第18話
自分の店の扉を開ける。そこに誰が待っているとも知らないで、そして、俺は、そこに希望なんていなかったことを知った。
「やぁ、久しぶり」
俺の店、かつてアメが座っていた場所に座っていたのは、アメよりも一回りも二回りも大きな女性であり、アメよりも、何度もその椅子に座ったことのある女性、雫石だった。
「……なんだ」
ぼそりと呟いた俺の失望を雫石は敏感に聞き取る。
「なんだとはなんだ」
いつものように不遜な態度は相変わらずだ。俺にいつもの元気があれば、今日はもう閉店だ、と言い放って追い出すところだが、今日はそういう気にもなれない。この場に、自分以外の人間がいるということが少なからず心に安心を与えてくれているような気がしたからだ。とにかく、カウンターの中に入って、いつものように椅子に座って見る。テレビを点けようと考えたが、流れてくるニュースを聞いたところで何が出来る訳でもない。
「ああ、そうか、私が何故ここにいるのか、という疑問か?」
そんなことは聞いていないのだが、雫石には雫石なりの理由があるのだろう。
「それは勿論、私が、君のことを良く知っている北日本軍の人間だから、だ」
「……てことは」
「そう、今日、私は、ここに、客として来たのではない、ということだ。事を穏便に済ませられるよう、君との人脈を軍から買われ、君との交渉を任された来たのさ」
俺を真っ直ぐ見て述べる。俺が何事かと返答することもなく言葉を聞いていると、雫石はさらに続ける。
「今回の件に関しては、一切口外しないように。もっと言えば、ここ街から立ち去ることが推奨されている」
「何を言い始めるんだ、いきなり」
「いきなりも何もないだろ。今起こっている事態についての話だ」
今、起こっている事態……。
「今……」
「そう、今だ。今、まさに、古川、君が巻き込まれている事態についての話だ」
「今……今」
今。今なんだ、まだ終わっていないんだ。俺はここで、ようやく気づくことが出来た。まだ、終わっていないんだ、という事に。雫石の話は終わっていないだろうが、俺は居ても立っても居られなくなり、テレビを点けた。そこには相変わらずニュースが流れていて、どこかの建物──ああ、これは、多分市役所だろうか──を上空から映し出している映像を見る。
『今も各地で武装集団による占拠が続いております! 情報によりますと、福見市内に潜伏していた武装集団の一部が、各施設へ十数名以上合流しているようです。警察の包囲網を潜り抜けて合流をしたということで、警察では、現在、軍との連携を強化し、市内一部地域において厳重な外出禁止令を発令した模様です』
その報道を聞いて、ピンとくるのは、アメの合流だ。彼女以外にも居たという事には少し驚きだが、もはやそんなことは些細なことでしかない。テレビ画面を見つめる俺に、雫石が語りかける。
「という事態だな。この福見市にも、何人かが潜伏していた。その中の一人、御影アメ。私も彼女の存在を知ったのはつい先ほどだが──とにかく、もう、君は彼女のことを忘れる、そして、普通の生活に戻るんだ。賢明でわりと損得勘定がうまい君なら私の言っていることが分かるな」
まさにその通り、俺は損得勘定が、わりとうまいさ。かける時間に対して成果が見合わないだろうと思えばその仕事は断るよ、そういう男だ、だから黙って聞こうとした。けれど、俺の心は、どうしたことか、雫石の言葉を黙って受け入れることに確固たる反対を示した。
「分からないな」
「分からない、か」
「ああ、分からない。俺には分からないことだらけだ」
俺は、これまでの鬱憤を晴らすかのように、勢いよく、雫石に言葉を吐き出す。
「アメが一体何者なのか。彼女は北日本軍の人間じゃないのか。だったらなんで雫石、君はアメのことを知らなかったのか。それだけじゃない。アメの記憶がどうこうの話も全然分からない。彼女はあんなに小さな女の子なのに、俺よりよっぽど力があったのも分からない。アメがどうして福見市で占拠行為を行っているのかも分からない。それだけじゃない、今のこの状況だって全く意味が分からない。何故北日本軍は皇国に協力する? 宣戦布告ってのは一体なんだったんだ? 全部分からないんだ! アメのことが!」
