赤月さん、密かに抱く。
入った教室に一人、立っていたのは大上君で、彼は私の存在をいち早く気付いていたのか柔和な笑顔を浮かべていました。
「やぁ、赤月さん」
「……どうも」
大変、気まずいです。実は立ち聞きしていましたなんて、自己申告出来るわけがありません。
いつものように端の席へと座ると、それに合わせて大上君も私の隣の席へと座ってきました。
「赤月さん」
「は、はい」
隣を振り返ると大上君はどこか困ったような表情を浮かべつつ、訊ねてきました。
「さっき米沢さんがここに居た時、扉の前に居たでしょう?」
「ふぇっ!?」
まるで確信しているような問いかけに私の目はつい、泳いでしまいます。どうして知っているのでしょうか。物音一つ立てていないというのに。
「扉の隙間から、赤月さんの服がちらりと見えていたからね」
「……」
気付かないうちに迂闊なことをしていたようです。視線は合わなかったので、まさか大上君が私の存在に気付いているとは思っていませんでした。
逃れることは出来ないと覚った私は正直に話すことにしました。
「盗み聞きのようなことをして、すみません……。教室に入ろうと思ったら、室内から声が聞こえたので……」
大上君は特に不機嫌になることなく、苦笑するだけです。
「内容も聞こえちゃった?」
「……はい。途中からですが……」
「そっかー……」
肩を竦めつつ大上君は、ふぅっと息を吐きました。
「たまにね、呼び出しとか受けて告白されることがあるんだよね」
「あ、それは存じています。大上君、色んな女性から人気ですからね」
「俺は赤月さんだけに想いを傾けられたいんだけれどなぁ。赤月さん以外と付き合う気もないし。……まあ、そういうことで米沢さんに呼び出しを受けて、少しだけ話をしていたんだ。返事は断ったけれどね」
特に悪びれる様子もなく、大上君は目を細めながら答えました。
「……大抵の人はさ」
「え?」
途端に声色が低くなった気がして、私は顔を上げます。そこには少しだけ寂しそうな顔をした大上君がいました。
「大抵の人は俺のことをよく知ろうとせずに、外見だけで『こういう人間だ』って判断するんだよね。俺はそれが少しだけ、苦手なんだ」
「……」
「自分で言うなって思われるかもしれないけれど……。言い寄って来る人のほとんどは俺のことが好きなんじゃなくて、俺の外見が好きなんだよ。……だって、『大上伊織』はいつだって、本当の自分を見せずに装っているからね」
「今も……装っているのですか?」
「そうだよ? 前にも言ったと思うけれど、俺は──狼だからね。……自分にとって大切な人を怖がらせないように必死なんだ」
「……」
そう言って、大上君は自嘲するように笑いました。
「いつか本性を剝き出しにしてしまったら、せっかく手が伸ばせる位置に大切な人が居るのに逃げられてしまうかもしれない。……本当の自分を表に出せない、臆病で弱虫な人間なんだよ、俺は」
自嘲と諦めが交じり合ったような表情で大上君は静かに笑います。その笑みにはそれ以上を聞かないで、と訴えているようにも見えました。
きっと、私が大上君のことを知っているのは彼にとって一部に過ぎないのでしょう。
私が上手く返事を返すことが出来ずに押し黙っていると、大上君はふっと息を漏らしてから声をかけてきます。
「赤月さん」
「は、はい。何でしょうか」
「来栖さん達との発表準備は進んでいる?」
唐突に話題を変えてきたので、頭が追いつくのに時間がかかってしまいました。
「えっと、お互いに意見を交換したり、誤字脱字を見つけ合ったりしています。二人が発表の練習に付き合ってくれるので、おかげで一言も噛まずに発表出来るようになったんですよ」
「おっ、それは凄い。……うーん、動画撮影したいけれど、怒られるだろうからなぁ」
「……それは止めて下さい」
大上君、本気で言っているようなので、全力で阻止したいです。
「仕方ないから、今回は瞬きすることなく脳裏に刻むことにするよ」
「……目が乾燥するので止めた方がいいと思います」
大上君はこちらを気遣ってくれているのか、いつもと同じような明るい口調で話を振ってきます。
そんな中で、私はふと思いました。
大上君は本当の自分を隠していると先程、言っていました。隠した上で、私に接していると。
ならば本当の大上君は、どのような人なのでしょうか。
私が知っている大上君はとても優しくて、時々変な事を言ったり、変態的なことをしたりする人で、そして──私のことをひたすらに想ってくれている、そんな人です。
それだけでは、駄目なのでしょうか。私が知っている大上君はまだ一部でしかないのだと分かっています。
ですが、私は──今、見えている大上君の一部を好ましく思ってしまうのです。
それを彼に伝えることが出来ずにいるのは、伝えてしまえば、彼の一部しか見ていないと非難されることを恐れているからかもしれません。
私は大上君の全てを知りません。それでも今、目の前に映っている大上君だけが、私が知っている大上君なのです。
けれど、密かに抱いている感情を伝えることは出来ません。
私は楽しそうに話しかけてくれる大上君に対して、心の中では複雑さを抱きつつ、静かな笑顔を向けるしかありませんでした。