赤月さん、おばあさんと会う。
まさか先客がいるとは思わず、私は慌てて軽く頭を下げます。
「こっ、こんにちは」
「はい、こんにちは。……あらまぁ、涙が止まらないのね」
おばあさんは座っていた石からゆっくりと立ち上がると、こちらに向かって歩いてきます。
そして、割烹着のポケットから手拭いを取り出して、私の目元へと添えて下さいました。
「洗ったばかりの綺麗な手拭いだから、好きなだけ使ってちょうだいな」
「ご、ごめんなさい」
「あらあら、謝らなくていいのよ。……それで、どうしたの? 悲しいの?」
おばあさんは私と同じくらいの身長でした。白髪交じりの髪をお団子にまとめていて、表情は柔和で優しげな雰囲気を纏っている方です。
「い、いえっ。違う、んです……。悲しいわけではなくて……。でも、何故か……突然、涙が……」
自分でも何を言っているのだろうと思います。
それでも、おばあさんは訝しがることなく、穏やかに頷いてから、私の背中を軽く撫でてくれました。
「……あら? あらあらぁ……。あなた、ついに来たのね」
「え?」
おばあさんは私の顔をじっと見つめたあと、どこか嬉しそうに笑いました。
「やっぱり、占いは当たったわ」
「う、うらない?」
「うふふ、気にしないで。こちらの話だから。……さぁ、気持ちが落ち着くまで座りましょうか。この石、とても冷たくて座るのにおすすめなのよ」
そう言って、先程までおばあさんが座っていた大きな石へと案内してくれました。
「お、お邪魔します」
「はい、どうぞ」
座ってみれば、確かにおばあさんが言っていた通りに石は冷たくて気持ちいい座り心地でした。
ふぅっと深い息を吐けば、おばあさんは安心したのか、背中に添えてくれていた手をゆっくりと離していきます。
「確か、千穂ちゃんというお名前だったわね」
「えっ? あ、はい……」
あれ、私、お名前をお伝えしていたでしょうか。首を傾げそうになりますが、ひとまず気にしないことにします。
「さっき、悲しくないのに涙が出たと言っていたわねぇ。……もしかすると、中てられたのかもしれないわ」
「中てられた……?」
「この場所、神社内で一番清らかな空気で満ちている場所なのよ。そして、昔から変わらない場所でもあるの。変わらない空気に中てられたのかもしれないわ」
「……」
私はふと顔を上へと向けます。樹齢三百年の御神木はどっしりと構えるように佇んでいて、私達が座っている場所に木陰を落としていました。
「私……」
ぽつり、と言葉が出てきます。誰かに言うつもりはなかった言葉が。
「私、初めてこの場所──この神社に来たんです。来たことはないはずなのに……それなのに、どうしようもないほどに懐かしい気持ちになって、胸の奥が詰まってしまうんです」
「それが……あなたが泣いていた理由?」
「そうかも……しれません。まるで故郷に戻ってきたような懐かしさに囚われて、とても……苦しくて……。でも、この場所に来られたことが嬉しいと思っている自分もいるんです」
「……」
「……す、すみません。初対面なのに、変な話をしてしまって……」
「ふふっ、いいのよぉ。誰かに話すことで、気が楽になることもあるでしょう。……それに普段、距離が近い人には余計に話せないお話もあるでしょうし」
「それは……」
確かにそうかもしれません。特に大上君の実家に初めて来たというのに、彼本人にお伝えするのは少しだけ気が引けます。
「ま、難しく考えなくていいと思うわ。……あなたはこの場所が気に入ったかしら?」
「えっ? あ、はい。それは、とても。……抱いた奇妙な感情は置いておいて、この場所に来ることが出来て良かったと思います。空気は澄んでいて、落ち着きますし……」
「なら、いいのよ。……それだけで、十分だと思うわ」
おばあさんはどこか満足気ににこり、と笑い返します。
「……さて、そろそろ伊織にあなたをお返ししないといけないわね」