ひどく感情的に吐き出された無数の質問は雫石の耳に確かに届いていたが、雫石は一つ小さなため息をつくだけで、それらのどの質問にも答えることなく返す。
「もう一度言おう。諦めろ。それが損得勘定の分かる大人のする選択だし、こうして資本主義社会の国において少ない労働によって自らの生活を成り立たせるという合理的な生活をしようとしている君の選択であるべきだ。あの子のことが好きだった、と言われても私は何も驚かない。いや、むしろ、祝福しよう。そして、改めて言おう。諦めろ。彼女との思い出は決して無駄にはならない。人生の経験とすればいい。誰かと一緒に過ごすことがいいなぁと思ってしまったのなら、別の誰かを探せばいい。代わりを探せと言っているのではない。他の人には他の人の魅力がある、そうだろう。だから、君はこの事実を受け止めて、運がなかったと認めて、明日を見るべきなんだ。私の言っていることは間違っているか?」
何も間違っていないだろう。正論だろう。しかし、それが俺の取るべき選択なのかどうかは、俺が決めるんだ。だから、俺は言い返した。ああ、そうだ、損得勘定のできる大人として。
「分かった。考えよう、だけど、それは、俺がさっき言った疑問に答えてもらってからだ。分かってるんだろ、その答え、全部」
ははは、と雫石の笑い声が聞こえる。
「考えよう、か、なるほど、なるほど。そうか、そうか」
雫石は、そう言うと少し考えた。考えた後、
「──よし、答えてやろう。情報を知らなければ諦めることはできない、君はそう言うんだろう」
「話が早いな」
「まずは──」
アメの正体。
アメは、北日本軍に拾われた女の子だった。北日本共和国の経済は、安定しているとはいえ、それでもどうしても孤児は出る、出てしまう。それはどんな先進国であっても現状、避けられていない問題だ。その中の一部は、北日本において、軍によって拾われる。日本皇国よりも、軍の権力が強い北日本ではよくあることだそうだ。
さて、そんな子たちがどのような扱いを受けるかといえば、それは、意外にもエリートな道を歩むこととなる。軍で面倒を見てもらえるのだから、軍が無理に、国家への忠誠心なんかを教え込まなくても、彼らは勝手に国をありがたがるのであり、そういう人材は、北日本のような国の軍にとって、腐敗しない貴重な人材となり得るのだ。
御影アメの不幸と言えば、北日本軍の中で、少数派の派閥が支配する部隊に所属してしまったことだった。その部隊は、北日本共和国の財政を圧迫する軍事費を削減するために少数精鋭による強力な威力を確保するためにつくられた部隊であり、様々な研究によって、人間そのものの力を底上げするという研究を行っている部隊もあったそうだ。アメは、筋力強化などの肉体改造を初めとしたいくつかの実権を受けた少女である、ということを雫石の口から聞く。でも、だからといって、何故、今の事態に繋がっているか、と問うと、雫石はさらに続けた。
結局、少数精鋭という理念は重要ではあったが、その部隊を支配する派閥が自然回帰派のグループであるということから派閥争いの副作用として、その部隊の解体が決定されたのだ。
「ここまでが御影アメに関する話。ここからが話の本題であって、今回の事件についてだ」
雫石は、意外にも淡々とした口調でさらに続けた。
元々、人体の強化等、人間を科学力でいじることに長けていた部隊であるからして、彼らは、人の記憶をいじることも可能であった。といっても、何もかもを一から作り上げるというのは不可能なのだが、その技術を利用して、アメを初めとする多くの兵士たちに封印をかけた、時が来るまで。そして、その時というのは訪れた。何をどうやって解除したのかはアメたちを分解でもするか、その機関に直接問うかしてしなければ分からないが、彼女たちの記憶の封印は解かれたのだ。
彼女たちが正義と信じているのは、北日本共和国という国家だ。しかし、ただそれだけではない。北日本共和国は一枚岩ではないということ、そして、自分たちは、自然回帰派の正しい運動に加担することを強い記憶として持っていたのである。
