちがどうしようと構わないというのが私の考えだ。元々、今回の招集を推し進めたのは騎士団だからな。彼らは、噂の娘を喉から手が出る程欲しがっている。よくもまあ踊らされたものだ」


 エルシアははっとした、もしかしたらここが畳みかけるポイントかもしれないと気付いたのだ。アルフレッドは、自分の話は一定の価値があると認識し始めている。


「ケトを従軍させるならともかく、後年、子を為して力を受け継がせようとするなら、その目論見は失敗します。ケトの力は後天的なもので、ご両親から受け継いだものではありません。ですから、子が受け継ぐ可能性は限りなく低いはずです」


 真っ赤な嘘だ。子供に能力が受け継がれるかどうかなんて、エルシアに分かる訳がない。

 狙いは一つ。王都が知らない事柄を知っているとちらつかせることで、エルシアの進言には耳を傾けるべきであると印象付けたかったのだ。

 自分の意見を聞き入れてもらいやすくなればなるほど、ケトがブランカに戻れる可能性は高くなる。


「後天的だと?」

「あの子の力は龍の生き血によって得たものですから」


 間髪入れずに食いついてきた青年に、今度は事実を一つぶら下げてやった。恐らくアルフレッドの中で、エルシアに対する警戒心が更に上がったはずだ。

 思った通り、青年はもはや微笑みすら浮かべていなかった。エルシアを交渉相手と認識した青年の栗色の瞳が、亜麻色の髪の娘を鋭く射抜く。


「どうやら私は君を見くびっていたようだ。まさか例の少女の保護者がここまで曲者(くせもの)だとは思わなかった」


 エルシアは表情を変えないまま、軽く頭を下げて返事の代わりにした。アルフレッドは続ける。


「しかし、()せないな。こう言っては何だが、たかが町娘程度で、王都についてそこまでの情報を持ち、考えを組み上げられるとはとても思えん。今の発言がどこまで信じられるかも分からんしな」


 アルフレッドは完全にエルシアを睨みつけている。口を開いて出てきた言葉は、刺々しさを帯びていた。


「お前、何者だ?」


 エルシアはその視線をまっすぐに見つめ返す。ここで怯むのは悪手だと痛いほどに分かっていた。ゆっくりと、落ち着いて返答する。


「私は、ブランカの冒険者ギルドの職員です」


 疑り深い視線は注がれたままだ。胸元のお守りを握りしめたい衝動をぐっとこらえて、エルシアは続ける。


「ギルドマスターから、王都の情勢は詳しく聞いていました。それに、冒険者ギルドの受付というものは様々な情報が集まります。特に最近は、旅人や商人が数多くブランカを訪れていましたから。それを元にすれば、先程の推論にたどり着くことはそう難しくありません。ケトにまつわるあれこれについては、彼女の両親を探していた時に偶然知った事象にすぎません」

「……一応筋は通るが」


 受付嬢の言葉を聞いた青年はしばらく考え込んだ後、ぽつりとつぶやいた。その後で息を吐くと、顔を上げた。


「先程お前が言ったケト・ハウゼンの扱い、一考の価値がある。騎士団の中に過激な思想を持つ者もいるのは事実だ。彼らに持ち去られるより、これまでの生活を続けてもらう方が、当家にとっても国にとっても波風立たずに済むという点で魅力的ではあるな」

「……しかし、そのためには、噂があくまで噂に過ぎないことを証明する必要があります」


 ケトの能力を肯定した上でのエルシアの発言に、アルフレッドは呆れたように笑う。


「結局、王都での検査結果を書き換えてしまえば良い話だ。そうすれば、おとぎ話のような馬鹿力の少女は存在せず、ちょっとした神童が、噂に踊らされて王都を訪れたという結果にできる。もちろん、ブランカの方では、後見に私が付いたことにして、口止めを徹底させる必要があるがな」


 エルシアはそうと分からないよう息を飲んだ。ギリギリの交渉にしては相当良い結果を収めつつある。


「もう一つ問題が」

「言ってみろ」

「先程の賊のことです。王城の方々とは別の意思を持つ者がいることは知っています。仮にブランカに戻っても、その者たちに連れ去られてしまっては元も子もありません」


 アルフレッドは明らかに渋い顔をした。やれやれと呟いたその声に背筋が冷える。そのまま彼はうんざりしたように呟いた。


「そちらは”白猫”の問題だけには限らん。早急に対策が必要な事は確かだが、迂闊(うかつ)に動けば問題をこじらせかねない。その問題についてはしばらく私に任せてもらおう」

