第14話
震える空気。その瞬間、アメは何を思っていただろうか。
アメの視線は俺を見ず、俺の後ろを見ていた。俺の背後に何かあるのだろうということが分かった俺は、そのままくるりと体を反転させる。途端、店の扉が蹴りぬかれるようにして勢いよく開いた。
次の瞬間、
「突入、突入!」
という怒声と共に、五人、十人、そのくらいの人数の兵士がなだれ込んでくる。冷静になれる訳もなく、俺は、ただおろおろとしながらその様子を見守るしかなかった。
駆け込んでくる人間たちは、皆一様に迷彩服を着て、ヘルメットをかぶり、さらに、手にはアサルトライフル、服には手榴弾を始めとするフル装備をしている。ごっこ遊びとはとても思えない。本物の軍人。どたどたとけたたましい足音を響かせながら、店の中を物凄い速さで歩き、ものの数秒で、カウンター越しに俺とアメに銃口を向ける。
ガチャガチャと言う音と共に、死を叩きこむための穴は全て俺とアメを捉え、薄気味悪い沈黙が店の中を堂々と占拠した。冷や汗が流れる。
どの人間を見ても、防護装備のせいで表情はほとんど分からなかったが、どの人間も、真剣な顔をしているであろうことは確実だった。きっと、命令が下されればためらうことなく引き金を引けるのだろうという確信が俺には持てた。本当のところがどうかは知らない。けれど、こうして複数の銃口を突き付けられるとそこにもはや楽観などは欠片も存在せず、死という事実が嫌でも見えてしまうのだ。故に、もし仮に、銃を構えている人間たちが、引き金を引くつもりはないんだ、と宣言したとしても、俺はそれをとても信じることができないだろう。
薄気味悪い沈黙は、すぐに緊張へと姿を変え、そして、俺は戸惑った。ようやく、今おかれている自分の状況がどういうものなのかを頭が理解しようとしていた。俺の店は、兵隊に占拠されたのだ。軍服は、北日本軍のもの。北日本軍がこの街でこんなおおっぴらに活動をしてよいのだろうか。いくら田舎の街とはいえ、俺の店から数メートル近くには民家なども存在する。その人達にはどう説明したのだろうか。いつも、周囲に住んでいる人のことなんて全くといっていいほど関心のなかったが、こんな事態とあっては話は別だ。
けれど、俺が、今、真に心配しなければならないのは、お隣さんがどうとかではない。自分の身の安全であろう。どうすればよいのか戸惑う俺であったが、兵士たちの合間から出てきた人間を見て、さらに驚くこととなる。
「あ」
その相手は、俺が、一度見た事のある人間であった。しかし、俺はこの人が軍人をしているとは知らなかったのである。
「桧山、さん?」
その人は、周りの兵士と異なり戦闘用の服を着ておらず、意外なことに、その服装はスーツであった。黒のスーツをぴしっと着こなしているその姿だけを見れば、彼がおよそ場違いで、まさか、買取依頼でもしに来たのだろうかと考えてしまうところであるが、今は状況が状況、そんなことを思いつく訳もなく、俺は、この場で唯一話が通じそうな人間に話しかける。
「あの、えっと」
しかし、俺の言葉を遮るようにして、桧山さんは無表情に告げる。
「両手を上げろ。そして、そのまま頭の後ろへ」
そんな話があるだろうか。まるで俺の発言は耳に届いていないかのような表情で俺に指図してくる。仕方なく、俺は大人しく言われた通りの姿勢へと手を動かす。動かし終え、これでいいだろと言おうとしたとき、
「おい! 言う事を聞け! 脅しではない、発砲するぞ。発砲の許可は得ているんだ!」
桧山は大きく叫ぶ。何事か、俺は大人しく従っているじゃないか、と言おうとしたが、すぐに桧山の発言は俺ではなく俺の後ろにいるアメに向けられているということに気づいた。桧山はアメに対して怒っているのだ。それから少しして、さて、と桧山がかけている眼鏡をクイと上にあげた。
「……申し訳ないね、騒がせてしまって」
それは、俺に向けられた発言であった。あまり申し訳なさそうにしていないのが気にかかるところではあるが、さて、これで状況は説明してもらえるのだろうか。
「桧山、と名乗っていたかな、ええと、古川くん」
