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軍服少女、はじめての自由(すっぽんぽん)  作者: 上野衣谷
第五章「自由とは何か。」
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第19話

 その感情の正体が一体何であったのかということを俺が知ることは難しくはなかった。アメと一緒にこれからも暮らしていきたいというい漠然とした願望は、俺がアメに対して抱いている好意から発生するものであっただろう。もしかしたら、そこに、幾許かの同情や正義感にのっとった感情といったものもあったかもしれないが、それらの感情と好意とを明確に区別することは難しかったし、する必要もないと考えた。

 であるからして、俺は、雫石に、強く抗議する必要があった。引き下がらないぞ、という強い意志を示す必要があり、それを示すのは、けれども、雫石に強く迫る、雫石の脅迫を拒否することのみによって十二分に可能であった。

 雫石も、俺の拒否を明確に受け取った。受け取った上で、俺の胸倉を掴み上げ、体を浮かせる程に力を込める。びびった。正直に言って、怖かった。この女はこんな顔をするのだと思った。頭には、雫石が軍人であるという事実と共に、であるからして、彼女は人を殺すことも可能であるというところへと思考が移る。故に、恐怖は並々ならないものだった。いや、きっと、雫石は俺を殺すなんてことはしないだろう、という冷静に考えれば至極当然な心の叫びのみが俺の不安を打ち消していたが、


「あまり、調子に乗るなよ」


 という声、表情を失ったかのような雫石の目と共に、俺の頭へと突き付けられた物体を横目で見た瞬間、雫石が俺の命を奪うことはない、俺に大きな損傷を与える気などないといった考えたひどく傲慢であったということを認識せざるを得ない状況に置かれているということに気がつく。


「一つ言っておこう。私は、確かに、君との付き合いは長い。さっきも言ったが、だからこそ、ここに来たし、君と交渉している。しかし、私という人間は、他人にはさほど興味がないんだ。君と私の関係は深いといえば深いかもしれないが、残念なことに、私は、正直、個人の命というものにあまり関心はないんだ」


 言っていることの数割も理解できなかったが、要するに、容赦などしない、ということだろう。頭に突き付けられている物体は、拳銃だ。北日本軍人の入国が許可されているこの街では、軍人の件銃所持も許可されている。もちろん、もちろんのこと、明確な理由なく発砲は許可されていない──が、許可されていないのと、発砲ができないのとではまた別の問題だ。


「そ、それは、義理とか、恩とか、そういうのも気にしないってことかよ」

「いいや、それは違う。それは損得だ。貸し借りの話だ……そうか」


 雫石は何かに気がついたようで、俺の頭に突き付けた銃を降ろして、数回首を縦に振った。


「ああ、そうか、そうか、確かにな、私は君にかりがある。そう言いたいのだろう」


 そう言いたかった訳ではないが、ああ、確かに、そうだ。


「そうだ、金、持ってきたんだろうな」


 相手への恐怖からか、俺の言葉はどこか震えていたような気がしたが、雫石はそれに笑うことなく返答する。


「……そうだなぁ」


 雫石は、視線をどこか遠くへやった。店内を数歩歩きまわり、店内を見ているのでもなければ、俺を見ているのでもなく、どこか遠い未来が、はたまた、彼女自身の心の中を見ているかのようなうつろな視線で思考をしているように見えた。


「……そうだなぁ」


 再び呟く。俺は、声をかけようものかと迷ったが、声をかけることはなく、ただ、雫石の言葉を待った。しかし、ただ、ひたすら待つというのもなんだか癪だったので、まるで威圧するかのように、たった三万円ぽっちの金こそが俺の身を守る盾、俺を絶対に守り切ってくれる城壁でもあるかのように思い込んで、雫石を見ていた。