伊織、と名前を呟きましたが、それは大上君の名前です。もしや、このおばあさん、大上君の知り合いなのでしょうか──そんなことを思っている時でした。
「──赤月さん!」
その声に、私ははっと顔を上げます。先程、私が歩いてきた小道から大上君の姿が見えました。
大上君は少しだけ小走りで私のもとへと駆けてきます。
「良かったぁ、急にどこかに行っちゃったから、驚いたよぉ……」
大上君は私の両肩をがしっと掴みつつ、深い息を吐きます。よほど心配して、探し回ってくれていたようです。
「大上君……。心配をかけて、ごめんなさい……。神社の中を見て回るのが楽しくて……。せめて、一言お伝えしてから離れるべきでした」
私は立ち上がってから、ぺこりと頭を下げます。
「ううん、気に入ってもらえたならば、嬉しい限りだよ。でも、特に何もなかったようで、良かった──あれ? おばあちゃん?」
大上君は石に座ったままのおばあさんを見て、目を見開きました。
「まぁったく、想う人が出来て一直線なのはいいけれど、放置されておばあちゃん、寂しいわぁ」
おばあさんは頬に右手を添えつつ、苦笑しながら大上君を見ています。ですが、私は大上君の一言が気になって、仕方がありませんでした。
「お、大上君。い、いま、おばあちゃんって……」
「え、うん。俺のおばあちゃん──真織おばあちゃんだよ」
「ふふっ、改めまして大上真織と申します。よろしくねぇ、千穂ちゃん」
「あ、わっ、赤月千穂です、宜しくお願い致します……!」
やはり、大上君のおばあさんだったようで、私は慌ててもう一度頭を下げます。
「おばあちゃんが赤月さんの相手をしてくれていたんだね」
「と言っても、ちょこっとばかりお話をしていただけよ。あなたが妬く内容のことは話していないわ」
「うっ……」
「分かりやすくなったわねぇ、伊織。うんうん、良いことだわ」
「やめて、おばあちゃん……。頼むから……赤月さんの前で、色々言うのだけは本当にやめて……」
大上君は耳を真っ赤にして、ぷるぷると震えています。そんな大上君をおばあさんは微笑ましく見守っているような表情で見ていました。
「と、とにかく、赤月さん! 向こうで山峰さん達が待っているから、行こうか!」
「は、はいっ」
どこか焦っている大上君に、思わず上ずった声で返事をしてしまいました。
「あ、あの、こちらの手拭い、貸して下さり、ありがとうございました」
私はお借りしていた手拭いをおばあさんへと返します。
「いえいえ、お役に立てて良かったわ。……さて、私はもう少しこの場所で涼んでいるから、気にせず戻るといいわ」
「おばあちゃん、夕飯までには戻ってくるんだよ。他にもアルバイトに来てもらっている友達がいるから、あとで紹介するね」
「ええ、もちろん分かっていますよ」
おばあさんは右手をひらひらと振って、私達を見送ってくれたので、もう一度頭を軽く下げてからその場を去ることにしました。
「赤月さん、ちょっとだけ泣いた?」
「えっ!?」
歩いている途中、大上君が立ち止まってから、私の左頬に彼の右手を添えてきます。その手は大きくて、優しい温もりを含んだものでした。
「何かあったの?」
「だ、大丈夫ですっ。あの……先程の場所が涼しくて、あまりにも居心地が良かったせいか、たくさん欠伸をしてしまっただけで……」
とっさに嘘を吐いてしまいましたが、居心地が良かったのは本当です。
「……そう? なら、いいんだけれど」
ですが、大上君は納得してくれたのか、ゆっくりと手を離していきました。
「それじゃあ、戻ろうか。これ以上、山峰さんを待たせちゃうと心配し過ぎて泣いてしまうかもしれないからね」
「あー……。戻ったら、たくさん謝らないといけませんね」
今度からは絶対に、一言伝えてから傍を離れた方がいいでしょう。でなければ、様々な迷惑をかけてしまうことになるので。
私はちらりと後ろを振り返ります。
木々の隙間から見える巨木に視線を向け、そして目を細めてから大上君の方へと身体の向きを戻しました。