「待てよ、じゃあ、なんで、そんなアメたちが、この福見市とか、その辺で占拠行為なんてしてるんだ?」
「それは簡単なことだ。今回の騒ぎは、記憶の封印された人たちだけによって起こされたものではなく、私たち北日本の中の、自然回帰派のグループが行っている犯行だ」
「それで?」
「分からないか? 彼らの目的は、北日本での地位の奪還にある。じゃあ、どうしたらそれが可能か。簡単だ、今の北日本共和国政府に対する国内の支持、世界の支持、そういったものを失墜させればいい。国外にとって、北日本の軍ということであれば、それが自然回帰派だろうがなんだろうが、北日本なんだ。彼らの目的は、隣国の日本皇国で問題を起こして、手っ取り早く国内外を混乱させることなんだよ」
事情は分かる、事情は分かるが……。俺が納得できない顔をしていると、雫石はさらに続けた。
「実は、奴らはもう皇国政府に要求を伝えている、どうにも、君の国のマスコミというのは真実を告げていないみたいだけどね」
「ど、どういうことだよ」
雫石がアゴでテレビを指す。見ろ、ということだろうか。テレビから流れてくる音声は相変わらずのもので、
『武装勢力との交渉は政府が行っておりますが、このままですと、強行突入などの事態も考えられる、とのことです。専門家からは、それでは人質の命はどうなるのか、といった多数の問いかけが出ておりますが、日本皇国政府としてて──』
それが一体どうだというのだ。
「分からないか? 出ている要求はとても表に出せるものじゃない、ということだ。もちろん、私は軍の人間だ。その内容を知っている。言って、どうなるものでもないが……」
けれど、俺はその要求を知りたかった。だって、それがもし、達成されるようなことがあれば、アメも無事にその場から離れることができるだろうから。そうしたら──そうしたら。
「なんだ、その要求というのは」
俺の問いに、しばらくの沈黙。そして、雫石が、ダンと激しくカウンターを叩きつける音。びく、と体を震わせる俺を見て、雫石はギラリと俺を睨みつける。けれど、俺はひるまなかった。殴り飛ばされないだけマシだ。何が怖い物か。
「もういいだろう、茶番は」
雫石の人を切り裂くような目つきにも、俺はひるむことなく果敢に挑む。
「よくない。一歩も引かないぞ、俺は」
雫石はため息をついて、観念したかのように続けた。
「別に隠すことじゃない。北日本によって罪人として扱われ投獄されている自然回帰派の要人の無条件釈放、北日本政府による国境封鎖の開放──簡単だろう。できないことじゃない」
「それを、なんで、皇国の建物を占拠してやるんだ?」
ついていけない俺であったが、雫石はすぐに明確な答えを示す。
「それこそ簡単だ。うちの国でやったら問答無用で強行突入されるからさ」
ははは、と笑う雫石。笑いごとではないが、確かに、その通りなのかもしれない。日本皇国とは性質が異なるのだ、北日本は。雫石の話が分からない訳ではない。そういう事実は、皇国に住んでいても、ニュースなどの報道で伝わってくるからだ。
「でだ」
そんなことはどうでもいいとばかりに、雫石は俺に迫る。
「もう満足しただろう。これは、もう国規模の話だ。個人の話ではない。御影アメという少女はもう記憶を取り戻している。お前と一緒に過ごした楽しい日々はもう終わっているんだ。これ以上、私に迷惑をかけないでくれ。すっぱりと諦め、このことは口外しない、どうだ、首を縦に振ってくれるよな」
雫石の大きな体が俺に詰め寄る。顔が俺の目の前に迫り、脅迫してくる。強い圧迫を感じる。断れば次はない、そう言いたいのだろう。そして、私とお前の仲をこれ以上こじれさせないでくれ、そうとも言いたいに違いない。
確かに、十二分に話してもらった。普通に考えれば、こんなことは話してもらえない。俺の単なる好奇心を満たすためだけに、雫石は、彼女のもっている多くの情報を俺に与えてくれたのである。感謝すべきだ。
俺は感謝すべきだった。けれども、残念なことに、俺は冷静ではなかった。いや、冷静ではあったかもしれないが、雫石が望む冷静さとは別の感情を胸に抱いてしまっていたのである。