桧山は穏やかな表情で話す。すぐに、これは一体何の騒ぎなんです、と問おうとしたが、俺の発言を遮るかのように、桧山は一方的に話し続けた。
「勿論、このドタバタをするにあたって、福見市の警察には話をつけている。きっと、古川くんは今、何が起きているのか全く分かっていないだろう」
その通りだ。
「けど、それでいい。良かったよ、ことが起きる前に間に合ってね。大丈夫、君に一切の危害は加えられないし、この店にも一切の危害は加えられない。君は、明日から、これまで通りの日常を過ごせばいいんだ」
話についていけない。──いや。
いや、全くついていけない訳ではない。何がついていけないものか、何が全く分からないものか、何が起きているのか分かっていないものか。俺は分かっている、知っている、今起きようとしていることが何なのか。
おおよその検討しかつかない、何もかもが分かっている訳ではない、けれど、俺は知っているはずだ。
アメが、北日本の軍人に関係している存在であるということを知っているし、知ってしまっている。何も分からない訳なんかじゃない。とにかく、少なくとも、桧山が今言った日常という言葉の意味は、アメと俺が仲良く二人で「何でも買います。」を経営して暮らしているという光景ではない。
桧山が言う日常というのは、俺が一人で、アメが来るまでの間、過ごしてきた、その光景を指しているのだ。
「この福見市内で、我々の国の軍隊が堂々と行動をしている時点で、許可を得ているということは分かってもらえるだろうけど……一応、権限の説明をしておかないといけないらしい、どうにも、やっぱり、面倒だね、日本皇国という国は」
何が面白いのか、桧山はふふとほくそ笑み、胸元から手帳を取り出してぱらぱらとページをめくると、そこに書かれているらしいメモ書きを見ながら述べる。
「特例による日本皇国下における一部軍事権及び、特定人物の確保における軍事行動の許可。特定人物の確保、及び、処理において、日本皇国の警察はこれを認める。福見市民はこの権限を付与された人物の命令に必要に応じて従う必要があり、当権限は、福見市民の妨害行動を阻止する権力を持つ……と。要するに、古川くん、君は、私たちが、君の後ろにいる子を確保するのを邪魔しちゃいけないよ、ということだ。分かるね」
どう反応したらよいのか分からず、俺は、ただ、ただ、難しい顔をした。それが拒絶と受け取られたのか、桧山の表情が険しくなる。
「古川くん、君も大人だろう。分かるはずだ、日本皇国と北日本共和国の差を。そして、そこに住む人間の差を。私はね、これでも、皇国のことをある程度は分かっているつもりだ。そこに住む人のこともね。古川くん、君のこともだ。君は、適当に楽に仕事をして、適当に幸せに生きたい、そして、平和に生きたい、そう思っている、違うか?」
説得だろう。彼の言っていることはほとんど正しい。けれど、何故だか、それを今ここですんなり認めてしまうことは、俺の後ろにいる女の子を見捨てることではないだろうかと思ってしまった。
「……はぁ」
桧山は、ため息をついて、右手を上げた。ガチャガチャ、という音がして、兵士たちは銃を構えなおし、狙いを定める。誰にか。俺とアメにである。
「これ以上は言わないでおこう。とにかく、古川くん、君は、これ以上、何もしないでくれたらそれでいい」
再び俺に向けられた殺意。何がどうなっているかなんて考える必要などない。ここにあるのは明確な殺意であり、同時に、アメを俺から引き離そうとする力だ。じゃあ、俺はどうやって行動したらいい? 俺は、アメを失いたくない。俺は、まだもうしばらくは、アメと一緒に生活をしたい。それを桧山に告げる? 告げてどうなる? ここまで徹底的に装備を整えて踏み込んできた相手に、俺はこの子と一緒に暮らしたいんです、といったところで、はいそうですか、と受け入れられるだろうか。まさか、そんなはずがない。
俺の思考は戦った。
ここで俺は戦うべきか。いや、戦わずとも、せめて一言、希望だけでも言ってみるべきだろうか。そんなことを悩んだ。けれど、結論はすぐに出た。本当に悩んだのか、というくらいあっさりと、俺の結論は出たんだ。
