花火咲く夜
ヒナのお通夜には紫雨にも声を掛けて、家が近い他の子と一緒に制服で参列した。
外は今も激しい雨が降り続いている。
斎場で横並びに私の隣に座ってる紫雨はすごく元気がなかった。
顔色も良くない。
「紫雨、大丈夫?」
「うん」
そう言ったけど、お通夜の最中紫雨は口をキュッと結んでずっとうつむいていた。
そして夏休みに入ってから、ヒナとよく遊んだり頻繁に連絡をとっていた子達が順番に警察から事情を聴かれているようだった。
私は紫雨のことが気になった。
彼は多分家にいるはずだけど、普段時々弾いているギターの音も聞こえてこないし。
心配だから思い切って、今朝部活に行く前に「大丈夫?一人で落ち込んでない?心配だよ」ってLINEした。
そしたら、ありがとうのスタンプと一緒に「大丈夫!今日、警察と話しに行ってくる」と返事が来た。
紫雨は今日だったんだ。
同じ部活で同級生の友達と帰りにその話になった。
「あー、紫雨も呼ばれたんだ。ヒナ、紫雨のこと好きとか振られたとか、色々LINEでも言ってたみたいだよ」
「そうなんだ」
「他の子もさあ、ヒナが何か悩んだり落ち込んでいなかったか聞かれたってよ」
「振られたせいでってこと?それは違くない」
思わず強く否定してしまって、自分で焦った。
ヒナの事は紫雨が原因じゃないって私は思っているからナーバスになってしまう。
「うん。私もヒナはそのせいでっていうんじゃないと思うよ。でも紫雨の場合はそこ掘られるんじゃないかな、可哀想だけどね」
紫雨はきっと、すごく心が痛いだろう。
でも、ヒナが紫雨に傾くきっかけになった、あのゲームセンターでの喧嘩。
あの一件はもしかしたら事件に関係があるかもしれない。
紫雨は家族に秘密にしていたけど、こうなった以上そのことは話すんじゃないだろうか。
でも、紫雨が話すまでは、私は誰にも言わないっていう紫雨との約束を守っていたい。
「ヒナは前から夜中に出かけて、年上の子とも遊んだりしてたみたいだから、そっち絡みじゃないかって言ってる人もいるよ」と友達が言った。
その晩、前に一緒に大好きなバンドのライブに行ったクラスの友達から、遊び仲間のグループトークで連絡が来た。
「色々あってしょんぼりな夏休みだけど、みんなでお祭りと花火行かない?」って。
明後日から夏祭りが始まり、神社のあたりには出店もたくさん並ぶ。
そしてお祭り終わりの週末には、神社そばの河原で花火大会がある。
チャットの画面には次々既読がついて私も「いいね、花火見たいな」と打ち込んだ。
紫雨も見たはず、だけどまだ反応がない。
友達から私個人あてのトークでは、「紫雨が元気ないからみんな心配してる」って書かれていた。
今日の警察との話もどうだったのかな。
あー、また心配になってきた。
「紫雨も行こうよ、お祭り」と打ち込んで花火のアイコンを入れて送信する。
今度はしばらくしてから紫雨が「行く。花火見たいな〜」と反応して来た。
お祭り最終日、夕方の神社前には紫雨と私を入れて同じクラスの男の子三人と女の子四人が集まった。
女子は事前の打ち合わせによりみんな華やかに浴衣姿。
男子も一人は浴衣できめてて「俺、浴衣好き。自分で着れるし結構涼しいし」と言っていた。
待ち合わせのこの場所までは紫雨と一緒に来た。
と言っても、バス停のある通りでやっぱりと言うか友達にと合流したけど。
私は今日、今年買った新しい浴衣を着てきた。
ボタンの柄に、深めの濃いピンクの帯で。
髪はアップにして、クリアのマスカラとちょっと赤みのはっきりしたリップをつけた。
可愛くできたかな、と言ってもこれが精一杯だけど。
