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赤月さん、名前の意味を知る。

 

 次の日、私はおじいちゃんの手が空いている時に昨晩、コピーされた日記の中から見つけた「千吉」という人について訊ねてみることにしました。


「ねえ、おじいちゃん。赤月家の日記の最後に『千吉』って名前が書かれていたんだけれど、この人のことで何か知らない?」


「ふむ?」


 私はおじいちゃんにコピーされた日記の最後に綴られている名前を指差して示します。

 おじいちゃんは眼鏡を取り出し、それをかけてから私が指を差す箇所へと視線を落としました。


「……『千吉』、か。確か、赤月家の初代の名前がそうだったと聞いておるぞ」


「あ、やっぱりそうなんだね」


 この日記は初代の人が書いたと言われているものですが、どうやら「千吉」という方が確かに書かれたもので間違いないようですね。


「どんな人だったの?」


「ううむ……。わしも昔のことに詳しいわけではないが……。わしのじいさんがこの千吉という人について、話してくれたことがあったのぅ」


「えっ? ……な、何でもいいよ。思い出せることなら」


 私がぐいっとおじいちゃんに迫ると、おじいちゃんは小さく苦笑してから頷き返しました。


「……ほれ、わしらの名前の中には『千』という文字が入っておるじゃろう? これはな、赤月家の長子となる者には必ず付けて欲しいと言ったのがこの千吉という人らしい」


「……そういえば、私にもおじいちゃんにも、お父さんにも『千』の名前が付いているね」


 私の名前は『千穂』で、お父さんは『千尋』、おじいちゃんは『千太郎』です。


 三人とも長男か長女です。

 確かに『千』の文字が長子となる者には付いているようですね。


 あまり、疑問に思ったことがなかったので、私はつい驚いてしまいました。


「でも、千吉さんはどうして子孫に『千』の字を付けるようにしたの?」


「わしのじいさんが言うには、千吉は目印として『千』の字を己の子孫に付けることにしたらしい」


「目印……?」


 その意味が分からず、私は首を傾げてしまいます。おじいちゃんはどこか困ったような笑みを浮かべていました。


「千吉は元々、この土地に住んでいる者ではなかったらしくてのぅ。どこか別の場所から流れ着いて来て、腰を下ろしたのがこの土地だったようじゃ」


「えっ!? そうだったの……」


「しかも、千吉は……流れ着いた時には生まれた場所も関わってきた人々も、自分がどういう人間なのかも忘れてしまっていたらしい。……どうやら記憶喪失だったようじゃな。そして、この土地で生涯を終えるまで、以前の記憶を取り戻すことはなかったらしいとわしのじいさんが言っておった」


「……」


 おじいちゃんの言葉に、私は開いた口が塞がりませんでした。


 自分がそれまで持っていた記憶を何らかの原因によって失うなど、想像しただけで身震いしそうです。


 自分が誰なのかも分からず、頼る人もおらず、そんな状況下で千吉さんはどのような気持ちで生きてきたのでしょうか。


 私は手元にある赤月家の日記に目を落とします。ただの日記だと思っていましたが、これはもしかすると違うのかもしれません。


 これは──千吉さんが、この土地に住み始めてからの生きた記憶となっているのでしょう。


 もしいつか、また記憶を失った時にこの日記を読み直し、自分がどのように生きていたのかを『確かめる』ために──そんなことを思ってしまいました。


「つまり、『千』という文字が名前に入っているのは……」


「いつか、自分の過去を知っている者に見つけてもらいたいと、そう思っていたのかもしれぬな」


 どこか寂しそうにおじいちゃんは柔らかな声でそう言いました。


 心の奥にぽつりと浮かんできたのは悲しみでしょうか、それとも寂しさでしょうか。

 私が無言のまま、顔を少しだけ伏せているとおじいちゃんが私の肩を軽くぽんっと叩いてきました。


「まぁ、記憶を失ったと言えば大事(おおごと)だが、それでも千吉は前向きに生きておったようじゃぞ? 生来の性格がかなりのお人よしで困っている者を放ってはおけなかったようで、この土地に元々住んでおった者達とはすぐに打ち解け、村人の一人として生きるようになったらしい」


「そうなんだ……」


 私は思わず、安堵の溜息を吐き出しました。


「それに狩りを得意としておったみたいで、害獣の被害から畑を守ったりしておったようじゃな」


「へぇ~!」


 どうやらご先祖様は猟師のようなことをしていたようですね。ずっと農家一筋だと思っていたので意外です。


「狩りの際にはいつも、くすんだ色合いの赤い頭巾を被っておったようで、『赤頭巾の千吉』なんて呼ばれておったらしい。……それに、この土地に流れ着いた際にも被っていた赤い頭巾に名前が刺繍してあったからこそ、己の名前を知ることが出来たようじゃな。まぁ、それが由来なのか、『赤頭巾』から『赤月』になって、いつの間にか苗字として呼ばれるようになった、なんて言われておるぞ」


「ええっ~? それ、本当の話? そんな駄洒落みたいな感覚で……」


 私が訝しがるような瞳でおじいちゃんを見ると、おじいちゃんは肩を震わせて笑っていました。これでは本当の話か、作り話か分かりませんね。


「でも、農民だったとしても、昔の人に苗字はあったって聞いているよ? 元々の苗字があったんでしょう?」


 小学生の頃には明治以降になってから農民も苗字を使えるようになった、なんて習いましたがそれは実際とは違うようですね。

 本当は農民にも苗字はあったと以前、大学の講義の中で学びました。


「さぁ、その辺りはわしもさすがに分からぬなぁ」


「むむむ……。気になる……」


 分からないことがあると調べたくなるのが(さが)というものです。

 私の卒業論文には赤月家の日記を読み解いて、使おうと思っていましたが、どうやら『赤月家』の成り立ちも研究の中に入ってきそうですね。


 そう考えると今から、わくわくしてきます。知らないことを自分の力で調べ、見つけるために私は今の大学で学ぶことを決めたのですから。


「おじいちゃん。千吉さんのこと、教えてくれてありがとう。この日記も、しっかりと読み解いてみせるね」


「うむ、期待しておるぞ」


 おじいちゃんは私の頭をぽんぽんっと優しく撫でます。


 私はおじいちゃんにはにかんでから、日記をコピーしたものを持って、その場から立ち去ります。

 自分の部屋へと戻って、そして私はその場に座り込みました。


「……この日記、思っていたよりも濃密そう……」


 千吉さんが書き記した日記には、日々の出来事が綴られただけではないのでしょう。

 彼の人生が書き綴られたものだと自覚すれば、少しだけ肩が重くなったような気がしました。


 もちろん、自分の力で読み解いて、過去を調べることは楽しみです。

 調べていけば、千吉さんの過去が分かるかもしれない。それでも、調べた先に、何故か──心苦しいことが待っているような気がしてならないのです。


 それでも──。私は、全てを知らなければならないとそんな気持ちが治まることはありませんでした。


  

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