「……畏まりました」


 いつの間にか辺りには暗闇が満ちていた。両者の間に沈黙が落ち、白熱した頭を冷やす。


「だが、本当に驚いたな。たかがギルドの受付娘がそこまで考えているとは」

「……出過ぎたことを申しました」


 アルフレッドは呆れ顔だった。


「今更言うくらいなら、元から言わない方がマシだ。しかし、”白猫”をブランカに戻す、か。それは考えなかったな……」

「元々はどうされるおつもりだったか、お聞きしても?」

「検査の結果次第だと言っただろう。場合によっては、検査結果を改竄(かいざん)した上で、当家で囲うことも考えていた。大したことがなければ、騎士団の要求通り、剣を握らせるつもりだった。こちらとしては波風さえ立たなければそれで良い。”白猫”が使用人になろうが、騎士になろうが、田舎町にいようが、大差はないさ」


 青年は「しかし……」と続けた。どこか純粋に不思議がっているかのような口調で問う。


「王都に行くと言えば、大抵の者は喜ぶものだ。今よりも良い暮らしができるかもしれない、大金を手にできるかもしれない、とな。しかしお前は、まるで王都を敵視しているかのようだ。あの娘を守りたいのは分かるが、何がそこまでさせる?」


 エルシアは視線を軽く落として考える。

 答えは自分の中で確固たるものとなっているが、それを上手く説明できないのも相変わらずだ。エルシアはいつまでたっても本音を上手く伝えられない。

 そんな自分に心の内でため息を吐きながら、一挙手一投足を注視する視線を受けつつ、口を開いた。


「……似ている、と思ったのです。私は孤児で、かつては日々生き抜くことすら危うかった。それを周囲の人たちに助けてもらって、笑って泣いて、喜んで悲しみながら育ててもらいました。だから今、こうして生きていられます。本当に感謝してもしきれない。ケトが初めてギルドに迷い込んできた時、そのひもじそうな、寂しそうな顔に痛いほど覚えがありました。ならば今度は、自分が道標となってあげたいと思った。この子がいつの日か、自分の力で生き抜いていけるようになるまで、守り抜いてあげたい。ただ、それが全てなんです」


 アルフレッドは表情を変えずに、ただエルシアを眺めていた。


―――


 エルシアが去った後には、宵闇が青年を包んでいた。受付嬢の姿が完全に消えたことを確かめてから、アルフレッドは低く唸る。


「コンラッド、いるか」

「ここに」


 闇夜の間から男が滲み出た。黒いローブのお陰で輪郭がぼやけて見えるが、そんなことは気にせず、青年は、看板娘が消えた方角を見つづけていた。


「……あれを、どう思う?」

「とんだじゃじゃ馬です。穏やかそうな顔をして、抜け目ない人間かと。先程語ってみせた話もどこまで信じられたものか分かりません」


 男の主人は、口元に手を当てて、考えて込むように言った。


「そうだ、どこまでが演技か分かったものではない。だが、少なくとも、ケト・ハウゼンの事柄から、王都の情勢まで繋げて見せた。その洞察力は流石と言うべきだろう」


 男は無言を返答にした。主は今考えを整理しているのだ。それを邪魔するような真似など、”影法師(シルエット)”の彼がするわけがない。


「……田舎町のギルド職員が、普通あそこまで考えつくか? ギルドの受付は情報が集まるなどと言っていたが、いくら何でもおかしい。王都の民衆でさえ、大半が気付かないような内情だぞ? 噂ごときで推測できるとは思えん。……コンラッド、あの娘が何者かから指示を受けている線はあると思うか?」

「……それでは、これまでのケト・ハウゼンの扱いに筋が通りません。少なくともこれまでのエルシア嬢は、”白猫”の力を積極的に使おうとしていませんでした。裏に誰かいるなら、もう少し不自然な動きを取るはずです」


 宵闇に反射して、青年の瞳がギラリと光った。


「コンラッド、命令だ」

「はっ」

「護衛は他の”影法師(シルエット)”に任せる。お前は、エルシアと言うあの娘、正体を探ってこい」

「畏まりました」


 呟くなり、宵闇に身を隠した男を見送ってから、青年は呟いた。


「名前といい、あの髪といい、まさか、とは思うがな……」

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