13話 師匠・・・八意永琳は恩人だった
幻想郷といわれる幻の地においても、一際目に付く強大な杉群。
他の樹木と見比べると一つ頭抜けた差を見せ付ける雪止まぬ山中、白のキャンパスを思わせるような雪の世界に、浮いたように存在感を放つ美女とも美少女とも取れる女性が日傘をクルクルと回し、眼を細め遠くを見つめていた。
思わず見惚れてしまうような優艶さだったが、この吹雪の下、動くものの姿すら見えないこの中ではあまりに異色だった。
それでも気にせず彼女は笑う、遠い眼をして何かに微笑みかける。
「紫様、よろしかったので?」
そんな異彩を放つ紫という女性に背後声をかけたのは、同じく異質な存在だった。
白と青を基調とした中華服を身に纏い、傘を回す女性と同じく輝く金色の髪、そして何より目に付き、何より彼女を人としての枠組みから逸脱していると感じさせるのは9本からなる狐の尻尾である。
その体に纏う気配の大きさはは対面する人物とほぼ同等を持って彼女の実力を示していた。
しかし彼女らが纏う風格の質は全く違い傘の女性を優艶と称するなら、その突如として現れた彼女は凛とし、それを肯定するかのように秩序もって話しかけたのだった。
「構わないわ、興趣が尽きないものを見せてもらったしね・・・・何より」
答えながら紫は言葉を切り狐の尾を持つ女性に向き直る。
「ところで藍、結界の改変は順調?」
何の結界か、それは問わずに聞いたものの彼女との間での『結界』とは一つしかない。
藍は軽く会釈を解しながら規律ある返答を返す。
「問題なく。現時点で『博麗大結界』の綻びは粗方修復完了しました。先ほど蓬莱人が侵入した『点』も既に完了しています。これで外界の人間が紛れ込むことはほぼないでしょう。とは言え僅かに残る綻びが残るのも事実、風化した土地ゆえ早々の侵入はないでしょうが現状は警戒体制は解けそうにありません」
「ご苦労様、そのまま監視体制に移行。全ての綻びを修復しろとまでは言わないけど、
人間の迷い込んだ『点』は確実に縫い露顕する可能性を限りなく0に近づけるように」
藍は彼女の指示に深い会釈で了承の意を示した。
それを慈しむ子を見るような笑みを浮かべて、紫は懐から扇子を取り出してそっと口元を隠した。
「しかしよろしいのですか? 幻想郷の貴重な獲物の供給を停止させることになり、今回の修繕で恐らくですが100を切る数字にまで減退すると思われますが」
「前年度は675人、今年現在731人・・・だったかしらね?」
「はい、ことが分かれば魑魅魍魎は黙っていないでしょう。妖怪の山の勢力を考えると、さらに」
会釈から戻った彼女の眉間には若干ながら皺が寄っている。
済ませなければいけない懸案が多すぎて手が回らない、とでも言うように。
確かに獲物が減るということは妖怪にとっては致命的だ、千差万別の非難が決壊した濁流のように押し寄せるに相違ない。
さらに結界の修繕・補修も途方もない手間と時間が掛かる上に『侵入者の監視』と『妖怪の説得』を同時並行でやっていかなければならないのだ。
彼女の負担は並大抵のものではないだろう。例え異質の塊である彼女であろとも。
しかし紫は隠した扇子の元、笑みをますます深くする。
その瞬間ぞくりとした震えが藍を襲った。そして恐らく来るであろう現実に耐えるべく口元を一文字に引き締めるのであった。
「構わない、やってしまいなさい」
予想通りとはいえ、思わず出てしまいそうになった溜息を必死でかみ殺す。
そして無理とは知りつつも足掻くために口を再び開こうとし、
「ですが・・・」
「藍」
紫の言葉が彼女の話を紡ぐことを許さなかった。
先ほどまであった音質の柔らかさは消えうせ、硬く諌めるような声が彼女の身を竦ませる。怯えた子供のようにそっと上目で紫の表情を確認し、再び視線を下に向けた。
剣先のように鋭く変化させた彼女の瞳は、9本の尻尾をクルっと丸まらせた藍に離さず見据えていた。
「確かに幻想郷内での争いは不毛といえる。しかし今の現状で外の世界にこちらの情報は木の葉一枚すら渡してはいけない。これは幻想郷の存続を左右させる問題、それが分からないあなたではないでしょう」
「はい・・・」
「神秘を求め、幻想を奪い合い、汚し、破壊する。最後に残った残骸に縋り、自ら葬り去った技術を新たな可能性と称しまた汚そうと画策する。人間とは、みなおしなべて愚劣よ」
「・・・・・」
「藍、貴女ならわかるでしょう? 他ならぬ貴女なら」
藍は深くうな垂れ自らの危機感の低さをなじった。
私はこの人の元で何を学んできたのだろう。今もっとも大事なときに肝心な事が理解できないとは無能としての烙印を押されても詮方ない。
もし放置した人間が外との通信を可能にしたら? もし幻想入りする瞬間を誰かが観察していたら?