 そんな俺の表情をちらりと見てくる雫石。目が合い、視線がぶつかり、数秒の時間が流れ、ようやく、雫石が口を開いた。


「私はなぁ、古川。見ての通り、北日本の軍人だ、女だ、そして、ちょっと人には言いにくい趣味がある」

「いきなり何を言い出すんだ」

「いいから聞け。座れよ」


 有無を言わさぬ命令に、それ以上何も言えず俺はすとんと腰を落とす。


「人には趣味ってもんがある、そうだよなぁ」


 俺への同意を問いかけているように見えて、その実は、雫石は返答など待っていない。単に話のテンポを取りたいだけなのだ。


「それはいいとして、だ。なぁ、古川。お前は何故そこまでしてアメにこだわる。さっき言ったように、あの女にこだわるのはあまりに無駄が多い。時間の無駄だけじゃない。自らの安全を無駄にし、それどころか、今の地位をも無駄にする。資本主義社会において、ある種勝ち組の立ち位置にいるお前がそこまでして何故こだわる。私は、損得勘定が得意だし、自分の得にならないことはしない。当たり前だ、人間なんだからな。じゃあ、古川、お前はどうだ? お前もそうだ。それで──古川、君は私に何を望んでいる」

「何を、って……」

「まさか、私に、御影アメを取り戻したいです、と言ったら、はい、そうですか、といって御影アメを連れ帰ってきてくれる、とは思っていまいな? はっきり言おう、それは無理だ。彼女がこの先どうなるかは私にも分からないし、彼女をどうするかを決めるのは私じゃない。それはきっと、北日本の軍隊か、それとも、皇国の軍隊か、警察か……いや、そんな小さな組織では済まないかもしれない。もっと、国を巻き込んだ話、巧妙な政治の上に成り立っている駆け引きのちょうどいい妥協点、そこに御影アメは落ちることになる。だから、聞いているんだ、じゃあ、お前はどうするんだ、と」


 そこまで言われて、ようやく事の重大さに気づく。ここで雫石の同意を得る、力を得たところで、何も解決しないという事実に気がついた。俺は、どうしたらいいのか、ということを考えなければならなかった。

 どうしたらいい。アメに会いに行く? 会いに行って何になる。アメに言葉をかければいい、戻ってこい、と。戻ってこい、といってどうなる? 俺は政府に交渉するのか、いや、政府に交渉したところでどうにかなるのだろうか……。

 ……。考えた末、俺は、一つの結論に辿り着いた。


「会わせて欲しい」

「?」


 首を傾げる雫石。当然だ、言葉が少なすぎる。


「雫石、君の権限を使って、俺を、アメのところまで連れて行ってほしいんだ」

「ううん、そうか、分かった」


 分かった、というのは要望が分かった、ということである。何も、了承したという意味ではなかろう。


「さて、では、私が、君のために動く理由はどこにある? ん? まさか、三万円ぽっちの金で私に危険を侵せと言うつもりではあるまいな?」


 不敵な笑みを浮かべて俺に問う雫石。


「……いくらだ。いくらで動くんだよ」

「うーん、そうだな、金、じゃない。何故って、金でどうにかなるような危険じゃないからだ。そりゃ、国を動かせるだけの莫大な金があるなら話は別だが、君はそんなに力を持っていない、そうだろう」


 そう言うと、雫石は立ち上がり、話を続けた。


「けど、私には、一つ提案がある。というより、動く動機がある。聞くか?」


 そこまで言われて、首を縦に振らない理由はない。


「さっきも言ったが、私は自分の得にならないことはしない。じゃあ、私にとっての得とは何か。それは、私が面白いと思うことだ。金で面白さは買えない。面白さはいつもどこかに転がっている。銃をつきつけても一歩も引かない君の姿勢はとても面白かったし、君が御影アメに会って一体何をどうするのかということにも面白さがある。敢えて言おう、これは、私の趣味だ。趣味。私は趣味を大切にする女だからな」


 回りくどく言っているが、これというのは、その、つまり……


「つまり、連れていってくれる、ってことだな?」

「は~、そうだよ、そう。全く、つまり、なんて言葉は情緒がないな、風情がないよ。ただぁし、保障はないぞ。私も軍人だとはいえ、絶大な権力をもっている訳ではないし、この行動に合理性などどこにもない。軍の前では私の言うことには絶対に従え。それができないなら、私は手引きすることはできない」

「もちろんだ」

「あ、それと!」


 雫石の表情が途端に緩くなり、何事かと身構える俺に、雫石はにやにやしながら言った。


「三万はチャラな!」

「……おう」




 施設は市役所。まさか、市役所が占拠されるなんてことがあっていいのかと人々は驚くかもしれないが、残念ながら、これが現実。

 その場にいた年老いた警備員たちが、軍隊としての経験を十分に積んだ、それも、武装した集団に叶う訳がなく、ものの数分で占拠された。武装集団たちは、四階建ての市役所の一、二階部分を占拠しており、日が沈み切った暗闇の中で、ひっそりと息を潜めているらしかった。

