赤月さん、お見送りする。
朝食を食べた後、二人でゆっくりと片付けをしながら、数週間後のアルバイトについての話をすることにしました。
「とりあえず、お昼頃に車で三人を駅まで迎えに行くね」
「えっ、大上君が車を運転するのですか?」
「うーん……。一応、免許は持っているんだけれど、初心者だからね。慣れていないのに赤月さんを俺の隣に乗せるわけにはいかないから、当日は母さんの運転で迎えに行くよ」
「お、大上君のお母さん……」
大上君の実家が神社で、その場所でアルバイトをするということは家族に会うのは必須です。
「こんな彼女は許しません!」なんて言われてしまったら、どうしましょう……。
大上君に見合うように努力をするので、お付き合いを許して下さいと頼み込むしかありません。
そんなことを考えて、緊張していると覚ったのか、大上君は私の隣でお皿を布巾で拭きつつ、くすりと笑いました。
「心配しなくても、大上家の人間はわりと空気が緩いよ?」
「ふぇっ……。わ、私……顔に出ていましたか?」
「うん。赤月さんが不安そうにしているなぁと思って。……確かに神社が実家だと、堅苦しい家だと思われがちだけれど、仕事以外は朗らかな感じだし、怖いことは何もないよ」
「そ、そうなのですね……」
「それに実家には、赤月さんという彼女が出来たってすでに報告済だし」
「ふぇぁっ!?」
驚きのあまり、私は変な声を上げてしまいました。
私はいまだに自分の実家に「彼氏がいます」なんて報告が出来ていないというのに、大上君はすでに私という存在をご実家に報告していたのですね……。
「いやぁ、電話越しで伝えたんだけれど、俺と同等かそれ以上にお祭り騒ぎだったよ。『伊織に人生初の彼女が出来た!』『今日は赤飯だー!』って……」
「……」
彼女が出来たというだけで、何とも凄い盛り上がり方ですね。ですが、大上君と同じ系譜を何となく感じ取ってしまい、少しだけ安堵しました。
「そんなわけで赤月さんのことは歓迎されているから、安心してね。……多分、俺が実家に帰った時よりも赤月さん達が家に来た時の方が、たくさんご馳走が用意してあると思うよ……」
どこか遠い目をしながら大上君は呟きます。歓迎してもらえるのは喜ばしいことですが、一体何が待っているのでしょうか。
やはり、緊張してしまいますね。
その後も大上君の実家や神社のことを訊ねつつ、片付けを終わらせて、そして──とうとう大上君が出発する時間が来てしまいました。
「忘れ物はありませんか?」
「うん、大丈夫」
「もし、何か忘れていたら、大上君の家に行く際に持っていきますね」
「ありがとう、赤月さん。……さて、と」
大上君は大きな荷物とお出かけ用の鞄を肩にかけてから、玄関で靴を履き始めます。
大上君が帰ってしまう。
分かっていたことなのに、やはり想像以上に寂しくなってしまった私は表情に出ないようにと平静を装いました。
私は両手を重ねるようにぎゅっと握りしめながら、靴を履き終えた大上君を見上げます。
大上君は私の視線に気付くと、どこか寂しげな表情を浮かべてから縋るような声を零しました。
「……毎晩、電話をしてもいいかな。少しの時間でいいから、赤月さんの声を聴きたいんだ」
その言葉に私はこくん、と無言のまま頷き返します。何かを告げなければならないのに、上手く言葉には出来ませんでした。
「……赤月さん」
大上君が私の名前を呟いた時には、彼の唇が私の額へと触れていました。
軽い音がその場に響き、私は思わず目を見開きます。
大上君はしてやったり、と言わんばかりの表情で小さく笑っていました。
「本当はもっといちゃいちゃしたいんだけれど、そろそろ電車の時間が近づいているからね。……続きは次に会う時でいいかな?」
「っ……。わ、分かりました……」
私が肯定の言葉で答えると大上君は意外だと思ったのか、目を見開いてから嬉しそうな表情を浮かべます。
「赤月さんといちゃいちゃ出来る日を目指して、俺も精一杯、実家の手伝いを頑張ってくるね」
「……どうか、熱中症や脱水症状を起こさないように気を付けて下さいね」
「うん、赤月さんもね。……それじゃあ、またね」
「はい……」
大上君は玄関の扉に取っ手に手をかけて、ゆっくりと捻りました。夏風が扉の向こうから、少しだけ流れてきた時に、大上君の匂いが鼻を掠めていきます。
大上君が行ってしまう。
寂しいけれど、仕方がないことだと自分を納得させるしかありません。
大丈夫、半月後くらいには大上君に会えるのですから。
それでも。それでも。
湧き上がってくる寂しさは、どうしようもない程に苦しいものでした。
開いた扉の向こうへと大上君が一歩を踏み出します。その光景が何故かやけにゆっくりと見えていました。
扉を閉める瞬間、大上君と視線が重なります。
彼もどこか寂しそうな笑みを浮かべていました。
だから、私も無理矢理に笑顔を作って見送るしかありません。ここで感情のままに表情を崩してしまえば、大上君の足を止めてしまうと分かっているからです。
扉が完全に閉じ切ったことを確認してから、私はその場に立ち竦んでしまいます。
胸の奥の温かかった部分が突然、抜け落ちてしまったような、そんな寂しさが込み上げて来ていました。
大上君と出会ってから数ヵ月。
毎日のように会っていたからでしょうか。その分、寂しさが倍増しているように思えました。
私は自分で思っていたよりも、大上君と一緒に居ることを当たり前のように認識してしまっていたのかもしれません。
顔をゆっくりと上げてから、私はぱんっと自分の頬を両手で叩きます。
「……大上君と会える日まで、私も頑張らないと」
大上君に迷惑をかけないためにも、気丈でいようと私は気合を入れなおします。
もちろん、寂しさは拭い切れていませんが、それでも俯いたままでいるのは止めようと思います。
「とりあえず、神社でのアルバイトに備えて、色々と調べておこうかな」
目標を新しく持ったことで、少しだけ気が紛れたようにも思えました。
私は大丈夫です。
大上君に会える日が来るまで、自分なりに日々を送ってみせましょう。
目元には少しだけ涙のようなものが浮かんでいる気がしましたが、私はそれを手の甲で拭ってから無理矢理に笑みを浮かべるのでした。