ケト招集 その2
「ま、負けた……」
「だから何の勝負なんだよ」
「これで二日連続……」
昼過ぎのギルドには、どこか気だるい雰囲気が漂う。残暑が収まってきたこの時期でも、それは変わらない。
ケトは中庭に面したドアから、室内に戻って来たところだった。最近恒例になった子猫のミヤとの勝負は散々たる有様で、また手を引っかかれてしまった。隣のジェスの呆れ顔を受け流し、ロビーの椅子に腰かける。
ギルドの中で待っていたサニーとティナが、二人を出迎えた。
「おかえり、ケト。今日はどうだった?」
「……油断した。おなか見せたからいけると思っちゃった」
「二回もやられてた。でもさ、ミヤも爪立ててないだろ。ケトの腕、赤くなってすらいないじゃん。あれホントにひっかいてるのか?」
はじめの方こそ、ギルドに突然現れた子供たちに、変なものを見る視線を向けていた冒険者たち。だがしばらくたった今では、慣れきったいつもの風景だ。中には子供たちの相手をしている人もいる。
隣のテーブルを占拠していたガルドスとミーシャが、子供たちの会話を聞いて笑っていた。カウンターに佇んでいたエルシアが、スイングドアを軋ませてお茶を持って来てくれた。
「残念だったね」
「うん……。悔しい」
カップのお茶を受け取りながら、明日こそはと意気込むケトの隣で、サニーが身を乗り出した。
「それじゃ、ケトとジェスが戻って来たところで!」
きゃいきゃい騒ぎながら、椅子によじ登って今日の計画を相談する。
資材探しがてら、秘密基地の候補を見つけるのも良い。東門の近くを探検するのも楽しそうだ。四人であれやこれや話し合うのを背中越しに聞きながら、エルシアが定位置のカウンターに戻っていった。
「ん?」
ケトの感覚が、建物の外に何かを捉えたのはその時だった。
前の道が何だか騒がしい気がして、神経をそちらに飛ばす。
感じ取れたのは、そわそわとする人たちと、落ち着いた人。その中心にいる一つが、妙な存在感を放っている。結構近い。もしかしなくても、もうギルドの目の前にいるのではないだろうか。
ケトが思わずドアの方に視線を向けたのと、扉がノックされたのは同時だった。
普段のお客さんにノックする人なんていない。サニーやティナだって、ノックなんてしないで入ってくるのに。
エルシアが首を傾げながらカウンターから再び出てきた。フロアを横切って入口へ。
表のドアを開けると、ケトの感覚が示す通り、そこには沢山の人が集まっていた。先頭に何故か困惑顔のエドウィンがいるのが、ケトの席からでもちらりと見える。
「エドウィンさん? どうしたの?」
「ああ、エルシアさんか。実は……」
応対している受付嬢の背で遮られて、外の様子がケトたちには見えない。だが、エルシアがピクリと肩を震わせ、纏う雰囲気が一変したのは分かった。
思わず、といった様子でエルシアが呟いた。
「あ、貴方は……」
「突然押しかけたりしてすまない。ここに、ケトという名の少女がいると聞いてきたのだが」
エルシアが一歩後ずさると、そこには高貴な身分だと一目で分かる、美しい青年が立っていた。
―――
「どうぞ……。あの、申し訳ありません。ギルドマスターは今町の会合に出かけていまして……」
エルシアが来客用の陶器のカップを青年の前に置く。
彼の向かいの椅子に座る羽目になったケトを心配そうに見つめながら、エルシアはトレーを抱えたままテーブルの隣に佇んだ。
あたりがザワザワしているのは、単純にロビーの丸テーブルでいいと青年が笑ったせいだ。エルシアがせっかく応接室に案内しようとしたのに。
ケトは恐る恐る目の前の人物を見つめた。
ゆるく巻かれた金の短髪。落ち着いた色彩の茶色の瞳。スマートな体格だが、決して弱々しさは感じない。ケトは思わず、絵本に出てくる王子様を思い浮かべてしまった。
周りの人間の視線を痛いほど受けていながら、青年は堂々と椅子に腰かけている。きっと見られることに慣れているのだろう。
「君がケト嬢だね」
「え、う、うん……」
「突然押しかけたりしてすまなかった。まずは自己紹介をさせて欲しい」
青年が腕を組んでケトを見つめる。どうやら自分には想像もつかない程偉い人だというのは、少女にもなんとなく分かる。だが、なぜそんな人が自分に声をかけてきたのかは、さっぱり分からなかった。
