路地裏の攻防戦 その7
「ジェス、ジェス!」
体中が痛い。
誰かのうめき声が遠くから聞こえるような気がする。いいや、これは自分の声だろうか。
「ジェス! おきて……!」
やめろ、せっかく寝てるのに。そんなに肩を揺するな。痛いって言っているのに……。
「ジェス!」
「んがっ!」
痛む脇腹を押されて、ジェスは思わず飛び起きた。痛みのあまり見開いたその視界に、銀の髪の少女が映る。
まるで絹糸のような髪、白磁のような肌。高い鼻と、ふんわり赤みを帯びた愛らしい頬。ぱっちりと見開き、うるうると涙を浮かばせた瞳と視線が合って、彼は思わず見とれてしまった。
と、いうか……。
「ちっ、近えよ!」
「ジェスゥーーー!」
「うわ、こっち来んな! 痛え、そこ押すなって! てか、お前力強すぎだ!」
柔らかく暖かい少女に抱き着かれてドギマギしたジェスだったが、次の瞬間その抱擁のあまりの力強さに悲鳴をあげた。
―――
「で、ここどこだよ?」
「分かんない……」
「だよなあ……」
話を聞くに、ケトもつい先ほど目覚めたばかりらしい。苦しそうな様子などかけらも感じなくて、ジェスは密かに安堵のため息を吐いた。
自分はあの男に飛びかかったせいで、返り討ちにあったと言うのに。やっぱりこの娘はズルいと思わなくもなかったが、目にいっぱい涙を溜めている少女を見ると、彼女が痛い思いをしなくて良かったと、素直にそう思ってしまう自分がいた。
「とにかく、ここを抜け出す方法を探そう」
「う、うん」
少年は辺りを見回す。部屋の中はがらんとしていて、家具一つ置かれていない。壁のてっぺんに明り取りの窓が開いていたが、背は届かないし、例え登れたとしても窓枠が外せないし、そもそも小さすぎて通れそうもないしの三拍子だ。
「参ったなあ……。ドアは鍵かかってるだろうし、見張りがいるだろうし……」
「うん。二人いるよ……」
独り言に反応したケトを見て、ジェスは違和感を感じた。しょげかえった少女がキョトンとジェスを見返す。
「何で二人って分かるんだ? 適当言うなよ」
「て、てきとうじゃないもん!」
「本当かあ?」
訝しむような目を向けてやると、少女は焦った顔をした。両手をぶんぶん振りながら、ムキになって言い返す。
「だ、だってピリピリするから、ちゃんと分かるもん!」
「へーえ」
穿った見方を捨てれば、少女は意外と感情豊かなのが分かった。いつもぼんやりしているように見えて、表情はコロコロ変わる。これは面白い。
「ジェス信じてないでしょ!」
「えーまあ、信じてないわけじゃないけどさあ」
ニヤニヤ笑ってからかえば、ケトは頬を膨らませた。
「じゃあ他のことも教えてあげるもん!」
「お? 他のこと?」
何だろう。何か気付くようなことがあったのだろうか。
「えっとね、今いるへやは半分だけ地面の下にあるの。部屋の前にみはりが二人いて、かいだんのところに一人いて、一つ上のかいに二人、その上に一人、もっと上に一人! ほら、今一つ上のかいの人がかいだん上ってもう一つ上のかいに行った!」
まくしたてるような口ぶりに、ジェスはあんぐりと口を開ける。まるで実際に見ているかのような口調は、普段の自信なさそうな様子とかけ離れている。
頭の中で必死に考えた結果、しばらくしてジェスの口から出ていた言葉は自分でも思っていた以上に、情けないものであった。
「悪い、もっかい最初から言ってくれ……」
それはそれとしても、人攫いの位置が分かったところで、ケトとジェスの二人ではどうしようもない。ケトの魔法でドアや壁を吹き飛ばしたとしても、先程のようにすぐに追いつかれてお終いだ。
ケトと二人、壁にもたれかかって座る。先程殴られた脇腹が痛むが、ケトの手前へっちゃらな顔をする。
「ごめんね、ジェス」
急にかけられた言葉に、驚いて隣のケトを見る。彼女は膝を抱えて俯いていた。
「おそわれたのはわたしなのに、ジェスを巻き込んで、けがさせちゃった……」
「……別にいいよ。こっちだって自分から突っ込んだんだし」
