来栖さん、睨む。
私はちらりと奥村君の方に視線を向けます。私の視線に気付いた奥村君は顔を引き攣らせながら、ぶんぶんと首を横に振り、二人を宥めることは出来ないと訴えてきました。
女性と話すことが苦手な奥村君には酷なことを頼みそうになってしまったので、私も申し訳ない表情を浮かべつつ、頷き返すことにしました。
どうしましょう。私の頭上では今もばちばちと音が聞こえそうな程に来栖さんと米沢さんが睨み合っています。
正直、口を挟めるような状況ではありません。
「君は自分が受け持つ担当箇所さえも知ろうとはしなかった。いや、そもそもこの講義に対する態度は不真面目すぎる。それなのに、自分の分を人にやらせて、その評価だけを簡単に貰おうとしているなんて、何とも良いご身分だな」
「はぁ? 講義の単位や評価なんて、結局は結果だけが全てでしょ。その過程なんて誰も求めてないわよ」
「その発言は君が姑息な手を使って単位を取得していい理由にはならない。……君はこの大学に何をしに来ているんだ? 真面目に勉強する気がないならば、ここに居るだけで時間の無駄だと思うぞ」
お、おお……。来栖さん、随分と容赦なく言い放ちますね。
顔は無表情のままでしたが、内心では色々と米沢さんの態度に対する不満が溜まっていたのでしょう。
「私がどんな理由で大学に居ようとも、あんたには関係ないでしょ。自分の意見が正しいと思っているみたいだけれど、それを発言するのはあんたの自己満足でしかないわ」
奥村君の方から、「女、怖ぇ……」と震えながら呟いた声が聞こえてきました。もちろん、来栖さん達には聞こえない程の声量です。
ですが、自分の言いたいことをはっきりと言えるのは凄いなと思います。
私は自分が持っている意見を上手く相手に伝えることが出来ない人間なので、素直に憧れてしまいます。
同じ教室に居る学生達は来栖さんと米沢さんの対立を静かに見守っているようです。やはり仲裁しようとする勇気ある方はいないようですね。
中には、早く教授が来ないかと入り口の扉を気にしている方もいました。
来栖さんは「はぁ……」と気迫がこもったような短い溜息を吐きます。
彼女が少し俯いた際にふっと、横顔が見えましたがその瞳は剣呑としたものになっていました。
すると意外にも来栖さんは私が作った米沢さん用のレジュメをすっと米沢さんの方へと向けました。
米沢さんは来栖さんが折れて、自分が勝ったと認識したようで、にやりと勝ち誇ったような笑みを浮かべてから、レジュメを受け取ろうと手を伸ばしてきます。
その時でした。
「このレジュメを受け取った時点で君の負けだよ、米沢」
「……は?」
米沢さんはぴたり、と手を止めてから訝しげに来栖さんを睨みます。
「このレジュメの内容を君は理解出来ないだろうね。何せ、真面目に講義を受けていなかったから。……赤月が作ったこのレジュメはな、彼女が講義を真面目に受けて、そして自分で考察しながらまとめたものだ。読んでみれば、他の学生と比べてまとめ方のレベルが違うとすぐに分かる」
「……だから何よ」
「米沢。君は何を基準に赤月という人間を見下しているのか知らないが……。このレジュメは君が見下している人間が作ったものだ」
前髪の隙間から、獲物を睨むように来栖さんは瞬きすることなく米沢さんを捉えたままです。
纏っている雰囲気が刃のように鋭く思えて、私は思わずごくりと唾を飲み込んでしまいました。
「見下している相手が作ったものを自分のものとして扱った時点で、君は赤月に全てを負けたことになる。何せ、君は『自分は赤月に出来ることが出来ない』と自ら証明しているに過ぎないからな」
「っ……」
来栖さんの畳み掛けるような言葉に米沢さんは、かっと表情を赤らめていきます。
「本気の努力をしている人間に、何も努力をしていない人間が楽に勝てると思うなよ」
ぼそりと言葉を吐いてから、来栖さんは少しだけ顎を上に向けて、レジュメをゆらりと揺らしていました。