路地裏の攻防戦 その9
ジェスは周囲を窺っていた。
閉じ込められていた部屋から出た時に、自分たちが東町にいることに気付いた訳だが、だからと言って何もできないのは相変わらずだ。
ケトと二人、後ろ手を縛られて男達の前を歩く。少年にだって、闇雲に暴れて何とかなる相手ではないということは、身に染みて分かっていた。
人攫い達の話ぶりから、どうやら町の冒険者たちが自分たちのことを探してくれているらしいと知った。少しだけ明るい表情で顔を見合わせた二人だったが、誰か見知った顔がないかと目を皿のようにしてみても、細く薄暗い路地には人っ子一人見えない。
幸いなことに、足は縛られていない。隙さえあれば駆けて逃げられそうではあるのだが。
「いいかケト、もし誰か見つけたら、大声で助けを呼ぶんだ」
「う、うん……」
小声で囁くジェスに、ぴったりと体を寄り添わせるケト。その視線はきょろきょろと泳いで落ち着かない。
近くで見ると、彼女の長い睫毛の一本一本までくっきりと見える。ジェスはまたしても少女の美貌に見とれてしまった。不安に潤む銀の瞳。ふっくらとした血色の良い頬。きめ細やかな肌にはシミ一つない。
「ダメみたい……」
「え?」
柔らかそうな唇を寄せてケトが囁いた。ボケっとしていたジェスは言葉の意味が分からず、慌てて聞き返す。
「近くにだれもいないの。この人たちそういう道ばかりえらんでるみたい」
「分かるのか?」
「うん、何となく」
少女には珍しく、その口調に迷いがない。目を見開いてその顔を見つめた少年だったが、銀色に上目遣いに見つめられて顔を赤くした。
慌てて視線をずらす。そんな場合じゃないだろうと心の中で自分をどやしつけながら、ジェスは人攫いの方を窺った。
人攫い達は彼ら同士の会話で、こちらの様子までは注意を払っていない。その声が聞き取れないかと耳を澄ませるものの、小声では聞こえるはずもなかった。ジェスが一人肩を落としていると。
『……本当に良いのか?』
『この人数で動けば逆に目立つ。既に町中を冒険者が駆けまわっているからな。こちらは気にせず攪乱を頼みたい』
少女がその姿に似合わない言葉をつぶやきだした。ギョッとして目を開いたジェスだったがふと思い立って、小声で問いかける。
「奴らが何言っているか分かるのか?」
「これくらいなら、なんとか」
緊張を浮かべながらも、ニコと笑いかけるケトに、ジェスは頷く。何も言わずともケトは一味の方を向いて口を開き続けた。
『だが……』
『子供に後れを取るようなヘマはしないさ。できるだけ時間を稼いでくれ。敵の戦力を分散させて、町の外で合流しよう』
『それしかないか。……幸運を祈る』
『あんたらもな。死ぬなよ』
その言葉の通り、男達が一人、また一人と離れつつあった。
それはどうやら捜索している冒険者達の裏をかくためらしい。どことなくバツの悪そうな表情の男達が路地裏へと姿を消していった。
「こっちに来るぜ」
「うん……」
ジェスの後ろにケトが隠れる。それだけで、少しばかり勇気が湧いてくるのだから自分も単純だ。
「悪いな、待たせた」
「待ってないし」
間髪入れずに憎まれ口を叩いたジェスに、ランベールは苦笑した。
「ここからは俺しかいないが、逃げようとは思うなよ? ガキの一人や二人、いくらでも抑え込めるんだから」
「ふん」
男達を見送ったランベールに鼻を鳴らしてやる。
もはやジェスとケトの前にいるのは彼一人だけだ。ジェスがキッと睨みつけても、彼はどこ吹く風だ。子供たちに歩くよう促しながら、肩をすくめてみせた。
「……そんなに睨みつけるなよ。視線で穴が開きそうだ」
「この人攫い、こんなことして楽しいのかよ!」
「うーん、楽しくはないな。必要だから、やるしかないんだ」
路地の突き当りを左に曲がる。一縷の望みをかけた向けた視線の先にも、やはり誰もいない。
「……必要、だから」
「ケト?」
小さな囁きが後ろから漏れ聞こえたのは、その時だった。振り返ったジェスに、ケトは首を横に振って見せると、幾分迷った仕草を見せながら小さな口を開いた。
「ランベールさん。もしかして……わたしのせい?」
「……」
ランベールは何も答えない。ケトは怯えた素振りを見せながらも、更に言葉を探したようだった。
「わたしが、変な力を持ってて、まほうも使えるから。だからさらったんでしょ?」
すぐ近くのランベールを見上げると、彼は苦虫をかみつぶしたような顔をして、唸るように口を開いた。
「……だったら何だ」
「もしそうなら、ジェスだけでもはなして」
「何だと……?」
人攫いが目を丸くする。驚いたのはジェスだって同じだ。
「ケト!?」
思いもよらない言葉に、少年は目を剥いて隣の少女の顔を見る。
