ケト招集 その4
男は大きく深呼吸をした。
手に握った剣の重みを確かめる。身を潜めている木の陰からちらりと獲物の様子を確認し、頭を引っ込めた。木々の先、姿は見えなくとも、襲う相手の存在は車輪と蹄鉄の音が教えてくれている。
ふと、男は思考を故郷の町まで飛ばす。
家族は大丈夫だろうか。飢えてはいないだろうか。無残に壊された家の中で暑さに苦しめられながら過ごした夏を思いやり、密かにため息をついた。
きっと心配いらない、と男は自分に言い聞かせる。なす術もなくただ飢え死にを待つだけだった自分たちを救ってくれた”彼ら”が、きっとまた家族を助けてくれる。
その恩を返すため、自分たちは今ここにいるのだから。
春先、と言ってもまだ雪の解け切らない頃、男がいた町は魔物に襲われた。
雪のせいで気付くのが遅れたのがいけなかった。満足な迎撃もできず、男達は苦戦を余儀なくされた。それがスタンピードだと気付いたのはずっと後の話で、その時は無我夢中で剣を振るったものだ。
戦いが終わった時、生き残ったのは奇跡のようなものだったと、男は思った。しかし、本当の地獄はその後に待っていたのだ。
気付いた時には家は壊され、蓄えた食料は跡形もなく奪われ、畑は踏み固められていた。飢えと寒さで見知った者たちがバタバタと倒れていくのを見ていることしかできなかった。
だからこそ、”彼ら”に報いなければならないと、男は決意を新たにする。
無残に荒れ果てた町に突然現れ、飢え死ぬ末路から自分と家族を救ってくれた”彼ら”。食料を分け与え、住居を直し、翌年の作物の種まで与えてくれた”彼ら”。
彼の町が、そして家族が生き延びたのは、紛れもなく”彼ら”のお陰だった。そんな人たちの頼みだからこそ、男は厳しいと分かっていても剣を取ったのだ。
目的は一つ。馬車にいるはずの銀髪の娘の確保。話によると、自身も望まぬ町に捕らわれ続けた少女だとか。それを政治の道具にするため、王都に移送されるのを阻止したいというのが、”彼ら”の願いだった。
数日前、慌てたように現れた”彼ら”は、白の修道着を靡かせて、男達に頼みこんだ。どうか彼女を魔の手から救い出して欲しいと。
遠くから馬のいななきが聞こえ、男は現実に引き戻された。
厳しい戦いだというのは分かっている。それでも、故郷を救ってくれたあの人たちに報いるのが自分の務めだ。たとえ、彼らが語った言葉に嘘が含まれていると分かっていても、自分の行動は変わらない。
家族が持たせてくれた木彫りのお守りを懐にしまい、男は合図がかかるのを待った。
―――
「敵襲ッ!」
鋭い叫び声がかかった瞬間、辺りに殺気が膨れ上がったのが馬車の中の三人にも分かった。
ガルドスが馬車の中で抜身の剣を握りしめて窓際にへばりつく。その後ろでケトが大きく体を震わせて、エルシアにしがみついた。
一拍置いて、数本の矢が殺到する。
馬車目掛けて飛ぶ矢は、明らかに御者席を狙っていた。御者を貫くはずの矢は、しかし半透明な壁に阻まれ甲高い音を立てる。馬車に積まれた防御魔法装置が作動した証拠だ。
それが合図だった。
四方八方から男たちが雄たけびを上げながら飛びこんでくる。
小窓から見える範囲でも五人以上。ほとんどが冒険者の格好をしているにも拘らず、覆面をしているのが明らかに異様で、ガルドスはぞっとした。
しかし、馬車を囲む騎士達は動揺などしなかった。
迎え撃つ護衛、その中でも後列に待機していた者たちが、一斉に手を掲げる。
括りつけられた小瓶が光り、術者の手が輝いた。魔法の一斉射。光の槍が、突撃する襲撃者に向けて一直線に飛び、革鎧ごと射抜く。
一気に数を減らした襲撃者に、前衛の騎士が襲い掛かった。衝突。剣と剣が交わされ、甲高い金属音が鳴り響く。
拮抗を保っていたかのように見えたのは最初だけ。練度でも、装備でも劣る襲撃者たちは、唯一勝っている数すら活かすことができず、じりじりと押し負けていく。
ガルドスは馬車の中で思わずため息を吐いた。
アルフレッドの言う通りだ。自分達の出番など、どこにもない。王都の訓練で鍛えられた兵士たちは伊達ではなかった。戦場を見れば、練度の差は一目瞭然だ。
ガルドスの視線の先で、覆面が騎士に切りかかる。