答えは、沈黙。
俺は、沈黙するしかなかった。桧山が次の行動、言葉を発するのをただただ恐れをなして、魔王の前に震える小さな子供のように待つしかなかったんだ。それがアメに対する裏切りであったとは、俺は思わない。だって、俺は、その、アメとそんな約束をしてない、から。
「よし、いいだろう、さぁ、後ろの女、出てこい。大人しく、大人しく、何もせず、手はそのままだぞ」
桧山の声と共に、俺の後ろから、かつり、かつりと小さな小さな足音が聞こえる。アメが俺の前に移動しようとしているのだ。桧山の視線は俺から完全に離れ、アメの方へと向けられている。何かするのなら、今──だけど、俺には何もできない。だって、俺は、何もしないことを選択したのだから。
アメの足音が俺の真横へ差し掛かり、俺は横目でアメの姿を見る。そこには何事もないかのような表情で、俺の前へと出ようとしているアメの姿があり──刹那、俺の体を突き飛ばすような衝撃が襲う。
「なっ……!」
桧山の驚きの声が俺の耳へ届くことはなく、けたたましい音と共に、俺の身体は店の商品棚と商品棚の隙間へと突き飛ばされた。その上から、覆いかぶさるようにしてアメが突っ込んでくる。
アメが、俺を勢いよく投げ飛ばして、俺をクッション代わりにアメもまた店の横隙間へとその身を素早く投げ込んだのだ。俺とアメの体が先に居た場所から足を放してすぐに、ダダダ、という銃声が鳴り響く。発砲。けたたましい音は俺の耳を激しく震わせ、恐怖を植え付けようとする。
「このおぉ!」
桧山の怒る声とは別に、冷静に俺たちが見える位置へと移動する複数名の兵士たち。一瞬にして、兵士たちの銃の銃口は再び俺とアメの体を間違いなく捉える。いや、捉えるはずだった。しかし、銃口に捉えられたのは、俺とアメの体ではなく、俺の体だけであった。何故か、アメは、俺の体を盾にするようにして、俺の後ろに隠れていたからである。
「動くな! 撃つな!」
アメが俺の後ろから兵士たちへ向かって叫ぶ。何事か、何事なのか。いや、それよりも、俺を身代わりにしてこんなところへ隠れたところで何がどうなるというのか。アメに突き飛ばされた時の衝撃が今になって体を襲う。どれだけ力あるんだ、こいつ。
再び俺の前に姿を現した桧山の手には剣中が握られており、その銃口は俺に向いていた。アメ、ほらな、俺を盾にしたって何も変わらない。意味ないんだよ、こんなこと。それに、
「それで何になる」
桧山は一歩一歩俺たちに近づいてくる。そりゃそうだ、近づけばいい話。俺を盾にしようが何にしようが。
「それ以上近づくな、近づけば」
「……!」
アメの脅し。そんな言葉に何の意味があるのかと思ったが、桧山は、なんと、動きを止めた。同時に──俺は、俺の首筋に何か冷たいものがあたっている感触に気づく。
この冷たさは、金属だろう。何の? 何の、ってそりゃ──俺は、我慢できずに、目だけを動かして首筋に当てられているものを視界に捉える。その金属は刃物。
俺の店はリサイクルショップであり、骨董屋だ。立派な太刀とまでは行かなくても、短剣くらいの大きさの骨董品の日本刀なら、一本や二本、置いてあるんだ。そして、アメは、それらがどこに置いてあるのかということを、これまでの店の仕事で覚えていたし、だからこそ、俺をこの商品棚の付近へと吹き飛ばしたのだろうということが分かった。
アメは俺の首筋へと手にした短刀をつきつけていたが──けれど、さて、これには一体何の意味があるというのだ。勿論、俺は死にたくない。俺は死にたくないが、この場において俺とアメの命の決定権を持つのは桧山であり、彼が俺ごとアメを葬り去ろうとすれば、可能なのだ、間違いなく。彼はそれだけの武力を今手にしているのだから。
けれど、桧山の反応は、俺の予想していたものとは違った。
「やめろ、どうせここからは逃げられない。大人しく投降しなさい」
桧山は、俺を撃ち抜くことなく、アメの言う通り、それ以上俺とアメに近寄ろうとはしなかったのである。