外の人間に『そこに壁がある』ということすら悟られてはいけない。
常識と非常識の境界は強力かつ堅牢な結界であるものの、論理的な結界でもある。それを解明されたらどうなる。即ち幻想郷の崩壊である。
ああ、私はなんと学習しないのか。それともまだ人間に可能性なるものを見出しているのか。ともあれ紫様を失望させてしまった、何とか挽回しなければ。
右肩下がりに落ちていく心情は、彼女の顔を蒼白に染めて9本の艶やかな尾が雪に触れそうになるほどしな垂れているのが、彼女の心理状況を正確に表していた。
もっとも肝心の主人はというと、扇子に隠れた口元がますます釣りあがっているのに藍は気付いていないが。
「申し訳ありません紫様。私が早計でした。ならば幻想入りした人間は」
「速やかに処理しなさい。骨一本、肉片一つ残すことすら許さず魂までも霧散させること。ここにある記憶は全てこの地に眠らせなさい」
「畏まりました」
返事を返した藍の音質にはもはや迷いはない。
ただ主の意のままに行動する鋼の意思が言葉の端から聞き取れた。
「して、外への干渉はどういたしましょう。守備だけ固めても埒が明きませんが、やはりあの『拡声器』を使うので?」
「ええ『彼』がいる限り、こちらの優位は動かない。外もこちらの唯一の接点を早々害そうなど思わないでしょう」
彼女の返答に最後の会釈で返し、彼女はやるべきことをするためにこの場から去ろうとした。
やるべきこと、それはあまりに多い。特に幻想郷内への通知、了承は私では侮られる可能性がある。最悪、自らの実力を示さなければならない状況に陥ることすらあるだろう。
ならば結界が強硬で外の人間が本格的に動き出す前に済まさなければ、その思いを胸に彼女はどこから攻めようかと思案しつつ跳躍しようとしたとき、主である紫から声が掛かった。
「ああ、そうそう」
紫の放ったそれは、まるで買い忘れたものを思い出したかの様な気軽なものだった。
「幻想郷の了承ね、あれ全部終わってるから」
・・・・・・・・・・?
「!?」
瞳孔が見開いて驚愕という台詞がもっとも合う表情を浮べた彼女が振り返りみたのは、
「藍、貴女の落ち込んだ表情、なかなかそそったわよ?」
扇子を手で片手で弄びながら、三日月より優美な曲線を描いた口元と瞬く星のようにキラキラと輝く瞳だった。
永遠亭
約1000年、無限のような長い年月を人目に晒さず、なお誇示せず、沈黙を守り続けた蓬莱人が開拓したと言われる迷いの竹林に立つ日本屋敷は新品同様の輝きを発すると同時に、古めかしい威厳にも満ちているという不思議な場所だった。
とは言うものの人知れず、というのはもはや昔の話。今は人里にもっとも近く、もっとも腕のいい医者として一般に行き来が出来るようになっている。
今まで最大のネックであった迷いの竹林の危険性の高さも、同じく蓬莱人である不死鳥の名を冠する少女の手による道案内で解消されつつあり、また永遠亭から人里へ置き薬の販売も請け負い、人里の評価は概ね良好である。
そんな幻想郷の診察所としての立場上永遠亭は常に人の出入りがありそうなものだが、ここ一週間はとんと人足が止んでいた。
理由を言えばはただ一つ、肝心の医者が不在だからだ。
とは言え置き薬の補充もあるし、弟子が永遠亭を守ってはいるので診察所としての機能は十分に果たしてはいるものの、やはり人里の住人は一抹の不安を感じざるおえないのだろう。
しかしそれもようやく終わる。
そう、今日は医師たる『八意永琳』が戻ってくる期日だ。
クルクルと永遠亭に住まう妖怪兎達が動き回り、帰ってくる師に対する準備を取り繕っていた。
