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赤月さん、口を閉じる。

 

 とうとう、古文書学の発表の日がやってきました。まだ教授が来ていないので、教室内に居る学生達はお互いにレジュメを手に取りつつ、発表の練習をしているようです。


「あー……。赤月ほどまでではないが、それなりに緊張するな……」


 奥村君はふぅっと長い息を吐きつつ、自分用のレジュメに何度も目を通していきます。すると私の隣に座っている来栖さんは肩を竦めつつ、奥村君に諭すように声をかけました。


「別に卒業論文ではないのだから、それほど緊張する必要はないと思うが。……ほら、私の顔を見ると良い。そして、思い出すんだ、『石ころ』を」


「ぐふっ……。お、おいっ、来栖……! その言葉を思い出させるなと言っただろうが……!」


「ほーら、石ころだぞー。私は石ころだぞー」


 魔法の呪文のように、来栖さんは奥村君に対して真顔で詰め寄っていきます。そんな来栖さんが面白いのか、奥村君は口を手で押さえながら、笑わないようにと必死に抵抗しているようです。


 ですが、来栖さん達のおかげで私が抱いていた緊張は少しだけ和らいだ気がします。二人には感謝しなければなりませんね。


 攻防を続ける二人に隠れるように溜息を吐きつつ、私は自分用のレジュメの下に隠していた米沢さん用のレジュメに視線を向けます。


 米沢さんにやっておくようにと言われたため、気が重くなりながらも完成したレジュメがここにはあります。

 もちろん、私が米沢さんの分まで完璧に仕上げてきたレジュメの存在を来栖さん達は知りません。


 米沢さんの分まで発表するようにと教授に言われたら、来栖さんと協力しながら現代語訳してまとめた文章を三人で発表するつもりです。

 なので、米沢さん専用のレジュメがあることは知られていないのです。そして、大上君も。


 このレジュメを本当に米沢さんに渡してしまって良いのでしょうか。偽りの評価を貰って、米沢さんは何を思うのでしょうか。


 私が悶々と悩んでいると、こちらに向けて足音が近づいてきました。

 ハイヒールの音はすでに耳に慣れてしまっています。実は人の足音を覚えるのは得意だったりするので。


 近付いてくる気配に気付かれないように溜息を吐いていると、私の真後ろに「その人」は立ち止まりました。


「ねぇ」


 ああ、どうやらこの時が来てしまったようです。ごくり、と唾を飲み込みながら、私は座ったままの状態で後ろを振り返ります。


 そこには案の定、米沢さんが立っていました。彼女はふんっと鼻を鳴らしつつ、私を見下ろしてきます。


「ちゃんと、出来ているでしょうね?」


「……」


 米沢さんは周囲に聞こえないように声量を落として、そう言いました。米沢さんが来たことに気付いたのか、隣と後ろからは来栖さんと奥村君の視線を感じます。

 勘が鋭そうな来栖さんのことなので、恐らく米沢さんが何のことを言っているのか気付いているかもしれません。


「ほら、早く渡しなさいよ。教授が来ちゃうでしょ」


 私へと手を差し出してくる米沢さんは、一欠けらとして悪気はないという態度です。別に米沢さんの分を担当したことに対して、お礼を言ってもらいたいわけではありません。

 でも、何となく心の中には不快に感じられるような感覚が芽生えてきました。


「早く」


 急かしてくる米沢さんに気付かれないように私は小さく息を吐き、そして──持っていたレジュメを米沢さんへと渡そうとしました。


 自分へと渡されるレジュメが確かに在ることを確認出来たのか、米沢さんはにやりと笑います。そして、私からレジュメを受け取ろうとした時です。


「──なるほどな」


 冷たい声がすぐ傍で聞こえたと同時に、私が持っていたレジュメは米沢さんに渡される前に、誰かに奪い取られてしまいました。


 驚いて隣に視線を向けると、いつの間にか来栖さんは立ち上がっており、その手元には私が作ったレジュメが掴まれていました。


「あっ、ちょっと何するのよ!」


 レジュメを奪い取られた米沢さんは嫌悪するような表情を浮かべつつ、来栖さんへと噛みつきます。


「ふむ。この文章の書き方は明らかに赤月が手掛けたものだ。彼女の文章の癖が出ているからな」


 来栖さんは米沢さんに渡す予定だったレジュメを一番上から下まで、流れるように読んで行きます。


「それなのに何故、レジュメの作成者の項目に米沢の名前が記されているんだろうね?」


 その場に居る人達に知らしめるように来栖さんはわざと、そう言い放ちました。


「それが何? 同じ班ならば、班員の分をやっていても問題はないでしょう?」


 一体何が悪いんだと言わんばかりに米沢さんは胸を張ります。すると、二人の声が周囲に聞こえてしまっているのか、こちらに向けられる視線が多くなりました。

 視界の端には、大上君が私達の方を見ている姿が目に映りました。


 事を大きくするつもりはなかったのに何故、来栖さんは他の人にも聞こえるような声量で米沢さんと対峙しているのでしょうか。


「あ、あの……。これは、私が自分の意思で……」


 どうにかこの場を治めようと私は立ち上がりかけましたが、すぐに来栖さんの右手によって制されてしまいます。


「赤月は黙っていて欲しい。……私の気が治まらない」


「……はい」


 美人に怒気のこもった声で言われると怖気づいてしまいますね。米沢さんに悪口を言われるよりも怖かったです。私は来栖さんの言い付け通りにとりあえず口を閉じることにしました。

 

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