軽々と受け止める騎士は、鍔迫り合いに持ち込みすらしなかった。力を受け流しつつ、がら空きの脇腹に蹴りを叩き込む。プレートメイルを付けた足は、それだけで鈍器で殴られたような衝撃を与えたのだろう。吹き飛ぶ位置を予測して撃ち込まれた相方の魔法が、粗末なレザーメイルを貫き、襲撃者の腹に大穴を刻んだ。
敵の弓使いには、後方の魔術師たち相対した。
交わされる矢。木々を盾に動き回る襲撃者相手に、魔術師が薄く波打つ魔防壁で引き付けている間に、隣の弓兵がロングボウを放つ。
後方の魔術師達が防御に集中しているのは、限りある魔法を奥の手として残しておくためか。それとも万が一にも馬車に攻撃を通さないためか。アルフレッドの指示を聞く限り、恐らくは後者なのだろう。
そもそも騎士達は、単独で動くということをしていなかった。全員が相棒に背中を預け、二人一組で互いの死角を補っている。
前衛は剣士同士。後衛は弓兵と魔術師。
どれだけ厳しい訓練を積めばあれ程の動きができるのか。互いの動きを熟知し合ったその戦い方には無駄も隙もない。
ブランカの冒険者とは大違いだ、とガルドスは思う。洗練され、半ば美しさすら感じさせるその動きは、間違いなく自分達には真似できるものではない。
仮に今、自分が出しゃばって加勢しても、この場に不純物を混ぜ込むだけだ。なるほど、アルフレッドが「心配いらない」と言う理由も分かるというものだ。
奥の席に座るエルシアは、まだそれが実感できていないらしい。
彼女は唇を噛みしめながら、目の前の貴公子を見つめていた。右手に剣を、左手はケトをそれぞれ離そうとしない。
いつの間にか、多くの襲撃者たちが命を散らしていた。形勢が不利だと見たのだろう、生き残りたちは戦場からの離脱を図りはじめる。
木々の間から、矢が雨あられのように降り注ぎはじめ、防御魔法と衝突した。撤退の援護射撃だ。もはや狙いもあったものではなかったが、それでも、護衛対象がある騎士たちの動きを、つかの間鈍らせるくらいには役に立った。
その一瞬をついて、襲撃者たちは脱兎のごとく逃げ始める。仲間の死体には目もくれず、彼らは這々の体で森に飛び込んでいった。
「追うな! 警戒態勢を維持だ!」
元々厳命されていたからか、それとも護衛隊長の大声が効いたのか。
騎士たちは誰も森に飛び込むことはなかった。代わりに一糸乱れぬ動きで、防衛の布陣を立て直す。
「状況報告」
あちらこちらから「敵影なし、損害なし」の声が聞こえる。
状況の把握一つとっても規律が感じられて、ガルドスはまたため息をついた。これが冒険者のパーティなら、追いかけようとする若手を押さえるのに一悶着ありそうなものなのに。
そのまま待つことしばし。馬車の小窓が叩かれる。
「アイゼンベルグ卿」
窓の外にはプレートメイルを付けた騎士が佇んでいた。恐らく彼が護衛隊の隊長なのだろう。アルフレッドとの小声の会話が、エルシア達の耳にも入った。
「状況は?」
「敵は撤退。こちらに損害はありません。敵は計十七人を確認。内九名を排除」
事もなげに状況を報告する護衛隊長も、それに答えるアルフレッドも、口調は淡々としていた。今さっきまで目の前で命のやり取りをしていたとは思えない落ち着きだ。
「了解した。隊列を組んだまま移動する。護衛は引き続き下馬して警戒を。ある程度離れたら騎乗して更に距離を取る」
「死体はいかがいたしましょう。何名か残して身元を探りましょうか?」
「放置で良い。移動が先だ」
「畏まりました」
程なくして、馬のいななきと共に馬車がゆっくりと動き始める。
不安そうな顔をしたままのルシアやガルドスを尻目に、アルフレッドはこちらに向き直ると優雅に微笑んで見せた。
「すまない、不安にさせただろう。賊は全て片づけたから、もう心配はいらない」
「もう怖い人いない……?」
「ああ、護衛達は精鋭を集めているから。賊も恐れを為して逃げていったよ」
ようやくエルシアの腕の中から身を起こしたケトに、アルフレッドは優しく語り掛ける。狭い車内で苦労しながら剣を収めるガルドスの隣で、ほうっと胸をなでおろしたケトは「怖かった……」と呟いてへにゃりと微笑んだ。
エルシアもまた少女に微笑み返しながらも、小窓の隙間から外の様子を覗いてみる。
倒れ伏した男達。地面に黒々と広がる血。
逃げる途中で力尽きたのだろう。血の跡を長々と引きずった男の一人が、木彫りの人形を掴んだまま息絶えているのを見てしまって、エルシアは後悔した。