思わず助けを求めるようにエルシアを見上げると、ケトの隣に立つ彼女は、安心させるように微笑んでくれた。だが、その笑顔が硬いのは流石に気のせいではないはずだ。
「私は、アルフレッド・アリアスティーネ・アイゼンベルグと言うんだ。以後お見知りおきを、小さなレディ」
「んえ? アルフレッド……?」
「領主様の嫡子殿だ。一言で言うと、この町を治める、とっても偉い方ってこと」
同じテーブルについていたエドウィンのフォローが入るが、やっぱりケトにはピンと来ない。アルフレッドは苦笑しながらエドウィンに向かって首を振ってみせた。
「……偉いと言っても、ただ生まれた家に恵まれたというだけだ。私自身が何か手柄を立てたわけではないからね。その名に恥じぬよう日々務めてはいるが、これが中々難しい」
偉い人だか何だか分からないが、ケトの目には気取った変な人だと映った。
「えっと、どうして、わたし……?」
ケトがおずおずと聞くと、青年は姿勢を正してケトに向き直った。
「ケト嬢。実は君にお願いがあってきたんだ。少々難しい話なので、できれば親御さんにも一緒に話をさせてもらおうと思っているんだが……。ご両親はどこにいるか分かるかい?」
「え、えっと……」
「あの、少しよろしいでしょうか」
どう答えれば良いのか分からず口ごもっていると、エルシアがお盆を抱えたまま、ケトの隣に一歩歩み寄ってくれた。
そこでアルフレッドが初めてエルシアに視線を向ける。それを受けたエルシアは軽く頭を下げた。
「君は?」
「突然のご無礼、申し訳ありません。この子の保護者をしている者です。……その、言うなれば私がこの子の親代わりのようなものかと」
「なるほど。ケト嬢、とても素敵なお姉さんだね。名前を教えていただけないかな、レディ」
看板娘の返答を聞いた貴公子は、エルシアをしばし眺めて、華やぐような笑みを浮かべた。対するエルシアは強張った表情のまま、口を小さく開いて答える。
「……エルシアと申します。このギルドの職員です」
「……エルシア」
何を思ったのか、奥のテーブルでミーシャがサニーと二人、きゃあと声を上げているのが少女の視界の端に映った。
アルフレッドはしばし、エルシアにじっと視線を向けている。彼のその目が少しばかり細まって、穴が開きそうな程に亜麻色の髪の娘を見つめていた。ほんの少しだけ、エルシアが居心地悪そうに体を揺らした。
「それで、その、この子が何か……?」
エルシアはの口調は、いつも持っていた余裕をどこかに置き忘れてきたように思える。訝しむケトをよそに、エルシアの視線を受けた青年は話を始めた。
「うん、ああ。驚かせてすまないね。実はケト嬢に、王城まで来てもらいたいと考えているんだ」
「王城……。王都カルネリアへ、ですか?」
「ああ。もちろんこんなに小さな子を一人で、などという野暮を言うつもりはない。保護者であるエルシア嬢も一緒に来てもらって構わない。その間の旅費や滞在費はこちらで賄うし、もしも仕事を休まなければいけないなら、その分も補填するつもりだ」
ガルドスが奥のテーブルで「すげーな」と呟いていた。ケトには何がすごいのか分からないが、ガルドスがそう言うならすごいのだろう。いけない、何だか小難しい話になってきたせいで、ケトは色んなところに気が散ってしまう。
エルシアは対照的だった。その視線には普段とは明らかに異なる刺々しさを感じるが、偉い人達を睨みつけたりして大丈夫だろうかと、ケトは心配だ。
「それは……。私たちなどにはもったいないほどのお話だと思いますが……」
そこでエルシアは息を吸った。
「失礼ながら、その理由をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか」
その言葉を聞いて、アルフレッドはゆっくりと頷いた。柔らかな笑みを消し、真面目な表情でエルシアを見据える。
ほんの少し、何かが切り替わったように彼の雰囲気が変わった。いつの間にか、エルシアと同種の緊張感が、二人の間で交わされている。
「エルシア嬢はこんな噂をご存知かな。最近になって広まったものなのだが……」
アルフレッドが手を組んで、口元まで持っていく。じっとエルシアを見据えて、まるで物語でも紡ぐように語り掛ける。