そして小ぶりなバスケットを提げて出かけた。
時任家のインターホンを押したら紫雨が出て来た。
白のTシャツにダメージジーンズ姿の紫雨は、元気を取り戻した感じの彼らしい笑顔で私を見ると「なんか、いいじゃん。似合ってる」と言ってくれた。
やだな、頬が熱くなるよ。
「ありがとう」
恥ずかしいけど笑顔で答えた。
とても嬉しい。
優雨も家にいるみたいだけど、何してるのかなあ。
「優雨は?」
「今スイカ食べてる。花火のちょい前に七組の友達と待ち合わせだって」
紫雨は答えて「優雨、行ってくるわ」と声をかけた。
「ああ、気をつけて」
奥から優雨が出て来た。
今日もお風呂上がりのいい香りと、どことなく甘いスイカの匂いがする優雨に私は笑顔を向けた。
「部活帰ったら喉乾いて、スイカ食べてた」
私を見た優雨はそう言って「亜美いいじゃん、似合う」とちょっとだけ笑顔を見せて言ってくれた。
顔を合わせると思うと変に意識する私なのに、普通に接してくれる優雨は優しいな。
そして紫雨にも優雨にもそう言われると、自信がつく。
お祭りでは遊ぶ前に、まずは揃って神社でちゃんとお参りをした。
やっぱり色々あったし、これから先は卒業までみんなが安心して仲良く過ごせますように、と神様にお願いした。
それと、私は個人的にも別なお願いをした。
いつか紫雨にちゃんと気持ちを伝える勇気を下さい。
それから、屋台を回ってかき氷を食べたり、ヨーヨー釣りをしたり、焼きそばやポテトフライなんかを食べておしゃべりしながら、やっと夏休みっぽい時間が巡ってきた。
友達といろんな色のかき氷を食べて、「舌出してみて」と言い合っては緑や青色に染まった舌にはしゃぐ。
青い舌で他の男子と変顔する紫雨の写真を撮る。
緑のヨーヨーを揺らしている紫雨も、撮る。
「亜美ー、さっき俺の変顔撮ったでしょ」と紫雨。
「撮ったよ、見る?」
さっきの変顔写真を見せたら、みんな爆笑する。
「うわ、キモ」「妖怪ー」って。
紫雨が私のスマホを覗き込んだ時、優雨とは違う紫雨の匂いがして、すごく心が騒いだ。
洗濯したTシャツの匂いと、甘いかき氷のシロップの匂い、それと暑く眩しい夏の日向の匂い。
ドキドキする、でも紫雨の近くに居たい。
屋台の照明の光がだんだん強くなって来た、と思ったらすっかり日が暮れている。
「そろそろ河原行かないと、場所無くなる」
「そうだね」
水ヨーヨーをポシャポシャ言わせながら河原に向かって歩いた。
夜になっても、もあっと暑い今夜は熱帯夜。
でも晴れて風がないし星が少しだけ見えるし、花火日和だな。
やがてポン、ポン、と合図が上がって花火大会が始まった。
ただひたすらまっすぐに、空の高みを目指して昇った光の軌跡が次々と夜空に大きく花を咲かせる。
とりどりの煌めきも儚く花は散り、そのそばからまた新しい花が咲く。
ドン、という音が幾度も後を追いかけて、だんだんと白く夏の香りの煙が立ち込める。
周りの人も友達も、紫雨も私も花火が上がるたび歓声をあげた。
人混みの中、私は紫雨の隣で花火を眺めていた。
暗がりで、視線を空に向けている紫雨をこっそり見上げると、笑ったりふざけたりしていない彼は大人っぽく見える。
今この時がこの夏一番の幸せな時間かも、と思っていたら目が合った。
淡い光が映り込んだ紫雨の瞳と出会って、見つめてた言い訳の言葉さえも出ない。
結ばれていた彼の唇が少し開いて、私を見た紫雨は何も言わずにほんの少しだけ微笑んだ。
帰り道、みんなと別れてまた紫雨と二人になった。
実は集合場所に向かう途中で、私は紫雨から警察での話を聞いていた。