「ああ、だめだめそんな派手にしちゃ。確かにあの服装見たら勘違いしちゃうかもしれないけど、ああ見えてお師匠様は侘寂を重じる方だよ」
その中の一人、いや一匹の人参アクセサリーかけた妖怪兎が、折り紙で作ったわっかを天井に取り付けている妖怪兎を諌めた。
注意された妖怪兎はあわあわと他から見ても大袈裟なくらいに混乱し、椅子から転げ落ちる。
それを監督役らしき妖怪兎はからりと笑い、転げ落ちた妖怪兎を助けて起こす。
っと、ここまで見れば監督役はよく出来た妖怪兎だな、そう思うところが次に言い放ったそれは今までの行動を全て台無しにした。
「だからいっそ金タライでも設置してみよう。粋を理解してこその侘寂だからね」
それにお師匠様の反応も見てみたいしね。
そういってくつくつと笑い出し、妖怪兎も最初こそ目を見開いて呆然としたが、すぐに破顔すると飛ぶように動き出した。
つまるところ、物置小屋へ向かい金タライを。
「どうやって落とそうか?」
「やっぱり自分達で落としたほうがいいうさ!」
「えー、でもそれじゃその兎は宴会でれないじゃん?」
「「「却下」」」
各々肝心なことを脱線しイタズラに勤しんでいる。
しかし不可解なことに、言い出した当人は室内で戯れている妖怪兎達を詰まらなげにみていた。
縁側の柱に凭れ掛り、腕を組み人参アクセサリーを揺らしながら視線を斜め下に向ける。
「・・・・・鈴仙、いい加減立ち直ったら? もうすぐお師匠様も帰ってくるんだよ」
「・・・・・うっさいわね、てゐ。ほっておいて」
縁側に座り、深々と降る雪を眺めるのは他の妖怪兎とは少しばかり毛並みの違うものだった。
まず第一に服装、妖怪兎は桃色の半袖ワンピースに対し紺のブレザーとミニスカート。来る場所を間違えたと思ってしまうくらいのあまりに浮いた服装。
そして他は「うさ耳に黒髪」なのに対し「付けうさ耳に薄紫色の長髪」と、もはや別の種族といいきってもいいぐらいだ。
鈴仙と呼ばれた妖怪兎は自分が持つ幸運を吐き出すように溜息を漏らし、一方てゐと呼ばれた妖怪兎は方眉をあげる。
「気になる? お師匠様が連れてくる人間が」
「・・・・・・・」
核心に迫る質問を鈴仙は無言の返答を返した。しかしそれでもてゐは答えを待つように視線を送る。
冷たい空気がこの二人の間に立ち込める、外気にも勝るとも劣らない冷えた空気が二人の関係を冷やしていく。
数分たっただろうか、今だ無言を貫く鈴仙に痺れを切らしたのかてゐは軽く方を竦め、室内でドタバタしている妖怪兎に混じっていった。
最後に詰まらない奴、と呟いて。
去っていく彼女の気配を背で感じ、鈴仙は吐息と共に視線を足元に向ける。
我ながら女々しいと感じながら、その感情を上手く制御できていないでいる。
もう一度溜息を漏らし、正面を見据える。
視界一杯に広がる竹林、それを無心に眺めながら彼女は師匠との最初の邂逅を思い浮かべた。
彼女にとって師匠・・・八意永琳は恩人だった。
戦いから逃げた逃亡兵としての汚名を背負い、行く当てなく向かう希望なく迎える友好もなく、ただ生きるがままに赴くがままに彷徨う彼女を拾ってくれた恩師。
月と交信をすることが出来る私を利用するつもりであったとしても、必要としてくれたその事実がうれしかった。
迷いの竹林、立ち込める霧に仄かに香る妖気。
その未知の土地を一人彷徨う。それがどれだけ辛いく恐ろしいか、それは経験したものでないとわかるまい。
涙が止め処なく流れ、しかしそれを拭う気力もなく震える体を自らの手で慰めるように温め、極微の音に小さな悲鳴を上げる。
こんな所で私はし、死ぬの?
臆病者の卑怯者呼ばわりされて、誰にも知られることなく、こんなこんな所で・・・・いやだ、そんなのいやだぁぁぁぁ!!!!