思わず肩を掴もうとしたが、手を縛った縄が邪魔だった。歯噛みしながら、少年は噛みつくように声を荒げる。
「何言ってるんだ、お前。あんなに怖がってたのに……!」
「だ、だって、わたしのせいでジェスまでつかまっちゃうのはおかしいもん! わたしの変な力がいけないなら、ジェスがこんな目にあうひつようない!」
「じゃあお前はどうすんだよ!?」
「わたしは大丈夫だもん!」
まっすぐに見つめられた瞳。揺らめく銀色に少年が映る。
今日だけで何度も見た瞳。見飽きるということなく思わず見とれてしまったその色に、幾ばくかの決意の色が見えて、ジェスは心底慌てた。
「ダ、ダメだかんな! おい人攫い、ケトを連れて行くなら俺も一緒だぞ! こいつを残して俺だけ放すなんてナシだぞ!」
「え……、あ! そんなのダメだよ! 変なこと言っちゃダメだよ!」
血相を変えたケトもまた騒ぎ立てる。
「変じゃねえ! バカなこと言ってるのはそっちだろ!」
「ううー! ジェスの分からずや!」
「うるせえ、泣き虫女!」
お互い一歩も退かず睨み合っていると、しばらくしてランベールが口を挟んだ。
「……お前たち、勝手に盛り上がるなよ」
心底呆れたような口調だったが、どこか楽し気な響きが含まれていたのは気のせいだろうか。
「悪いが、まだお前たち二人とも離すつもりはないぞ。残念だったな」
「ちっくしょう。悪党め、いつか絶対ぶん殴ってやる」
「そう怒るなって、ジェス。……それからケト。お前さんの言ったことは半分正解だ。元々、お前さんに変な力がなければ俺はこの町に来なかった。それは確かだ」
「……やっぱり!」
震える声で言葉を紡ぐケト。ショックを受けた様子の彼女を見たジェスは、彼女にどう声を掛けていいか分からなくなる。そんな二人をちらと見やって、ランベールはかすかに笑った。
「だがな、ケト。それを気に病む必要はないさ。聞けばスタンピードの時、お前が町を救ったんだろう? それは誇ることでこそあれ、責められることではないはずだからな」
「……でも」
「……人攫いに言われたくねえ」
俯いてしまったケトと、仏頂面のジェス。そんな二人を見て、ランベールは今度こそはっきりと穏やかな笑みを浮かべた。
そのまま二人から視線を外すと、建物の影から道を覗き込む。その横顔から「俺は何をやってるんだろうな……」という呟きが聞こえたような気がした。
―――
気に病む必要はない。
そう言われて、はいそうですかと答えられる程、ケトは鈍感じゃない。
ケトだって、自分の力がおかしいことくらい分かっているのだ。
力を使うなんて発想は元からなく、ただ見ないようにしていただけ。だけどこんなことになってしまったら、ケトにはどうしたらいいのか分からなくなってしまう。
自分一人ならまだ良かった。けれども今ここにはジェスがいる。ケトのせいで巻き込まれてしまった少年がいる。ケトが傷つけてしまってもなお、それでも元気づけてくれる彼が今も隣にいるのだ。
角を曲がると、細い路地の先に壁が見えた。随分前から、自分の居場所は分かっていた。東門の近く、町の外までもう距離がない。
いつの間にかランベールの雰囲気も変わっていた。鋭い目つきで周囲を見渡す。警戒を一段階引き上げているのだ。
ほら、まただ。
その認識は正しいと、ケトの中に巣食う龍が言っている。普通の人はそんなこと分かるはずがないのに。少女にだけは龍が教えてくれる。
分かってしまうから、考えざるを得ない。このまま縮こまっていてはいけないのではないか。人攫いに気付かれてしまうのではないかと、考えずにはいられない。
だから、意を決して話しかけることにした。幸いと言うべきか、ケトは目の前の男に聞きたいことがあるのだから。
「……ねえ、ランベールさん」
「なんだ、ケト」
彼はやっぱり律儀に答えてくれた。人攫いなら人攫いらしく、小娘の戯言など放っておけばいいのに。
「あなたは一体、何?」
要領を得ない質問に、ランベールが一瞬ちらりとこちらを見た。隣を歩くジェスもまた、ケトの言いたいことが分からないのだろう。顔を向けて聞いていてくれていた。
「何、とは?」
「えっと、なんていうか、あなたは変だから」
「俺は人攫いだ。変に決まっているじゃないか」
「そ、そうじゃなくって……」
言い淀んだケトは、言葉を探すようにきょろきょろと辺りを見渡した。少女の頭ではこの感覚を言葉にすることが酷く難しい。少し焦った拍子に、自分でも理解しきれていない言葉が零れ落ちた。
「わざとつかまろうとするなんて、変な人だよ」
「何……?」
言うべきでなかったと後悔するまでに、そう時間はかからなかった。
ランベールの瞳がスッと細まる。足を止めた大の大人から射抜くように睨みつけられたケトは思わず後ずさらずにはいられない。