 人質は職員とその時市役所を訪れていた市民。数は三十から四十と見られているらしい。福見市役所の規模は、さほど大きくない。福見市は特殊な構造の都市であるからして、その仕事のいくつかは、それぞれ専門の機関が担っており、分業化が進んでいるからだ。

 市役所が機能停止して困る場所は多いが、それによって、福見市が完全に機能停止しないということが救いだろうか。市長ら重要な人間たちは、市役所にいないことが多く、彼らの身柄が拘束されなかったことも大きいと言える。不幸中の幸いではあるが、福見市においては、十分に想定される事態であり、武装集団たちはそこまで正確にタイミングを計ることができなかったものだと見られる。

 武装集団たちが陣を構えているのは、一階、二階。彼らの要求にはもちろん答えるつもりはないが、一方で、武装集団の合流については見逃さざるを得なかったらしい。人質の犠牲者は現在のところゼロ人と見られている。他の市と違い、占拠されている場所が市役所であることから、現場では早期の突入が望まれているが、一方で、ここで突入したことが他の市で占拠されている場所の武装集団に伝わってしまえば、その場所の人質の命が危なすぎる。この理由により、未だ、包囲するのに精一杯で動けていないのが現状だった。

 と、言うのを、俺は雫石と共に、北日本軍の人間から説明された。雫石と対等の階級にいる戦闘用の軍服姿の男──菊本は、実に屈強な男であり、彼に、


「貴様は誰だ」


 と、睨まれながら聞かれた時には、若干の命の危機を覚えたものだ。

 白い布に包まれた仮拠点とでも言うべき建物には、ホワイトボードに市役所の一階、二階の見取り図が貼られており、そこに置かれているいくつものマグネットはおそらく人質や武装集団らの数を表しているのだろう。

 外を見れば、すぐそこに市役所がある。もっとも、市役所の周りは警察車両だけでなく、装甲車などで固められており、今や虫一匹入れられないような状況が出来上がっている。そうであるとするならば、アメも入れなければ良かったのでは、と俺は思ったが、先の説明によれば、その時はまだ市内全域が混乱状態で、戦力の集中ができなかったとか。悔しいが、仕方ない。


「それで、この男は何の役に立つというのかな、雫石君」


 この場には三人しかいない。俺を無視するような物言いで、菊本は雫石に問う。雫石は、自信に満ちた笑みで言い返した。


「今、あの建物を占拠している中で、最も注意すべき人物は──誰です?」


 その雫石の問いに、菊本は、ガツガツと歩みをホワイトボードへ勧めると、その脇の簡易な鉄パイプの足の机の上に置かれたファイルを取り、バラバラと勢いよくページをめくると、その中から一枚の紙を取り出して、磁石でホワイトボードへ貼り付ける。その上で、その紙をバシンと叩いて言った。


「この女だ! 司令塔! こいつが厄介! この女、他の自然回帰派の人間、兵卒、使い捨てのコマとは訳が違う。脳を弄られている。実戦経験はないだろうが、この世界に起きた多くの戦闘を知識として蓄えこんでいる、戦争を知っている、悔しいが、俺よりも、よっぽどな。厄介な相手だ。合流させてはいけなかった!」


 言い終えて、菊池が手をどける。その紙の写真の顔は、見たことがある顔。間違いない。切りそろえられた黒髪、無表情に近い、無気力そうな顔、その写真は、きっと今よりしばらく前に撮られたものであろう。今よりほんの少し幼い顔をした彼女は、間違いなく、御影アメその人だった。


「ああ、入手できたんですね、彼女の資料」

「当たり前だ! 北日本軍の大スキャンダルだぞ! くそ、自然回帰派の連中め。何が自然回帰、だ。化け物のような人間をつくりやがって!」


 アメのことを悪く言われている、そんな気がして、俺は思わず菊池に詰め寄ろうとしたが、俺の肩を強い力で雫石が抑える。そして、言う。


「その厄介な人間を、止められる人間がいたとしたら、どうでしょう」


 そして、にやりと笑う。雫石のその言葉に、菊池は非常に怪しみながら、訝し気な目で、雫石ではなく俺を見た。

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