大上君、赤月さんを見つめる。
現実だと認識するには時間がかかってしまった。けれど、晴れて赤月さんと恋人という関係を始めることが出来た事実を喜ばないわけがない。
今は「東洋史概説」の講義の真っ最中。
俺の隣には赤月さんが座っていて、真剣な表情で黒板に書かれた白い文字を必死にルーズリーフに向かって書き綴っている。
うん、真剣な表情も可愛い。そもそも、赤月さんは全てが可愛い。可愛いが具現化した存在とも言える。俺は何度だってそう思う。
……ああ、まずいな。嬉しさが溢れて、いつものように冷静さを保てないでいるなんて、俺もまだまだだ。
講義中ににやにやしていれば、教授だけでなく周囲から訝しがる目で見られてしまうだろう。
何とか平静を装いつつ、俺は隣に座っている赤月さんへともう一度、そっと視線を向けた。
手を伸ばせば届く距離にいる。出会って数ヶ月だというのに、心が燃えそうになる程に恋焦がれていた存在がすぐ傍にいるのだ。
……愛おしい。
そんな言葉がいとも簡単に出て来てしまう。だが、一言では片付けられない程に赤月さんに対する感情は膨大だ。
その感情を何とか抑えつつ、俺は赤月さんに怖がられない「大上伊織」を演じなければならない。
赤月さんは俺のことを知っていきたいと言っていたけれど、本当の俺はとても臆病で弱虫で、そして腹黒くて粘着質だ。
それに狙った獲物は一生逃がさない性質の持ち主だ。自分が抱いている愛情は真っすぐだけどとても歪だから、赤月さんに嫌われないか不安だった。
日に日に募る愛おしさの全てを赤月さんにぶつけてはならない。彼女はとても繊細な人だから、傷付けるわけにはいかないのだ。
それでも、心に抱いている不安が拭えることはない。
赤月さんはたとえ、俺の本性を知ったとしても、好きでいてくれるだろうか。
笑いかけてくれるだろうか。そればかりが脳裏を過ぎってしまうのだ。
……大切にしたい。だからこそ、傷付けないように優しくしないと。
俺の本性は狼だから、理性が崩れ去ればきっと赤月さんを深く傷付けてしまう。
でも、少しずつ赤月さんに俺のことを知ってもらって、それから仲が深まったら、全てを話そうと思っている。
本当は自分がどういう人間で、どんな想いを抱いて、君に落ちたのかを。
それと俺の実家の大上家のことも話せたらいいな。俺の家は少しだけ特殊だから、赤月さんに受け入れてもらえるかは分からない。
でも、俺は血筋で赤月さんを求めたわけじゃない。君が好きだと思ったことも、欲しいと選んだことも、全てはこの心が決めただけだ。
そのことをいつか、きっと赤月さんにも伝えられたらいいと思う。
俺は講義内容をルーズリーフに書き写しつつ、頭の中では静かに思考する。
米沢舞の件はこれでとりあえず終わりだろう。これ以上、赤月さんや俺に関わってくるつもりならば、彼女にとっての弱みをさらに提示しなければならなくなる。
本当ならば先程、あの場所で彼女の弱みを握っていることを伝えても良かったんだけれど、隣に赤月さんがいたから止めておいた。彼女には引かれたくはないからね。
赤月さんの幼馴染の真白ほどではないけれど、俺もそれなりに情報収集は得意だ。何せ、俺は耳と鼻が良いからね。
でも、あまりやり過ぎると、赤月さんに不審がられてしまうから、自然に目の前から姿を消してもらう方がこちらとしても都合が良かった。関わってこなければ、それでいい。
久藤静樹に関しても、そろそろ終わりが見える頃だろう。あの男はあまりにも、くず野郎過ぎて、周りに敵を作っている。あとは証拠を提出してしまえば、簡単に追い詰められる。
まぁ、赤月さんには知られたくはないので、よほどのことがない限り、切り札は出さないけれど。
どちらも勝手に自滅してくれたらいいなぁと腹黒いことを思ってしまう。それに俺だって、興味が無い人間に構える程、暇ではない。
これらの件は頭に入れておくけれど、恐らく今後は表に出て来ることはないだろう。静かならばそれが一番だからね。
自分や赤月さんにとっての敵だと認識したものに対して、俺は容赦がない。
今までは他人に対して、興味などなかったけれど、自分にとっての唯一の存在となった赤月さんを守るためならば、俺は何だってやるつもりだ。
もちろん、赤月さんを悲しませない程度に、だけれど。
我ながら、重い愛だと自覚している。別に同じように重く愛してもらいたいわけじゃない。
赤月さんの速度で俺のことを少しずつ、好きになっていってもらえれば、それで良いんだ。それだけで、俺は幸せだから。
ふっと息を吐いてから何となく隣に視線を向けると、俺からの視線に気付いたのか赤月さんとばっちり目が合ってしまった。
赤月さんはやってしまったと言わんばかりに頬を少しだけ赤らめて、わざとらしく視線を黒板の方へと逸らす。
照れている顔も本当に可愛らしい。あの頬をぱくりと食べてしまいたいくらいだ。
だが、衝動のままに動いてはいけない。彼女が俺に慣れてくれるのをちゃんと待たないと、また傷付けてしまうことになる。
ゆっくりと、ゆっくりと。時間をかけて俺は君を知って、近づきたい。
そして、いつかきっと、優しく食べたいと思う。
赤月さんは甘くて美味しそうだなぁ、なんてことを考えつつ、俺は視線を逸らした赤月さんの横顔を本人に気付かれないように暫く見つめていた。