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大上君、伝えられない。

 

 赤月さんが俺の隣で眠ってから、どれくらい時間が経っただろうか。


 あの後、俺が横向きに抱き合ったまま眠りたいと告げると赤月さんは少し恥ずかしそうな笑みを浮かべつつ、了承してくれた。


 寝心地が良かったのか、赤月さんは俺の腕の中ですぐに眠ってしまった。

 俺は右隣に眠っている彼女の寝顔を無言で眺めながら、気の抜けたような笑みを浮かべてしまう。


 寄り添って眠る日が来るなんて、少し前だったならば想像出来なかっただろう。


 幸せだ。

 何と表現すれば良いのか分からない程に、幸せなのに──。


「……ごめんね、赤月さん」


 俺は眠っている赤月さんの頬を空いている左手の甲を使って、軽く触れてみる。

 柔らかさが伝わって来て、俺は泣きそうになってしまった。


 赤月さんがここにいる。自分の隣に居る。

 それだけなのに、それだけがどうしようもない程に尊くて、やっぱり瞳を潤ませてしまう。


 また、彼女に情けない姿を見せてしまった。もう、何度目だろうか。

 赤月さんの前では格好良い自分でいたいのに、それが上手く出来なくてもどかしかった。


 君と初めて会った時だけじゃなく、再会した時、追いかけてしまった時──。


 色んな場面があったけれど、目の前にしてしまえば俺は君にとっての格好良い人間ではいられなくなってしまう。


 今は何とか理性で制御出来ているけれど、その枷がさっきみたいに、度々外れて暴走してしまうのだ。


 それは大上家の血筋が関係している。自分にとって唯一と言える相手を目の前にすると、欲望のままに欲してしまう。

 それが、大上家の人間だ。


 もちろん、大上家全員がそういうわけではない。

 ただ、唯一の相手を完全に手に入れるまで、つい暴走しがちになってしまうのが、大上家が通ってきた道だと、俺以外の家族と言う名の経験者達から聞いている。


 自分の心を満たしたい欲と相手のことを考えて行動出来る理性との間で揺れに揺れて、そして完璧に理性で制御出来るようにならなければ、一人前とは言えないだろう。


「……いい加減に、制御出来るようにならないと」


 でなければ、いつか本当に赤月さんに対して、俺の欲をぶつけてしまいそうで怖かった。


 赤月さんは優しい。

 優しくて、穏やかで、繊細で──そして、壊れてしまいそうな程に脆い心を持っている。


 だからこそ、自分の欲を満たすためだけに彼女を傷付けてはならないのだ。

 たとえ、彼女がそれを許しても。


「……ごめんね、俺が弱いから……」


 少しでも油断すれば、「赤月さんを食べたい」という欲求が襲ってくる。


 食べてしまいたい。


 細やかな腕を掴んで逃げられないように組み伏して、桃色の唇に噛みついて、舌で口内をじっくりと味わいたい。

 柔らかな肌を舐め取るように味わって、自分の手で感じて欲しい。

 自分の全てを受け入れて欲しい──。


 そんな執着や強欲にも近い感情を抱いてしまえば、抑えるのは一苦労だ。


 それなのに、赤月さんは俺が理性と欲望の間で苦しんでいることを見抜いて、自分を差し出すようなことまで言ってしまった。

 いや、違う。俺が言わせてしまったんだ、不甲斐ないから。


 それが悔しくて、でも嬉しくて。


 けれど、赤月さんには伝えられていないことがまだあるから、欲望のまま手を出すわけにはいかなかった。


 大上家の人間は、自分の血筋と性質のことを相手に話して、そして受け入れて貰わなければ、相手に手を出してはならないのだ。


 俺の中に宿る狼という獣性がどれほど欲深くて、生々しいものなのか相手に理解されなければ、相手の全てを貰うことは出来ない。

 ……それを欲望のままにやってしまえば、人間ではなく、ただの獣に成り下がるからだ。


 だから、伝えてしまうのが怖かった。

 俺の本性を赤月さんに話して、受け入れてもらえるかどうか、不安で仕方が無かった。


 もし、拒絶されたらどうしよう。

 俺はどうなってしまうだろうか。


 無理矢理に赤月さんから奪ってしまうのか、それとも生きた屍のようになってしまうのか。


 分からない。分からないからこそ、怖くて、怖くて、そして伝えるための勇気が持てなかった。

 

 嫌われたくはない。

 けれど、逃がしたくもない。


「俺は……」


 呟こうとしていた言葉を途中で切ってから、口を一文字に結び直す。


 もう一度、赤月さんの頬に触れようとした左手を俺は何とか押し留めた。

 これ以上は、駄目だ。せっかく眠っている彼女を起こしかねない。


 ゆっくりと手を下ろしてから俺は赤月さんの顔を眺め続ける。

 何か楽しい夢でも見ているのか、赤月さんは微笑んでいるような表情を浮かべて眠っている。とてつもなく可愛い。


「……待っていると言ってくれたの、嬉しかったよ」


 眠っているから聞こえてはいないだろう。それでも俺は薄く笑ってから、言葉にした。


「君は本当に優しい人だね。……初めて会った時から、ずっとそうだ」


 生まれて初めて恋を自覚した日。

 それは赤月さんという運命の相手に出会った日だ。


 何事にも動かされなかった俺の心は初めて揺れ動いた。

 君だけが、自分の全てとなった。


「……もう少しだけ、待っていてね。……ちゃんと、伝えるから」


 勇気を持って、君に伝える。


 まるで一世一代の求婚みたいだけれど、俺にとってはそうだ。

 自分の血筋と性質を伝えた相手としか、結婚は出来ないのだから。


「本気だからね。俺は……本気で君と……一生を生きていきたい」


 腕の中の赤月さんが少しだけ動いた気配がしたため、俺はすぐに言葉を噤む。

 けれど、赤月さんが起きることはなくて、彼女はそのまま寝息を立て始めた。


 そのことに安堵してから、俺は小さく笑い、そして──もう一度、彼女の額へと口付けを落とす。


 今はまだ、唇を交わすことは出来ない。何故なら、まだ赤月さんの心を完全に手に入れてはいないと自覚しているからだ。


 だから、今だけはどうか、他の場所に口付けを落とすことは許して欲しい。

 君にちゃんと全てを伝えて、心から感情を交わすことが出来たら、その時は──君の唇を()みたい。


 そんな欲望を心の奥底に仕舞いこんでから、俺は口元に緩やかな笑みを浮かべる。


「おやすみ、赤月さん」


「良い夢を」と呟いてから、俺は目を瞑る。

 隣で眠る赤月さんの温度を愛おしく思いながら。


 

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