「”ブランカの町に、銀の戦乙女がいる。彼女は千の魔物を吹き飛ばす程の力と、山を穿つほどの魔法を使いこなす少女。何でも先日の魔物の襲撃では、彼女はたった一人で魔物の大群を跳ね返したとか。だからブランカは無事だった”」
ケトは思わず息を飲んだ。
戦乙女だの何だの訳の分からないことばかりではあっても、話の途中で、少なくともそれが自分を指していることは分かった。
「その戦乙女が、この子だと考えていらっしゃるのですか?」
「それはまだ分からない。今の話はもちろん噂に過ぎないしな。だが、本当にそんな少女がいるのだとしたら? 王都としても噂を放ってはおけなくてな。だからこそ私がこうして迎えに来たという訳だ」
ケトにはエルシアがトレーを掴む手に少しだけ力が込めたのが分かった。
その様子に、ケトもなんだか胸騒ぎがし始める。そんな二人を知ってか知らずか、青年は続ける。
「いかがだろうか、エルシア嬢。ケト嬢のことで何か心当たりはあるかな?」
エルシアはしばらく答えなかった。そんな彼女からアルフレッドが目を逸らすことはない。しばし硬直した時間が流れた後、エルシアは観念したように呟いた。
「……はい」
「そうか……」
呼応するようにアルフレッドの眉間にしわが刻まれる。彼はエルシアをしかと見据えて語りかけた。
「先程私は、来てほしいという言い方をした。しかし実際には、ケト・ハウゼン嬢に招集命令が出ていてね。申し訳ないが、好む好まざるを別にして一緒に来てもらうことになる」
「招集命令……」
呻くように言葉にしたエルシアが、気持ちを切り替えたように問いかける。
「向かった後、ケトをどうされるおつもりか、お伺いしてもよろしいですか?」
「それは王都に行って彼女のことを確かめるまで分からない。むしろその検査のために王都まで行くんだ。既に騎士団からは当家に圧力がかかりだしていてな」
椅子から立ち上がったアルフレッドは、すまないな、と詫びを入れた。それが何に対する謝罪か、分かるのはエルシアだけかもしれない。
「もちろん、君たちの意思も尊重するつもりだ。可能な限りの便宜は図ると約束しよう。だが、考えてもみてくれ。仮に噂の数割でも本当だとしたら、国にとっても大きな影響を及ぼす。その力はまさに、利にも害にもなり得るんだ。だからこそ、王都まで来てもらう必要がある」
エルシアは考えるように目を閉じ、堅い声のまま問いかける。
「……それは、場合によっては王国直接の保護下に入り、王都に滞在し続けることになるということ、そうですね?」
「お、おいエルシアさん! いくら何でもアルフレッド様に失礼だぞ」
思わずたしなめたエドウィンを、手を上げて制したアルフレッドは、重々しく頷いた。
「可能性は高い。その必要があると判断されれば、その時君たちに拒否権はないと思ってくれ」
自分のことだというのに、会話から取り残されていたケトは、急に不安になってしまう。王都に行って帰れない、自分は今、そう言われてはいないだろうか?
思わずエルシアの服の裾を握ると、看板娘はぱちりと目を開いた。ケトと視線を合わせて、頭を撫でてくれる。その姿勢のまま、エルシアは答えを返した。
「アルフレッド様。この子にも、もちろん私にも、王都の皆様がご心配なさるような考えを持ってはいないと誓います。ただ、私たちにとっては、町娘としてこれまで通りの生活ができる。それに勝ることはないのです」
エルシアは小さく息を吸って続ける。ケトの頭に置かれた手が強張っているのが分かった。
「ですが、おっしゃったことの意味は、この鈍い頭でも理解できます。むしろこの子や私のような平民に、便宜を図るとおっしゃっていただいたこと、心より感謝いたします。王都に向かう旨、承知いたしました」
隣のエドウィンが真っ青な顔をしている。慇懃無礼に物申した上で、深々と頭を下げる看板娘に、公爵家嫡子は苦笑した。
「なんとも回りくどい言い方をするお嬢さんだ。だが、随分とこの町を気に入ってくれているようで、領主一族の人間としては、喜ばしい限りとも言えるな。……エルシア嬢、こちらにも色々と事情がある。まずは王都まで来てもらえるのであれば、取り急ぎ問題はない。この町に戻ることが願いだというなら、私の力が及ぶ限り便宜は図ろう」
言葉だけ捉えれば、互いに歩み寄る和解の言葉に聞こえただろう。だが、ケトにはまるでケンカをはじめる合図に思えて、身震いしたのだった。




