赤月さん、資料を得る。
実家で過ごす日数が残り二日となった日の夜。おじいちゃんが私へととある物を渡してきました。
「ほれ、千穂。頼まれておったものだぞ」
「わぁっ! おじいちゃん、ありがとう!」
喜びのあまり、つい声を上げてしまいます。
おじいちゃんから受け取ったのは紙の束です。
正直、何枚の紙が重ねられているのか分からないほどの分厚さですが、この紙の束を貰うことも私が帰省した理由の一つでした。
これは「赤月家」に代々伝わって来た「日記」をコピーしたものです。
日記を書いたのは数百年以上も昔の人ですが、保存状態が良かったのか、それほど虫食いが進行していない貴重なものでもあります。
資料的価値が高いものなので現在は赤月家の蔵ではなく、地域の歴史的なものを展示している資料館に寄贈し、正しい方法で保管してもらっています。
その方が、保存状態が良いまま後世に残せるから、という理由でおじいちゃんのお父さん、つまり私のひいおじいちゃんが寄贈したそうです。
赤月家にはくずし字を読める人がいなかった、ということも資料館に寄贈された理由の一つです。
恐らく、赤月家の人達の中には先祖の日記に興味を持った方がいなかったのでしょう。
蔵の中をもっと探せば、古文書の他にも貴重なものが出てきそうですが、専門外の人ばかりなのであまり触らずに保管だけをしています。
不注意や扱いが悪いせいでうっかり破いてしまったり、壊してしまったら大変ですからね。
私が学芸員の資格を取ることが出来れば、蔵で保管されているものを一度、隅々まで調べてみたいと思います。
実は、私がこの日記の存在を知ったのは中学生の時でした。
家族は赤月家に代々伝わる日記が資料館に保管され、展示されていることを教えてくれなかった──というよりも完全に忘れていたようです。おじいちゃんでさえ忘れていたのです。
なので、それまで日記の存在を知る機会はありませんでした。
資料館で展示されている日記を見た瞬間、私の身体には目には見えない熱いものが頭から足先まで流れていく感覚を自覚しました。
そして、どうしてもこの日記を読み解き、理解したいという強い気持ちが芽生えたのです。
その理由は上手くは言えません。ですが、私はこの日記を読まなければならないと使命感にも似たものを感じていました。
そんな理由もあって、私は今の大学へと入って、くずし字を専門にしている教授のもとでくずし字を学ぶことにしたのです。
今、私の手元にある紙の束は資料館に展示されている赤月家の日記を表紙から裏表紙も含めて全ページ、丁寧にコピーしてもらったものです。
さすがに元は我が家のものとは言え、資料的価値が高く、なおかつ貴重なものに素人が何度も触れてしまえば、劣化が加速してしまいますので、資料館に勤めている学芸員さんに日記をコピーして頂きました。
古い書物を扱うことに対して知識と技術があり、そして慣れている専門の学芸員さんがコピーした方がいいだろうと、色々と許可を貰ってから全ページをコピーして頂いたのです。
もちろん、これを資料として大学の卒業論文を書く許可も得ています。
学芸員さんの中には展示のために、この日記を数ページほど、読み解いた方がいたようですが、それでも全文ではありません。
それ故に、私がこの日記を全ページ、解読するのを楽しみにしてくれている人もいるようです。
おじいちゃんが資料館の館長さんと友人なのでコピーしたものを今日、彼のもとへと取りに行ってくれたのでしょう。
私が嬉しくてにこにこと笑っているとおじいちゃんは感心するように頷いていました。
「しかし、千穂は凄いのぅ。わしはここに書かれておるものが文字だということは分かるが、さすがに読めないからなぁ……」
おじいちゃんは、私の手元にあるコピーの束を見て、ぼそりと呟きます。
「あはは……。私もまだ、くずし字は習っている最中だから、全部をすらすら読めるわけじゃないよ。……一文字ずつ、辞書で調べながら根気よく解読していくの」
くずし字を読む、ということは本当に根気と時間が必要となる作業です。一文字を「文字」として理解するだけでも、時間がかかります。
私がそう答えるとおじいちゃんは遠いものを見つめるような顔をしました。
弟の千明が面倒なことを言い渡された時と同じ顔をしています。
おじいちゃんと千明は細かい作業が苦手なのです。私や雪穂は細かい作業はとても好きなのですが。
「茂のやつも千穂が赤月家の日記を全て解読したならば、どのような内容が書かれていたのか教えて欲しいと言っておったぞ」
おじいちゃんが「茂」と呼んだ相手は資料館の館長を務めている茂定さんのことです。
昔は二人でよくやんちゃしていたと懐かしむようにおじいちゃんは以前、話してくれました。
どんなやんちゃかと言えば──。
おじいちゃんと茂定さんが若い頃、自動車運転の免許を取った時にはお互いに買ったばかりの軽トラで、まだ舗装されていなかった田舎道を爆走で競争し、車体をぼこぼこにして、それぞれの親に雷を落とされた話や近場の川で寒中水泳を行い、どちらが極限まで我慢出来るか勝負した、などの話を聞かせられました。
どこまでが本当かどうかは分かりませんが、その話を耳に入れたおばあちゃんは呆れたように深い溜息を吐いていました。
おばあちゃんはおじいちゃんにとって近所に住んでいる幼馴染だったようで、あの頃のおじいちゃんは馬鹿ばかりやっていて、後処理が大変だったとぼやいていたので、ある程度は事実なのでしょう。
茂定さんは私にとっても知り合いで、たまに顔を合わせるとお菓子をくれる温厚で優しい人なのですが、おじいちゃんと一緒にやんちゃしていたという過去の姿と合致しないなぁといつも思います。
「おじいちゃん。茂おじちゃんに、お礼のお土産を渡してくれた?」
「うむ。あいつ、餡子が好きじゃからのぅ。他の館員達と一緒にお茶をすると言って、喜んで八つ橋を受け取っておったぞ」
「それなら、良かった」
次に実家に帰省する機会があれば、私の卒業論文に協力してくれた資料館の皆さんにまたお土産を持って行きたいと思います。
そして、日記の解読がどれほど進んだのかお伝えしたいですね。
お久しぶりです。いつも待っていて下さり、ありがとうございます。
おかげさまで、色々と落ち着いてきたので10月に入る辺りから更新を週一に戻していきたいと思います。
気軽で気楽な感想なども待ってます。画面越しに泣くくらいに喜びます。
また、久々に活動報告を書きました。主に「真紅の破壊者と黒の咎人」について書いています。ご興味がある方がいましたら、どうぞご覧下さいませ。