ぶっきら棒にジェスは答えるが、ケトはますます体を小さくしてしまった。
「……本当はね、それだけじゃないの。わたし、いっぱいあやまらなくちゃいけないの」
「?」
少女の言葉の意味が分からずに、少女の真っ白なうなじを見下ろす。自分より随分背が小さいのだなと、そんな場違いなことを思った。
「わたしね、シアおねえちゃんのこと、ジェスやみんなに見せつけようなんて思ってなかった。それにじまんしようなんて思ってなかったの」
でもね、と消え入りそうな声で、少女は続ける。
「ジェスに言われてはじめて、自分がすごいお子ちゃまだなって思ったの。ぜんぶシアおねえちゃんに助けてもらって、それでいいと思ってた」
「……」
謝らなくてはいけないのはジェスの方だ。自分の言いたいことばっかり喚き散らして、ケトの反論なんか一切聞くつもりがなかったのは自分の方も一緒だ。
エルシアの言葉を思い出す。ケトだって、皆と同じでただ寂しかっただけ。ただ、それだけだと言うのに。
「ジェスはすごいね。わたしはシアおねえちゃんがいなくちゃ何もできなかったのに。ジェスはシアおねえちゃんがいなくたって、ちゃんと自分で考えてる」
そんなに立派じゃない。ジェスはただ意地を張っているだけだ。
ダリア院長の言い付けも聞かず、サニーに突っかかって、我儘ばっかり言って周囲を困らせている自分。隣の小さな女の子に誇れることなんか一つもないのに。
「わたしね、ジェスに言われたこと、考えてみたの。いっぱい考えて、もっとちゃんとしようって思ったの。何をどうすればいいのか、ぜんぜん分からないんだけどね」
ジェスは考える。自分の八つ当たりを真に受けてしまった少女。自分が傷つけたケトに他ならぬ自分が掛けてやれる言葉などあるのだろうか。
あの時癇癪を起した自分が、猛烈に恥ずかしくなる。思わず奥歯を噛みしめて、それに耐えながら、ジェスは「でもね」というケトの涙声に目を見開いた。
「こんなことになったら、やっぱりこわいの……。何とかしなくちゃて思うのに、とってもこわい……! シアおねえちゃんに会いたい、会いたいよ……!」
「……ケト」
ドキリとして、思わず少女の顔を覗き込む。両膝の頭に顔をうずめたケトは、目に大粒の涙を溜め、抑えきれない感情で鼻を真っ赤にして、それでもへにゃりと笑ってみせた。
「……ねえ、ジェス。ひとりは、すっごくさみしいね」
とても綺麗で、切なく、悲しい笑顔。
そんな笑顔は二度とさせたくないと、少年は思った。
「……心配するなよ」
「え……?」
少年の低い声に、ケトが顔をあげる。
「心配するなって言ったんだ」
「ジェス……?」
今のジェスには、謝ることさえできない。謝ったところで、少女をただ混乱させるだけだって分かってしまうから。それは、自分の我儘のツケであると、痛感した。だからこそ、ジェスは言う。
「俺が、隣にいてやる。隣にいて、もう一度エルシアさんに会わせてやるよ……!」
少女を贔屓しているのだと、悪びれずにそう言った女の顔を思い浮かべて、ああ、俺はバカだと自分の頭をぶん殴りたくなる。
この少女は、ただでさえ特別扱いされているのに。もう十分愛されていると言うのに。
これでは、ジェスも贔屓するしかないではないか。
自分の気持ちが信じられず、頭を抱えたくなったジェス。だがケトはそんな彼に向かって、涙交じりの、それでも先ほどとは違う、心からの笑顔を見せてくれた。
「……ジェスは、やっぱりすごいね」
「……当たり前だろ」
悔しいが認めざるを得ない。
少女の姉が言う通り、このとてつもない力を持つ少女は、自分一人守ることができない。誰かに守ってもらわないと生きていけないのだ。
―――
既に、この計画は破綻している。
ランベールの読み通り、二人の子供は騒ぐような真似などしなかった。
こっそり出られないか部屋を探し回って、何とか外と連絡を取ろうと四苦八苦した少年と少女。今でこそ小休止しているが、何かきっかけがあれば一か八かの賭けに出そうな雰囲気を感じる。
