赤月さん、大上君を夕食に誘う。
試験の終わりを告げるチャイムが鳴ったことで、私は顔をふっと上へと上げます。試験用紙を回収していく試験官に用紙を渡してから、それまで使っていた筆記用具を鞄の中へと仕舞いました。
試験中の緊迫した雰囲気から解放されたのか、ほとんどの学生達は周囲の友人などに試験内容がどうだったかを訊ねては笑いあっています。
「ふぅ……」
私も思わず、気が抜けたような溜息を吐いてしまいました。思っていたよりも緊張していたようですが、試験には集中出来ました。
ミスがないか何度も確認したので、それなりの点数は取れていると思います。
これで全ての試験は終わったので、全学生が夏休みへと突入したことになるのでしょう。そのため、どの学生も生き生きとした様子でした。
私にとっては大学生になって初めての夏休みとなりますね。そんなことを思っていると背後から気配を感じました。
「──赤月さん」
名前を呼ばれた私は荷物を肩にかけつつ、立ち上がってから振り返ります。
そこには同じ試験を受けていた大上君が居ました。学籍番号が隣同士なので、番号順に座る時はいつも大上君が近くに居ます。
決して、意図的に一緒に居るわけではなく、名前の順番によるものです。
「試験、お疲れ様。やっと終わったね……」
「お疲れ様です、大上君」
全ての試験が終わったことで大上君も他の学生と同じように安堵しているのかと思えば、どうやら更に気疲れしているようです。やはり、実家のことで悩んでいるのでしょうか。
「赤月さん、この後はもう何も用事が無いんだっけ? アルバイトも入っていなかったよね?」
「はい。図書館でのアルバイトは夏休みの後半を中心にシフトを入れてもらっているので、八月の中旬過ぎまでは勤務日が入っていないんですよ」
「そうなんだ」
「大上君は……。もう、実家の方に戻られるんですか?」
つまり、今日で大上君に会えるのは最後ということですね。そう考えると少しだけ寂しい気もします。
「いや、さすがに今日中に弾丸では帰らないよ。確かに同県だけれど、新幹線は通っていない場所だから普通の電車で帰ると結構、時間がかかるんだよね。しかも、駅から自宅までは車で三十分以上はかかるし」
どうやら私が住んでいた場所とあまり変わらない程に、大上君もそれなりの田舎に住んでいたようですね。
「だから、実家に帰るのは明日にしておいて、今日は……その、赤月さんと一緒に過ごせたらいいなと思って」
「え?」
試験が終わったことで、教室の中に居る学生はいつの間にかまばらになっていました。ですが、他の学生には聞こえないように小声で大上君は呟きます。
「だって、明日には実家に帰るし、神社でのアルバイトの日まで赤月さんには会えなくなるんだよ? ほぼ半月だよ、半月! 赤月さんを視界に収めることも出来ず、匂いを嗅ぐことも出来ず、触ることも出来ない日々が半月も! そんなの堪えられないよ……!」
大上君は両手で顔を覆いながら必死さを含めた様子で訴えてきます。
確かに大上君の言う通り、アルバイトの日まで会う機会はないですからね。電話やメールくらいは出来るでしょうけれど。
「……つまり、簡潔に言うと?」
「赤月さんといちゃいちゃしたいです!」
すでに他の学生達も教室の外へと出ていたようで良かったです。でなければ、大上君の爽やか好青年なイメージが一気に崩れ去るところだったでしょう。
私と大上君がお付き合いしていることは限られた人しか知りませんが、それでも今も大上君へと熱を含んだ視線を送って来る方は結構いますので、幻想を壊してしまっては可哀そうです。
「でも、実家に帰省するための準備や部屋の掃除は……」
「明日の午前中に準備と掃除をやって、午後から帰るつもりだから大丈夫だよ!」
どうやら、きっちりと計画を立てているようですね。私は口元に手を当てつつ、唸るように考えます。
「うーん……。それなら、うちに来ます? 一緒に夕食でも食べませんか?」
私がそのように提案すると大上君はぱぁっと笑顔になっていきます。まるで最後の希望を見つけた人みたいですね。
「いいの!?」
「夕食をご馳走するくらい、いいですよ。あ、お泊りは駄目ですよ? 明日は実家に帰るんですし」
「うんっ……! ありがとう、赤月さん!」
何と言いますか、これから苦悩が待っているが故に幸せな時間を最後に過ごしておきたい、みたいな笑顔のように見えました。
「夕食のメニューで食べたいものはありますか?」
「赤月さん!」
「却下ぁっ!」
本当、ぶれませんね。普通に夕食を食べるだけに留めておいて、大上君が変なことをしないように注意しなければ。
そんなことを思いつつも、大上君のためにどんなメニューにしようかと考えることにしました。