「なぜそう言える」
だが、怖い大人の顔がすぐに小さな背中に遮られて、ケトは息をのんだ。
「ケトを怖がらせるなよ」
「……」
ジェスが目の前の男に敵いっこない事なんて、ケトにだって分かっている。それでも何故だろう。その背中が頼もしい。彼の背中に支えられて、ケトは落ち着いて言い返すことができる。
「ランベールさん。あなたは今している悪いことを、誰かに止めてほしがっているよね」
「……はっ、何を根拠にそんなことを言える?」
押し殺したような声色。人攫いのその態度の変化にジェスも戸惑っている。その背中から困惑の色が混じった。
問題は、ケトにもその理由が分からないこと。感覚こそ感じ取れはしても、ケトの頭ではこれ以上の理解に追いつかないのだ。
「……それは、分かんないけど」
「分からない、だと? 言い出したのはお前だろうに」
面食らったように、ランベールもまた困惑の色を滲ませる。だが、それもつかの間のこと。彼は何かに思い至ったように、目を見開く。
「……お前、まさか」
気付かれた、と。
ケトの中の龍が、ケトを置き去りにして歯ぎしりしたように感じた。
「人の心が読めるのか……!」
「……?」
その言葉に、ケトが一番ついて行けない。
何を言っているのだろう。人間は人の心なんか読めるわけがない、当たり前じゃないか。何を考えているか分からないからこそ、さっきまでケトはジェスとのことで悩み込んでいた訳で。今も自らの内に巣食う龍が教えてくれることを、ただ口にしただけで。
――まさか。心を教えてくれているのだろうか。
ケトはようやく、その感覚の正体に思い当たった。
本当に何も分からないなら、ケトはジェスとのケンカを悩むことすらできなかったのではないだろうか。ただ、怖い男の子から理不尽に怒られたと、そう捉えて泣いただけではないのか。この短時間で、ここまで悩み、答えを出そうと足掻くこと自体が、本来の自分にはできない事なのではないだろうか。
少なくとも故郷の村にいた時に、同じことをできたとは思えない。それを為し得たのは、ケンカの時に少年から感じた”憤怒”や”悲哀”や”嫉妬”と言った感情があまりに衝撃的で……。
「そうなんだな」
ランベールの声に、ケトは我に返った。どれくらい考え込んでいたのだろう? 気付けばジェスも心配そうに振り返っていた。
なるほど、ジェスは今の言葉の意味を理解しきれていない。それすらも感覚で理解してしまったケトは、自分の顔から血の気が引くのを感じた。
「わ、わたしは……」
「もしかして、お前自身気付いていないのか」
震える瞳で、人攫いの目を見る。自覚してしまえば簡単な話だ。
心と感覚が別の方を向いている。怖くて仕方ない自分がいる一方で、敵の様子を油断なく窺う自分がいる。そのことに戸惑いを隠せない。
「ケト」
そんな少女に、声を掛けたのはジェスだった。彼は人攫いから視線をそらさずに、ケトの前で仁王立ちしていた。
「あんな奴の言うことなんか気にすんな。あいつ、俺達を動揺させようとしてるんだ」
――嗚呼、なんて純粋な思惟か。
己の内でそう囁いた声を振り払うように、ケトは思い切り首を振った。少なくともジェスの言うことに従いたい。少年はにやりと笑って、ケトに向かって続けてくれた。
「もっと言ってやれ。くそったれのアンポンタンって!」
どうやら純粋な思惟とやらは、大分口が悪いようだ。
けれど、助かった。その場から乖離しかけていた意識を戻して、ケトはようやく敵を睨みつける。
心が読めるからなんだというのだ。今の状況と関係ない。今は目の前の男が自分に気を取られていれば、それでいい。
どういう訳か、ランベールは普通の悪者ではない、それが分かっただけで十分ではないか。現に彼は結局どこか呆れたように、ため息を吐いただけだった。
「……行くぞ。とっとと歩け」
人攫いに急かされ、ケトは再び歩き出す。ふと、何かに気付いたように剣の柄に触れながら、彼はちらりと少女を見やった。
「お前、苦労しそうだな」
「え……?」
ランベールの言葉の意味が、ケトにはまだ分からない。けれど目の前の凄腕が、致命的な秘密に気付いたことは、やはり龍の感覚で理解できる。
「……おい、ケト」
「なに?」
「お前の言う通りだが、そういうことは人に言わない方がいい」
「……?」
「……そこで戸惑ってくれるのが、まだ救いか」
最後にそう言って、人攫いは背を向ける。
前後の脈絡がないその言葉。彼が「人攫いが悪行を止めてもらいたがっている」ことを肯定したのだと気付くまでに、ケトは相当の時間を要した。
少なくとも、その後状況が大きく動くまで、ケトはまだ考え込んだままだった。