二人を部屋に放り込んだだけで、縛り上げなかったのは自分の判断だ。他の同類には下手に刺激して暴れないようにするためと説明したが、実際のところは、ただ年端もいかぬ子を縛り上げるのに気が引けただけだ。
その代わり、見つからないように壁に穴を開け、そこから二人の様子を窺うことにした。別に見る必要はない。声だけ聞こえていれば、あの子供達が何をしようとしているのかくらい、ランベールには手に取るように分かるのだから。
疲れ切った様子で壁にもたれた少女と少年は、やがて小さな声で話し始めた。ケンカでもしていたのだろうか。謝る少女と、口数の少ない少年。
やがて少女は、こらえきれなくなったように、どうにもならない状況と不甲斐ない自分を打ち明け始め、少年はやはり口数少なくそれを聞いていた。
だが、ランベールには分かる。きっと彼は今、何かを固く決意したのだと。
既に、この計画は破綻している。
悪役は自分だ。
それは百も承知で、今回の計画に参加した。見返りに渡された大金は、生き抜くために必要不可欠な資金だ。拒否などできる訳がなく、前払いで受け取った以上、彼に選択肢がないのも事実。
もし自分が帰らなかったら、妻と娘はどうなるのだろう。最近よくする想像だ。
クシデンタの家族は、自分の弟に任せてきた。きっと彼なら、畑仕事を手伝うくらいしてくれるはず。愛娘だって孤児のように路頭に迷うことはないはずだった。
既に、この計画は破綻している。
大人の世界は残酷だ。
人攫いの一味は、自分を含め全員がスタンピードの被害に遭った町の人間。この仕事を依頼してきた連中が、自分達を使い捨ての駒にするつもりなのは間違いない。
直接ランベールに依頼をしたクヴァルデコークという男だって、所詮連中の手先に過ぎないのだろう。
その上にいるであろう人間こそが、ケトと言う力を欲している。それは姿すら見せずに、人を使い世界を意のままに操ることのできる奴らだ。
そんなものに、一介の冒険者がどう立ち向かえというのか。自分一人なら何とか逃げられるかもしれないが、家族を人質にとられたも同然の今、打つ手は全くと言っていいほど存在しない。
それは外を駆けまわっているブランカの人間だって同じことだ。
恐らく自分達にプレッシャーを与える目的なのだろう、複数の冒険者がすぐ近くを行ったり来たりしていることには気付いている。
誰が考えたのか知らないが良い手だと、ランベールは内心で舌を巻いた。実際その目論見は成功を収めつつある。事実として、ここにいる六人の人攫いはそれなりに怯え、イライラし始めたのだから。
だが、それは人攫い相手だから有効なのであって、より強大な存在に対しては全く意味をなさない。今回の騒動を裏で糸を操っている連中にしてみれば、田舎の子供が強がっている程度にしか見えていないだろう。
更にもう一つ。ランベールは薄暗い天井を、それとなしに見上げた。
建物の一番上、恐らく二階の天井裏で、何者かが自分達を監視している。
ブランカの人間とも、自分たちに仕事を依頼してきた人間とも違う、明らかに異質な雰囲気。一瞬自分たちの動きを依頼者が監視しているのかとも考えたが、どうやら他の勢力のようだった。一切手出しをしてこないのは、恐らく任務が監視だからだろうか。
”金札”のランベールをもってして、その存在をかすかにしか感じ取れない存在。十中八九、隠密を生業とする者だ。ケトの存在に気付いた何者かが、様子を探りに遣わせたに違いない。
既に、この計画は破綻している。
そろそろ、計画の時刻だ。そうしたら自分たちは行動を開始することになる。中にいる子供たちを引きずりだして、所定の位置に、所定の時間までに向かわなければいけない。
既に破綻した計画だとしても、その計画に従うことこそが家族を救う道なのだ。
部屋の中から、少女の泣き笑いが聞こえて、ランベールは隣の男と視線を合わせてしまった。
その拍子に出てきたのは、どうにもならない現実を恨み、仕方がないと諦めきった大人の、自嘲の笑みだった。