「ああああぁぁぁぁぁ!!!!!うぅぅ・・・・・ぁぁ」
恐怖の釜がゆっくりと蓋を押し上げあふれ出る。
それに耐え切れず上げた絶叫も、広大な竹林に呑まれて消えた。
こんなことなら、脱走なんてしなければよかった・・・
しかし現実は容赦なく、真綿で首を絞めるように彼女を攻め立てる。
ガチガチと歯が合わせることが出来ず、死の恐怖と肉体の疲労で歩む足取りが定まらない。
ぐらり
崩したバランスをもはや立て直す気さえ起きない。ああ、そして
そして、彼女は来た
崩れ落ちる体を銀髪が優しく包み込み、ふにふにとした柔らかな感触が自身を支えてくれた。自分以外のぬくもりがこれほどまでに心地よいものか。
力なく見上げた先に、闇夜のような瞳が私を映し出していた。
その時、私は自分を受け止めてくれる最後の人物を見つけたのだった。
「私に医術を教えて欲しい?」
資料から眼を離し流し目に覗く師匠にたいして、私は力強く頷く。
師匠に必要にされたくて、私を見てもらいたくて、出来ることならなんでもしたい、そう思った。
そして師匠は「好きにしなさい」といって、研究室の出入りを自由にしてくれたのだった。
それからの大変だった。
永遠亭の雑務をこなし、妖怪兎たちの面倒を見て、そして大切な師匠の研究を手伝う毎日。
満足に休息を取る暇がないなんて日常茶飯事。
寝坊をしてその日食事抜きなんてこともあった。妖怪兎たちの世話を忘れて屋敷内を泥だらけにしたこともあった。重くなる目蓋と格闘して師匠に研究室からたたき出されたりもした。
というか何度か過労で倒れた事すらある。
それでも私にとって苦でなかった。自分がしたいことだったし、何より充実した日々だった。
次第に師匠は私に任してくれる仕事が多くなっていくに従い、私の歓喜は2乗の勢いで上昇した。
そう、こうして私は自分の居場所を作ることが出来た、はずだった。
「こちらに引き入れたい人間がいる?」
「はい」
師匠が正座で上座である姫様に懇願していた。
その姿を見たとき私は師匠が何を言っているのかわからなかった。ただただ師匠の後姿をみているだけだった。
姫様はほんの少し考える素振りをしたが、すぐに千の人間を魅了するような微笑みを浮かべる。
「永琳の『お願い』なんて何百年ぶりかしら。もちろんすぐにでも了承したいところだけどね、誰なの?それ」
姫様の目がすーっと細まった。
―――部屋の空気が一変する。
「か・・・はぁ」
悲鳴をあげずに済んだのは奇跡と言っていい。
部屋を覆う威圧感、存在感その姿はまさしく永遠亭の主たる力を私達に見せ付けていた。
しかし殺意にも似た波動に師匠は臆することもなく答える。
「はい。外界の人間、名は槐 隆治という人物です」
「槐・・・? 外界の?」
師匠から答えを受けた姫様は先ほどの威圧感を消し、外見相応に小首を傾げ思案している様子だった。
だが、私にとってそれは衝撃を通り越して絶望だった、何故なら
「・・・・・・外の世界、となるとアレに借り作る羽目になる。それを押し通してでも永琳はそいつをこちらに引き入れたいの?」
姫様が言った台詞に私の恐れが全て集約されていた。
つまり師匠はついてはあらゆる不利益をこうむってでもその人物をどうにかしたいのか、ということに他ならない。
師匠が背負うものは大きい、姫様、永遠亭、そして私達。
姫様に意見を伺っているところ、もっとも大切なのは姫様なのだろう。しかしそれ以外は、あらゆる存在を無いがしろにしてもその人物を得たいと思っている訳で・・・
はたして師匠はこの質問に対し
「はい、構いませんでしょうか」
首を深く縦に振った。
その瞬間私の居場所は、音を立て崩れ去った。
竹林をぼーっと見つめる。雪風が私から容赦なく熱を奪っていく。けど私にとってそんなことどうでもいい。
まだ姿を見ないソイツ、今ここに向かってきているであろうアイツは、師匠にとって永遠亭よりも、妖怪兎たちよりも、そして・・・私よりも、そいつが、大事
歯よ砕けろとばかりに食いしばる。けど胸のうちから湧き出る嫉妬の炎を抑えられる自信がない。
ソイツは私が欲しかった立場、居場所、言葉全てをなんの苦労もなく獲たことが憎い! 私も、永遠亭全ての不利益を得ても欲しいと言って欲しかった!
今目の前にソイツが一人のこのこ現れようものなら、体中に呼吸がしやすいように風穴あけてやる。そう思ってしまうほど私は追い詰められていた。
そこまで考えて首を横に振った。
何を考えているんだ、ソイツは師匠のお気に入りなんだ。下手に手を出して師匠を不愉快な思いをさせちゃ駄目だ。
自身の思いは二の次三の次、問題は自分が如何に師匠に思われるか。
その場で立ち上がり背筋を思いっきり伸ばす。
そのまま外気の冷たい空気を一気に肺に溜め込み、吐き出す。
「フー・・・・よし」
覚悟完了、私はいつも通り。
自分に言い聞かせ平常心を取り戻し、私は縁側から立ち上がって恐らくてゐと一緒に悪戯しているであろう妖怪兎を押しとどめるべく居間へ向かおうとし、その時玄関口が唐突にざわついた。
この大雪で疎らだった人が完全に絶えたはずなのに現れた気配。
となると、間違いない師匠と件の奴がきたのだ。
さて、どちらを優先したらいいだろうか?
てゐ達の悪戯を止めるべきか、それとも師匠をお迎えするか。
考えるまでもない。
私は迷わず後者を選択し玄関へと足を運んだ。
そして私はソイツと始めて対面した。
仮死状態だった、という追記が必要だけど・・・