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第三十五話 James Brown is dead

 ヒカルドがアカデミーに入門して1年余り。ニクソンから青帯を巻く事も許された頃だった。


「エクスキューズミー」


 アカデミーの受付業務をしていたヒカルドに声を掛ける一人の男。スーツ姿の、一見して東洋人の様だ。歳は40前後だろうか。


「コンニチワ」


 恐らく日本人であろう相手にヒカルドは小さい頃に祖父から習った、僅かばかり話せる日本語で返す。


「お、日本語が解るのかい? 日系人ってやつか」


「ハイ、スコシ」


「私はこういう者なのだが、ニクソン氏はおられるかな?」


 ニクソンは他の支部へ出向いており不在だった。来客の予定など無かったはずだと思いながらもヒカルドは渡された名刺を見る。


 F.U.W インターナショナル 取締役


 安藤 譲司 George Ando


 格闘プロレス団体F.U.W (フロンティア・ユニバーサル・レスリング)。

 かつて真日本プロレスリングから分派し、プロレスからエンターテイメント性を排し、格闘技へと昇華させる事を目的に旗揚げされた団体である。一時代を築く人気を獲得したものの、所属レスラーと運営管理側で軋轢が生じ、『GONGS (ゴングス)』、『梶原組』、『F.U.Wインターナショナル』の三団体へと分裂した内の一つがこのFインターである。


「そのFインターさんが何のご用で」


「いわゆる道場破りってやつだよ。最強を名乗るのなら、我らFインターを倒してから名乗って欲しいからね」


 この安藤という男、旧FUWでデビューしたプロレスラーであり、Fインター旗揚げ後は取締役役員も兼任し、他団体への交渉も行っているのだとか。ヒカルドは溜め息をついた。プレマシー一族の名が売れる度、こういった輩がアカデミー

を訪れる事が後を絶たず、安藤の様にアポなしで突然やって来る者も珍しくはないのだ。最も、地球の裏側から来たのは初めてだが。


「ニクソンは今、ここにはいません」


「何だよ、わざわざクソ暑い中来たってのによ」


 ならばせめて事前に連絡くらいはしておけクソボケが!と思いつつ、ヒカルドは答える。


「なら、オレが相手をしましょう。セニョール・ポルコ」


 Porcoとは、ポルトガル語で豚を表す言葉だが、豚野郎という意味の蔑称にも使われる。

 ヒカルドには、ニクソンから任された仕事の一つに、彼に代わってこういった輩に“相手”をしてやる役目があった。




–アカデミー、メイン練習場


 プレマシー柔術アカデミー流の道場破りへの対応はこうだ。

 まず、お互いに合意の上で行う『手合わせ』である旨の誓約書にサインをさせる。解約書は英文で書かれており、安藤は単身で乗り込んでくるだけあって英語が堪能だった為、スムーズに事は運べた。

 次に、「手合わせ」の様子をアカデミーのインストラクター数人に立ち会わせ、更にビデオカメラで記録する。後々にこちらが不利にならぬよう、証拠を残すのだ。この徹底ぶりもアカデミーの長たるニクソンの指示である。


(何が手合わせだ。こんなガキの相手をさせるなんて、ナメられたもんだぜ)


 安藤は短パンにタンクトップという姿で、「手合わせ」の相手たるヒカルドを見やる。成人もしてなさそうな細い体格の若者じゃないか。対する安藤は体重100キロを超えるプロレスラーであり、体格差は安藤が圧倒的有利に見える。


「ルールは誓約書どおり、武器の使用以外一切の攻撃が認められる。目玉を潰そうが、金玉を潰そうが自由だ」


 審判を務めるインストラクターが告げる。早い話がルール無用(バーリ・トゥード) である。


「Vamora!Ricard!!」


「そんなポルコ、やっちまえ!」


 ヒカルドを応援する立会人のインストラクター達は、アカデミーのロゴが刺繍された道着に、みな紫ないし茶色の帯を巻いているが、当のヒカルドが巻いている帯の色は青である。

 ブラジリアン柔術の帯色は白の上が青だというのは安藤も予備知識で知っていた。


「青帯って事は、お前はこん中で一番弱いって事だろ、小僧」


 安藤がヒカルドに言うと、インストラクター達は笑い出す。


「闘えば解るぜ。ポルコ」


 一瞬、ヒカルドの目に毒蛇にも似た鋭さを感じた。だが、安藤にはそれ以上に気に障る事があった。


「さっきから人の事をポルコポルコと……俺の名は “Mr.2000%”安藤譲司だッ!!」


Combate(コンバッチ)!」


 憤る安藤をよそに、審判を務めるインストラクターが開始を告げる。


 「手合わせ」は、ヒカルドの一方的なワンサイドゲームだった。序盤こそ安藤が体重の有力で打撃による圧倒を見せたものの、まんまとヒカルドの術中にはまってしまった。

 余裕を見せた安藤がボディスラム(すくい投げ)の体勢に入り、右手をヒカルドの股間から後ろ腰へ回し、持ち上げた。だが、ヒカルドは両足を器用に操り、逆に安藤の右肘を極めてしまったのだ。

 ヒカルドは抱え上げられた状態のまま、痛がる安塵の顔面に掌底を容赦なく打ち込む。仰向けに倒れた安藤の上に馬乗りになるヒカルド。マウントポジションである。そして、そのまま安藤の顔面に左右の掌底を連続して叩き込む。安藤は両腕で顔を覆い防御するが、防戦一方、ヒカルドの優位は変わらない。

 いつの間にか、安藤はガードを解いていた。 失神しているのだ。


Parou(パロウ)!ヒカルド、もう充分だろう」


 審判のインストラクターが止める。

 道場破りに対しては、締めや間接技での降参 (タップ)ではなく、打撃で完膚なきまで痛めつけて文句も言えないくらい叩きのめせ。それがニクソンからの指示である。


「馬鹿な奴だぜ。ヒカルドを若さと帯の色でナメてかかりやがった」


「実力があるからこそ先生から門番を任されてるってのにな!なぁヒカルド」


「ああ。しかし、プロレスラーってのは大した事ないんだな。格闘プロレスだかFUWだか知らんが、所詮はショーマンだぜ」


 インストラクター達とヒカルドは伸びた安藤を見下ろしながら笑う。その後、 Mr.2000%こと安藤譲司は、格闘プロレスからは身を退き、ショープロレスのみ 行う様になった。真日本プロレスとの対抗戦で“革命紳士”山口ケンをキレさせた試合が有名となるも、それはこの“干支乱勢”とはまた別の物語である。

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