『あのゲーセンの喧嘩のこと、話したんだよね。もしかしたらと思って。そしたら相手の人相とか色々聞かれてさ』
「そっかー」
『亜美に秘密でって頼んだけど、家でもバレました。ってか今日警察と話すことになったから先に父ちゃんに言ったんだ』
「じゃあ優雨にも?」
『うん。結局心配かけたわ、俺。父ちゃんには『逃げてコンビニ駆け込むとかすれば良いんだ、どうして相手するんだーっ』て言われるしさあ。相手が刃物とか持ってたりしたら命に関わるだろって』
それは確かに、おじさんの言うとおりだよね。
『あん時、いきなりガーッと来られてヒナはパニックだし。俺、手引っ張ってでも逃げてればよかったのかなあ』
紫雨は力なくそう言う。
きっと何回もこのこと考えたんだろうなあ。
「でも、そん時はそん時で、できることやったんだもん、ね」
『まあ一応はなあ』
「じゃあ、もう今日は考えるのよそうよ。みんなと花火行こう」
そうして神社に向かったんだ。
楽しい時間が終わった今は、家までの道のりを並んで歩きながら、ただこの帰り道がもっと長いといいのにと思っていた。
「今日、花火行ってよかったわ」と紫雲。
「だね。すっごく綺麗だったねー」
「本当は俺、ウチにこもってようと思ってたけど」
「やっぱり。この話来た時、既読ついたのに紫雨反応ないから、もしかしてって思ってた」
「あー、実際最近のことで俺んち全体ブルー入ってたんだ。父ちゃんもちょっと……」
「おじさんが?紫雨を心配してってこと」
「うーん。いや多分、母ちゃんのこと思い出したせい。あのさ、このこと亜美にも初めて言うけど、ウチの母ちゃんて自殺だったんだ」
「え、そうだったの?」
「うん。昔住んでたマンションから飛び降りた。遺書も何にもなくて。だから父ちゃん、すっごく自分を責めて病んでたときもある。ここに越してきた頃もしばらく、夜は睡眠薬飲んで寝てたからね。だから俺らが小さかったのもあるけど父方の婆ちゃんがずっといたでしょ」
そうだったの。
お母さんが自殺した、なんて。
小学生の紫雨達を置いて。
お父さんを置いて、理由もわからずに。
それに紫雨たちのお父さんは、白髪が多い気はするけど笑顔の柔らかい穏やかそうな人で、病んでるように見えたことなかったな。
人って、家族のことってわかんないな。
「大変だったんだね」としか言えない。
「ヒナのこと、ウチについて来たりしたってこととかも一応、話したんだけど。その後からさ、父はブルーでした」
そう言った口調は淡々としていたけれど、ううむき加減に紫雨は話していた。
「ねえ紫雨そういう時はさあ、一人でずっと考え込まないでよ。LINEでいいから『ブルーだよ』って言ってよ」
「ありがと亜美。じゃあ今度からそうする。でもずっと考え込んでばっかりでもないよ、俺。本読んでたり」
「何の本」
「夏目漱石の吾輩。キジトラ来るの思い出してさ、こうやって」
紫雨は教科書の写真で見た、片肘をつく漱石のポーズをとった。
「『吾輩は猫である』だね。そっか、キジトラもちゃんとした名前ないもんね」
吾輩か、私も読んでみよう。
そして今度は私も紫雨とキジトラと遊びたいなあ。
「俺はアイツ飼いたいから、もうちょっと懐いてきたら父ちゃんに言う。今は餌付け中」
優雨が言ってた通りだ。
そう思って笑ったら、紫雨が首をかしげるようにして私を覗き込んで言った。
「いいね笑ってる亜美、なごむ。俺、亜美の笑ってるとこ好き」
その言葉に鼓動が早くなった。
そう言ってくれた紫雨も笑ってる、大好きな、大好きな笑顔で。
「紫雨……」
「いや、今の訂正。俺、亜美のこと好きだよ」
紫雨は言った。




